現代の若手の女優の中で、とりわけ重要な役者の1人が波瑠です。どうして、彼女が非常に重要なのかということについて、彼女の意味合いも説明しながら書いていきます。
 

【心理学的分析:波瑠の表現する精神性】

役者は様々な精神性を表現しますが、波瑠が表現する精神性の中でもとりわけ重要な精神性が「問題解決の心」です。これは、「愛」の実践の精神性の一つです。例えば、以下のCMで波瑠は「問題解決の心」を抱いている人物として描かれています。
 


「愛」そのものは「相手を大事に思う心」のことですが、そういった心は様々な「愛」の実践を目指す精神性に繋がっていきます。例えば、「相手のことを大事に思う(愛)」が故に相手に「笑い」を与えようとする心もあれば、「相手のことを大事に思う(愛)」が故に「思いやり」を実践する心もあります。

そういった中で、「問題解決の心」は「相手のことを大事に思う(愛)」が故に相手の抱えている「問題を解決」を実践する心です。そして、世の中には様々な「問題解決の心」があります。ものすごく「厳しさ」を持った「問題解決の心」もあれば、逆に「穏やかさ」を持った「問題解決の心」もあります。

そういう観点で捉えた時、波瑠が表現する「問題解決の心」は「美しさ」を持った精神性です。そして、強すぎる「厳しさ」を持つ「問題解決の心」とは正反対に、「美しさ」を持つ精神性は他者からの印象が比較的良いものです。

「笑い」を実践しようとする「愛」や「優しさ」を実践しようとする「愛」は、他者からの印象は良いものです。というのも、「笑い」や「優しさ」を与えられることを不愉快に感じる人は少なく、基本的には嬉しいことだからです。

それと比べると、「問題解決の心」は他者からの印象はあまりよくありません。「問題解決」を実践しようとする精神性は「冷静」である必要があり、「冷静」のスタンスは「冷たい」とも感じられますし、「問題解決の心」が抱えやすい「厳しさ」は他者にプレッシャーを与えることにも繋がりやすいからです。

このように、「問題解決の心」は印象があまり良くない側面はあるのですが、具体的な「問題」を「解決」する上では非常に有効な精神性なので、世の中に必要な精神性です。こういう構造があるからこそ、如何にして印象の悪くない「問題解決の心」を実現していくのか、ということが今の時代にとても大事なことです。

このような意味で、波瑠の表現する「問題解決の心」は我々に一つの精神的な「道」を示してくれます。「愛」を動機に具体的な「問題解決」を実践しつつ、同時に「美しさ」を保つことによって、印象をそれ程悪くしない性質を持ったものだからです。その精神性は、特に女性にとって、「問題解決」を実践しなければならない場面で、非常に役立つ精神性です。

そのようなことを強く表現していた波瑠の作品が『あさが来た』の波瑠の演技です。この作品の中で波瑠は当時男性社会だった日本において、実業家として活躍していた女性を演じていて、具体的な「問題解決」を「美しさ」のある「問題解決の心」で乗り越えていきます。

男性社会の中で女性が活躍するなら男性を敵に回しやすい状況です。そのような状況の中で、「問題解決の心」を実践しながら波瑠が演じる主人公は活躍していきます(このドラマ自体が非常に重要な作品なので、詳しいことは別で解説を作ると思います)。

このドラマに限らず、波瑠は映画・CM・ドラマにおいて「問題解決の心」を表現することが少なくありません。心理学的にまず最初に波瑠について意識すべきポイントは、彼女が「美しさ」のある「問題解決の心」を表現しているという点を意識化することで、そのことを意識できれば、波瑠の演技から我々は心に関する事柄について理解を深められます。

現代は「問題」が山積みな時代だからこそ、「問題解決の心」は非常に重要な精神性です。しかし、そもそも人目を気にしがちな傾向のある日本人としては、他者からの印象があまり良くない「問題解決の心」に入ることを無意識に止めてしまう人も多く、それでは「問題解決」は実践されにくいです。また、人目を気にしない人は印象の悪いタイプの「問題解決の心」に入ることによって不必要な敵を作り、対立関係という別の問題を生み出しています。

そういった構造があるからこそ、波瑠の表現する「美しさ」のある「問題解決の心」は、我々日本人にとって一つの大事な教科書の意味を持っています。我々が波瑠の演技からその精神性を学び、その精神性を日常に取り入れていくなら、より多くの「問題」がより良い形で「解決」されていきやすくなります。

この点が、波瑠が役者として非常に重要な理由です。
 

【神学的分析:波瑠の名前の意味、繋がっている神】

「波瑠」は芸名ですが、成功した芸能人の芸名には、その人間の意味が込められています。

「問題解決の心」は気学的に言うと「水の気持ち」です。「水」は様々な汚れ(問題)を洗い流す(解決)力を持っており、その性質は「問題解決の心」そのものだからです。

そういった「水の気持ち(問題解決の心)」を良い形で表現する波瑠の名前に「波」という「水」に関する漢字が含まれているのは偶然ではありません。また、「瑠」という漢字は「玉」という「美」の象徴を含む漢字で、「瑠璃色」という「水」の色である「青」を意味する漢字でもありますし、「深い青色をした宝石」のことを意味する漢字でもあります。

つまり、「瑠」という漢字は「美しい青」といったことを象徴し、「波」という漢字は「水」を象徴しています。そういった名前を持つ波瑠が「美しさ」のある「水の気持ち」を表現することを得意としている役者であることは偶然ではありません。

そして、「瑠」という漢字は金星神(ヴィーナス)を象徴する漢字です。というのも、玉は「美」の象徴であって、金星神(ヴィーナス)は「美」の女神だからです。そういった背景があるからこそ、有名なヴィーナスの絵画などでは、ヴィーナスと真珠は重ねられて描かれています。

つまり、波瑠は金星神(ヴィーナス)の使いとしての役者で、金星神(ヴィーナス)の使いこなす「美しさ」のある「水の気持ち」を表現するために生まれてきた人間です。そして、そういった役割を『あさが来た』などで素晴らしい形で実践してきました。

こういった意味合いが、神学的分析による波瑠についての説明です。
 

【最後に】

神学的分析の方は今の日本の常識とはかけ離れている分析なので、抵抗感を持たれる方も多いと思いますが、そういった方は心理学的分析の方だけを参考にして頂ければ、と思います。

波瑠の演技を無意識に見ているだけでも、我々に良い影響を与えます。何故ならば、波瑠の演技を見ているだけで、我々は無意識に何が「美しい」のかを学んでいるからです。そして、波瑠が表現する「美しさ」は正しい精神性なので、人は無意識に正しい精神性に魅力を感じることになります。こういった心の変化が、その人の人生を大きく支えます。

例えば、邪悪な精神性を表現している女優のことを「かわいい」と思うなら、日常生活において、その邪悪な精神性と近い精神性を持った女性を好きになりやすいです。そして、邪悪な人間は邪悪なことをしますから、そういう女性を好きになると、人はストレスを抱えやすくなります。

波瑠は「邪悪」の逆の「正善」の立場の女優なので、彼女の表現する精神性を肯定することは良いことです。女性であれば、無意識にその精神性を目指すかもしれませんし、男性であれば、無意識にそういう精神性を持った女性に魅力を感じ始めるかもしれません。こういった方向性で心を変化させることには大きな意義があります。

そういう観点で考えた時、波瑠は日本人が感じやすい「水の気持ち」に対する抵抗感を減らす活動をしているとも言えます。例えば、『あさが来た』を見たことによって、「水の気持ち」で活躍する女性に対する抵抗感を減らした日本人は少なくないはずです。

こういった形で、日本人に良い影響を与え続けている役者の1人が波瑠であることを理解できれば、波瑠の価値はより良く見えてきます。