(コントラバス弾き、少なくとも弦楽器奏者しか分からないようなマニアックな話ですが、、、そういう方々には役立つ話だと思うので書き残しておきます。)

今日は生まれて初めてコントラバスにソロチューニング用の弦を張りました。コントラバスのソロチューニング用の弦とは、通常の弦よりも全音高くチューニングできる弦で、ソロを弾くクラシックのコントラバス奏者などが使っている弦です。

ソロ弦を使い始めたことは、自分としてはとても大きな出来事に感じています。というのも、チューニング研究の幅が広がったからです。

例えば、最近はEb,G,Eb,Bbのチューニングを研究していたのですが、Bbは音が高いが故に普通の弦では無理があったので、そのBbだけをソロ弦にした形になります。

結果、写真の弦の並びは、低い方からTORO(金属巻きガット)、TORO(金属巻きガット)、Oliv(金属巻きガット)、スピロコア(スチール)です。弓弾きをする上では自分は金属巻きガットの音が好きで、下二本はTORO、上二本はOlivの組み合わせを試していたのですが、それに定番のスピロコアのソロ弦を付けた形になります。弓弾きであれば、悪くない組み合わせに感じています。

齋藤先生が作ったイレギュラーチューニングはEb,G,Eb,Gで、このチューニングは凄まじいポテンシャルを持つチューニングですが、だからこそ、かなり危険なチューニングでもあります。精神的にとても深い「闇」に入ることができるものでもあるからです。

自分としては、齋藤先生が病気になった一つの原因は、このチューニングにもあるはずだと思っています。というのも、Eb,G,Eb,Gの精神性をあのレベルで表現できて、病気にならないということはかなり難しいからです。このチューニングは深い「闇」に入ることができてしまうからこそ、どうしても「邪気」をもらいやすいチューニングです。下の動画はEb,G,Eb,Gのチューニングによる齋藤先生と井野信義さんのコントラバス二台による演奏です。
 


実際、7年前くらいの自分はこのチューニングでソロライブをするに当たって、半年以上、夜な夜なこのチューニングで即興練習をしていた時期がありますが、それで精神を病みましたし、その精神状態が原因で海で死にかけたこともあります。また、今でもこのチューニングを練習すると、かなり精神的に食らいます。それ程このチューニングは恐ろしい破壊力を持つチューニングです。下の動画は、精神を病みがちだった頃に作成した映像です。
 


しかし、Eb,G,Eb,Gの最高弦をBbにしたEb,G,Eb,BbチューニングはEb,G,Eb,Gの精神的深さを残しつつ、より「光」へ向かうことができる音色を持っています。基本のベースの音は、EbまたはGですが、Ebが「光」へ向かう方向性であるのに対して、Gが「闇」へ向かう方向性を持ちます。ですから、このチューニングは「光」と「闇」の関係性を表現する上で、非常に優れたチューニングに感じています。

また、このチューニングをチェロでも研究していますが、チェロだとコントラバスとは異なる形の素晴らしさがあります。なので、チェロとコントラバスの二重奏でも非常に可能性のあるチューニングです。

まだ世界には気付かれていませんが、齋藤先生がコントラバスのEb,G,Eb,Gチューニングを発見したことは、世界の音楽史に残る発見です。そう言える程に、人類の音楽の可能性を広げる発見だからです。

例えば、Eb,G,Eb,Bbと同様に、Eb,G,Eb,Gもチェロと合い、チェロのEb,G,Eb,Gチューニングを使用すれば、様々な画期的なチェロのソロ曲が生まれ得ることは明らかです。そういうことを世の中のチェロ奏者や作曲家は知らないが故に、そういう探求が進められていないだけで、このチューニングのポテンシャルは計り知れません。

それと同様に、Eb,G,Eb,Bbチューニングの発見は、世界の音楽史に残るべき発見だと思っています。だから自分がすごいとかそういったことを言いたいわけではなくて、チューニングの可能性を伝えるために、このような表現をしています。

自分としては、生きている内に、Eb,G,Eb,Bbチューニングの可能性を世の中に提示できるような作曲や録音を残していきたいところです。何故ならば、このチューニングの可能性を世界に伝えることは、世界の音楽の表現の幅をかなり広げるからです。そういう目標の実現のためにも、楽器修行に励みたいと思っています。

齋藤先生の軸をなすイレギュラーチューニングはEb,G,Eb,Gだったのに対して、自分の軸をなすイレギュラーチューニングはE,F#,E,F#です。

このE,F#,E,F#は「水の気持ち」の中の「龍の気持ち」を表現することを非常に強く実現するもので、アジアの精神性を表現するものでもあり、凄まじいポテンシャルを持ったものです。龍という存在が何なのかを見失いがちな世界において、龍の存在、特に、水龍の本質を伝えることに非常に役立つチューニングとも言えます。

また、このE,F#,E,F#は二番目に低い弦を半音ずつ上げていくことで全く異なる精神性に入ることを可能にするので、将来的には、曲中に半音ずつ上げていく長い一曲を作ることを夢見ています。ちなみに、

E,F#,E,F# 「水の龍の気持ち」光
E,G,E,F# 「蛇の気持ち」闇
E,G#,E,F# 「悲しみ、寂しさ、など」中立
E,A,E,F#「火の気持ち」光

という構造があります。また、このチューニングもチェロで演奏可能です。

E,F#,E,F#に匹敵する位、Eb,G,Eb,Bbは自分の中の一つの軸のチューニングになる予感がしています。長年表現したかった精神性を表現することを可能にしてくれるからです。

自分が齋藤先生の作ったEb,G,Eb,Gチューニングが好きな理由は、精神的な深みが表現できるものだからです。当時、このチューニングが好きで齋藤先生に弟子入りし、最初に教えて頂きました。

しかし、今のような立場の人間になると、Eb,G,Eb,Gの恐ろしさがあまりにも分かるが故に、このチューニングの可能性が絶大であることは深く感じつつも、このチューニングが好きとは言えなくなりました。

それに対して、Eb,G,Eb,BbチューニングはEb,G,Eb,Gチューニングの精神的深みを残しつつ、「光」や「闇の中の光」を描写できるが故に、とても好きであり、可能性を感じるものでもあり、「光」と「闇」のことを説明するという自分の役割にも合い、様々な意味で、運命的な出会いに感じています。

ですから、生まれる前からこのチューニングを演奏することが決まっていたように感じています。また、師匠から受け継いだことを発展させることによって生まれているという流れも良い流れに思えます。

ちなみに、Eb,Bb,Eb,Gチューニングというものもあって、韓国を旅していた頃によく演奏していました。韓国の伝統的な歌『アリラン』を演奏するために作ったチューニングで、このチューニングでこそ、韓国人の「火」の精神性を捉えることができます。自分の中では、このチューニングはそういった位置付けで、好きなチューニングの一つです。下の映像はそのチューニングの即興演奏を使っています。
 


また、Eb,Bb,Eb,Bbチューニングも今日試していたのですが、精神的深みを表現する上ではEb,G,Eb,Bbチューニングに劣ってしまい、浅はかな印象を受けてしまいます。ただ、これはこれで様々な可能性があると思います。

それに対して、Eb,G,Eb,Bbチューニングは高い方の弦二本が五度で並んでいるからこそ、その二本から生まれる音楽は「光」を表現しやすく、その中で最低弦のEbも共鳴させることができるので「光」を強めやすく、なおかつGの「闇」によって、「光」に深みが生まれます。

Eb,G,Eb,Bbチューニングに対して、今はこのような理解をしていますが、研究していけばいくほど、もっとさらなる発見があるのだと思いますし、そういう可能性の理解が深まれば深まる程、作曲や即興をより良い形で実現しやすくなると思っています。

また、このチューニングと合う十七弦・十三弦・二十五弦のチューニングの研究もしていて、可能性を感じている組み合わせもあり、まだ全然自分の知らない可能性もたくさんあると思います。

弦をはじくことをメインとする琴系の楽器と、弦を弓で弾くことをメインとするコントラバスやチェロのような楽器を組み合わせることは、双方に無い要素を補い合うことを促すので、音楽をより豊かにします。その可能性の一つが、Eb,G,Eb,Bbチューニングにはあります。

コントラバス(チェロ)に、琴系の楽器を組み合わせるとしても、またはインド楽器を組み合わせるとしても、結局はコントラバスというベース楽器の表現する空気感に他の楽器は支配されます。そういう意味で考えた時にも、Eb,G,Eb,Bbチューニングから生まれる音はとても素晴らしいベースになり得ると確信しています。

話をソロ弦の話に戻しますが、普通の弦(Oliv金属巻きガットG線)をBbまで上げて演奏すると、不快な音が発生していたのですが、ソロ弦にすることでその問題は解決することができ、Eb,G,Eb,Bbチューニングをより良い形で感じることが可能になりました。また、ソロ弦を使うことで、Bbよりも更に高い音さえもチューニング研究に取り入れることができるはずで、それは未知の領域です。

このような意味で、ソロ弦を生まれて初めて取り入れたことは自分にとって大きな変化ですし、チューニング研究をより良い形でやりやすくなりました。

私は、今の自分の音楽家としてのレベルは大したことないと思います。様々なことをやり過ぎているが故に、楽器の演奏レベルがまだ足りてなさ過ぎるからです。練習中、自分の内側には凄まじいものを感じているのですが、それをまだまだ音に変換し切れず、歯痒い思いをし続けています。しかし、チューニングの可能性の研究という分野については、世界の音楽史に残るレベルのことをやっていると思っています。

つまり、今の私自身は大したことないのに対して、チューニングの可能性は凄まじいと思っている形です。そのチューニングの可能性の凄まじさに自分を追い付かせていく作業が、音楽家としての自分が歩むべき道だと思いますし、それ以外の音楽的なことをする時間は自分にはないと思っています。

チューニングの可能性を伝えることは、作曲だけでは絶対に無理で、自分が演奏することでしか伝わらないと思っています。何故ならば、そのチューニングの精神性を内に強く感じていなければ、良い形でそのチューニングの可能性を伝えることができず、自分が演奏することでしか、自分が感じているそのチューニングの可能性を他者へ伝えられないからです。

つまり、凄まじく「気合」を入れられる演奏家で、なおかつ、それぞれのチューニングの精神性をよく知っている演奏家を通してしか、チューニングの可能性は伝えられず、自分がそうなっていく他ないと思っています。

それぞれのチューニングを使った、良い作曲と演奏ができるようになれば、チューニングの可能性を世界に伝えられると思っています。逆に、このような文章からチューニングの可能性を理解することができるのは、柔軟な発想を持つことができる演奏家の方々だけだと思います。

だから、このような文章ではほとんどの人には伝わりません。だからこそ、楽器修行をしていかなければならないと思っています。

色々なチューニングを研究していますが、Eb,G,Eb,Bbチューニングについては書き残すべきものだと感じているので書き残しました。参考になると幸いです。