芦刈純。シャーマン、アーティスト(音楽家・映像作家)、学者(心理学・哲学・気学・芸術学・宗教学・神学)、修行者。福岡県出身。上智大学文学部哲学科(芸術文化系列)卒業。

長年に渡って世界中を旅し、様々な修行や研究を通して、人間の心の成り立ちやこの世の構造を分析しています。現在は、日本国内で心理学研究・神学研究・仙人修行・音楽修行に励んでいます。

私は大きく分けて「学者」と「アーティスト」の2つの側面を持っています。「学者」の立場で、心理学・哲学・気学・芸術学・宗教学・神学と向き合っている側面もあれば、「アーティスト」として、音楽(西洋楽器・和楽器・インド楽器)や映像(世界各地の映像撮影)と向き合っている側面もあります。

ただ、この両者の立場はどちらも「心」をテーマにしているので繋がっています。というか、「心」のことを探究していった結果、こういった立場に今は落ち着いている形になります。「分析者(学者)」として、「実践者(アーティスト)」として、「心」というものと向き合い続けることを通して、「心」の本質は見えてくるものと信じています。

私が明らかにしたいことは「心の成り立ち」=「心の理」です。何故ならば、「心の理」を知らないからこそ、人々は自分自身の「心」をいい形で導くことがしづらくなっていて、自分自身の「心」に振り回されがちでもあるからです。そういった状態が、一人の人間を不幸にしていくことも、社会全体の空気を悪くしていくことにも繋がっているので、そういった問題を解決したいと思って生きています。

今の日本の現状は、交通ルールを知らないが故に交通事故が多発している状態に例えられます。「心の理(ルール)」を知らないことは「交通ルール」を知らないことと同じで、「人生」は「道」だからです。また、人々は目的地が何なのか分からずに走り続けている側面もあります。例えば、「幸せ」が何なのかを知らずに、「幸せ」を目指して生きていくことは、目的地がどこにあるのかを知らずに、車を走らせることと同じです。だからこそ、「幸せ」になりたい方は「幸せ」が何なのかを初めに理解して「人生」を走り始めた方がいいです。

現代の日本がこういう状態にあることは分かっているからこそ、「心の理」を明らかにし、その知識をシェアしたいと思って生きます。そのためには、まず最初に自分が「心」に関する「学び」を誰よりも得ていなければならないので、いつも必死にそういった「学び」を蓄積するために生きています。

そして、学校での勉強と異なり、こういった「学び」を得るためには様々な「経験」が必要です。例えば、誰かと愛し合う「経験」が無ければ、「幸せ」の本質は「学ぶ」ことができませんし、本当の「絶望」を「経験」しなければ、「不幸」の本質は「学ぶ」ことができません。だからこそ、「心の理」を「学ぶ」ことを目指している自分は、いつも「修行」をしています。逆に言うと、本当の意味の「修行」とは、「学び」や「成長」のために「経験」を積むことです。

そういった意味で、自分は「学者」や「アーティスト」というよりも「修行僧」に近い人格を持っていると思います。「修行僧」のように、「心」について「学び」を深め続けている人間だと御理解頂けると幸いです。そういった形で学んできたことを、このホームページにまとめていくことを目指しています。

 

[幼少期から現在に至るまで]

以下は、幼少期から現在に至るまでの大まかな流れです。

小学校時代は陸上クラブに所属し、キャプテンも務め、走ることを趣味としていました。また、自宅にあったピアノを独学で学ぶような静かな少年でした。

中学高校時代はバスケ部に所属し、学級委員や文化祭・体育祭のリーダーを務めるような青年でした。非常に熱い青年だったと思います。

浪人時代、初めて自分の将来を真面目に考えた結果、「国連に入り貧困問題を解決することに人生を捧げる」という考えを持ち、早稲田大学政治経済学部を志望し、ずっと勉強していました。しかし、浪人の途中から「全ての真実はそれを結論付ける理由や認識がある。その前提の先にどう生きるべきかという答えがある」と考えを変え、哲学科に志望変更を行ないました。また、哲学を志すと共に芸術にも関心を抱くようにもなりました。「哲学は言葉によって認識を深める方法。芸術は言葉以外のものによって認識を深める方法。そうであるならば、その両方を行なうことがとても重要である」という発想が当時の自分の思想だったからです。そんな時に、当時聴いていたUAのCDアルバム『空の小屋』の中で鈴木正人のコントラバスの音を聴き、「この楽器だ」と確信しました。

大学時代は、大学に入ると同時に上京し、哲学と芸術(コントラバス)を始めました。しかし、次第に哲学よりも芸術の方に心は傾いていき、結局、大学在学期間の大半を音楽練習室でのコントラバス練習に費やすこととなりました。また、当時運命的な出会いをしたカルロス・レカルテとHola Guey(オラウェイ)というユニットを組み、ライブも行なっています。その頃の音源はこちらに載せています。

http://junashikari.com/music/

大学3−4年の頃、一時は就職活動をし内定を得ましたが、違和感を感じ、すぐに内定を辞退しました。そして、自分の音楽修行や演奏活動と並行して、東京の様々なアートスペースで働きながら、表現活動やアートに関する視野を養っていました。また、この時期に、東京の様々な個性的なアーティスト達と関わることができたことは、今でも人間の心の本質を考える上で役立っています。当時は、アーティストの側面にも加えて、人と人を繋ぐことにも大きな喜びを感じていました。

26歳の誕生日当日に突然「旅に出たい」と思い、その日の内に旅立ちを決意しました。そして、1年間の資金準備期間を経た後、翌年27歳の誕生日にコントラバスを抱えて日本を出発しました。韓国、中国、台湾、フィリピンを旅し、台湾には合計一年以上滞在しています。当時は旅から刺激をもらいながら、コントラバス弾きとして、海外を放浪していました。多くの素敵な人々と出会い、彼らと時間を過ごす中で、より良い人間になれていった時期だと思っています。

旅人時代の映像があるので載せておきます。こちらの映像は旅中に出会った韓国人の映像作家が、私のナレーション・即興演奏・撮影動画を編集したものになります。当時の自分の言葉で、当時の自分の認識をこの映像の中で話しています。
 


当時の演奏映像もあり、こちらの映像は海からの影響を受けながら、「水の気持ち」=「向上心・問題解決の心」で即興演奏をしています。
 


旅人時代は、台湾にて多くの貴重な出会いを果たし、様々な影響を受けました。例えば、以下の映像で紹介している男性とは台湾で三ヶ月近く一緒に旅をし、その後もかなりの時間を共に過ごしました。彼は日本で絶対に出会うことのできないタイプのユニークな人間だったからこそ、彼と共に過ごした時間は大きな影響を自分に与えました。
 


また、28歳の誕生日以降、シャーマニズム・瞑想・気功などと出会い、様々な精神修行を積んでいます。それらの修行により、「心」や「気」に関する様々なことについて知っていくことになりました。ただ、直接的に何かを誰かから学んでたわけではなく、様々な経験を通して、自分自身で理解を深めていった形になります。このホームページに書いているほとんどのことは、自分自身で明らかにしてきた知識です。

帰国後の一時期は日本で修行を重ねていましたが、再び旅に出ることとなり、タイやインドに合計1年滞在し、タイ仏教やインドのヒンドゥー教などを研究していました。また、インドでインド楽器を学んでいました。その後帰国して以降、和楽器を学び始め、屋久杉で複数台の独自楽器も制作しました。また、この数年は日本国内で山籠り修行を始め、富士山や屋久島などで、より深い精神修行・音楽修行に励んでいます。

心理学者になった当時から現在に至るまで、全ての依頼は無料で引き受けています。日本での活動開始後は様々な人の治療や相談などを行なってきました。また、2015年の11月よりこのホームページを開始し、「気」に関する重要な知識を書いていっています。
 

[名前について]

名前にはその人の意味合いが元々書かれているので、「芦刈純」という自分の名前についても書かせて下さい。

「純」とは「混じり気の無い純粋な状態」を表します。そして、「芦刈」とはアルファベットで書くと「ashikari」であって、「as+hikari」に分解できます。「as」とは「〜として」という意味の英語であって、「hikari」とは「光」です。ですから、「芦刈純」全体で「光として純粋」ということを意味します。英語的に書いた方が順番がそのままで分かりやすく、「Jun Ashikari」=「Jun as Hikari」=「純 as 光」=「光として純粋」ということになります。

「光」とは「愛」の立場のことを表し、「他者のため」という立場です。それに対して「闇」とは「欲望」の立場のことを表し、「自分のため」という立場です。我々はこの「光(他者のため)」と「闇(自分のため)」の間を振れながら生きています。

どうして私が「芦刈純」=「光として純粋」という名前を持っているかというと、いつも「他者のため」に尽くしている魂だからです。「世のため」に必要なことを行なうためだけに生きています。

様々な精神修行は本当に苦しいものです。今まで数え切れない程の地獄のような修行を経験してきました。もし私が「自分のため」に生きるとしたら、そんな精神修行をしたいとは思いません。自分のことを的確に見ることは難しいことですが、そういった膨大な苦行を「世のため」に行なってきた自分の過去を踏まえて、自分は「世のため」に生きているのだと理解しています。