このページでは、米津玄師作詞作曲の嵐が歌う『カイト』の持つ神学的意味を解説していきます。まずは一度聴いてみて頂き、この歌を聴きながら文章を読んで頂けると幸いです。
 


神懸かった人間の作る歌には、その作曲者の意図をはるかに超えた重要な意味が込められているものです。何故ならば、神懸かった表現者は神々が伝えたいメッセージを人間に届ける代弁者の意味を持つからです。

米津玄師と嵐は現代における、そういった神々の代弁者として非常に重要な存在であって、『カイト』は非常に優れたメッセージとしての作品です。ですから、この曲の深い意味を理解することで、そのメッセージはより深く受け取ることができます。
 

【『カイト』のテーマ】

この曲はそれぞれの人間が持つ、「神との繋がり」=「縁」を表現しています。つまり、「カイト」とは「神」のことであって、「カイト」から伸びる「糸」とは「縁」のことを表現しています。このように分析できる根拠は膨大にあるのですが、構造を整理すると、以下のようになります。

     ○ ← カイト=神
      |
      | ← 糸=縁=気が流れるライン
      |
     △ ← 人間

我々人間は神々との「縁」を通して「気」をもらうことによって、何かについて「気付く(気+付く)」ことを行なったり、「気持ち(気+持つ)」を抱くことを行う中を生きています。しかし、こういった日本語の意味や「心」や「気」の本質を見失っている時代においては、その「縁」のことも見失われます。

しかし、その「縁」の持つ意味を理解することは我々が「幸せ」に生きていく上でも、より良い世の中を作る上でも非常に大事です。だからこそ、そういうことを伝えるために、神々は米津玄師や嵐を通して『カイト』という歌を作りました。
 

【嵐がこの歌を歌うことの価値】

嵐の5人は非常に神懸かった人間で、長年の間、神々の使いとして日本を支えてきました。つまり、嵐の5人とは神々との「縁」を非常に素晴らしい形で使うことができる人間です。

そして、「嵐」は「風」に関する名前であって、「カイト」は「風」に強く関連付けられる存在です。また、「風」という存在自体はそもそも「気」を運ぶ存在でもあり、嵐が『カイト』を歌う構造は非常に見事な構造を持っています。
 

【歌詞解説】

「小さな頃に見た 高く飛んでいくカイト」
「離さないよう ぎゅっと強く 握りしめていた糸」

この冒頭の歌詞は、比喩的に「カイト」=「神」と「糸」=「縁」という構造を簡潔に表現しています。

我々人間は幼い頃は「無邪気」であるが故に、非常に神懸かっているもので、そういったことを「強く握りしめていた糸」という歌詞で表現しています。逆に言うと、「邪気」を抱えてしまうと「縁」を使うことがしづらくなります。これは言い換えると、強い「ストレス」=「邪気」などを抱えてしまうと、神々に支えられづらくなるということでもあります。
 

「憧れた未来は 一番星の側に」
「そこから何が見えるのか ずっと知りたかった」

本来の占星術の意味とも重なりますが、古代ギリシャ世界やマヤ文明で考えられるように、星は神です。星には膨大な「気」が宿っており、それぞれの星に宿る「気」をそれぞれの星の神は司っています。また、一番星とは金星のことですが、金星神は現代における非常に重要な神です。

神が我々に与える「気」とはその神自身の精神性でもあります。つまり、我々は神からの「気」を持つことで、神々の精神性を学んでいます。それは、神々の物の見方を学んでいるとも言えます。

そういった構造を「そこから何が見えるのかずっと知りたかった」という歌詞は表現しています。つまり、金星神がどのように世を見つめているのかを知るということを、金星から何が見えるのかを知るという構造と重ねています。実際、嵐のメンバーの中には金星神の使いとしての人間(櫻井翔)もいて、この歌詞は櫻井翔の本質を見事に表現しています(櫻井翔が何故金星神の使いと言えるのかは別で書きます)。
 

「母は言った『泣かないで』と」
「父は言った『逃げていい』と」
「その度にやまない夢と」
「空の青さを知っていく」

人が「正気」を保つ時、人は「正しい気」により「気持ち」を抱き、良い物の見方を神から学ぶことができます。そして、両親から心に響く言葉を受け取る時とは、強く「正気」を抱く瞬間であって、そういう時こそ神々の精神性=「光」の精神性を学ぶことができます。「空の青さ」とは、まさに「光」の生み出す存在であり、その意味を知るということは、「光」に対する神の理解を学ぶということです。
 

「風が吹けば 歌が流れる 口ずさもう 彼方へ向けて」
「君の夢よ 叶えと願う 溢れ出す ラル ラリ ラ」

「風」という存在は「気」を運ぶ存在であり、そういった「気」に触れることはその「気」の精神性が自分の中に起こるということです。そして、歌という存在は精神を最も強く伝える方法であるからこそ、「風が吹けば 歌が流れる」とは真実です。また、その精神に共感するということを「口ずさもう 彼方へ向けて」という歌詞は表現しています。

神々は我々の本当の夢を叶えるために「気」で我々に関与しています。ですから、我々が触れる神々の「気」は本当に「君の夢よ 叶えと願う」ことを行なっています。「ラル ラリ ラ」は、米津玄師の『パプリカ』と繋がる歌詞です。『パプリカ』でも「一番星」は歌詞に登場する程ですし、『パプリカ』も結局は神々のことを伝える歌で『カイト』と繋がっています。
 

「小さな頃に見た 大きな羽のカイト」
「思い出よりとても古く 小さい姿でいた」
「憧れた未来は いつもの右ポケットに」
「誰も知らない物語を 密かに忍ばせて」

神々は羽を持ち、また膨大な年月を生きてきた魂であり、星は地球から見れば小さな存在です。そういったことを「小さな頃に見た 大きな羽のカイト 思い出よりとても古く 小さい姿でいた」という歌詞は表現しています。

我々はそれぞれの人生の役割を持ち、それは我々が持つ本来の夢でもあります。そして、そういった夢を実現するための「シナリオ」=「物語」は元々用意されていて、神々はよく知っているものですが、生きている我々人間はそれを知ることはなく「誰も知らない物語」です。そういった構造を「憧れた未来は いつもの右ポケットに 誰も知らない物語を 密かに忍ばせて」という歌詞は表現しています。
 

「友は言った『忘れない』と」
「あなたは言った『愛してる』と」
「些細な傷に宿るもの」
「聞こえて来る どこからか」

両親からの心に響く言葉と同様に、友やパートナーからの心に響く言葉は我々が強く何らかの「気持ち」を抱く(「気」を強く抱く)ことを促し、そういう時に大事なことを学ぶことができます。その一つは、自分が抱えている傷の意味を知ることでもあります。
 

「嵐の中をかき分けていく小さなカイトよ」
「悲しみを越えてどこまでも行こう」
「そして帰ろう その糸の繋がった先まで」

我々は死ねばあの世に行き、そこで自分を支えてきた神々と会うことになります。そういった構造を「その糸の繋がった先まで帰る」という歌詞は表現しています。
 

「風が吹けば 歌が流れる 口ずさもう 彼方へ向けて」
「君の夢よ 叶えと願う 溢れ出す ラル ラリ ラ」

繰り返しになりますが、神々は我々の本当の夢の実現に向けて、「気」を通して全力で支えようとしています。だからこそ、我々は神々との「縁」を太く強くしていかなければならず、そのことは子供のように「無邪気」でいることや、強く「正気」を保つことによって実現します。
 

【最後に】

この歌は神々がどんな思いで我々を導こうとしているか、我々が何をすべきなのかを強く教えてくれます。しかし、このような深い意味は伝わるわけもなく、このような解説も本当に限られた人にしか届かないことだと思います。しかし、この解説を通して、この歌の真意を受け取り、この歌から大事なことを学び、その学びと共により良く生きていく人が一人でも多く増えると幸いです。