「愛」は「他者のため」だからこそ「価値」を感じ、「価値」を感じるからこそ「愛」を実践したいと思います。それに対して、「欲望」は「自分のため」だからこそ「虚しさ」を感じ、「虚しさ」を感じないためにも「欲望」でごまかそうとします。

だからこそ、人生に意味があるかどうかは、「愛」を選ぶか「欲望」を選ぶかによって決まります。

自分が「愛」=「他者のため」の立場に立つと、人生は愛する人を「幸せ」にするための「大事な時間」に思えます。だからこそ、人生に「価値」を感じます。何故ならば、本当に相手のことを大事だと感じているなら、その相手を「幸せ」にすることに「価値」を感じないことはないからです。

それに対して、自分が「欲望」=「自分のため」の立場に立つと、人生は自分が「快楽・利益」を得るための「ゲーム(暇潰し)」に思えます。だからこそ、人生に「虚しさ」を感じます。何故ならば、自分が「快楽」を感じること自体に「価値」はないからです。

「人生はゲーム」ということが言われることはありますが、この言葉は罠なので気を付けて頂けると幸いです。「ゲーム」という言葉の背景には「自分のため」という「欲望」があるので、「人生はゲーム」という言葉を信じると、自分が「快楽・利益」を得ることを目指し始め、気付かない内に「欲望」に堕ちていきます。そして、本当に人生は「自分のため」の「ゲーム(暇潰し)」になっていきます。

愛する人を「幸せ」にしようとすることをゲーム感覚ですることはできません。「誰かのため」という「愛」は「ゲーム」にはなり得ないからです。だからこそ、「愛」の立場に立つのであれば、「人生はゲーム」ではなくて、「相手のため」の「大事な時間」になっていきます。ですから「愛の価値」⇔「欲望の虚しさ」という構造に合わせて整理すると、以下のようになります。

「愛は価値を感じる」⇔「欲望は虚しさを感じる」
    ↓           ↓
「人生は大事な時間」⇔「人生はゲーム(暇潰し)」

この構造も「幸せ」が「欲望」のもたらす「快楽」ではなく、「愛」のもたらす「喜び」であることを教えてくれます。「虚しさ」を感じる「幸せ」というものはあり得ず、「価値」を感じる「幸せ」が本当の「幸せ」だからです。