映画『インサイダー』は我々が膨大な教訓を得ることができる実話を基に描かれた傑作映画です。しかし、この映画は我々が教訓を得ることにあまり活かされていない現状がありますから、このページを通して『インサイダー 』について理解を深めて頂き、この作品を通して多くの教訓を得て頂けると幸いです。ネタバレを含みますので、一度映画を御覧になって頂いた後に読んで頂ければ、と思います。
 

 

【心理学的解説】

・「誰かのため」と「世のため」

この映画が描く「善」に関する一つの大きな教訓とは、「誰かのため」と「世のため」という異なる二つの「愛」の対立についてです。ラッセル・クロウ演じるワイガンドは、「世のため」にタバコ産業の不正を告発するか、「家族のため」にそういった告発をしないかを葛藤します。また、アル・パチーノ演じるバーグマンは「世のため」にワイガンドの告発を報道しようとするのに対して、「会社のため」に告発を報道しないでおこうとする力から圧力を加えられ続けます。さらに、ワイガンドは「自分のため」を思ってしまう場面もあるのに対して、バーグマンは「ワイガンドのため」に告発者を守ろうとする精神性も抱いています。この構造を整理すると、

ワイガンド 「家族のため」と「世のため」と「自分のため」を揺れ動く
バーグマン 「会社のため」を選ばず「世のため」を選び「告発者のため」も思っている

ワイガンドが「世のため」の「善」を実践しようとするのに対して、彼の妻は「家族のため」を優先するが故に、2人は対立してしまいます。また、バーグマンが「世のため」の「善」を実践しようとするのに対して、彼の会社は「会社のため」を優先するが故に、会社内での対立が起こります。優先しようとする先が異なるが故のこういった対立は「善」を実践しようとする多くの人間が経験するものであって、この物語の様々な対立にはリアリティがあります。

「善」を実践する者にとって、皆にとって良いことをすることが理想的ですが、現実は誰を優先すべきかを決めなければならない場面はやってきます。そういう時、助けられる人数を基準に考える場合、「世のため」を選ぶことが正しいです。何故ならば、「世のため」という精神性は膨大な「誰かのため」という精神性であって、より多くの人間を助けることに繋がるからです。特に、この物語で取り上げられている問題はタバコの健康被害というものであって、それは膨大な人間の心身の健康に関わる問題だからこそ、「世のため」を貫くことが非常に重要なケースであって、二人は「世のため」を貫けたからこそ告発の報道は成功します。

このような意味で、「誰のため」ということに関する葛藤や真実をこの映画程に描くことができた映画は非常に稀だからこそ、この映画は非常に重要ですし、最初にこの点を解説しました。


・「未熟」と「成熟」

ワイガンドとバーグマンの2人は他にも精神的な違いを持っており、ワイガンドは「未熟」であるのに対して、バーグマンは「成熟」しています。それは一貫してローウェルは「世のため」を選び続けることができているのに対して、ジェフリーは「自分のため」を選んでしまう局面も少なくないということです。それは言い換えると、バーグマンが「強さ」や「賢さ」を強く持っているのに対して、ワイガンドが「弱さ」や「愚かさ」も持っているということでもあります。また、2人の持っている「善意」には差があるということでもあります。

ワイガンドの「未熟」を表す出来事の例を挙げると、タバコ産業が告発を防ぐためにジェフリーや彼の家族を脅すような行動を繰り返すのに対して、ワイガンドは「恐怖」に堕ちます。そして、そういった「恐怖」が彼の心を乱し、バーグマンへの「疑い」などへ転じています。また、家族を失い、収録した告発が報道されないでいる状況から「絶望」に堕ちている様子なども伺えます。それに対して、「成熟」したバーグマンはどんな過酷な状況がやってこようと「善意」を止めずに、その場その場で最適と考えられる行動を起こそうと努力し続けます。そして、彼の持つ「強さ」や「賢さ」が彼の大きな武器となり、極めて困難な状況の中でも突破口を探し出し、告発を報道するという結果を生み出します。

現実の世界で、バーグマンのような優れた人間は非常に少なく、「善意」のある多くの人間であっても、ほとんどの人はワイガンドのように心に「弱さ」や「愚かさ」も持っています。だからこそ、ワイガンドの様々な葛藤は我々に多くの教訓を与えますし、バーグマンが何故ワイガンドを導くことができたのかという点も、我々に多くの教訓を与えます。

我々人間はいつもお互いに影響関係を与え合いながら生きています。そんな中で、我々が「成長」していくためには、「未熟」な人間は「成熟」した人間に追いつく必要がありますし、より「成熟」した人間は「未熟」な人間を正しく導かねばなりません。そういったことも我々はこの映画を通して学ぶことができます。


・「問題解決の心(冷静)」と「闘いの心(情熱)」

ワイガンドとバークマンの持つ「光(善意)」は異なる方向性を持ちます。ワイガンドの「善意」は「世のため」に「冷静」に「問題解決」を実践しようとする立場であるのに対して、バーグマンは「世のため」に「情熱的」に「闘い」を実践しようとする立場です。これは「水の気持ち(問題解決の心)」と「火の気持ち(闘いの心)」の違いであって、この2人は「未熟」な「水の人」と「成熟」した「火の人」とも言えます。

ワイガンドが「問題解決の心」という「善意」を貫けている時の彼は「冷静」さを保っていますが、心が揺れ動き「自分のため」を思ってしまう時などは「冷静」さを失い、ヒステリックにさえなります。そういった動揺した心がバーグマンへの間違った心へ繋げています。

それに対して、バーグマンはいつも「情熱的」な「善意」を貫いており、ワイガンドのように「自分のため」を思うことはありません。ただ、とは言っても、「闘いの心」という「善意」は不必要な対立を生みやすいものでもあるので、彼は会社内での不必要な対立などを作ってしまっています。


【神学的解説】

以下の解説は理解して頂かなくても大丈夫なのですが、この物語で描かれるワイガンド・バーグマンとタバコ会社との闘いは、神々と悪魔の闘いでもあります。悪魔としては、タバコを通して様々な健康被害を人間の体に与えることで、タバコを吸う人間やその周りの人間の心身にダメージを与えることを狙っているのに対して、神々としては、そういったタバコを通しての攻撃から人間を守るために、告発を報道させようとしています。

そのような意味で、心が揺れ動くワイガンドは神々に導かれている時もあれば悪魔にコントロールされてしまっている時もある存在であるのに対して、バーグマンは常に神々に導かれている存在です。こういった意味が分かってくると、「未熟」が故の心の隙が如何に世の中にとって良くないものであるのか、「成熟」が故の心の武器が如何に世の中にとって良いものであるのかが分かってきます。

「気持ち」という言葉が「気」を「持つ」と書くことが象徴するように、我々はどういう「気持ち」を持つのかによって、どういう「気」に導かれるのかを決めています。そして、神々は我々を「正しさ」に導こうとするのに対して、悪魔は我々を「間違い」へ誘い込もうとします。そして、そのどちらを選ぶのかは結局は我々がどのような「気持ち」を「選択」するかです。心の「未熟」は我々が間違った「気持ち」を「選択」することを促し、心の「成熟」は我々が正しい「気持ち」を「選択」することを促します。

こういう点を理解すれば、我々が「成熟」することのより深い価値が見えてきます。


【最後に】

この映画は我々が教訓を得る上で凄まじく優れた映画作品であるにも関わらず、今はレンタルビデオ屋で埃をかぶっているような状況で、そのような現状を少しでも変えるためにこの解説を作成しています。是非何度もこの作品を鑑賞しながら、何度もこの解説を読んで頂きながら、この作品と共に生きていって頂けると、より多くの学びに満ちた人生になると思っています。

本当に優れた映画は、我々が共に生きていくにふさわしい心の教科書です。特に、この映画は「善」を実践しようとする者にとっては極めて重要な教科書です。そのようなことを少しでも知って頂けると幸いです。