「怒り」について(2017/7/8更新)
2017.07.08 心の成り立ち(基礎:気持ちの種類)
「怒り」についての解説録音はこちらです。文章よりも音声解説の方が分かりやすいと思いますので、聴いてみて頂けると幸いです。
ここでは「闇の気持ち」の「怒り」について解説をしていきます。ただ、「闇の気持ち」の「怒り」について理解を深めて頂くためには、「光の気持ち」の「怒り」との違いなども説明を書いていく必要があるので、そういったことについても書いていきます。
【「怒り」とは何か?】
「闇の気持ち」の「怒り」とは「相手を許せない」と思う気持ちであって、そういった「相手を許せない」という気持ちから「相手を攻撃したい」という気持ちに繋がっていくものです。「怒り」には「相手を許せない(嫌悪)」と「相手を攻撃したい(欲望)」という二つの側面があると理解して頂けると幸いです。
「嫌悪」は自分にとってとても不愉快なものだからこそ、人は「欲望」によって「嫌悪」を乗り越えようとしていきます。そして、「怒り」の場合は「相手を許せない」という形で、とても強い「嫌悪」が自分の中に起こるからこそ、相手に攻撃をしない限り「相手を許せない」という気持ちを抑えることができないといった状態に陥りやすいものです。これが「怒りを抑えきれない」という状態です。
人が「怒り」に堕ちるのは、何かしらの「不利益」を自分が受け取る時です。例えば、職場で自分の部下が何度も何度も同じミスを繰り返し、その度に自分の仕事が増えていくと、人は「自分の仕事が増える」という「不利益」を受け取るが故に部下に対して「怒り」を抱いていきます。もし、その部下に対して何の「愛」も抱いていなければ、余計に「怒り」に堕ちやすくなります。
「愛」は「相手を大事に思う気持ち」だからこそ、「相手のため」に相手を「許す」ことを目指します。これは「怒り」が相手を「許さない」と思うこととは正反対の態度です。ですから、「愛」が大きければ大きい程「怒り」には堕ちづらくなります。逆に、「愛」が弱ければ「相手を許したい」とは思えなくなるので、「愛」が小さければ小さい程「怒り」には堕ちやすくなります。このような意味で「愛」と「怒り」は「許す」⇔「許さない」の意味で相反するものであると理解して頂けると幸いです。
現代社会は「愛」が弱まってきているからこそ、人々はちょっとしたことで「怒り」を感じがちです。けれども、多くの人は人目を気にしながら生きているので、自分が非難されないために、あからさまに「怒り」で「相手を攻撃する」ということをしない傾向があります。しかし、「相手を許せない」という「怒り」が続いていくことは皆望まないので、あからさまではない陰湿な攻撃を相手に行ったり、他人に愚痴を言ったり、何らかの「欲望」を実践することで、そういった「怒り」をごまかすことを行なっています。また、「怒り」を抱いている相手ではなく、別の人に対してその「怒り」の矛先を向ける「八つ当たり」にも繋がっていきます。
「怒り」をごまかすために、このような方向性で行動をしても自分も他人も苦しめていくだけです。愚痴を言うことは、誰かに対して「怒り」を抱くということは普通だという考え方を知らず知らずの内に人の心に植え付けていきますし、何らかの「欲望」を実践することは、その人の「欲望」をどんどん強めていきますし、「八つ当たり」をされた方は「嫌悪」などに堕ちるからです。
大事なことは「怒り」を抱きそうな最初の時点で「相手を許さない」と思わないようにすることであって、「相手を許す」ことを目指すことです。そのことで「怒り」に堕ちることは防ぐことができます。そして、「愛」を強くすることで「怒り」は抱きづらくなっていくので、「愛」を強くするための努力が「怒り」に堕ちないようにする上でとても大事なことです。
そして、「愛」を強くするためには、「愛」を抱いている人と生きていくことや心身を健康に保つといったことがとても重要なことです。「愛」を抱いている人と生きていると「愛」の価値を感じるようになるので、「愛」が強くなっていきますし、体が生き生きとしていると心も生き生きとしていくからです。ただ、「愛」を強くしていくためには、結局は自分自身が「愛」を抱く努力を心の中で行なう必要があります。
【「怒り」と「闘いの心・問題解決の心」】
一般に「怒り」と言われるものの全てが「闇の気持ち」の「怒り」というわけではありません。「闇の気持ち」の「怒り」は本質的に「自分のため」のものですが、「光の気持ち」の「怒り」もあり、それが「闘いの心」です。
「闘いの心(火の気持ち)」は「自分が愛する人を守るために敵と闘おうとする気持ち」であって、「自分のため」の「怒り」ではなく「誰かのため」の「怒り」です。例えば、自分の愛する子供を誰かが傷つけていたとしたら、子供に対する「愛」が故に、相手のことを「許せない(怒り)」と思い、「子供を守りたい」という気持ちが故に、その相手に「闘い」を実践したくなるようなケースはあります。これは、「闘いの心」の「怒り」です。
「闇の気持ち」は自分が何らかの「不利益」を受け取るからこそ、「相手を許せない」と思い「相手を攻撃したい」と思います。それに対して、「闘いの心」は自分にとって大事な誰かが「不利益」を受け取るからこそ、「相手を許せない」と思い「相手を攻撃したい」と思います。このような意味で「怒り」と「闘いの心」は非常に性質が似ているものであって、対立しているものです。
一般に「怒り」と言われるものには「光」と「闇」でこの二種類があると理解して頂きたく思っているのですが、もう一つ「光の気持ち」の中で「怒り」を使うものがあり、それが「問題解決の心(水の気持ち)」です。
「問題解決の心(水の気持ち)」は「自分が愛する人を助けるために問題を解決しようとする気持ちであって、「誰かのため」の「怒り」に繋がっていきます。例えば、自分の愛する子供を誰かが傷つけていたとしたら、子供に対する「愛」が故に、なんとか「問題解決」をしたいと思い、自分の子供を傷付けている相手に「厳しさ」を持って接するようなケースはあります。この「厳しさ」は「問題解決の心」の「怒り」です。
このような意味で「闘いの心」の「怒り」は「相手を許せない」という思う気持ちであって、「闇の気持ち」の「怒り」ととても近いです。それに対して、「問題解決の心」の「怒り」は「相手を許せない」のではなく、「問題解決」のために「怒り」を使っているだけであって、それを「厳しさ」とここでは書いています。
このような意味で「怒り」には三種類あると理解して頂けると幸いです。「怒り」という言葉で表現すると、同じように見えてしまいますが、この三種類の「怒り」を抱いている時、我々が抱いている気持ちは本質的に異なります。
そして、「闇の気持ち」の「怒り」はただの不満解消のための悪しきものであるのに対して、「闘いの心」や「問題解決の心」の「怒り」は「愛」の実践のために必要なものであると理解して頂けると幸いです。(ただ、ここでは深くは説明しませんが、「闘いの心」の「怒り」は時に状況を悪くすることもあります。このことについては別で文章を書きます。)
【「怒り」を抑えるための「光の気持ち」】
「怒り」に囚われている時間は「相手を許せない」と考えに囚われている時間です。「光の気持ち」を抱くと「相手を許さない」という気持ちから抜け出せますから、「怒り」を抑える上で「光の気持ち」を抱くように努力することは大事です。「光の気持ち」を抱くための方向性を説明します。
・「水の気持ち(向上心・問題解決の心)」
「こんなことで『怒り』に堕ちてしまうなんて心が弱すぎる。堕ちてはいけない」といった形で、「怒り」を抱くことを自分自身の「問題」と捉えることで、そういった自分自身の「問題」を「解決」することを目指す気持ちから「水の気持ち」を抱き、「怒り」を乗り越えるということはできます。これが「水の気持ち」で「怒り」を乗り越える方向性です。
・「火の気持ち(元気・笑い)」
「こんなことで怒っていてもしょうがない!元気を出さないと!」といった形で、「怒り」に同調せず心を「元気」にすることを目指すことで、「怒り」を乗り越えることもできます。その時に重要なことは「元気」を出すための道具ですが、運動をしたり、音楽を聴いたり、映画を見たり、お笑いを見たり、といった色々な方法があります。サッカーやバスケットボールといった球技は夢中になれるのでいいと思いますし、サザンオールスターズのような「元気」の方向性の音楽を聴くことも有効ですし、タモリや明石家さんまなどの番組を見ることも有効です。自分の心を引っ張ってくれるような何かしらの道具は色々ありますから、そういったものを使っていただければ、と思います。これが「火の気持ち(元気・笑い)」で「怒り」を乗り越える方向性です。
・「火の気持ち(闘いの心)」
「俺は絶対にこの怒りに負けない」といった形で、「闘いの心」で「怒り」に打ち勝つことを目指すことで「怒り」を乗り越えることもできます。この場合も「水の気持ち」の場合と同様に何かしらの「アイデア」を使うことが大事です。「怒りに堕ちると知らず知らずの内に八つ当たりしてしまうかもしれないから、家族を守るために『怒り』に勝つ!」「こんなことで『怒り』に負ける程のヤワな男でどうする」といった「アイデア」を使うことで「怒り」に堕ちそうになる心に打ち勝つことをしやすくなります。「闘いの心」を抱いていると、「相手を許せない」という気持ちは「闘い」の対象となります。そういった形で「闘い」を心の中で実践し、「怒り」に同調しなければ、「怒り」はだんだんと弱まっていきます。これが「火の気持ち(闘いの心)」で「怒り」を乗り越える方向性です。
・「風の気持ち(優しさ)」
「(怒りのきっかけとなった相手に対して)彼・彼女には何かあんなひどいことをしてしまう理由があったのかもしれない」といった形で、相手の立場になって考える「思いやり」を実践することで「怒り」に同調しないようにすることもできます。例えば、「きっとあの時の前にものすごく悪いことを彼・彼女は経験して、だからあの時は機嫌が悪かったんだ」「彼・彼女はきっとものすごく辛い幼少期を過ごしてきたから、あんな酷いことをしてしまう人間になってしまったのでないだろうか?」といった「思いやり」をやり始めると、相手に対して「許す」ということをしやすくなります。本当に「許す」ことができれば、「相手のことを許せない」という「怒り」の根本を取り除くことができます。これが「風の気持ち」で「怒り」を乗り越える方向性です。
・「土の気持ち(忍耐・勇気)」
「土の気持ち」は自分の「信念」=「それが正しいと思うこと」に従う気持ちですが、そういった気持ちが強い人は「怒り」に同調することが、自分の「信念」を邪魔することに繋がると思うことができれば「土の気持ち」によって「怒り」を乗り越えることができます。例えば、「怒りに同調することは間違っている」という「信念」を持つことができれば、その「信念」を使って「怒り」に堕ちることを防げます。何を正しいと思うか、何を間違っていると考えるか、ということは、我々がどんな気持ちを抱くのかということについて、とても大きな影響を与えることです。そういう方向性が「土の気持ち」を使って「怒り」を乗り越える方向性です。
・「金の気持ち」
「金の気持ち」=「愛」で「怒り」を乗り越えるためには、「怒り」を抱くきっかけとなった相手に対する「愛」を抱くことで「許す」ことを目指す必要があります。そういったことを促すのは、その相手と過去にいい時間を過ごした記憶などを思い出すことです。そういった思い出を思い出すことができれば、「許せない」と思いそうになる気持ちを止め、「愛」を抱くことで「許す」ということを行いやすくなります。本当に相手に対して「許す」ことができれば「怒り」は静まっていくので、この方向性で「怒り」を抑えることは「怒り」のきっかけを取り除く方向性です。これが「金の気持ち」を使って「怒り」を乗り越える方向性です。
【「怒り」が故に堕ちやすい他の「闇の気持ち」】
冒頭にも書きましたが、「怒り(嫌悪:相手を許せない)」は「怒り(欲望:相手を攻撃したい)」でしか終わらせられるものではなく、他の「闇の気持ち」によっても「怒り(嫌悪:相手を許せない)」をごまかすことはできます。ですから、ここでは「怒り」がどのように他の「闇の気持ち」に繋がっていくのかを書いていきます。
・「欲望」
「相手を許せない」という気持ちに囚われると、なかなかそこから出ていくことができなくなるので、「欲望」を使って「怒り」を乗り越えようとする場合、強い「欲望」が必要となってきます。しかし、強い「欲望」はその人間の心の「欲望」をかなり大きくしてしまうので、「怒り」を乗り越えるために「欲望」を使うことはとても良くないことです。
また、愚痴を言いたいと思うことは「欲望」です。上にも書きましたが、愚痴を言うことはその愚痴を聞いている人の心に「他人のことを許せないと思うことは当然」といった「アイデア」を植え付けていくので、好ましくないことです。愚痴についてはここに詳しく書いています。
http://junashikari.com/dailylife/愚痴について/
・「咎める心」
自分の「怒り」を正当化するために、相手に対して「咎める心」を抱くようなケースはあります。「相手は間違っていた。だからこそ、私がこの怒りを抱くのは当然だ」という形で心を動かしていく形になります。けれども、「怒り」が故に「咎める心」に堕ちると、自分の「怒り」を正当化するからこそ、より強く「相手を許せない」という気持ちに同調することに繋がっていきます。そうすると、「怒り」は強まってしまいます。
こういった形で「怒り」を強めないために大事なことは、「怒り」に堕ちることは相手が間違ったことをしたかどうかと関係が無いということを理解することです。相手が間違っていたことをしたにしても、自分が「怒り」を抱いてしまうことは自分が相手のことを「許せない」からです。例えば、どんなに間違ったことをされても「怒り」に堕ちない人はいますが、そういった人は「愛」が強いからこそ相手のことを「許す」ことができ、その結果「怒り」に堕ちない形になります。ですから、自分が「怒り」に堕ちることは自分の「愛」が足りていないからだということを分かることが、「咎める心」によって「怒り」を助長しないための方法です。「怒り」に堕ちるか堕ちないかは、相手が正しいか間違っているかではなく、自分の「愛」が大きいか小さいかだけによって決定されることです。
・「嫌悪」
「怒り」が故にヤケになってしまうようなことはありますが、これは「怒り」が故に何もかもに対して「嫌悪」を抱いている状態です。そういった状態になると、間違ったことをする可能性がとても高くなるのでヤケになることは避けるべきです。
・「後悔」
「怒り」を抱いたことに対して、こんな「怒り」を抱くことになるなら「〜しなければよかった」といった形で「後悔」するようなケースはあります。堕ちないように気をつけて頂けると幸いです。
【最後に】
「怒り」は我々現代人がいつも向き合っている一つの問題です。ですから、「怒り」とはそもそもどういうものであるか、「怒り」に同調しないためにはどういったことを心の中で行う必要があるのか、といったことをこのページを通して御理解頂けると幸いです。