前回の文章で書かせて頂きました屋久島滞在と各地の滝参りが終了し、一昨日富士山付近の自宅に戻ってきました。今回のこの修行と撮影を支えて下さった方々に深く感謝をしています。本当にありがとうございました。

今回撮影した屋久島の映像と今までに撮影した屋久島の映像を使って、今制作中の「屋久島の龍」をテーマにした映像は完成させられると思っています。今まで様々な人が作ってきた「屋久島」をテーマにした映像の中でも最も屋久島の本質を表現する作品を作りたいと思っています。

下の動画は今回の滞在最終二日間で撮影したものを簡単に編集したもので、音楽もかなりいい加減に編集しております。こういった様々な素材を手に入れることができたということを、この動画を通してお伝えできれば、と思っています。
 


また、屋久島の一ヶ月の滞在の後は、半月をかけて屋久島から富士山に戻る途中の滝の撮影をしながら様々な自然と向き合ってきましたが、今後向き合うべき日本の自然が何なのかも見えてきました。

ただ、資金的にも時間的にも限りがありましたので、今回訪れた地はほぼ九州のみで、それ以外では、奈良と熊野地方を二泊三日で訪れたのみです。

当初は滝だけを訪れるつもりでしたが、火山を中心とした様々な火の山も訪れ、その場所の「火の気」を感じていました。訪れていた場所の一部分だけを映像のみで簡単に編集しましたので、御覧になってみて頂けると幸いです。
 


この動画の火山や滝は全て九州で撮影したものですが、それぞれの土地は聖地と呼ぶにふさわしい程に、神聖な空気感を持った場所で、こういった場所を今後日本人が活かすことを促すためにも、この自然との出会いは良かったと思っています。

それぞれの土地は異なる「気」を持っており、いつか向き合って修行をすることになるだろうと思っています。特に、動画最後に出てくる大分の東椎屋の滝では滝行などもしていましたが、非常に素晴らしい修行場所のように感じています。

屋久島と向き合う過程はとりあえず一区切りを迎えたのではないか、と思っていますが、今後は基本的には富士山付近に山籠りしつつ、時折九州のこれらの滝や火山へ行き、その存在と向き合いつつ、その自然が持つ「気」を学びつつ、それを音楽に変換し、これらの自然の持つ深い意味を伝えるような作品を作るべきだと感じています。

そういった形で日本の自然の意味を伝える作品を作り続け、残し続けていくことで、「日本とは何なのか?」「かつての日本人がよく分かっていた八百万の神とはどういうことなのか?」を伝える道具を生み出せると信じています。

以下はFacebookに載せている文章ですが、この2週間のことを伝える上では役立つ内容だと思いますので、貼り付けさせて下さい。
 

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この半月、屋久島から富士山に戻る途中、今後研究・修行すべき場所の下見をしていました。その過程はひたすら奇跡の連続で、その奇跡の多さから、この研究・修行を目に見えざる存在がどれだけ支えたいのかを感じていました。

何が起こっていたかというと、どこかの土地に移動する度に、道で見知らぬ人から声をかけられ、ある人は今後長期で修行に来る際には無償で空き家を貸してくれると約束してくれたり、ある家族は自分を家に泊めてくれたり、ある人は自分が行くべき場所などの必要な情報を与えてくれたり、といったことの連続でした。

また、人を通した出来事に限らず、自分がその場所に行くタイミングの見事さや、自然を通した出来事など、様々な奇跡が毎日何個も何個も起こっていました。

心良き人々は「正気」と共に生きる人々なので、本人に自覚がなくとも神懸かりを実現しています。そういう人々は自覚なくとも神々に導かれて生きていて、そういう人々との偶然とは思えない出会いの中で、今後自分がどこでどのような修行と研究をすべきかが分かってきましたし、修行のための滞在場所の確保などが現実味を持ち始めました。

滞在する場所は修行と研究において物凄く重要な要素で、それを検討しに下見に行っている側面があります。今回、九州のある山の中の神社にも行きましたが、その神社の横にある空き家を今度無料で貸して頂けることとなり、そのエリアの修行・研究の拠点となりそうで、大変有難く思っています。自分は全然お金がありませんから、無償で貸して頂けることは経済的にとても助かります。

また、その家は周りに家もない、山の中の一軒家なので、どれだけ太鼓を叩いても問題ない点があまりにも有り難く、今後の太鼓修行の一つの拠点になると予感しています。そこは明らかに「火の山」だからこそ、太鼓修行には最適だと思っています。というか、自分としては、「そこで太鼓修行をせよ」と言われているように感じています。毎日お参りしながら、太鼓修行に励める日が訪れることを願っています。

1年前程に、屋久島に7年ぶりに行った時も、滞在2日目と3日目に同じ人に別の場所で出会うということがあり、2日連続出会ったものだから色々話すこととなり、話しているとその人がホテルのオーナーであることを知り、その人の経営しているホテルに安く泊まらせて頂けることがありました。そして、そのホテルの宴会場を無償で貸して頂けることとなり、1ヶ月間そこで音楽修行をさせて頂きました。

また、今回熊野にも行きましたが、熊野は屋久島に匹敵する程に日本において非常に重要な聖地なはずで、お坊さんの家に泊まれるかもしれない話があり、大変有り難く思っています。特に、熊野には日本一の滝である那智の滝があり、いつか時間をかけて向き合うべき滝だと思っていますが、その修行・研究の拠点を用意されつつあるように思っています。

6月30日に初めて那智の滝参りをすることができ、その時に那智大社を訪れると茅の輪くぐりが行われていて、生まれて初めて茅の輪くぐりを経験できました。6月30日が茅の輪くぐりが行われる大祓の日であることを自分は知りませんでしたが、一年の半分が終わる日に那智の滝参りができたこと、茅の輪くぐりを経験できたことは大変良かったと思っています。

自分の名前は芦刈(芦を刈る)で、芦という植物は茅の輪くぐりによく使われています。だからこそ、茅の輪くぐりは昔からとても気になっていたのですが、今回意図せず素晴らしいタイミングでそれを経験でき、しかもそれが那智大社で良かったと思っています。

この半月の旅を通して、今後向き合うべき日本の自然が何なのか、そして、どこに滞在し、どこに通い、どのような修行を実践すべきなのかが見えてきました。そういったことを自分が分かることを徹底的に促しているのは目に見えざる存在ではありますが、それが実現できたのは心良き人々がそこにいてくれたからです。

自分にとって、心良き人々と出会う経験はとても喜ばしい経験です。というのも、そういう人間の存在はまだこの国が良さを保っていることの証であり、彼ら自体がこの国の希望の意味も持っているからです。この国の今後のことを考える自分としては、希望としての彼らの存在を知ること自体に大きな喜びを感じています。

また、今回様々な滝に行き、聖地と呼ぶにふさわしい滝との出会いをいくつも経験できたことはとても喜ばしいことでした。というのも、そういう滝は修験道において非常に重要な修行場所の意味を持っており、修行者がその川の神様から精神を学ぶことを促す場所だからです。

今の日本は、かつては膨大に存在した修験道がほぼ失われてしまいつつある現状にあります。そんな状況の中で、修験道を再構築させることを目指している自分としては、そういった滝との出会いはとても喜ばしいです。心良き人々との出会いと同様に、というか、それ以上に、素晴らしき滝の存在は日本において大きな大きな希望だからです。

中でも、大分の東椎屋の滝という滝との出会いは、今後の一生において重要な出会いだったと思っています。その滝は滝壺が綺麗な円形であり、滝そのものは龍の体そのもののようでした。そこで滝行を行ないましたが、その経験を通して、東椎屋の滝が自分を導いてくれる存在であることは痛感しました。

実は、この滝の滝壺で沐浴をした後、駐車場から車を出すと自分はすぐに事故を起こしてしまいました。ただ、それがこの滝の仕業であることはすぐに分かりました。自分が突っ込んだ岩は、かつて東椎屋の滝を訪れ続けたある賢人の詩が刻まれており、その詩がその滝の自分に対するメッセージだと分かったからです。タイヤをスペアタイヤに替えるだけで、車は走ることができたので、絶妙な事故だったとも思っています。

こんな形で、様々な奇跡の連続の中で、一生向き合うに値する山や川との出会いを数多く実現し、そして、そこで修行をするための場所の確保などを促される日々でした。2週間という短い期間だったからこそ非常に駆け足な旅でしたが、2週間で実現できた調査としては非常に良いものだったと思っています。

こういった成果は自分の努力によるものではなく、目に見えざる存在の多大なる努力と、心良き人々の善意によるものだったと思っています。大変有り難く思います。