自分の過去から学ぶために
2018.08.04 心の成り立ち(基礎:その他)
昔、久石譲の知り合いと関わっていて、その人が「久石譲は高級車を何台も家に持っているような人なんだよ」と聞かされて、久石譲の音楽に対するイメージを悪くしてしまいました。そのことによって、自分はその後何年も、久石譲の音楽を聴くことをしませんでしたが、これは自分の過去の「ミス(間違い)」です。
久石譲についてこう言った人が「嫉妬」から文句を言っていたことは、思い返すとよく分かります。それに対して、自分は昔から「欲」は「問題」だと感じていたところもあったので、久石譲の「欲」の話を聞いて、久石譲の音楽に対するイメージを悪くしてしまった形になります。
また、車を買うことは、久石譲のほんの小さな「部分」の「欲」なのに、自分は彼が「欲」の実現のために音楽を作っていという風に「全体」に「すり替え」て考えてしまいました。「部分」と「全体」を意識化していなかったが故にやってしまった「すり替え」の「誤解」です。
また、当時の自分は、人格が本当に素晴らしくなければ、本当に素晴らしい音楽を作ることができないという「真実」も、その「真実」が成り立つ構造も分かっていなかったし、「分かりやすい音楽は低俗」といったアンダーグラウンドアーティストならではの「間違い(嘘)」の「アイデア」も信じていました。
こういった様々な要素が組み合わさり、久石譲は自分の「欲」の実現のために音楽をしているという「間違い」を信じるという「ミス」をしてしまいました。
久石譲の話をした人は「嫉妬」から意図せず「罠」を作りました。それに対して、自分は「部分」と「全体」の「すり替え」のことを意識化していなかったことや、大事な「真実」を知らなかったことや、「間違い」を信じていたことによって、意図せず「罠」に引っかかってしまいました。
そして、このことによって起こった弊害は、自分が久石譲の音楽に何年も支えられなかったことです。心が健全であれば、人生はいい方向に向かっていくので、素晴らしい音楽に心を支えられることは大事なことです。
こういう「経験」があるからこそ、物事の「真実」を知らないことや、物事の「真実」を知らないが故に「間違い」を信じることがどのように「ミス」に繋がっていくのかが分かります。実際、現代社会でいつも起こっていることは、この久石譲の例のようなことです。それぞれの人に悪意があるわけではなく、ちょっとした「嫉妬」や「誤解」が様々な悪い連鎖を引き起こしているだけです。
このように、過去の「ミス(過ち)」は自分自身が何かを学ぶための材料になりますし、他者に何かを教えるための参考例となります。そして、その「ミス」が「罠」をシェアするための道具として役立つならば、「間違い」さえも「正解」のために活かすことができるので、「間違い」さえも「正解」になります。
けれども、自分の「間違い」を肯定するために、自分の「間違い」から学ぼうとしたり、他人にシェアしようとすると、それも「欲(自己肯定欲)」なので、正しく学ぶことも、正しくシェアすることもできません。本当により良い人間になろうとしたり、本当に「相手のため」に大事なことを伝えようとしない限り、「真実」は見えてこないからです。
大事なことは、自分の過去の「経験」の「意味」を一生懸命「問う」ことです。「問い」によって、物事の「真実」は見えてくるからです。逆に言うと、「問う」ことをしない限り、どんなに学ぶことができる具体例を「経験」していたとしても、その「経験」から学ぶことはできません。これは、「宝の持ち腐れ」です。
あなたの人生はあなたが一番よく知っています。何故ならば、あなたはあなたの人生に関する記憶を持っているからです。だからこそ、あなたが学ぶための具体例はあなたが一番持っています。そして、誰かに話さない限り、その宝を使うことができるのはあなただけです。
そして、「真実」は「経験」を通して理解するしかありません。どんなに「愛」が素晴らしいかを言葉で書いたって、「愛」の素晴らしさは「経験」しなければ分かりません。そして、「経験」から「真実」を学ぶための一つの方法が、記憶から学ぶことです。
だからこそ、結局あなたが自分の「過去」の持っている「意味」を「問う」しかありません。私が言っていることが仮に正しかったにしても、あなたが「問う」ことをする「意志」を持たなければ、私が書いている情報に「価値」なんてありません。
大事なことは、あなたの「意志」です。