ジョニー・デップとアル・パチーノが出演した映画『フェイク』は「光のための闇」の本質を描いた傑作です。その傑作の持つ本質的意味をここでは短く書いていきます。映画を御覧になった上で、この解説を読んで頂けると幸いです。

この映画はFBIのおとり捜査官に関する実話を基に制作されており、実話であるからこそ非常にリアリティがあると同時に、我々がこの物語を通して学ぶことができる教訓には重みが生まれます。

また、この映画はジョニー・デップという役者の人生そのものを象徴する作品であって、役者が演じることの「可能性」と「危険性」を理解する上でも非常に大事です。何故ならば、ジョニー・デップという役者は、「光のための闇」を演じ続けたが故に「闇」に堕ちた役者であって、そのジョニー・デップの人生の構造自体をこの作品が表現しているからです。
 


【「光のための闇」を実践することの難しさ】

ジョニー・デップ演じるFBI潜入捜査官ジョー・ピストーネ(ドニー)は、マフィアの捜査のためにマフィアになりすましますが、この構造が「光のための闇」の構造を生み出します。マフィアを捕らえるという「光(善)」のために、彼は時として「闇(悪)」を実践せなばならない構造を生きているからです。

「善意」があれば「悪」を実践することは極めて困難です。かと言って、「善意」を失ってしまえば「悪」に飲み込まれてしまいます。この構造に「光のための闇」=「善のための悪」を実践することの難しさがあります。実際に、ジョー・ピストーネが「悪」の中で生きる過程の中で、心の中の「善意」を擦り減らしてしまい、「闇」に飲み込まれつつある様子が描かれます。

また、「善意」があるからこそ「悪」を実践することから「闇」に堕ちやすい側面もあります。例えば、「善意」があると「悪」を実践することから「罪悪感」を感じやすくなりますが、その「罪悪感」が様々な心の「闇」に繋がっていきます。「罪悪感」にはそのような力があるからです。そういった「罪悪感」を象徴するシーンが、潜入捜査を続けるためにある日本人に酷い暴力を与えたエピソードなどです。

また、「光のための闇」とは、本来の目的が「世のため」であっても、それが気が付くと「自分のため」になりやすいものです。特に、ジョーの置かれている状況はそういう精神性に繋がりやすいもので、彼は自分が潜入捜査官であることを「世のため」にも「自分のため」にも目指せます。「世のため」に潜入捜査官であることを知られてはならないとも思えますし、「自分のため」を思い自分を守るためにも潜入捜査官であることを知られたくないとも思えます。

「世のため」を思っていれば心の「光」は保たれますが、「自分のため」を思ってしまうならば心に「闇」が植え付けられていきます。しかし、彼が置かれているマフィアの世界とは一歩間違えば殺されてしまう非常に恐ろしい世界であり、そういう状況においては人は「恐怖」を感じやすいもので、そういった「恐怖」が「自分のため」の精神性へ繋がっていきます。こういった構造が分かってくると、彼の置かれている状況で心の「光」を保つということが如何に困難なことなのかが分かってきます。

また、ジョーは自分を支えてくれてきたレフティー(アル・パチーノ)に対して「愛」を抱いていきますが、そういった「愛」があるからこそ、潜入捜査官であることを隠しレフティーを騙し続けることに対する「自己嫌悪」や「罪悪感」なども生まれやすい構造を生きています。

 

【「世のため」と「家族のため」の対立軸】

ジョーは「世のため」に潜入捜査を続けているのに対して、彼の妻は「家族のため」と「自分のため」を思うが故にジョーと対立します。そして、そういった対立がジョーに精神的ストレスを与えるので、余計にジョーの心に「闇」を与え、彼が「光」を貫くことを困難にしていきます。

「光のための闇」を実践する上で大事なことは心の「光」を貫くことであって、心の「光」を保つ上で非常に大事なことは、自分が愛する人に対する「愛」を保つことです。しかし、彼の妻は彼がそういった「愛」を保つことを止めるようなことを実践してしまい、彼が余計に「光のための闇」を実践することを困難にしています。

逆に、近年の作品である『モービウス』なども「光のための闇」を描いた作品ですが、この作品においては、主人公の愛する女性はその主人公が「愛」を抱くことを促し続け、その「愛」によって主人公が「闇」に堕ち切ってしまうことを防いでいます。

二つの作品を通して、こういった対立構造を理解すれば、「光のための闇」を実践する人間の愛する人間が、「光」を抱くことを促し、「闇」を抱くことを促さないことが如何に大事なのかが見えてきます。


【最後に】

この映画は他にも様々な重要な意味を持ちますが、とりわけ重要な2点だけについてここでは取り上げさせて頂きました。こういう観点を持って作品と向き合うなら、この映画は我々に「光のための闇」の本質を教えてくれます。この映画程に「光のための闇」の本質を描いた作品はそれ程多くないからこそ、この映画は大変重要な作品です。