自分が「愛」の立場に立つと相手が大事に思えるので、相手の「幸せ」から「喜び」を感じ、相手の「不幸」から「悲しみ」を感じます。「他人の幸せは蜜の味」という言葉があったとしたら、「蜜」はこの「喜び」のことです。

自分が「欲望」の立場に立つと自分が大事に思えるので、相手の「幸せ」から「嫉妬」を感じ、相手の「不幸」から「優越感」を感じます。「他人の不幸は蜜の味」の「蜜」はこの「優越感」のことを意味します。

色々な場面で「他人の不幸は蜜の味」ということは言われますが、この言葉は罠なので気を付けて頂けると幸いです。「他人の不幸は蜜の味」ということが常に成り立つと思っていると、自分が他人の「不幸」を通して「快楽(優越感)」を感じていても、それが当然のことと思ってしまうからです。そうなると、どんどん性格が歪んでいってしまいます。

「他人の不幸は蜜の味」は常に成り立つことではなく、「欲望」を選ぶのであれば成立し、「愛」を選ぶのであれば成立しないこととして理解して頂けると幸いです。そのことによって、「他人の不幸は蜜の味」という言葉の罠に捕まらないようにすることができます。

また、もう一つ理解して頂きたいことは、「他人の不幸は蜜の味程度」だということです。仮に、あなたが「欲望」の立場を選び、「他人の不幸は蜜の味」の状況を経験したとしても、その「快楽」は「蜜」を食べる時のように一瞬で、長続きするものではありません。例えば、自分が嫉妬している誰かが失敗した時に感じる「快楽」などです。

それに対して、あなたが「愛」の立場を選び、「他人の幸せは蜜の味」の状況を経験したとしたら、その「喜び」は「蜜」を食べた時よりもずっと長いですし、「蜜」という言葉では表現できない心の「喜び」があります。例えば、愛する我が子が自分の夢を実現した時に感じる「喜び」などです。

この構造も、「幸せ」は「欲望」ではなく「愛」の方にあるということを我々に教えてくれます。「欲望」から生まれる「快楽」は「蜜」に過ぎないのに対して、「愛」から生まれる「喜び」は「蜜」などとは比べ物にならないものだからです。