ここでは、歌手のSalyuについて解説を書いていきます。

Salyuは日本人の歌手の中で、最も重要な歌手の一人です。Salyuが重要な歌手である理由は、彼女が金星神と共に「水の気持ち」を歌っているからです。Salyuが金星神と共に働いていること、Salyuが「水の気持ち」を歌っていることについて、これらの文章を通して御理解頂けると幸いです。

Salyuについては多くの曲について、曲ごとの意味を伝える必要があるので、それぞれの曲ごとの解説も将来的に書いていきます。このページの文章はSalyuの楽曲について理解する上で前提となる部分を書いていると理解して頂ければ、と思います。


【Salyuが金星神と共に歌を歌っていることについて】

Salyuの楽曲は全て金星神が創っています。どのようにして神々は人間の作詞作曲に関わるかというと、「気」を通してその曲に使う歌詞や作曲の「アイデア」をもたらしている形になります。

「気付き」という言葉の構造が示すように、我々の心に「アイデア(情報)」が浮かぶ過程は「気」が「付く」ことによって起こっています。「気」には「アイデア(情報)」を乗せることができ、神々は「アイデア(情報)」を乗せた「気」を人間に「付ける」ことによって様々な「アイデア(情報)」をもたらし、そのようにして作詞作曲にも関わっている形です。

例えば、家を出た後にふと忘れ物に「気付く」という現象は起こりますが、これは「忘れ物をしているよ」という「アイデア(情報)」が乗った「気」を神々が我々に「付ける」ことによって発生しています。これと全く同様の現象が作詞作曲でも起きている形になります。

だからこそ、Salyuの歌には、その歌を制作した人間も意図しないような金星神からのメッセージに満ちています。このホームページでは、Salyuの歌に金星神がどのようなメッセージを残したのかを解説します。


[『グライド』『飽和』『リリイ・シュシュのすべて』について]

Salyuはソロとしての活動を始める以前に、Lily Chou-Chouのボーカルとしてデビュー曲を発表しています。そして、そのファーストシングルが『グライド』であり、そのカップリング曲として『飽和』が収録されています。この二曲は映画『リリイ・シュシュのすべて』でも使われた曲であって、映画の中でSalyuはリリイ・シュシュという歌手として描かれます。

神々はデビュー曲を非常に重要視しているので、Salyuにとって最も重要な情報である金星神と共に歌っていることを『グライド』『飽和』の中で表現しています。そして、Salyuという重要な歌手の意味を説明するためにも、『リリイ・シュシュのすべて』という映画を創ったという背景があります。以下、『グライド』『飽和』『リリイ・シュシュのすべて』について解説を書きます。
 

・『グライド』
 



I wanna be  I wanna be  I wanna be  just like a melody,  just like a simple sound, like in harmony.
(私は歌のようでありたい。ハーモニーの中にあるような、単純な音のようなものに。)

I wanna be  I wanna be  I wanna be  just like the sky,  just fly so far away, to another place.
(私は空のようでありたい。遠くへ飛び立ち、別の場所へ。)

To be away from all, to be one of everything.
(全てから離れ、全ての一部となるように。)

I wanna be I wanna be I wanna be just like the wind,  just flowing in the air, through an open space.
(私は風のようでありたい。an open space=宇宙空間を通り、ただ空気を漂いたい。)

I wanna be  I wanna be  I wanna be  just like the sky,  just fly so far away, to another place.
(私は空のようでありたい。遠くへ飛び立ち、別の場所へ。)

I wanna be  I wanna be  I wanna be  just like the sea,  just swaying in the water, so to be at ease.
(私は海のようでありたい。水の中で身体を揺さぶり、くつろぐように。)

To be away from all, to be one, of everything.
(全てから離れ、全ての一部となるように。)

I wanna be  I wanna be  I wanna be just like a melody,  just like a simple sound, like in harmony.
(私は歌のようでありたい。ハーモニーの中にあるような、単純な音のようなものに。)


「グライド」とは「滑空する」という意味であって、「滑空」とは「降下飛行」を意味します。このタイトルは極めて重要な意味を持っています。

もし、我々が「空を飛びたい」と言うのであれば、それは基本的に「グライド(glide)」ではなく「フライ(fly)」です。ハンググライダーと言われるように、「グライド」は上から下に降下する運動を意味します。それに対して、「フライ(fly)」は鳥が飛ぶように、下から上に上昇する運動を意味します。このことから言えるのは、この歌の主語の存在は地上よりも上にいる存在であるということです。

では、地上の上のどこにこの歌の主語の存在がいるのかというと、このことを理解する上で「an open space」という歌詞を理解することがとても重要な意味を持っています。通常「open space」は「空いている土地」という意味で「空き地」という風に訳されるのですが、このように考えると「through an open space」という歌詞は不自然です。

何故ならば、「through」という単語のイメージは上の図であって、「〜の中を通り過ぎる」という意味を持つからです。もし、「I wanna be just like the wind just flowing in the air through an open space」の「open space」を「緑地」「空き地」と訳すのであれば、土の中を風が通り過ぎることになってしまいます。しかし、風は地中を通り過ぎることはできませんし、空気も地中を漂うことはできません。

ですから、ここで歌われている「open space」は通常の「空き地」という訳ではないことが分かります。そして、「open」=「空いている」、「space」=「空間」という意味を踏まえると、「open space」=「空の空間」=「宇宙空間」という意味であることが分かります。

太陽系は「水・火・風・土・金の気」という5種類の「光の気」を地球に降り注ぐためのシステムです。

太陽・火星:「火の気」
水星:「水の気」
金星:「金の気」
木星:「風の気」
土星:「土の気」

それぞれの星はそれぞれの「光の気」を地球に送っています。昔の人間はそのことを理解していたので、太陽系の星の名前にそれぞれの星に宿っている「気」の名前を付けています。

「気持ち・気分」という言葉が示すように、我々は「気を持つ・気を分つ」ことによって「気持ち・気分」を抱いています。ですから、太陽系のそれぞれの惑星はそれぞれの「光の気」を通して、我々の「気持ち・気分」を支えています。

例えば、太陽の光を浴びていると「元気」になっていきますが、これは太陽の「火の気」を我々が「持つ・分つ」ことによって「元気」になっていることを意味します。「元気」という言葉は「元の気」ということを意味し、太陽は太陽系において最も大きく、中心の恒星なので、太陽の「火の気」のことを日本人は「元の気」=「元気」と呼んできた形になります。昔の日本人としては、「火の気」と「元気」が同じように見えているが故に、「元気」という言葉を創っています。つまり、「元気」という言葉にも、「気持ち」の原因は「気」であるという発想がある形になります。

我々が「気」のことを忘れていても、かつての日本人が理解していた「気」に関する知識は言葉に残されています。言葉が生まれる時とは、その言葉の構造自体にその言葉に関する当時の人々の理解が示されるからです。それは「気付き」「気持ち」「気分」にしても、「元気」という言葉にしても同様です。その他にも、膨大な「気」という言葉を含む言葉がありますが、それぞれの言葉は現代人が忘れてしまった「気」に関する真実です。

太陽系の話に戻りますが、それぞれの星には神々が宿っており、星の神々は自分の星に宿る「気」を司っています。先程「気付き」の話を書きましたが、「気付き」という現象が生まれるためには「気」に「アイデア(情報)」を乗せる主が必要です。神々はそういったことを行なっている存在です。

神々と言うと、目に見えない存在をイメージされる方が多いのですが、実際は星とは神々の姿そのものです。我々はいつでも神々を見ることができます。我々の魂が人間の身体に宿っているように、星の神々の魂は星という身体に宿っています。また、「気」を司ると言うと特別なことのように思われる方が多いのですが、実際は我々人間もいつも「気」で相手に影響を与え合っています。例えば、夫婦は似てきますが、夫婦は一緒に過ごす時間がとても長く、お互いの「気」を強く交換しやすいからこそ、抱きやすい「気持ち・気分」が近くなってきます。そういった形で、「気」で他の命に影響を与えるということを、星の神々は人間よりもより大きな範囲で行なっていると御理解頂けると幸いです。夫婦が隣にいて影響を与えるように、星の神々は我々の隣にいて影響を与えています。神々は特別なものではなく、いつも我々と共に生き、我々に絶えず良い影響を与えてくれる身近な存在です。

また、「気」には微妙に重さがあります。かつて人間が死ぬ時の重さを測った医者がいて、その医者の結果としては人間が死ぬ時には21グラム軽くなるという結果が得られています。また、現代でも、動物が死ぬ時の重さを測っている研究者もいて、動物が死ぬ時も同様に軽くなるという結果が得られています。どうして生き物が死ぬ時に軽くなるかというと、魂が身体から抜けるからです。魂とは「気」の塊です。「気」が「気持ち・気分」の原因であって、我々の魂は「気」でできているが故に、それぞれの人間は皆性格が異なります。例えば、魂に「欲望の気」が多い人は「欲望」の強い性格となります。そのような形で、我々は自分が魂にどのような「気」をどれだけ抱えるかによって性格を変えていきます。とにかく、人間も含めて動物が死ぬ時に軽くなるのは、魂が抜けるからであって、この結果から理解ができることは「気」には重さがあるということです。

太陽系のそれぞれの星には大量の「気」が宿っています。そして、「気」は重さがあるが故に、重力によって引き合っています。そして、常に太陽系の星の位置関係は変化しています。ですから、日によって地球に多い「光の気」は違います。例えば、火星が地球ととても近ければ、火星からの「火の気」が地球へ多くもたらされます。本来、占星術とは星の位置関係を調べることによって、どれだけの「気」がそれぞれの星からもたらされるのかを調べ、それによってその人が将来的に抱きやすい「気持ち」が何なのかを明らかにする行為です。「気」や重力といったものを根拠に置く、科学のような営みだったのですが、「気」を忘れている現代においては、根拠の無いオカルトのように捉えられてしまっている現状があります。

この説明の上で歌詞の話に戻りますが、太陽系の星の神々が地球に「光の気」を送っている構造は「I wanna be  just like the wind  just flowing in the air through an open space」という歌詞と一致しています。「気」が宇宙空間を通過し(through an open space)、地球に到達して風の中を漂いたい(the wind just flowing in the air)ということが歌われています。また、「fly so far away to another place(遠くへ飛び立ち、別の場所へ)」という歌詞もありますが、これはその星の神様の「気」がそれぞれの星から地球に向かうことを意味します。

こういった意味があるからこそ、この歌は『グライド』というタイトルを持っています。星の神々からすると、自分の「気」を地球へ送ることは「グライド(降下飛行)」です。

神々にとって自分の「気」とは自分自身のようなものです。我々は神々ではないので、このことを体験として理解することは難しいのですが、このことを表現している作品は多くあります。例えば、宮崎駿は神々と共にアニメーション制作を行なっている芸術家ですが、『もののけ姫』のこだまは「気」のことを描いています。

それぞれの「気」はその主(神々など)のものであり、「気」の主はその「気」を自由自在に操っています。また、我々人間は一つの時間に一つの認識しか持つことができませんが、神々などは同時に膨大な数の認識を持っています。もし、そうでなければ一つ一つの命と向き合うことが不可能なので、そのように言えます。

神々は「気」を適切に使うことができるようにするために、一つ一つの「気」について、自分の認識を一つ置きます。我々人間も集中力が疎かだと仕事でミスを出してしまいますが、神々もその点は同じです。神々も我々人間と同様に仕事でミスを出さないために、一つ一つの自分の「気」について集中しています。そのために、自分の認識の一つを一つ一つの「気」に対して置きます。そして、その「気」で一つ一つの命と向き合うことで、それぞれの命といつも向き合っています。

こだまはこのようなことを分かりやすく表現しています。「こだま」は漢字で書くと「木霊」ですが、この名前に表れているように、こだまは木の精霊の「気」であって、神々の「気」とは異なりますが、「気」の構造はどういった「気」でも同じなので、「気」のことを理解する上では参考になります。それぞれの「気」は、その「気」を司る主の意識が反映されているので、まるで生きているかのようです。

これはこだまだけに限らず、様々な作品で描かれていて、SalyuのPVにもこのような「気」に関する構造は描かれています。歌と同様に、PVにも神々は関与しますが、Salyu×Salyuの『Sailing Days』はこだまのように多くのSalyuが描かれ、これは金星神の「光の気」を描いている形になります。また、『アイニユケル』のPVの中で描かれる多くのテレビ画面は金星神が同時に多くの認識を持っていることが描かれています。

このような背景があり、この歌は、「I wanna be 〜〜」という形で「私は」という主語が繰り返されます。神々からすると、自分の「気」は自分そのものであるが故に、「私は歌/空/風/海のようでありたい」という形で歌われています。これを客観的に見るのであれば、「私は歌/空/風/海に自分の気を宿したい」ということを意味します。歌にも空にも風にも海にも「気」は宿ることができます。

物質というものは「気」が宿ることができるものです。逆に言うと、物質は「気」が宿るために存在します。この世界は様々な魂が影響を与え合うためのシステムです。しかし、もし魂だけが浮遊していても、ある魂が他の魂に直接「気」で関与することはできません。魂に直接「気」で関与することは、あまりにも、ある魂が他の魂に影響を与え過ぎるからです。そこで、身体という物体が魂と魂の媒介を務めています。身体に色々な「気」が宿り、その身体に宿っている魂が自分の身体に宿ったどの「気」から影響を受けるのかということをいつも決めています。それは身体だけに限らず、ありとあらゆる物体が「気」を宿すために存在しています。

この歌詞の「空」も「風」も空気ですが、空気は窒素や酸素や水蒸気などから成る物体(気体)であって、だからこそ「気」は宿ることができます。「空気」とは「空の気」と書きますが、「気」が宿るために存在する「空」の物体だからこそ、「空気」という名前を持っています。

また、「海」は水であって、水は強く「気」が宿ることができる物体(液体)です。水は強く「気」を宿すことができる物体だからこそ、水を浴びると様々な「気」が身体の表面から流されて「気持ち・気分」がスッキリします。

「歌」は声という音であって、音は波動として空気中を伝わっていきます。そして、「気」はその波動に乗り、空気という物体(気体)の中を伝わっていきます。ですから、もし、我々に「気」が見えるのであれば、歌手が歌を歌うことによって起こる波動は、まるで魔法使いが魔法を使うかのように見えます。例えば、『コルテオ』のPVの中で描かれる、Salyuの周りを舞っている光の粒は、Salyuが歌によって「光の気」を放っていることを描いている形になります。

このような意味で、金星神としては自分の「気」を「歌/空/風/海」に宿すことをこの歌の中で表現しています。

「To be away from all, to be one, of everything(全てから離れ、全ての一部となるように)」という歌詞もありますが、「気」は物質的存在ではないが故に「全てから離れ」てはいるけれども、全ての物体に宿ることはできるので、「全ての一部となるように」という歌詞が置かれている形になります。これはこの歌を歌っている金星神が地球に生きるありとあらゆる命を自分の「光の気」で支えたいという「願い」の意味を持った歌詞です。

「I wanna be 〜〜」と繰り返されるのですから、この曲が発売された2000年当時は、この歌を歌っている金星神は地球に「気」を降り注ぐことができていなかったということが分かります。そして、2000年当時に「気」を地球に送ることができていなかった星の神様は金星神だけなので、こういった点からこの曲をSalyuと共に歌っている神様が金星神であると特定できます(このことの詳しい説明は下に書いています)。

この『グライド』のPVの中ではSalyuが閉じ込められているかのように描かれています。これは、金星神が「金の気」を地球に送ることができない状況と重ねられています。

また、Salyuの『Dialogue』のPVの最後にはこの『グライド』の構造をそのまま表現する映像があります。遠くに地球があるのに対して、左下に月の表面が描かれ、右下に金星が描かれています。そして、金星の「金の気」が輝いていて、スペースシャトルのようなものがありますが、これは金星から「金の気」が地球に「グライド」していくことを描いています。Salyuは金星に向かって舌を出していますが、これは金星に宿る「金の気」を摂取しながら歌っていることを意味します。

Salyuは金星神と一緒に歌を歌っています。そのことを示すために生まれた曲がこの歌だからこそ、この歌の最初の歌詞は、「私は歌のようでありたい。ハーモニーの中にある単純な音のようなものに」という歌詞があります。Salyuは金星神と共に、歌を通して非常に重要な真実を人間に伝えることを行なってきました。


・『飽和』
 


I miss you, I miss you
一億光年の果てにもとどいて
I miss you, I miss you
40万キロも先の月が笑う

I miss you, I miss you
南回帰線で戻ってきたなら
I miss you, I miss you
あなたのくちびるに
近づいてしまった
あと1mmにある飽和への入り口


『グライド』のカップリング曲である『飽和』の意味を理解することで、Salyuが金星神と歌を歌っていることについて、より確信を持つことができます。以下、『飽和』の歌詞解説です。

星の神々は宇宙全体で絶えず「気」の影響関係を与え合っています。それはまるで我々人間が人間同士で影響を与え合っているのと同様に、星の神々は星同士で「気」を通して影響を与え合っています。この歌詞の冒頭の「一億光年の果てにもとどいて」という歌詞は一億光年の果てにいる星の神々にも金星神の「気」は届いているということを意味します。そして、一億光年の果ての星の神々も金星神の心を知っているということです。

また、月という場所は「闇の気」が溜まる場所です。太陽系において、太陽という恒星、水星・金星・火星・木星・土星といった惑星は地球に「光の気」を降り注いでいるのですが、月は地球から「闇の気」を吸うために存在します。

地球から見ると太陽と月は全く同じ大きさに見えます。神々によって太陽系がデザインされているからこそ、このような奇跡的なことが起こります。どうして神々がこのようにデザインしたかというと、「光」と「闇」というこの宇宙の原則を非常に分かりやすく表現するためです。太陽と月は「光」と「闇」の関係性を持っていて、それを視覚的にも表現しています。ですから、「40万キロも先の月が笑う」という歌詞は「闇の気」を司る存在=悪魔も金星神の心を知って笑っているということを意味します。「光の気」を司るのが神々であるのに対して、「闇の気」を司るのが悪魔です。

そして、「南回帰線で戻ってきたなら あなたのくちびるに 近づいてしまった」という歌詞が、この歌詞の主語が金星神であることを説明しています。詳しい説明は下に書きますが、金星と地球が最も接近するのは、金星に対して地球が南回帰線を向けて近づいてくる時だからです。この歌詞がSalyuと金星神の繋がりを示す、非常に重要な歌詞です。

「あと1mmにある飽和への入り口」とは、金星神が「金の気」で人間に関与することを意味しています。金星は地球から遠いのですが、金星からの「金の気」が地球に降り注ぐのであれば、その「金の気」は我々の周りを舞っています。そして、「金の気」とは「愛」の原因の「気」のことなので、我々が自分の身体にその「金の気」を受け入れるのであれば「愛の気持ち」を我々は経験することになります。ここで「飽和」と言われている内容とは、人間が「金の気」を受け取ることで「愛の気持ち」を経験することを意味しています。それは本当に我々の身体とその身体の外の部分の1mmの部分で決まることなので、このような歌詞になっています。

このように、Salyuのデビュー曲にSalyuが金星神と共に歌を歌っていることは表現されています。ですから、この二曲はSalyuが金星神と共に歌っていることを理解する上で非常に重要です。

 

・『リリイ・シュシュのすべて』について
 


この二曲は映画『リリイ・シュシュのすべて』で使われた歌であって、Salyuはこの映画の中でリリイ・シュシュとして描かれます。そして、リリイ・シュシュは金星神と共に歌を歌う人間として描かれ、そのことがこの映画の冒頭に引用される投稿の言葉によく表れています。最初の投稿から順番に解説していきます。

「”リリイ・シュシュ”」
「天才。というより、宇宙。」
「エーテルの具現者。《投稿者:フィリア》」

この言葉はこの映画の最初に出る言葉です。後で詳しく説明しますが、金星神の「光の気」のことを「エーテル」とも言います。ですから、この一言はSalyuが金星神と共に歌を歌っていることを的確に表現しています。「天才。というより、宇宙」という言葉は、金星という点を伝えるために「宇宙」という言葉があります。そして、神々と共に歌を歌う歌手とは、その神様が司る「気」を受け取って「気持ち」を抱き、その「気持ち」を歌にしていますが、「エーテルの具現者」という言葉は、Salyuが金星神の「光の気」を歌という形で「具現化」するということを行なっていることを説明しています。

「閉ざされた思考の解放…、彼女はそれをやろうとしているのだ。」
「リリイがエーテルの中に押し込めた影。」
「それは波長を昇華しつつ、可視光を越え、透明より、もっと深い領域へと達する。」
「浸透性のある痛みのイメージは、セロトニンの隙間を満たしてくれる。《投稿者:コルネア》』

この言葉は金星神の「光の気」のことを描写することに加えて、「気」が「思考」の原因であることを説明している言葉です。「気付き」の説明で、我々が「アイデア(情報)」を心に浮かべるのは「気」が原因であることを書きましたが、このことから逆に言えることは、神々からの「光の気」と共に生きなければ大事なことに「気付く」ことができないということです。「閉ざされた思考」という言葉は、「光の気」と共に生きることをしなくなった現代人が大事なことに「気付き」を得ることができなくなったことを意味します。そして、「閉ざされた思考の解放」という言葉は、Salyuが金星神からの「光の気」を人間に届けることで、金星神がその「光の気」を通して、大事なことに「気付き」を与えるということを意味します。

神々と共に歌を歌う歌手の歌を聴くならば、「光の気」を受け取ることになり、その「光の気」は具体的に我々の身体に宿ります。その状態になるのであれば、その「光の気」を司る神々はその人間に「気付き」を与えることができます。このプロセスは、「閉ざされた思考の解放…、彼女はそれをやろうとしているのだ」という一言に的確に表現されています。

「私の痛みはエーテルによって癒される。《投稿者:ゆめこ》」

という言葉もありますが、これは「エーテル」=「光の気」が「気持ち・気分」の原因であることを的確に表現しています。

「私には大切なものがある。」
「それは、友達だったり、親だったり、恋人だったり、でもそれによって傷つくことはたくさんある。」
「みんなそれを我慢して生きているんだ。」
「だからこそエーテルがある。安らぎと永遠の場所、それがエーテル」《投稿者:レスポール》

友達、親、恋人を大事に想う気持ちは「愛」であって、「愛」は時に苦悩も与えるものです。例えば、愛する相手が自分を裏切ったのであれば、人は傷つきます。もし、その人をどうでもいいと思っていたのであれば、相手が自分を裏切っても大きく傷付くことはありません。

そういった苦悩から「光の気」=「エーテル」は自分を救い出します。なぜならば、結局我々が苦しむのは、「気持ち・気分」が「闇」に堕ちるからであって、「気持ち・気分」が「光」に向かうと苦悩は少なくなるからです。そういった「気持ち・気分」を与える「エーテル」=「光の気」は「安らぎ」と言えます。

ですから、この投稿は、「光」と「闇」の対立のことを意味します。この投稿を言い換えると、「光」があるからこそ「闇」があり、「闇」があるからこそ「光」がある、という文章になります。「光の気」=「エーテル」のことを理解するためには、「光」と「闇」の構造を理解する必要があるからこそ、引用されている形になります。

「リリイには、見ているんでしょうね。」
「みんなに見えない何かが。」
「それが『エーテル』ならば、リリイを聴くしかない。《投稿者:アイス》」

Salyuが金星神と繋がっているということの正しい意味は、Salyuと金星神の間に「縁」があるということです。「縁」という言葉に「糸」という文字が入っているように、「縁」とは「ライン」のことを意味します。そして、Salyuの『ライン』という歌の「その線の向こう側とこちら側の 間の隔たりは 川に姿を変えた」という歌詞が「縁」のことをよく表しています。この歌詞では「川」と表現されていますが、「川」は「水」が流れる場所であって、「水の気」が送られてくることをここでは比喩的に「川」と表現している形です。そのことによく表れているように、「縁」とは「気」が流れる「ライン」のことを意味します。Salyuは金星神との「縁」があるが故に、金星神からの「気」を普通の人よりも受け取りやすく、その「気」と共に生きています。

この投稿はそういったことを意味しています。人間は神々と直接話すことはできません。ですから、神々のことを理解するためには、神々と共に働く人から感じ取るしかありません。この言葉は、我々人間が金星神のことを理解するために、金星神の「光の気」=「エーテル」を理解するために、Salyuを聴くべきであるという真実を捉えています。

神々としては、現代において忘れ去られてしまった神々の司る「光の気」のことを人間に再び思い出してもらうために、様々な歌手を地上に送り込んでいます。そして、歌手を通して、重要な真実を伝えることを計画し、それをずっと実践してきました。そういったことをこの言葉は見事に表現しています。神々としては人間に「真実」を知ってほしいと思っています。何故ならば、人間は神々がどのように人間を支えているのかといった重要な「真実」を見失ったからこそ、苦しんでいるからです。

このように、この映画においてリリイ・シュシュは金星神と共に歌を歌う人間であることは示されている形になります。そのことを通して、Salyuが金星神と共に歌っていることを示している形になります。

また、このような映像が映し出されるシーンもあり、こういった映像は星からの「光の気」が地球に「グライド」する様子が示唆されている形になります。

この映画には他にも重要な意味があるのですが、この映画の中で重要な情報の一つがリリイ・シュシュが金星神と共に歌を歌う人間であるということであって、Salyuが金星神と繋がっていることを日本人に理解してもらうために神々が用意した一つのカラクリの意味を持っています。

この映画が本当に意味を持つのは、これからであって、『グライド』や『飽和』といった楽曲の持っている意味と合わせてこの映画を観るのであれば、この映画が持っている意味を解き明かすことができるパズルのような意味を持っています。この映画に神々が託した意味は、この映画を制作した岩井俊二でさえも知らないはずです。しかし、岩井俊二は神々と共に働くことが出来るが故に、映画の中に神々のメッセージを込めることに成功しています。

『グライド』や『飽和』に限らず、この映画の中で使われる様々な楽曲の中にもSalyuが金星神と共に歌っていることを示す重要な歌は多くあります。例えば、『愛の実験』においては以下の歌詞があります。

I see you, You see me(遠くを見る)
You see me, I see you(遥か遠くを)

この歌詞は遥か遠くにある金星を人間が見つめることが歌われています。我々人間が金星を見ることは、金星神からすると、自分を見つめられている感覚です。だからこそ、人間が金星を見つめることは、金星神と見つめ合っていることを意味します。そういうことをこの歌詞は意味します。

I'm in you, You're in me(エーテルの海)
You're in me, I'm in you(クォークの外)

そして、この歌詞は金星神が人間に「光の気」で関与することが歌われています。金星神からすると、自分の「気」は自分自身なので、人間に「気」を与えることは自分が人間の中に入っている感覚です。そして、人間の側からすると、金星神の中に入っている感覚です。

『リリイ・シュシュのすべて』の解説は別で書きます。

 

『I(アイ)』について]

Salyuが金星神と共に歌っていることを理解する上でSalyuの『アイ(I)』も参考になります。音源動画を見つけられなかったので、歌詞だけを書きます。

ダウンロードURL:https://itunes.apple.com/jp/album/%E3%82%A2%E3%82%A4-i/id522638071?i=522638109

ねぇ こんな セカイはどぉ?
ねぇ どんな ミライが好き?

わたしを 撫でる カタチの無い
アイの響き

woo キミをさがしていたんだ

Ah 波打つ 鼓動の奥に
揺るぎない リズムを知る

あたしを 超えた アタシからの
アイの響き

woo キミをさがしていたんだ

Ah 音の無い この世界 キミはその耳に
どれだけの 願いを 響きを 焼き付けて
アイへと誘うの…?

響く… キミをさがしていたんだ

ねぇ どんな アタシが好き?


この歌詞で最も重要な歌詞は「あたしを 超えた アタシからの アイの響き」という歌詞です。よく分からないものに対してカタカナを使うことがありますが、神々はそういった形でよく歌詞にカタカナを使います。

この「あたしを 超えた アタシからの アイの響き」の「あたし」は平仮名なので、人間が分かっている内容であって、Salyu自身を意味します。それに対して、「アタシ」はカタカナなので人間が分かっていない内容を指します。そして、Salyuは金星神と共に歌を歌っているのでこの「アタシ」は金星神のことを意味します。

そして、「アイ」という形で「愛」と書かれていないのは、この「アイ」のことを人間は知らないからです。つまり、この「アイ」はこの歌のタイトルでもある「アイ(I)」を意味し、金星神を指します。

金星神は太陽系における「金の気」の神様であり、太陽系一の「愛」の神様です。そして、我々が「愛」を知っているのは、金星があるからです。これは本当にイメージしづらいのですが、もし金星が無ければ、地球には「金の気」が無いので、我々は「愛」を知らずに生きることになります。そういう意味で、我々が知っている「愛」とは金星神の「愛」であって、そういう意味で金星神=「愛」です。

そして、金星神からすると、自分は「I」なので、この歌においては「I」と「愛」を掛けています。つまり、金星神=「I」=「愛」です。このような内容を人間は知らないので、カタカナ表記で「アイ」になっていて、このような構造全体を『アイ(I)』というタイトルは説明しています。

ちなみに、金星神と共に歌を歌う中島美嘉も『I』という曲を持っていますが、この曲も金星神=「I」=「愛」として描かれています。また金星神と共に歌を歌うAimerも『小さな星のメロディー』の中で金星神=「I」=「愛」という構造を使った歌詞を持っています。この『小さな星のメロディー』というタイトルは『小さな恋のメロディー』という映画の名前から来ていますが、太陽系において恋愛を支えている神様は金星神なので、このタイトルから、『小さな星のメロディー』の「星」とは金星のことであることが分かる構造を持っています。

もし、Salyuが金星神と共に歌を歌っていなければ、このような意味のある歌詞をSalyuが書くことはないので、この歌もSalyuが金星神と共に歌を歌っていることを理解する上でとても参考になります。

「わたしを 撫でる カタチの無い アイの響き」「波打つ 鼓動の奥に 揺るぎない リズムを知る」という歌詞もSalyuが金星神からの「気」を受け取りながら生きていることを説明する歌詞です。Salyuを支えている金星神の「気」のことが「カタチの無いアイの響き」「揺るぎないリズム」という形表現されています。また、ここで「波打つ 鼓動の奥に」という形で「波」という言葉が置かれているのは、Salyuが金星神からの「水の気」を受け取って生きていることを示すための構造になります。Salyuが金星神と共に歌を歌っていることの話から、Salyuが金星神の「水の気」を受け取り、「水の気持ち」で歌を歌っていることの説明に移りたいと思います。

 

【Salyuが金星神と共に「水の気持ち」を歌っていることについて】

先程、「光の気」には5種類あり、それぞれの「気」はそれぞれの「気持ち」を作るということを書きましたが、そのことについて少し具体的に書きたいと思います。

「光」とは「愛」の立場であり「相手のため」ということを重要視します。それに対して、「闇」とは「欲望」の立場であり「自分のため」ということを重要視します。ですから、「光の気」とは「愛」に関連する「気持ち」を作る「気」です。

「愛」の実践のための「気持ち」は一つではなく、複数あります。そして、それぞれの「光の気」は異なる「愛」の実践のための「気持ち」を作ります。その内容が以下です。

水の気持ち:「愛」の実践のために問題解決を行なおうとする心=「向上心・問題解決の心」
火の気持ち1:「愛」の実践のために相手を笑わせようとする心=「元気・笑い」
火の気持ち2:「愛」の実践のために相手を傷つける何かと闘おうとする心=「闘いの心」
風の気持ち:「愛」の実践のために相手に優しく接しようとする心=「優しさ」
土の気持ち:信じることのために何かをやり始めようとする気持ち・やり続ける気持ち=「勇気・忍耐」
金の気持ち:相手を大事と想う気持ち・相手と接したいと想う気持ち=「愛」そのもの

このことを具体的にイメージしやすいように、宮崎駿作品の主人公達に置き換えてみたいと思います。

水の気持ち=「向上心・問題解決の心」:アシタカ、ユパ、ハク
火の気持ち1=「元気・笑い」:キキ、トンボ、ポニョ、宗介
火の気持ち2=「闘いの心」:サン、エボシ御前、クシャナ
風の気持ち=「優しさ」:ナウシカ、ハウル、堀越次郎
土の気持ち=「勇気・忍耐」:なし
金の気持ち=「愛」:シータ、里美奈穂子、グランマンマーレ

また、歌手に置き換えてみたいと思います。

水の気持ち:UA、Aimer
火の気持ち1:桑田佳祐、トータス松本、原田郁子
火の気持ち2:降谷健志、稲葉浩志、佐藤タイジ
風の気持ち:井上陽水、松任谷由実、持田香織
土の気持ち:桜井和寿、スガシカオ
金の気持ち:Chara、宇多田ヒカル、中谷美紀、柴田淳

Salyuはこのような意味で「水の気持ち」をよく抱いている「水の人」です。「水の人」は「向上心・問題解決の心」を強く抱きながら生きますが、Salyuもそのような立場の人間です。そして、Salyuの魂の抱える「水の気」と金星神の魂の抱える「水の気」の相性がとてもいいが故に、今世においてSalyuは金星神と共に歌を歌うということを人生の役割として持っています。

(ここは読み飛ばして頂きたいのですが、この写真はSalyuのファーストアルバム『landmark』のジャケット写真です。この写真において、「愛」の図形である「円」の中にSalyuがいて、「水」の色である水色に包まれています。また、その後ろには、色として金色に近い黄色が描かれています。「愛」の図形が「円」であることは、神々が作る虹などが「円」であることによく表れています。この写真は「愛」の神様である金星神と共に「水の気持ち」を歌っているということを視覚的に表現した形になります。デザインの考え方についての文章を読んで頂けると、このことはよく分かって頂けると思います。)

金星神は金星に宿る「金の気」の神様ですが、金星神は全ての「気」を使いこなすことができます。どうしてそのように言えるかというと、偉大な神々は全ての「気」を使いこなすことができなければ、地球に生きる様々な命を支えることができないからです。ですから、当然金星神の魂は「水の気」も多く抱えています。

Salyuの持っている最も大きな人生の役割とは、金星神の「水の気」を人間に伝えることです。現代人は神々が存在することや、神々がどういった存在なのかということを忘れています。そういったことを思い出す上で、神々と共に歌を歌う歌手の歌声とは本当に重要な資料であって、そのような重要な資料を残し続けている1人の歌手がSalyuです。

Salyuの歌声はSalyuの魂の歌声であり、金星神の魂の歌声です。二人はお互いの間で共感する気持ちの中で一緒に歌っています。また、Salyuが歌う歌は金星神が創っています。ですから、Salyuの歌を聴けば金星神の「水の気持ち」を我々人間は感じることができ、金星神の「水の気持ち」についての理解を深めることができます。これは人間にとって「水の愛」を学ぶ過程でもあります。Salyuの歌は「水」に関連する歌詞が非常に多いです。このことの背景にはSalyuが「水の気持ち」を歌っていることがあります。
 


例えば、SalyuのSalyuとしてのデビュー曲である『VALON-1』は「水」に関する歌詞が非常に多いですが、Salyuが「水の気持ち」を歌うために生まれてきたことを示すために、金星神が「水」に関する歌詞を多くしたという背景があります。既に『VALON-1』についての解説は書いているので、こちらから御覧になって頂けると幸いです。Salyuの歌声も歌詞の内容もPVの内容も全て「水の気持ち」=「向上心・問題解決の心」に関連しています。

http://junashikari.com/singer/『valon-1』について/


最初は混乱を避けるために意図的に説明しなかったのですが、Lily Chou-Chouのアルバム『呼吸』の時はSalyuは「金の気持ち」=「愛」で歌っています。それに対して、Salyuの時は「水の気持ち」=「向上心・問題解決の心」で歌っています。それによって、歌い方が異なっています。Lily Chou-Chou時代とSalyu時代の同じ楽曲の歌い方を比較すると、このことはよく分かります。


Lily Chou-Chou『飛べない翼』


Salyu『飛べない翼』


Lily Chou-Chouの声が持っているはかなさは「愛」そのものから生まれる「苦悩」を表現し、Salyuの声が持っている「強さ」は「愛」が故に生まれる「向上心・問題解決の心」を表現しています。魂は、困難な状況に直面した時に「愛(金の気持ち)」そのものに留まるのであれば、「苦悩」の方向性へ向かうのですが、「向上心・問題解決の心(水の気持ち)」に向かうのであれば、「強さ」の方向性へ向かいます。

金星神は「愛」の神様であって、地球に生きる様々な命に対する強い「愛」を抱いています。しかし、Lily Chou-Chou時代の頃は「金の気」を地球に送ることができず、自分が愛する命を支えることができませんでした。自分が愛する命が苦しんでいる様を見ていながら「愛」の気持ちに留まりながら何もできない状況は「苦悩」です。Lily Chou-Chouの声のはかなさはそういったことを表します。

それに対して、Salyu時代の頃は重要な真実を歌によって保存することによって将来的に人間を支えようとする「問題解決(水の気持ち)」の気持ちで歌っているが故に「強さ」を持っています。「愛」する誰かに対して、何もできないことは「苦悩」をもたらしますが、少しでも何かできるのであれば本気を出せるので「強さ」となります。

Salyuはそういった金星神の気持ちの代弁をずっと行なってきた歌手です。


神々はデビュー曲を非常に大事にします。何故ならば、デビュー曲に重要な情報が書いてあるのであれば、人間はその曲に書かれている重要な情報を信じようと思うことがしやすいからです。ありとあらゆる重要な歌手の歌には、その歌手についての重要な真実が書かれてあります。

Salyuの場合、Lily Chou-Chouのデビュー曲である『グライド』『飽和』において、Salyuが金星神と共に歌うために生まれてきたことを示し、Salyuとしてのデビュー曲である『VALON-1』において、Salyuが「水の気持ち」を歌うために生まれてきたということを示すことを神々は目指し、それを見事に実現しました。

そして、SalyuはLily Chou-Chou時代とSalyu時代で明確に「金の気持ち」と「水の気持ち」を使い分けて歌っています。Lily Chou-Chou時代の大きな目的は金星神と繋がっていることを示すことであって、だからこそ金星神がメインで司っている「金の気」で歌を歌っています。そして、Salyu時代の大きな目的は金星神と「水の気持ち」を歌っていることを示すことであって、だからこそSalyuは「水の気」で歌っています。

この構造は本当に見事であって、これらの曲の気持ちを金星神と共に歌い分けたSalyu、神々と共にこれらの曲を創った小林武史が実践した「光」はとてつもなく大きなものです。Salyuと小林武史は長年共に歌を創ってきましたが、本当にこの二人が実践してきた「光」の価値は計り知れないものであって、これからの時代においてもっともっと我々人間がその価値に気付いていく必要がある二人です。

Salyuは小林武史以外のアーティストとも作品を創ってきましたが、全ての作品が大きな意味を持っています。また小林武史はSalyu以外のアーティストとも作品を創ってきましたが、多くの意味ある作品を残してくれています。この二人は本当に偉大であって、だからこそ、二人が残してきた作品の意味は解説する必要があると思っています(小林武史については別で文章を書きます)。

Salyuが金星神と共に歌を歌っていること、Salyuが金星神と共に「水の気持ち」を歌ってきたことについての解説はここで終わりますが、先程何点か説明をしなかったことについて解説していきます。『グライド』で解説しなかった金星からの「金の気」が降り注ぎ始めたことと、『飽和』の「南回帰線で戻ってきたなら あなたのくちびるに 近づいてしまった」という歌詞に関する金星と地球との距離について説明していきます。

 

【金星からの「金の気」について】

先程、金星からの「金の気」は『グライド』が発表された当時は降り注いでいなかったという話を書きましたが、そのことを理解する上で非常に参考になる曲がLily Chou-Chouの『エーテル』です。
 


濁った水の中 影の全てが 沈んでしまう
その時を待っていたけど
目を凝らしてもまだ 先は見えない
耳澄ませて 時間のように沿って行くよ
腐った後で 浄化していく この愛

素晴らしい毎日 素晴らしい世界に
どこかへ繋がっていく
この壁 溶かせば 粒子になる
そのエーテル 溢れ出す

鈍い痛みはまだ 治らなくても
踊るよ パペット
それともマリオネットみたい
通り過ぎるときに 伝え合うけど
間違いのキャスト 演じ続けているよ
息をひそめて 死んでいるような
このスペース

逃げ出せないまま 追い詰められてた
現実のひび割れた 眠ってた心が
繋がれたら
そのエーテル 蘇る 蘇る

逃げ出せないまま 追い詰められてた
現実のひび割れた 眠ってた心が
触れられたら
そのエーテル 蘇る 蘇る


この『エーテル』という歌を理解するためには、「エーテル」が「金の気」の言い換えであることを最初に解説する必要があるので、まずそのことについて書きます。

「エーテル」とは、古代ギリシャの四大元素説を拡張する第五元素として捉えられた元素です。古代ギリシャの哲学者は皆シャーマンであって、「プシュケー」という形で「気」のことを呼び、万物は「水・火・風・土のプシュケー」によって成り立つという四大元素説が主流の考え方でした。それに対して、アリストテレスは5番目の元素として「エーテル」を捉えていた形になります。

また、古代中国においては五行思想という思想が生まれ、五行思想においては、万物は「水・火・木・土・金の気」によって成り立つと考えられていました。インターネットもない時代に東洋と西洋で似たような考え方が生まれたのは、神々が当時の人間にこの情報を伝えたいからこそ起こった現象です。

古代ギリシャと古代中国の「気」=「プシュケー」に関する対応関係を整理すると以下のようになります。

古代ギリシャ     水  火  風  土  エーテル
古代中国       水  火  木  土   金

※「風の気」とは「木の気」のことです。

この対応表を見て頂けると分かりやすいと思いますが、「エーテル」とは「金の気」のことです。ですから、この『エーテル』という歌は「金の気」について歌われています。そして、「金の気」が金星から降り注がなかった時代から、「金の気」が降り注ぐ時代にもう少しで入ることが歌われています。

先程、Lily Chou-Chouの時のSalyuは「金の気持ち」で歌っていると書きましたが、だからこそ『リリイ・シュシュのすべて』の中でリリイ・シュシュは「エーテルの具現者」と表現されています。

(ただ、2010年のこの『エーテル』という曲においては、Lily Chou-Chouの声はSalyuの時と同様に「水の気持ち」で歌っています。厳密に書くと、2001年のアルバム『呼吸』のLily Chou-Chouは「金の気持ち」、2010年のシングル『エーテル』のLily Chou-Chouは「水の気持ち」です。)

素晴らしい毎日 素晴らしい世界に
どこかへ繋がっていく
この壁 溶かせば 粒子になる
そのエーテル 溢れ出す

逃げ出せないまま 追い詰められてた
現実のひび割れた 眠ってた心が
触れられたら
そのエーテル 蘇る 蘇る

という歌詞は、今まで金星神が降り注ぐことができなかった「金の気」を再び金星神が降り注ぎ始めることを歌っていることがよく分かります。この曲は2010年12月に発表された曲であって、ではいつ「金の気」は降り注ぎ始めたかというと2012年12月になります。
 


2012年の7月には、Lily Chou-Chouが所属していたという設定のBRADBERRY ORCHESTRAがSalyuと共に『Physical』という曲を発表しています。この歌の中では、「輝いた 星たちの その中でひときわ輝く星が 生まれる奇跡を見届けたい」という歌詞があります。この歌詞は金星のことを意味しています。

金星は地球から見ることができる星の中で最も明るい星です。ですから、「輝いた 星たちの その中でひときわ輝く星」というのは金星を表すということが言えます。そういった星が「生まれる奇跡を見届けたい」ということは、金星からの「金の気」が降り注ぎ始めることを見届けたいということを意味します。

星から地球に降り注ぐ「気」のことをよく理解していたマヤ人達は、金星からの「金の気」が降り注ぎ始める時のことを「金星が生まれる日」と言ってきました。この歌詞はマヤ人と同じように「金星が生まれる」ということを歌っている形になります。以下、マヤ人の知識と合わせて金星からの「金の気」について解説していきます。(この解説は『VALON-1』で書いたものと重複します)。

地球は「光」の時代と「闇」の時代が交互に繰り返されるように元々デザインされています。それは具体性の無い話ではなくて、具体的に「気」の関係性が変化することによって生じる現象です。我々人間の様々な行動は我々の「気持ち」から生まれます。そして、「気持ち」の原因は「気」なので、地球に降り注ぐ「気」の関係性が変化すると、我々人間の抱きやすい「気持ち」が変化し、人間のどういう行動を起こすのかということにも変化が生まれます。

金星は「金の星」と書かれているように、「金の気」が大量に宿っている星です。そして、金星は「金の気」を地球に送る時期と送らない時期があります。このことが、その時代が「光」の時代なのか「闇」の時代なのかを決定します。

「金の気」とは「愛」の原因の「気」であって、「光」の立場の最も前提となる重要な「光の気」になります。「金の気」を我々が受け取ることができるのであれば、「愛」を抱きやすくなります。そして、「愛」とは「相手のことを大事だと想う気持ち」そのものであって、その気持ちが「水の気持ち」といった様々な「愛」の実践の気持ちに繋がっていきます。

そういう意味で、金星が「金の気」を地球に降り注いでいる時代は皆が「愛」を抱きやすくなり、逆に金星からの「金の気」が無い時代は皆が「愛」を抱きにくくなります。だからこそ、金星からの「金の気」が地球に降り注ぐ時代を「光」の時代、金星からの「金の気」が地球に降り注いでいない時代を「闇」の時代と呼びます。

そして、金星からの「金の気」は、2012年12月まで2000年以上の間、降り注いでいませんでした。だからこそ、多くの戦争がこの2000年の間に起こり、「闇」の時代の末期である20世紀は第一次世界大戦や第二次世界大戦といった大きな戦争が起こっています。このように、この地球で起こる様々な出来事は、一体どういった「気」がその時代に多いのかということにかなり影響されます。

金星からの「金の気」の有無によって「光」の時代と「闇」の時代が交互に繰り返されるということをよく理解していたのがマヤ文明でした。マヤ文明の人々が非常に優れた天文学を持っていたことは、彼らが残した遺跡からよく分かります。

マヤ人達は「歴史は繰り返す」という考え方を持ち、そのことが星から地球に送られている「気」の違いによって成立することが分かっていました。つまり、マヤ人達は「気」のことや、星の神々のことをよく理解していた形になります。彼らの知識はほとんど燃やされてしまいましたが、彼らの持っていた重要な知識の一つである暦の考え方は今でも残っています。

2012年12月とはマヤ文明で使われていた長期暦が終わった時でした。ですから、人類滅亡論などが流行った時でもあったのですが、実際は地球は滅びず、地球は今でもあります。しかし、変わったことが1つあり、それが金星からの「金の気」が降り注ぎ始めたということです。

マヤ文明においては、地球は5125年周期であり、その周期の中で「光」の時代と「闇」の時代が成立していることをマヤ人達は知っていました。だからこそ、紀元前3114年8月12日とはマヤ人にとって「金星が誕生した日」と呼んでいます。これは金星が物理的に誕生したということを意味するのではなく、金星からの「金の気」が降り注ぎ始めたということを意味します。ですから、整理すると以下のような形で地球の歴史は流れています。

紀元前3114年8月12日〜紀元前3世紀頃:「光」の時代(金星からの「金の気」が降り注いでいる)
紀元前3世紀頃〜2012年12月22日頃:「闇」の時代(金星からの「金の気」が降り注いでいない)
2012年12月23日頃〜現在:「光」の時代(金星からの「金の気」が降り注いでいる)

マヤ長期歴の5125年周期で考えると、紀元前3114年8月12日と2012年12月23日は同じ意味を持っています。そして、マヤ人達が紀元前3114年8月12日を「金星が誕生した日」と呼んだことから、2012年12月23日も「金星が誕生した日」と言う事ができます。つまり、紀元前3114年8月12日と2012年12月23日は「金星からの金の気が降り注ぎ始めた日」です。

マヤ文明にしても、古代ギリシャにしても、古代中国にしても、現代人は現代が古代よりも進んでいて、古代世界は遅れていたと考えがちですが、そうではなく、「気(プシュケー)」についての知識については圧倒的に現代よりも彼らの方が進んでいました。何故ならば、マヤ文明・古代ギリシャ・古代中国においては「気」のプロフェッショナルであるシャーマンがより身近な存在だったからです。

真実を知っていたかつての人間の知識の多くは失われてしまっていますが、それでもまだなんとか残っているものもあります。ここに書いた四大元素説や五行思想やマヤ暦の考え方は本当に価値ある情報であって、現代人はこれらの思想の意味を理解する必要があります。

こういったことを理解するならば、『グライド』の「I wanna be 〜〜」という形で、ある星の神様が自分の「気」を地球に送るということを望んでいた歌詞の意味がよく分かります。『グライド』は「金の気」を降り注ぐことができなかった金星神が自分の「金の気」を地球に降り注ぐことを望んでいる歌です。そして、『エーテル』は「金の気」を降り注ぐ少し前の金星神の心の状態が歌われた作品です。

Lily Chou-Chouの一つの大きな役割は「金の気」を降り注ぐことができなかった金星神のこういった心情を表現することです。『共鳴(空虚な石)』においては、金星神が宿っている金星のことを「空虚な石」と表現し、「金の気」を地球に送ることができない金星神の「愛」の「苦悩」を表現しています。
 


このPVにおいては、金星神が金星に宿っていることを表現するために、リリイ・シュシュが地面と同じ土色をしています。これは金星に宿る金星神の心情を視覚的に表現したものになります。当時の金星神としては自分が宿っている金星自体が空虚な石です。そのことを視覚的に描いている形になります。

また、『飛べない翼』や『飛行船』といった歌も、「金の気」を地球に送ることができない金星神の気持ちが歌われています。

Lily Chou-Chouという名前はドビュッシーの最初の妻の愛称である「Lily」と二番目の妻との間にできた娘の愛称「Chou-Chou」から生まれていますが、ドビュッシーは金星神と共に音楽を創っていた芸術家です。例えば、ドビュッシーの『月の光』は金星神の「金の気持ち」=「愛」がよく表現されています。
 


Lily Chou-Chouは、そんなドビュッシーの妻や娘の名前なので、この名前自体がSalyuが金星神と共に歌を歌っていることを示すものであり、歌の内容もそのような意味を持っている形になります。

Salyuという名前にも大きな意味があり、このことはSalyuの多くの楽曲のテーマとも繋がっています。しかし、この情報は今はインターネット上に書くことができない形になります。どの時期に、どの情報を公開していいのかということは、神々からの指示に従っています。その歌を歌っている歌手さえも知らない真実がその歌に表現されているからこそ、奇跡は成立します。だからこそ、その情報をネット上に書いてしまうだけで、その奇跡が成立しなくなります。そういった理由によって、今は書くことができない形になります。

とにかく、Lily Chou-ChouにしてもSalyuにしても、この2つの名前はそれぞれの歌の内容と強く重なっていて、本当に見事な対応関係を持っています。本当にSalyuとSalyuと共に音楽制作を行なってきたアーティストが今までに残してきた作品には大きな価値があります。

 

【地球と金星が最接近する時について】

『飽和』の「南回帰線で戻ってきたなら あなたのくちびるに 近づいてしまった」という歌詞が金星を示す歌詞であることを説明するために、地球と金星の距離関係について解説します。金星と地球は以下の動画のように太陽の周りを公転しながら近づいたり離れたりしています。
 


そして、地球と金星の公転軌道は以下の図です。金星はVenusです。

この図を見て頂ければ分かるように、地球と金星が最も近づくのは「early January(一月上旬)」のあたりの時期です。つまり、日本からすると冬の時期に地球と金星は最も近づきます。

そして、北半球にある日本にとって冬とは太陽に対して南回帰線を向けている時を意味します。逆に、太陽に対して北回帰線を向けている時は夏です。上の図のように対応します。回帰線については下の図に詳しく書いてあります。

 

太陽系において金星は地球よりも内側を公転しています。そして、地球と金星が最も近づく時とは、地球と金星が内合する時です。内合とは時計の針で考えて、地球と金星が同じ針の方向にいる時のことを意味します。例えば、6時の方向に金星と地球がいる時は内合です。

そして、金星と地球はいつも584日ごとに内合します。そして、584日という数字は5倍すると2920日であって、2920日という数字は365日×8年の数字と一致します。ですから、地球と金星は8年間の間に5回内合を行い、5回目には1回目に内合したところに戻ってきます。その結果として、地球と金星の内合点を繋ぐと五芒星が生まれます。

金星神にとって地球が自分に戻ってくる場面とは、この五カ所の内合が起こる時のことを意味します。そして、この五カ所の内合点の内、地球が金星に対して南回帰線を向けている時と北回帰線を向けている時があります。

最初の図に示されているように地球と金星の公転軌道は地球が冬の時期の方が金星との距離が近く、地球が冬の時期とは南回帰線を金星に向けている時です。最近の内合の際の距離を具体的に書いておきます。

2009/03/28 04:24→0.2814850AU
2010/10/29 10:10→0.2716076AU
2012/06/06 10:09→0.2887029AU
2014/01/11 21:24→0.2661918AU
2015/08/16 04:22→0.2884425AU
2017/03/25 19:17→0.2810720AU

このことから、冬に起こる内合の方が金星と地球の距離が近いことが分かります。そして、冬は金星に対して地球は南回帰線を向けています。『飽和』の「南回帰線で戻ってきたなら あなたのくちびるに 近づいてしまった」という歌詞は、このことを歌っています。

 

【最後に】

このページでは、Salyuについて、今ネット上に書くことができる情報の一部だけを書きました。Salyuの楽曲についてはほとんど解説を書いておらず、Salyuが金星神と共に歌っていることを説明するために、Lily Chou-Chouの楽曲の解説を書いてきた形になります。しかし、Salyuのそれぞれの楽曲もLily Chou-Chouとは異なる意味で、重要な意味を持っています。

将来的には、今回書かなかったことも含めて、Salyuの多くの楽曲の解説を一曲一曲について行なっていきたいと思っています。その中でSalyuの重要性はより理解して頂けると思っています。

Salyuの歌の中に『イナヅマ』という曲がありますが、この曲は「縁」という「ライン」の中を、神々からの「光の気」が人間に向かって走ることを「イナヅマ」という形で表現した歌です。この歌の中に「世界はパズルのピース バラバラのようで 組み立て直せるかな」という歌詞がありますが、これは真実であって、神々はずっとパズルのピースを創ってきました。そして、Salyuは小林武史といった神々と共に働くアーティストと共に、ずっとパズルのピースを創り続けてきた人間であって、これからはそのパズルを解いていく段階に入っていきます。

そのパズルを解いていく過程で、人間は神々の存在や「気」というものの成り立ちといった真実を知っていくことになっていきます。宗教の教祖などが根拠の無い教えなどを説くのであれば、それは正しいかどうかは分かりません。しかし、様々な歌にその歌を制作した人間も意図しなかった様々な真実が込められていることを人間が知るのであれば、それは間違いなく神々が起こしてきた奇跡であると明確に理解できるからこそ、その情報が正しいものとして受け入れられます。

真実は信じるべきものではなくて、知るべきものです。そして、信じるためには根拠は不必要ですが、知るためには根拠が必要です。神々は真実の根拠を創るために、歌を創ってきたのであって、そういった意味で、歌がパズルのピースであり、そのパズルが解かれる時に真実の全体像が見えてきます。そのようなカラクリを神々は長年に渡って用意してきたのであって、そういった神々の長年の努力が報われる時期がこれからであって、人間が真実と向き合って生きていく時期がこれからです。

そういう意味があるからこそ、Salyuが今までに残してきた作品は人間にとって本当に大きな意味を持っています。Salyuが重要な真実の根拠を表現してきたことは、このページに書いているLily Chou-Chouの解説を理解するだけでも、納得して頂けると思っています。そして、このページに書いていないSalyuが表現してきた真実の根拠は他にも多くあります。

そして、Salyuは金星神と「水の気持ち」を歌っています。金星神とは2012年12月から「金の気」を降り注ぎ始めた、「光」の時代を創っていく現代において最も重要な神様です。そして、現代社会が抱える多くの問題を解決するためには「水の気持ち」がとても重要です。

歌には「気」が乗るので、Salyuの歌を聴くのであれば、我々人間は金星神から「水の気」を受け入れることになります。その「水の気」が我々人間が様々な「問題解決」を行なっていく心を支えていきます。そういう意味で、Salyuはとても重要な「気持ち」を我々に教えてくれています。

Salyuのそういった価値を理解して頂ければ、と思っています。Salyuは金星神と共に、重要な真実に至るためのパズルのピースを創り続けてきたのであって、世界が抱える様々な問題の解決を行なうための気持ちを支えるための道具=「水の気」を創ってきてくれました。この世界の「光」を強くする上で、本当に大きな価値のあるものをSalyuは残してくれた形になります。人が生きる上で、これほどまでに価値があるものは本当に稀です。

Salyuがこの世界に残してきたものを大事にし、その意味を理解し、Salyuの歌と共に生きるような形で人生を過ごして頂けると幸いです。そうすれば、真実を学ぶことや、気持ちを支えられることに繋がり、そのことによって、この世界の「光」は強くなっていきます。

日本人の皆様にSalyuの価値を知って頂ければ、と思っています。