「原因」と「口実」
2018.07.14 心の成り立ち(基礎:その他)
我々はいつも、様々な事柄に対して「理由」付けをしています。しかし、「理由」には「原因(本当の理由)」と「口実(後付けの理由)」の二種類があることを意識化している人は少ないです。この違いを理解することはとても大事ですから、以下に説明していきます。
【「原因」と「口実」の違い】
「原因」は本当の「理由」なのに対して、「口実」は後付けの「理由」です。そして、後付けの「理由」は「原因」ではないので、「口実」は本当の「理由」ではありません。例えば、自分の行為を振り返った時に、自分の行為を正当化するための「理由」をそれから作り出すのであれば「口実」しか生まれません。本当の「理由」=「原因」は既にあるものなので、作り出すべきものではなく、探し出すべきものだからです。
つまり、「原因」と「口実」の違いを理解する上で大事なことは時間軸の違いを理解することです。「原因」は「元々ある」のに対して、「口実」は「後付け」です。「後付け」という言葉は「口実」の本質を見事に捉えている重要な言葉なので、「後付け」という言葉と対の意味を持つ「元々ある」といった言葉を使って、「原因」のことを理解することは大事です。整理すると、
「理由」の二種類
「原因」=「本当」の「理由」=元々ある
「口実」=「偽」の「理由」=後付け
自分を肯定するために「口実」を作ろうとする人はよくいるのですが、そういう人の中には、それが「原因」だと思い込んでいる人が少なくありません。これは「原因」と「口実」の違いを常識化していない社会の弊害です。また、「原因」と「口実」の違いを意識化していないと、「理由」に関する何らかの「アイデア」を得た時に、その「アイデア」が「原因」なのか「理由」なのかを吟味しづらいです。初めから、この二つの違いを「分かる」=「分ける」ことができているからこそ、「理由」について「分ける」ことを目指すことに繋がり、そのことによって、その「理由」が「原因」なのか「口実」なのかを「分かる」ことができます。このような意味で、物事の「意味」を適切に「分かる」状態で生きることは、我々の物の見方を向上させます。そのことによって、自分を見るべきように見ることがしやすくなります。
【「原因」を明らかにする心と「口実」を捏造させる心】
少しだけ、「原因・口実」と「気持ち」との関係性についても触れておきます。
「自己肯定欲」などに囚われていると、自分を「肯定」するための「理由」を見つけたくなるので、見るべきように自分を見ることができなくなり、「口実」を作り出したくなります。そして、その「口実」が「原因」ではないことに気付けなくなります。心のどこかで、その「口実」が本当の「理由」であってほしいと思っているからです。「欲望」に負けているが故に「冷静さ」に欠けているからこそ、現実を歪めて見始めます。もし、「原因」と「口実」の違いを意識化していなければ、なおさらこういうことが起こりやすくなります。
心に「強さ」があれば自分にとって都合の悪い「原因」でも「受け入れる」ことができるので、本当の「理由」を見つけ出せます。それに対して、心に「弱さ」があると自分にとって都合の悪い「原因」を「受け入れられない」ので、後付けの「理由」を作りたくなります。つまり、「強さ」は「原因」を明らかにするのに対して、「弱さ」は「口実」を捏造します。
このような形で、「原因」を明らかにし「口実」を捏造しないようにする上で大事なものは、物事を的確に見る上で大事な「賢さ」に加えて、心の「強さ」です。こういう観点からも、「賢さ」や「強さ」の重要性を理解して頂けると幸いです。
【最後に】
この社会では、「原因」と「口実」の違いが「常識」としてシェアされていないので、互いに教え合いにくい構造があります。無意識に「原因」と「口実」の違いを「分かる」=「分ける」ことができている人はいても、言葉のレベルで意識化していないが故に、他者に上手く教えづらい構造があるということです。だからこそ、こういうことを知ることは大事です。
是非、「原因」と「口実」の違いを意識化して頂けると幸いです。「原因」と「口実」の違いを知ることは、自分自身を見るべきように見る上で必要な、とても基本的な知識です。