今の時代に活躍している役者の中で、天海祐希は特別な意味で重要な役者です。というのも、彼女のような意味で彼女程に活躍している役者は他にいないからです。

ここでは、天海祐希がどのような意味で特別な役者なのかということを、心理学的観点と神学的観点の両方から解説していきたいと思います。
 

【心理学的分析:天海祐希の表現する精神性】

天海祐希は女性ですが、非常に「男性的」な精神性を表現することが多い役者です。そういう点から、彼女は非常に中性的な立場の女優と言うことができます。

彼女は元々、宝塚歌劇団の男役として活躍していた役者で、その頃の映像などを見ると、女性だからこそ実現できる素敵な「男性性」を表現していたことが分かると思います。
 


そもそも、宝塚歌劇団は生来の男性には実現することができない、魅力的な「男性性」を表現し続けてきましたし、この点に宝塚歌劇団の大きな価値があるのですが、天海祐希はそういった宝塚歌劇団の価値を強く実現してきた役者でした。

そして、宝塚歌劇団の退団後も、天海祐希は女性だからこそ実現できる「男性性」とは何なのかを様々な作品で表現し続け、そのことで日本人に良い影響を与え続けてきました。

「気持ち」の中には「男性的」なものもあれば「女性的」なものもあります。例えば、「優しさ」は「女性的」なのに対して、「勇ましさ」は「男性的」です。そういう性質があるからこそ、「勇」という漢字は「男」という漢字を内に持ちます。

天海祐希が様々な作品の中で表現する「気持ち」は「勇ましさ」のあるものが多いです。だからこそ、我々は彼女の表現から「男性性」を感じます。

様々な良い精神性の中で、最も「勇ましさ」を持つ「気持ち」が「闘いの心」です。「闘いの心」とは「愛」が故に誰かを守るための「闘い」を実践しようとする、戦士ような精神性で、一つの「愛」の実践を目指す精神性です。

例えば、以下のCMで天海祐希が表現している精神性は「闘いの心」です。内容はお笑いに近いですが、天海祐希が表現している精神性は戦士を率いる長としての「闘いの心」になります。
 


このCMに象徴されることですが、誰かを引っ張っていく立場の人間はどうしても「男性的」にならざるを得ません。「女性的」な精神性である「優しさ」などを使っても、良い形で誰かを引っ張っていくことは難しいからです。

そして、天海祐希は誰かを引っ張っていく役柄が多く、自ずと「男性的」な精神性を表現することが多いです。というよりも、天海祐希がそういう精神性を表現することを得意とする役者だからこそ、そういう役の仕事が多い現状があります。

現代は男女のバランスが崩れている時代です。男性が「男性性」を失いがちな現状があるからこそ、女性が誰かを引っ張っていかざるを得ない状況は多々あります。つまり、女性が「男性的」な精神性を使わざるを得ない場面は非常に多いです。

そういった意味で、天海祐希が様々な作品の中で表現する「男性的」な精神性は、誰かを引っ張っていかなければならない状況を抱えている女性達にとって、一つの大きなお手本としての意味を持っています。

また、天海祐希がそういった精神性を様々な作品の中で表現し、そういった作品を多くの日本人が見ることで、女性が「男性的」な精神性を使うことに対する抵抗感を減らしている側面もあります。

そういう抵抗感が小さければ小さい程、女性は「男性性」を使うことに対して躊躇が減るので、女性は「男性性」をより使いやすくなります。天海祐希がテレビや映画で「男性性」を表現することには、日本人にこのような良い影響を与えている、ということも、天海祐希の重要性の一つです。

また、この点について加えて説明したいことは、天海祐希の表現する「男性性」が、良い「男性性」であるということです。現代女性の中には悪い「男性性」を抱えてしまう人も少なくないのですが、天海祐希はそういったことを促している役者ではなく、正しい女性の「男性性」を教えてくれます。

ただ、天海祐希がいつも「男性的」な精神性しか表現していないわけではなく、必要な時は「女性的」な精神性を強く表現します。例えば、『崖の上のポニョ』の中で天海祐希が声優を務めたグランマンマーレは極めて女性的な存在として描かれていますが、天海祐希は素晴らしい形で「女性性」を表現しています(グランマンマーレについては下でも説明します)。


【神学的分析:天海祐希の名前の意味と繋がっている神】

我々人間の名前には、その人の持っている意味合いが元々書かれているものですし、成功した芸能人の芸名にも、その人の意味合いが書かれているものですが、天海祐希の場合も彼女の意味合いは名前と芸名に書かれています。

「天海祐希」という名前は芸名で、彼女の本名は「中野祐里」です。この両方とも重要な意味を持っています。

本名の「中野祐里」についてですが、「祐里」の読みは「ユリ」で、百合の花を意味する名前です。では、百合の花はどのような意味合いを持つ花かというと、金星の影響を受けている花です。

以下は石田ゆり子の解説とも重複しますが、花のデザインにはその花の意味合いが元々表現されています。そういう観点で百合の花のことを考えると、百合の花のデザインは、金星が「金の気」を生み出している様子と非常に似ています。

太陽系のそれぞれの星には、膨大な「気」が宿っていて、その星に宿っている「気」の種類に合わせて、古代中国人達は名付けを行いました。例えば、水星には「水の気」、火星には「火の気」といった形で、「気」が宿っています。

(そして、それぞれの星は地球に「気」を送っていて、こういうことを科学のように分析していたのが、本来の占星術の意味です。)

そういう意味で、百合の花の花粉は「金の気」に見えるようにデザインされています。どうして、このようなデザインをしているかというと、百合の花が金星からの「金の気」を強く受け取りながら生きている花だからです。

(これはヒマワリ(向日葵)が太陽のようなデザインをしていて、実際に太陽の方を向くことで、太陽からの「気」を受け取りながら生きていることと似ています。)

つまり、百合の花は金星神の花であって、天海祐希が「ユリ」という名前を持つのは、金星神の使いだからです。そういう意味では、「中野祐里」という本名の意味が持つ意味は「ユリの中」という意味です。

また、「天海祐希」という芸名の中でも使われている「祐」という漢字は「神が助ける」という意味を中心軸に持つ漢字で、天海祐希が神と共に人を助けるということをよく意味するものです。

実際、天海祐希は金星神と共に人を助けることを行なっている役者です。どのように人を助けているかというと、人を助ける上で必要な精神性を日本人に教えることを通して、人々を助けている形になります。優れた役者は「気持ち」を演じるのではなくて、巫女のように目に見えない存在を自分に宿すことで、実際に「気持ち」を抱きます。そういったことを天海祐希は金星神と共に行なう中で、様々な「気持ち」を表現し、金星神と共に人を助けることを行なっています。

次に、「天海祐希」という芸名についてですが、まず読みについて解説すると、「天海祐希」の「祐希」の読みである「ゆうき」は「勇気」と同じです。そして、「勇気」とは何かというと、ほとんど「男気」と同じです。というのも、昔の人間は「勇ましい気」のことを「勇気」と呼んだのですが、先程も説明した通り「勇ましさ」とは「男らしさ」だからです。

このような意味で、天海祐希が「男気」を表現することを役割とする役者であることを、「祐希」という名前は見事に表現しています。今までの説明を理解して頂けると、天海祐希の表現する、そういった「男気」が「希」であることも分かって頂けると思います。天海祐希が表現する「男気」は様々な良い影響を社会に与えるので、それは「希望」です。

「天海」についてですが、金星神という女神はよく海と重ねられて描かれます。そういう意味で、「天海」という表現は金星神という神と結びつけて考えられます。例えば、古代西洋世界では金星神のことをヴィーナスやアプロディーテーと呼びますが、有名な『ヴィーナスの誕生』という絵画では、ヴィーナス(金星神)が海の上で描かれます。

また、「天海」という読みは「奄美」と同じですが、「奄美」という言葉は漢字通りに理解すると「美が覆う」という意味を持つ言葉です。そして、古代西洋世界からヴィーナス(金星神)は「美」の女神として信仰されてきました。そういった意味でも、「あまみ」という読みは金星神を象徴する名前と言えます。

このように、天海祐希が金星神の使いとしての役者であること、特に、金星神の「男気」を地上で表現する役割を持った役者であることは、「天海祐希」という芸名と「中野祐里」という本名の意味を踏まえると、非常に自然に理解できます。

また、名前だけではなく、彼女の容姿もそういった役割を彼女が元々持っていることをよく示しています。天海祐希は男性のように身長が高いですし、ハンサムな顔立ちをしているからです。宝塚時代の写真は、まるで現代の人気男性俳優のようです。その人間のデザインは、その人間が自身の役割を実現していく上で好ましいものであることが多いですが、天海祐希の容姿を踏まえても、天海祐希の役割は理解できます。

こういったことを踏まえた上で天海祐希の演技を見るならば、我々は天海祐希を通して、金星神の「男気」の分析ができます。というか実際は、天海祐希は演技を通して金星神のことを説明するために生まれてきた人間です。

特に、天海祐希が『崖の上のポニョ』で演じたグランマンマーレという女神は、まさに金星神そのものでした。グランマンマーレのイメージはヴィーナスやアプロディーテーのイメージと強く重なるもので、見事に金星神の中心軸を表現している存在です。

宮崎駿は世界の中でもトップレベルで神懸かっている監督なので、目に見えない世界の本質をアニメーションの世界の中で描きます。そんな宮崎駿が天海祐希をグランマンマーレ役に起用し、作品を生み出したということは、天海祐希がグランマンマーレのような神と繋がっていることを意味します。

金星神の中心軸は「金の気持ち」で、「金の気持ち」とは「愛」そのものであって、それは非常に「女性的」な精神性です。そういった、金星神の中心軸を、天海祐希はグランマンマーレを演じる中で見事に表現しました。どうして、このようなことができたかというと、天海祐希がグランマンマーレを演じる際に、金星神を自身に宿すことができたからです。

この出来事だけでも、天海祐希は神話のようなことを成し遂げた役者と言えます。神々の本質を見失っている時代において、ある神の本質を演技を通して見事に伝えたからです。こういったことを踏まえて、グランマンマーレという存在を見て頂けたら、我々は的確に金星神の中心軸を理解できます。その時に初めて、天海祐希のグランマンマーレに関する偉業は大きな価値を持ちます。


 

【最後に】

天海祐希は膨大な作品に出演していて、非常に重要な演技を実践してきた役者です。そういった演技がこれから良い形で活かされていくことを促すためにも、将来的には、天海祐希が出演している重要な作品について、心理学的分析と神学的分析の両方から解説を作っていきたいと思っています。