我々人間はいつも「気持ち」を教え合っています。だからこそ、仲のいい人達は似てきます。

どうしてこのようなことが起きるかというと、仲のいい人達はいつも同じ「気持ち」に「共感」をしているからです。「共感」するからこそ、その「気持ち」が強くなっていきます。自分が強く長く抱いている「気持ち」は自分自身に定着していくからです。だからこそ、誰と一緒に生きていくのかということは、自分自身をどのように変えていくのかを考える上で、とても大事なことです。「愛」の強い人と共に生きれば「愛」は強くなりやすく、「欲望」の強い人と共に生きれば「欲望」は強くなりやすくなります。

一緒に生きる人はとても重要ですが、我々が具体的に関わらない人達でも、歌手や役者といった芸能人と呼ばれる人達は「気持ち」を我々に教えています。彼らはテレビや映画や音楽などを通して、多くの人間に様々な「気持ち」を発信し、「共感」を生むきっかけを作っているからです。また、この社会において、芸能人は「気持ち」を教えていることに加えて、「気持ち」を流行らせている人達でもあります。

ある「気持ち」が流行るためには、その「気持ち」を多くの人がいいと思う必要があります。その「気持ち」をいいと思わない限り、決して人はその「気持ち」を抱くことを目指そうとはしないからです。

芸能人は何らかの「気持ち」を表現しています。そういった「気持ち」とセットで我々はその芸能人のことを好きになるかどうかを選んでいます。そして、意識的にも無意識的にも、我々は自分が好きな芸能人みたいになることを目指しています。例えば、自分が好きな歌手の歌は皆よく聴きますが、よく聴いていると、その「気持ち」を抱く時間が長くなっていくので、その「気持ち」は自分の中に定着していきます。

このような意味で、芸能人と呼ばれる人達は、我々がいいと思い得る「気持ち」の選択肢を与えている人達です。そして、その芸能人の表現する「気持ち」を多くの人がいいと思えば、その芸能人の人気が上がり、人気が上がることによってメディアへの露出が増え、より多くの人がその「気持ち」を見ることになります。すると、より多くの人がその「気持ち」を好きになるきっかけが増えていきます。このような形で、芸能人の人気とこの社会全体がどういう「気持ち」をいいと思うのかということには密接な関係があります。

例えば、最近再び石田ゆり子が流行っていますが、これはとてもいいことで、石田ゆり子の持っている「愛」を皆がいいと思っていることを意味します。そうすると、石田ゆり子の表現するような「愛」を抱く人間が増えていきます。石田ゆり子の「愛」は本当の「愛」であって、石田ゆり子が流行ることはとてもいいことです。

もっと昔だと、原節子が人気がありました。これは、日本人の多くが原節子の表現する「愛」をいいと思っていたことを意味します。しかし、現代では原節子を知っている人が減っていますから、原節子の表現してきた「愛」はどんどん日本人から失われている方向にあります。お年寄りの中にはまだ原節子のような「愛」を持っている人もいますが、若い人が原節子のような「愛」を持っていることはとても稀です。

このような形で、芸能人と呼ばれる人達は、その時代に流行る「気持ち」を作っていっている人達です。このような観点を持って、この社会と芸能人を見渡していくと、誰がどのような「気持ち」を流行らせているのかが見えていきます。そうすると、如何に芸能人が重要な存在なのかが理解できます。芸能人は我々の心にいつも影響を与えている人達だからです。