私がホームページを創る時、意図的に迷路のようなものを作ろうと考えていました。そして、最近は順調にそのような形になってきています。一つの記事を読んでいると、その記事の中で別の記事へのリンクに当たります。その記事を読むためにある事柄を理解しなければならないからこそ、そこにリンクを貼っている形になります。

しかし、そこで飛んだ新しい記事でも同様の現象があり、別のリンクに飛んで別の記事を読まなければならない。そして、その次の記事でもリンクが貼ってあり、、、という形で迷路化しています。これはそうする必要があるからという理由もありますが、意図的にそうしているというところもあります。

そして、どこから読み始めても結局は「気とは何か?」という、このホームページが生まれた後に最初に書かれた最も基本的な文章に飛ぶということになります。そして、どの経路でその記事に辿り着くかということによって、その「気とは何か?」という文章の読み方が全く異なる事に皆さん気付いていくはずです。そこに気についての理解の進歩があります。

私の文章は一回読んだだけで理解できるようなものではありません。何故ならば、今の常識とは全く異なることを書いており、基本的に人は常識に縛られながら世界を見て生きているからです。世界を見るべきように見ることは本当に難しいことであって、それは自分が見たいような世界の見方との闘いでもあります。それと同様に、人が文章を読む時、読むべきようにその文章を読むことは本当に難しいです。多くの方はその文章を読みたいように読んでしまうからです。

ある事柄が書かれていて、その事を理解できるかどうかは、読み手がそこで書かれていることに実感を持てるかどうかのみです。これは強く言いたいのですが、実感無しの理解は、それはただの言葉のレベルでの理解であって、認識のレベルでの理解ではありません。人は心を見ない傾向があるからこそ、言葉のレベルでの理解と認識のレベルでの理解の違いが見えづらくなっています。

心を見なければ自分がそのことを認識のレベルで理解できているかどうかを見抜くことはできません。ですから、文章を読む時も常に自分の心を見ることがとても大事になります。心を見ずに文章を読むのであれば、自身が認識のレベルで理解できているかどうかを見抜けず、むしろ言葉のレベルでの理解しかできていない状態で分かった気になるという現象に陥りがちです。これは非常に危険なことです。

また、自分がどういう状態でその文章を読むのか、ということも極めて重要になります。自分が光の立場であるのならば、その文章は比較的読むべきように読む事ができる可能性は上がります。しかし、自分が闇の立場であるのならば、その文章を読むべきように読む事はできず、誤読ばかりを行ないます。魂が光であるならば世界は非常にクリアに見え、魂が闇であるならば世界は全く見えない、という傾向は必ず生まれます。

これはこの宇宙の大きな一つのルールですからよく覚えて下さい。皆さんも日常を生きていて、気分が清々しい時(光)もあれば、気分が落ちている時(闇)もあると思います。その時の自分の世界の認識の仕方がどのように違うかを分析することが大事になります。とにかく大事なことは自分の心の分析です。そのことから我々は多くを学べます。そして、心を見ることはいつでもどこでも何をやっていても行なえることですから、我々はいつだって大事なことを学ぶことができ、また、いつだって魂の修行を行なうことができます。

魂が光であるならば世界は非常にクリアに見え、魂が闇であるならば世界は全く見えないということの例を挙げると、例えば人は気分が良い時は基本的に恋人とうまくいきます。しかし、気分が落ちている時は恋人に対して疑いや誤解を抱き、喧嘩などを起こしがちです。この例は非常に分かりやすいと思いますが、このことに象徴されるように、我々は相手を見るべきようには見ていません。我々はいつも相手を自分が見たいようにしか見ていません。では、自分が見たいようにしか見ていないことの具体的内容は何かと言うと、魂が光に寄っているか闇に寄っているかの違いです。

立場が違えば物の見方は全く異なります。その立場の違いには本質的には二つしかなく、それが光と闇です。私は光の立場で文章を書いていますから、闇の立場で私の文章を読もうとも決して理解する事はできません。

どうしてこのような現象が発生するかというと、魂が光の方向性に向かっていれば、必然的に身体に光の気を抱えていることになり、神々からの助けの中で物事を見るのに対して、魂が闇の方向性に向かっていれば、必然的に身体に闇の気を抱えていることになり、悪魔からの関与の中で物事を見ることになるからです。文章を読んでいる時も、神々と悪魔は我々の文章の読み方に気で関与しています。

そして、神々は真実を人間に教えたいと思っているが故に、我々に真実を教えるために文章を読むことを支えます。それに対して、悪魔は嘘を人間に教えたいと思っているが故に、我々に嘘を教えるために文章を読むことに関与します。そういったことによって、我々の文章の読み方は皆かなり異なってきます。

私の文章を読んで下さっている方には本当に感謝しています。しかしながら、真に理解しない限り、そして誤った理解を行なっている内は、むしろ危険な知識となり得ます。ですから、どうか中途半端な気持ちで読んで頂きたくないと思っています。私が書いているほとんどのことは心の仕組みについてであるからこそ、あなたが真に自分の心のことを見つめ考えながらでなければ私の文章を本当の意味で理解することは難しいと思います。

そして、それは文章を読んでいる時だけでなく、例えば「記憶について」の文章を読んだ後に、自分が記憶を使う度に一体どのような形で自分はその記憶を使っているかどうかを御自身の力で分析しない限り、決して記憶についての真の理解には繋がりません。

記憶について
http://junashikari.com/body/記憶について/

私の文章を認識のレベルで真に理解できているかどうかを簡単にチェックできる方法があります。それは御自身が、日常において私の文章に書かれている知識を活かせているかどうかです。本当に理解できているのならば、多くの知識を使うことができ、非常に生きやすくなり、自分らしく生きていけます。自分の心のシステムを見抜くことができれば、自分で自分の心を操縦していくことができるからです。逆に言うと、現代人はこの心の操縦を全く行なえていない状態になります。そこに問題の根本があります。

文章を読むということについて理解しながら、そして何よりも御自身の心を常に見ながら、まるで闘いに臨むような気分で私の文章を読んでほしく思っています。引き続き、どうぞよろしく御願いします。