断捨離はどうかしないで頂ければ、と思います。どうして断捨離をすべきではないかというと、神々が我々にメッセージを届けるために持たせた物は数多くあるからです。断捨離をしてしまうと、そういった神々からのメッセージを失ってしまいます。

特に、神々は我々が幼い頃に我々が手に入れるものに、何らかのメッセージを残すことがあります。例えば、最初に買うCDなどは神々は全力で関与するようにしています。そして、時が来た時にどうして自分がそのCDを買ったのかを分かるようなシステムを作ってくれています。自分の人生の役割に気付いた時に、最初に買ったそのCDの歌詞に自分の人生の役割が書かれてあるようなことは非常に多くあります。

また、我々が人生の間に持つ様々な物は我々の人生の歴史そのものです。そして、そのそれぞれのシーンで自分がどれだけ「光」に寄り、どれだけ「闇」に寄っていたのかを測る貴重な資料でもあります。「光」が強い時は神々が我々に持たせたいものを我々は手に入れ、「闇」が強い時は悪魔が我々に持たせたいものを我々は手に入れるという傾向は必ずあります。断捨離をしてしまうことは、そういった資料を失ってしまうことさえも意味します。
 

断捨離は以下の発想に基づきます。

断:入ってくるいらない物を断つ
捨:家にずっとあるいらない物を捨てる
離:物への執着から離れる

この思想は我々が自分自身で、どの物が必要であって、どの物が不必要かということを分かっているということを前提としていますが、この前提自体が間違っています。そういう意味で、「断」も「捨」も誤っています。

「離」についてですが、「執着」は「闇の気持ち」であって、悪いものです。しかし、物を持つことと物に「執着」することは異なります。物を大量に持っていても、それに「執着」していない人は大勢います。

物に対する「執着」を捨てることは、必ずしも物を捨てることによって成り立つものではありません。物に対する「執着」とは「所有欲」や「物欲」と言い換えられますが、「所有欲」や「物欲」を持つ人はそういった「気持ち」を持たないように日々努力することで、物に対する「執着」を捨てることができます。それは心の闘いです。

また、物に対する「愛情(思い入れ)」は「執着」とは異なります。そういった「愛情(思い入れ)」を「執着」と誤解してしまい、その物を捨ててしまう人は多くいます。物に対する気持ちが「執着」なのか「思い入れ」なのかを見定めるような癖を付けて頂けると幸いです。

ただ、本当に「所有欲」が強く、「闇の気」が宿った物を大量に溜めこむ人は、その物から「闇の気」をもらっていることが多いので、そういった人は捨てた方がいいです。しかし、多くの人はそういったケースに当てはまらないので、自分が持っている物=今までの自分の歴史は極力捨てない方がいいです。

物を捨てること=いいことと考える「断捨離」は極端な発想です。「断捨離」という言葉を作ったやましたひでこは以下のことを書いています。

「日本では伝統的に「もったいない」という観念・考え方があるが(これはこれでひとつの考え方・価値観ではあるが)、この考え方が行き過ぎると物を捨てることができなくなり、やがてすでに使わなくなったモノ・将来も使うはずがないモノなどが家・部屋の中に次第に増えてゆき、やがては自分が快適に居るための空間までが圧迫され、狭くなり、また人は膨大なモノを扱うのに日々 膨大な時間や気力を奪われるようになってしまい、知らず知らずのうちに大きな重荷となっていて心身の健康を害するほどになってしまう。」

これは間違ってはおらず、「もったいない」という気持ちは損得の発想であり、「欲望」です。そして、「欲望」は断ち切るべき気持ちです。そして、「欲望」で物を溜め込むことは良くないことです。しかし、「思い入れ」で多くの物を抱えてしまうことはありますし、我々が絶対に捨ててはならない物は必ずあります。

絶対に捨ててはならないものは多くありますが、例を挙げると以下のようなものです。

若い頃に好きだったもの
若い頃に作ったもの
若い頃に書いた文章
全ての写真
人からもらったもの・手紙
メールのやり取りが残っている携帯

とにかく、断捨離を極力しないようにして頂ければ、と思います。
 

悪魔はいつも我々に「闇の気」を通して人の心に関与していますが、「闇の気」を多く抱えると人は「ストレス」を抱えた状態になります。そして、そういった人に対して「断捨離をすれば、ストレス解消できるのでは?」という「アイデア」を悪魔は人間によく与えます。ですから「闇の気」を多く抱えると、断捨離をし始めるという傾向はいつもあります。それはTwitterやFacebookなどで人を見ていても、よくある傾向です。また、悪魔は人間が断捨離を行なった時に「すっきり感」=「快楽」を与えます。そのことによって、断捨離を広げています。このように、いつも悪魔は「快楽」を使って、その悪魔が人間に流行らせたいものを流行らせます。


まとめると、、

神々は物に大事なメッセージを残していることがあるので、そういった物を捨てることは神々からのメッセージを捨てることに繋がります。どれだけ何でもないものに見えていても、それにものすごく重要なメッセージがあることは多くあります。

そして、我々が持っている物とは我々の人生の歴史そのものです。それは我々が「光」と「闇」のことを理解した上で、自分の人生を振り返るのであれば、とても貴重な資料となります。それを捨てることは教科書を捨てるようなものです。

「所有欲」や「物欲」といった「欲望」で物を大量に溜め込んだ方はその物に「闇の気」が大量に宿っていることが多いので、そういう場合は捨てた方がいいと思います。


また、どうしても物を捨てなければならない時は、それを写真に撮ってから捨てるのが好ましいです。そうしておくと、その写真データから神々のメッセージを受け取ることができるからです。そういったことも覚えておいて頂けると将来的に写真に撮っておいてよかったということは絶対にあると思います。

また、少し断捨離とは違う話になりますが、こういう時代は自分の過去に関するデータ管理が非常に大事です。ハードディスクなどは大切に保管し、二重にデータ保存をする癖、バックアップをする癖を付けて頂ければ、と思います。悪魔は大切なデータをいつも消そうとしますし、データ損失は人間にかなりの精神的ダメージを与えることができる一つの手段なので、悪魔はいつもデータ破損を狙っています。


『私の人生の流れ』や『中島美嘉について』などを読んで頂けると分かって頂けると思いますが、神々は我々一人一人に大事なことを伝えるために、重要なメッセージを我々の過去に残しています。これは私や中島美嘉に限定した話ではなく、皆において言えます。神々としては、人間が「気」のことを思い出すことを信じてきたからこそ、「気」のことが分かれば解くことができるパズルを我々一人一人の人生の中に散りばめています。

断捨離はそういったパズルのピースを捨てる行為であって、そういったピースを失い続けると、パズルの完成図が見えなくなっていきます。パズルのピースを作るために行なってきた神々の長年の努力を断捨離は一瞬で水の泡にしてしまうことさえも意味します。

悪魔はそれぞれの人間にパズルの完成図を分からなくさせるために断捨離をさせているという背景があります。逆に考えると、過去に断捨離をしてしまった方は神々が何かを伝えたいと思っているということでもあります。

どうか、断捨離には注意して頂ければ、と思います。参考にして頂けると幸いです。