「与える」⇔「奪う」(2021/1/5更新)
2020.05.02 心の成り立ち(入門)
「愛」は「相手のため」に何かをしたいと思うからこそ、自分が相手に「与える」ことを目指します。それに対して、「欲望」は「自分のため」に何かをしたいと思うからこそ、自分が相手から「奪う」ことを目指します。
「愛」は「相手のため」なので、自分にとって大事なものでも「与える」ことをしたい思います。例えば、愛する恋人と砂漠で二人とも死に絶えそうな時、恋人に自分の残りわずかな水を「与える」という形です。そして、「相手のため」に相手から水を「奪う」ことには決して繋がりません。「愛」は「自分よりも相手を大事に思う気持ち」だからこそ、このような「与え合い」に繋がっていきます。
「欲望」は「自分のため」なので、自分のものを失わないために「与える」ことをしたいと思いません。例えば、愛を抱いていないガイドと二人で砂漠で死に絶えそうな時、相手に自分の残りわずかな水を「与える」ことはできません。そして、「自分のため」に相手から水を「奪う」ことにも繋がっていきます。「欲望」は「相手よりも自分を大事に思う気持ち」だからこそ、このような「奪い合い」に繋がっていきます。
「愛」から生まれる「与える」ことは「喜び」に繋がっていきます。本当に大事な相手が笑顔になることは、「喜び」だからです。また、与えられた方も相手からの「愛」を感じて、「喜び」を感じます。このような形で「与える」ことは、皆を「幸せ」にしていきます。
「欲望」から生まれる「奪う」ことは「快楽」に繋がっていきます。自分が何か「得」をすることは、「快楽」を伴うことだからです。そうすると、ますます「欲望」に囚われていきます。また、奪われた方は自分が「損」をしたと感じ、「嫌悪」を感じます。このような形で、「奪う」ことは皆を「不幸」にしていきます。
だからこそ、一人一人の人間が「奪う」のではなく、「与える」ことを行なうように心がけていくことが、皆が「幸せ」に生きていく上でとても大事なことです。