UAが最近新しいCDを出しました。MVも含めて、この曲は今の「時代性」とも合っていて、なおかつ「かっこよさ」もあり「お洒落」なので、好きな人は多いのではないかと思うので、シェアさせて下さい。
 


UAが最も流行ったのは『情熱』ですが、彼女が流行った大きな理由は「お洒落さ」でした。その時の「道」を再び行くことの決意表明のように、今回のCDは『微熱』という曲が1曲目です。逆に、UAが流行らなくなった原因の1つは「お洒落さ」からの離脱であって、なおかつ、曲の「難解さ」でした。

「お洒落」な服を着ることによって人が「お洒落」をするように、「お洒落」な音楽を聴くことによって人は自分が「お洒落」だと感じます。これは人が「お洒落」な音楽を聴くことを促す1つの大きな原因であって、なおかつ、「お洒落」になりたいと思っている人は少なくないので、「お洒落」なものは「ビジネス」として成立しやすい構造があります。

しかし、「お洒落さ」は「深さ」を奪いやすい構造もあり、それがUAの矛盾を生み出しています。彼女は歌手というより巫女であって、「時代性」ではなく「神話性」のある歌を歌える数少ない人間だからです。

世界一の巫女としての歌い手はBjorkだと思いますが、日本一の巫女としての歌い手はUAだと思います。そんな彼女が「神話性」ではなく「時代性」の方向に傾いていることが「正しい」のか「間違っている」のか、自分には分かりません。

日本一「神話性」を歌える歌手が「神話性」の方向性を弱めることは「間違っている」ように思える一方、「時代性」に合わせなければ、そもそも人々に聴かれないので、今のUAが「時代性」に戻ることは「正しい」ようにも思えるからです。

実際、彼女が「神話性」の「道」に突き抜けていけば行くほど、世間からの理解はされなくなり、「ビジネス」としては大変厳しくなっていったと思います。「神秘」の精神性は、あまりにも人々が日常的に使っている精神性とは異なるものであるからこそ、「神話性」の方向性に行けば行くほど、「難解」な印象を人々に与えるからです。
 


しかし、UAが「神話性」の方向性へ向かっていった頃、彼女は大変「意義」の深い作品を作りました。例えば、『踊る鳥と金の雨』という曲がありますが、この曲は100年後も200年後も我々人間に重要な「真実」を伝える傑作です。

また、この曲の楽器の使われ方などは、新時代の歌の作り方について多くのヒントを与え得るものでもあって、「神話性」だけでなく「音楽性」の意味でも大変「意義」の深い作品です。
 


この頃に発表した『SUN』というアルバムも、この頃のライブ映像も非常に素晴らしく「神話」という言葉がふさわしい作品でした。例えば、このライブ映像の中で雷と見事に共演していますが、この映像は数百年後も意味を持つものだと思います。

もちろん、今回の『お茶』もお茶という存在の「神秘」を伝える「意義」の大きい作品です。しかし、「ビジネス」と辻褄を合わせるために「お洒落さ」を入れることによって「神秘」が薄れてしまっているのも事実です。
 


「ビジネス」と「意義」は必ずしも一致せず、その両方を完璧な形で両立することは至難の業です。例えば、Bjorkの『all is full of love』はそれを実現した作品だと思いますが、同じようなことを今の日本で実現することはとてつもなく難しいです。というのも、今の日本の文化度は極めて下がっているからです。

このような意味で、ある国の文化度が下がるということは、「意義」の大きな作品が生まれることを止め、その国の「神秘」が明かされない構造を生み出します。特に、UAのように「神秘」を明らかにし「神話性」を歌う歌い手にとっては、極めて難しい時代だと思います。そういった状況もあって、ここしばらくのUAの顔からは「苦悩」がよく滲み出ているように思えてなりません。
 


「時代性」に合わせた今回の作品によって、日本人が再びUAに注目することを願います。そして、これからUAが「神話性」の方に戻っていこうとも、彼女に付いていくように、彼女の作品を鑑賞していくことが、我々日本人にとって最も正しいUAとの関わり方だと思っています。

ある歌手が精神的に発展していくということは、聴き手達の精神的発展も促します。実際、自分は『AMETORA』などを通してUAを好きになったことによって、その後の彼女のCDも聴き続け、それが自分の精神的発展を促してきてくれましたし、『空の小屋』は自分が音楽を始めるきっかけさえも与えてくれました。

そんなことがたくさん起こるための道具をUAはたくさん作ってくれたと思いますし、彼女の過去のCDがこれから再び聴かれることが促されるためにも今回の作品があるとしたら、それは「正しい」と思います。

自分としては、これからUAが再び「ビジネス」や「時代性」とは無関係に、「意義」の深い「神話性」の方向性にどこまでも突き抜けていくことを願っています。そして、そこで生まれてくる「意義」の深い作品と向き合いながら自分自身が生きていくと共に、死ぬまでそういった作品を人に紹介し続けていきたいと思っています。
 


昨日、久しぶりに『空の小屋』の『閃光』を聴いていましたが、涙が溢れてきました。というのも、ある人間が「闇」から「光」へ向かうことの決意表明として、ここまで大きなものを伝え得る曲など他に見当たらないからです。

ある人間が「闇」から「光」へ向かう決意を抱くこと程に、我々の人生にとって重要なことはなく、この曲がその1つの在り方を我々に強く教えてくれることを踏まえると、この歌の重要性が分かってきます。

『踊る鳥と金の雨』も『閃光』もUA自身が作詞作曲を行なっています。それに対して、今回のアルバムは全曲他のアーティストに作曲を依頼しています。

UA程の精神性に達している人間は滅多にいないからこそ、UAが他者に作曲を依頼することはUAが伝え得る「神秘」を下げてしまうように思えてなりません。逆に言うと、『踊る鳥と金の雨』や『閃光』程の「神話性」を持つUAの曲は他にないと思います。

もちろん、『踊る鳥と金の雨』に関してはPiramiが曲作りで強くサポートしているはずですし、この『閃光』の映像に関しても、素晴らしいアーティスト達が曲を引き立てています。

しかし、その曲の精神的軸はUA自身の作詞作曲によって作られているはずであって、その軸を様々なアーティストが補足した形だと思います。この在り方にこそ、UAが最も「意義」の深い作品を生み出す可能性があるように思います。