前回の近況報告から三ヶ月が経ったので、近況報告をさせて下さい。2月の頭に山梨に戻りまして、3ヶ月間ほとんど家を出ることなく、山籠り修行をしていました。

この3ヶ月の山籠り修行のテーマは「心身の病との闘い」「戦争に関する学び」「その他の勉強」の3つだったのですが、それらを分けて説明していきたいと思います。また、最後に今の自分の経済状況についても書いています。
 

【この3ヶ月の修行と研究】

・心身の病との闘い

家に帰ってからすぐに病気となり、しばらくは寝込んだ状態を経験していました。その後も全回復までに一ヶ月程の時間がかかり、これ程回復までに時間のかかった病気は初めてでした。

また、身体の不調と合わせて精神の方も非常に苦しい状態を経験しておりまして、この3ヶ月間は鬱との闘いだったように思えます。

身体の調子が悪い中、過度のストレスがかかると、精神的にかなり苦しい状態になるということを痛感しておりました。今回の冬の間に感じていた精神性を記録するために簡単な動画を作ったので、それを貼り付けさせて下さい。
 


山梨の自分の住んでいるエリアは大変寒く、なおかつ、今年の冬は大変長く、上の映像の雪景色は4月3日のものです。5月1日の今でさえ、雪が降りそうな程に寒いです。

この土地特有の寒さと共に毎年冬は厳しい修行を行なっていますが、今回の鬱との闘いもとても厳しいもので、しかしながら、大事なことを学ぶことができたように思えます。

 

・戦争に関する学び

ウクライナ侵攻が発生してからの1ヶ月間は、毎日ずっとウクライナ侵攻を中心に戦争の勉強をしていました。何をしていたかというと、徹底的にドキュメンタリーを観ていました。その1ヶ月が過ぎた後も、戦争の勉強は続けています。

ロシアがどういう国であるのか、プーチンがどういう人間であるのか、ウクライナがどういう苦悩と共に歩んできた国なのか、といったウクライナ侵攻関連のことに限らず、中国や北朝鮮といった国のこと、また現代の世界情勢に限らず、第一次世界大戦や第二次世界大戦といった過去の戦争の歴史について、勉強し続けていました。どういったことを勉強していたのかは、先日書いた文章の中でも一部取り上げています。

http://junashikari.com/other/documentary-films-about-this-crisis/

また、戦争に関する勉強と並行しながら、音楽の修行をしていました。何をやっていたかというと、戦争の重みを伝えるような音楽を作れるようにすることです。

戦争関連のドキュメンタリーの映像や核実験の映像を無音で流しながら、その映像を観ながら、チェロやコントラバスなどの楽器の修行をしていた形になります。上に貼り付けた動画で使っている楽器のチューニングを使い、この世界が抱える問題の深刻性を感じながら、楽器を弾いていた形になります。逆に言うと、そういう深刻性を感じるために、このチューニングを使っていた側面があります。

「戦争」という言葉は、それぞれの人間にとってあまりにも大きな差のある言葉です。例えば、悲惨な戦争を経験した人にとっては、あまりにも重みがある言葉であるのに対して、全く戦争を経験したこともなく戦争テレビゲームで遊んでいる人にとっては、とても軽く聞こえる言葉かもしれません。

我々人間が戦争のことを理解することはとても大事です。というのも、戦争が如何に人間の心を壊していくのか、戦争を回避することが如何に重要なのか、を学ぶことが、実際に戦争が起こる可能性を下げるからです。

そういう意味で、戦争のことを学ぶことは、戦争の「重み」を学ぶことであるべきです。逆に言うと、年号を覚えたり、ただの事実を覚えるような教育はほとんど意味がなく、戦争の「重み」を感じられる教材と共に学ぶことがとても大事です。そのような観点で考えた時、現代の義務教育で実践されている戦争教育は決して良いものではなく、理想的な戦争教育とは何なのかを明らかにするためにも、自分自身が戦争について学びを深めています。

そして、音楽は精神を伝えるからこそ、戦争の「重み」を伝える音楽は我々が適切に戦争のことを学ぶことを促します。例えば、このホームページでよく取り上げている『映像の世紀』というドキュメンタリーのメインテーマである『パリは燃えているか』という音楽は戦争の重みを我々に伝えてくれるからこそ、『映像の世紀』は素晴らしいドキュメンタリーです。
 


戦争の意味を伝えようとしている自分は、単純に戦争の歴史を学ぶだけではなく、戦争の重みを伝える音楽を作ることができるようにしなければならないと思っています。そのためには、戦争を表す音楽を作る以前に戦争の重みをよく分からねばならず、様々なドキュメンタリーやニュースなどを通して、戦争の持つ深刻さを学んでいました。

そのような観点で楽器の修行をしていましたが、核兵器の深刻さを伝えるような音楽は未だ作れるレベルにないということを実感していました。というのも、核兵器とはあまりにも深刻な存在であるのに対して、自分が現状作ることができる音楽はまだ深刻さが足りないからです。そういうことを痛感できたことは、今後の音楽修行において、一つ大事な気付きであったと思っています。

ドキュメンタリーよりも映画はよりダイレクトに物語を我々に伝えます。だからこそ、優れた戦争映画こそ、戦争の本質を我々に伝えます。そう思うからこそ、様々な戦争映画を観続け、重要な戦争映画の持つ意味などを分析していました。

例えば、『プラトーン』は戦争映画の一つの大きな基準の意味を持つ映画ですし、『フューリー』は戦争映画の発展の先に生まれた傑作です。また、『火垂るの墓』は日本人にとってバイブルですし、『ヒトラー 〜最期の12日間〜』は世界にとってのバイブルです。他にも、『プライベート・ライアン』『アメリカン・スナイパー』『硫黄島からの手紙』『ダンケルク』『戦場のピアニスト』『イミテーション・ゲーム』など、様々な異なる意味を持つ重要な戦争映画があります。

そういったレベルでの重要な戦争映画が何なのか、そして、それぞれの重要な戦争映画の意味というものを体系的に整理し、伝えていきたいと思っています。そのための準備を今回進められて良かったと思っています。

戦争の勉強をしている日々は毎日、起きてから戦争に関するドキュメンタリーを観て、そのドキュメンタリーを通して感じていた戦争の重みを音に変換するために楽器の修行をし、夜に一本戦争映画を観るといった形でした。
 

・その他の勉強

戦争という要素と経済の要素はつながっているので、経済の方の勉強なども進めていました。また、世界の様々な音楽を研究していたこともあります。音楽について、特に調べていたのがチベット音楽です。

戦争に関しての音楽を作る上で深刻さが足りなく感じていた大きな原因は、打楽器と金管楽器の不足です。自分は打楽器については先日和太鼓を始めたばかりで、金管楽器に関してはまだ始めてもおりません。

そういう観点で深みを表現するための音色を持つ楽器を探していた時、チベット音楽にとても心惹かれるようになりました。チベット音楽で使われる楽器の音色の持つ深みは、自分が表現しようとしている精神の深みを表現する上で非常に大きなヒントになり得るように思うからです。
 


チベット仏教は絵画も大変有名ですが、非常に恐ろしい神々の絵も少なくありません。そういった荒ぶる神々の恐ろしい側面さえもチベット音楽は表現していると思いますし、そういう音楽や楽器を通して学ぶことができるものは少なくないように感じています。

また、打楽器の延長線上でマリンバ(木琴)についてもよく調べていたことも、フレームドラムなどについてもよく調べてきました。
 


今まで様々な弦楽器を録音で使えるレベルにするための修行は積んできたことによって、色々な音色の弦楽器の音を使って音楽を作ることができるようにはなってきました。様々な弦楽器の修行を積むのと並行して、それと同じことを打楽器の分野でもできる必要があり、自分が作るべき音楽に必要な音色を持つ打楽器を探し続けていますし、マリンバとフレームドラムは必ずどこかのタイミングで必要な音だと感じています。

音楽以外についても、重要だと思われる事柄については調べて勉強するようなことは多くありました。

 

【最後に(今の自分の経済状況)】

非常に経済的に困難な状況を経験しています。また、お金がない中この3ヶ月をクレジットカードに頼りながら修行と研究に専念していて、家賃をクレジットカードのキャッシングで払い続けるような日々を過ごしており、一枚しか持っていないクレジットカードの使用可能枠も限界に迫っております。

4/30までに払わないとならなかった家賃も払えておらず、全財産は5000円を切っており、またキャッシングして家賃を払わざるを得ず、大変厳しい状況です。以下、そういった詳細を貼り付けておきます。


 

人が生きていく上で、本来学んでおくべき事柄を整理し、伝えるために生きています。そのための修行と研究で、他者に与えるに値する知識や作品を作れるようにするために努力しています。引き続き、そういう努力を続けていきたく思っていますが、もし自分の活動を応援して下さる方がいらっしゃいましたら、以下まで寄付をして頂けると大変助かります。

りそな銀行 福岡支店(店番号:711) 口座番号 0255762(普通預金) 芦刈 純(アシカリ ジュン)

よく思います、今の世界を成り立たせている大きな法則は「ギブ&テイク」です。だからこそ、皆お金のために働かなければならないし、お金のために働くということが普通になっていて、ほとんどの日本人が人生の大半の時間をそのために費やしています。

皆が与え合っていたら、お金のために仕事をするという常識は不要になりますし、そういう風に変えていくことが新時代を生み出していくと信じています。そして、お金のための仕事に人生の大半の時間を奪われずに済むからこそ、その人が本来実践すべき役割を実践しやすくなると思っていますし、この点に「与え合い」の価値はあると思っています。

そういう風に考えているからこそ、頑固な程に自分は一切商売をしないようにしていますし、全ての活動は無償で行ない続けたいと思っています。ただ、お金が無くなり、クレジットカードの使用枠も無くなれば、アルバイトをしなければならないですが、それは大変時間がもったいなく思っています。自分がすべき事柄に専念することの方が大事だと思うからです。

5月からの予定はまだ全然分かりませんが、今年の残り3分の2の間も毎日頑張って前へ前へ進んでいきたく思っています。