(私は反米主義者ではありません。むしろ、尊敬するアメリカ人はたくさんいますし、アメリカ人の親友もいます。)

日本が悪い方向へ向かう大きなきっかけとなったのは、戦後の教育改革です。このことは、全ての日本人が知っておくべきことです。

時折、戦前の教科書を分析することがあります。その内容は、今の教科書とはまるで異なる哲学や思想に満ちています。一言で言うと、「他者のため」に生きることが正しいといった哲学に満ちています。

当時のアメリカからすると、自分の命を犠牲にしてまで敵艦に体当たりしてくるような日本人(特攻隊)は恐ろしい存在でした。だからこそ、アメリカは「恐れ」から、日本人の強さの根源にある精神性を奪うことを目指し、日本の教育を変えました。この点に、日本が方向性を間違える大きな原因があります。

私は特攻隊が正しいこととは思っていません。しかし、「誰かのため」に自分の命を犠牲にできる程の精神性は賞賛に値すると思っています。よほど大きな「愛」が無ければ、それはできないからです(もちろん、テロは間違っています)。

また、当時の日本は、「国のため」に自分の命を捧げることがスタンダードで、「右へならえ」の精神が元々強い日本人は全体としてそういう方向性へ向かっていました。非常に過酷な日々だったと思うのですが、それは良い心の修行になっていたと思います。

では、今の時代はどうかというと、国のために自分の命を犠牲にできる人は非常に稀で、「自分のため」に生きることがスタンダードになりつつあります。日本は依然「右へならえ」の精神が強いので、全体としてそういう方向性へ向かいつつあります。

日本の精神性は、年々誤った方向性へ向かっています。今の時代や過去の時代のことを分析し続けていますが、その悪化のペースは本当に酷いものです。

「自分のため」を考える人々ばかりの世の中は最悪なものです。お互いの「奪い合い」「傷付け合い」「騙し合い」「愚痴の言い合い」に満ちていくからです。そんな世の中では、本当の「幸せ」など遠のくばかりです。

「誰かのため」を考える人々ばかりの世の中は素晴らしいものです。お互いの「与え合い」「支え合い」「信頼し合い」「賞賛の言い合い」に満ちていくからです。そういう世の中でこそ、本当の「幸せ」は近づいてきます。

本当に「愛」の強い夫婦はこういうものです。「愛」の強い男は「世のため」に自己犠牲をいとわず、世の中にとって価値のある仕事を成し遂げていきます。「愛」の強い女は、そういう男の自己犠牲を日々見ることで苦悩をするのですが、その苦悩と闘いながらも男を支えることを実現していきます。こういう男女は非常に良い修行を経験しながら、世の中に価値のあることを成し遂げていきます。

今の「愛」の弱い夫婦はこういうものになりがちです。「愛」の弱い男は「自分のため」ばかりを考えるが故に、世の中にとって無価値または有害な仕事さえやりがちです。「愛」の弱い女は、そういう男の自己中心的な態度を見ることで嫌悪をするのですが、そういう嫌悪に耐えようともしないので、男に愚痴を言うことを繰り返していきます。こういう男女は非常に良くない人生を経験しながら、世の中に無価値または有害なことを成し遂げていきます。

日本は日に日にしょうもない国になっていっています。それは、日本人の精神性が下っているということです。そういう悪い方向性を止めない限り、この国に未来はありません。

日本が「日の本」と書くように、自分は日本が世界に大きな「光」を与えるきっかけになることを促すためにも生きています。現状の日本を踏まえると、本当に途方もない夢を持って生きていますが、こういう人間が社会にはいた方がいいと思っています。

日本が世界の「日の本」となっていくことを実現していく上で大事なことは、戦前の日本人が実現していたような、「誰かのため」に自己犠牲さえもできる精神性を実現していくことです。その精神性を取り戻し、その精神性を「世界のため」に使えるならば、本当に日本は世界の「日の本」になり得ます。
 


『ブレードランナー2049』と言う映画があり、この映画の中では悪い方向へ向かった世界が描かれています。また、そんな中で理想的な男女とも言える主人公達が描かれます。男は自己犠牲をいとわず、女は男を支えることに全力を尽くしています。その世界観と男女の対比が非常に重要な意味を持つ作品です。

この映画で描かれているような退廃的な世界に向かっているということを、我々はあまり気付いていません。というのも、時代はゆっくりと変化するものだから、今だけに集中していると、その変化に気付けないからです。

日本がそういう退廃的な国に向かうことを止めなければなりません。また、これからどれだけ日本が退廃的になっていこうと、正しい精神性を貫かなければなりません。

こういう時代においては、時代の空気に合わせると、自ずと毒をもらってしまいます。だからこそ、時代の空気とは無関係な自分を貫く必要があります。

「他者のため」に自己犠牲をいとわない人間こそ、本当に価値のある仕事を世の中に成し遂げていきます。お手本は宮崎駿です。彼は映画を作る度にボロボロになっていますが、何度もボロボロになりながらも、「善意」によって映画を作り続けています。

宮崎駿のような「愛」や「善意」や「信念」を持つ人間が一人でも二人でも、一万人でも増えていかなければ、この国はもう無理なところまできています。だからこそ、そういう人間になることを目指すための心の修行を徹底的に行なう人間が増えていく必要があります。

戦前の教科書は廃止されましたし、今の我々が読んでも抵抗感のある代物になってしまいました。これからの教科書は宮崎駿作品で、これから時代が変わっても人々の心に響く、あまりにも優れた教科書です。

そういった教科書を通して、何が正しいのかを深く学びながら、その学びを人生で実践していって頂けると幸いです。そう思うからこそ、私としては、宮崎駿作品の持つ様々な意味を伝えていかなければならないと思っています。

また、人間が生きていく上で知っておいた方がいいことを整理するために、このホームページを作成していますが、良い教科書にしていかなければならないと思っています。