「わがまま」とは「我が儘」「我が侭」と書きます。「我」は「自分」のこと、「儘・侭(まま)」とは「思い通りである」ということですから、「わがまま」とは「自分の思い通りにしたがる態度」=「自分勝手」ということを意味します。

「闇」の立場の人間は「自分のため」に生きている人間のことです。そういった「闇」の立場の人間は、相手よりも自分の方を大事と考えるので、そういった人にとって、相手は「自分のため」の道具です。だから当然、他人に対する接し方は「自分勝手」になっていきます。「わがまま」とはそういう状態になります。

しかし、「闇」の立場の人間の中にも「わがまま」な人と、「わがまま」でない人はいます。では、「闇」の立場の人間であって、「わがまま」でない人とはどのような人かというと、「自分のため」に自分が嫌われることを恐れている人のことです。「わがまま」な人は基本的に周りから嫌われていきます。しかし、周りから嫌われることは多くの人にとって、好ましいことではありません。ですから、「自分のため」に周りの人から嫌われることを恐れ、「わがまま」にならないという選択をします。それが、「闇」の立場であって、「わがまま」ではない人です。

ですから、「わがまま」でないからといって、御自身が「闇」の立場の人間ではないとは考えないようにして下さい。人と接し、自分が相手に気を遣う時などに、「この気遣いは自分のためだろうか?それとも本当に相手のためだろうか?」と自分自信にいつも問う必要があります。それでもしその気遣いを「自分のため」に行なったのであれば、自分は「闇」を選んだのであって、「相手のため」に行なったのであれば、それは「光」を選んだということになります。その時に自分を過大評価も過小評価もしてはいけません。

そういった形で、いつも自分自身を問うて頂ければ、と思います。そのことによって、その時の自分が「光」なのか「闇」なのかが分かります。一人の人間はいつも「光」であり続ける、いつも「闇」であり続けるといったものではなく、基本的に我々は「光」と「闇」の間を振れています。その間を振れながら、できるだけ「光」の時間を長くし、その「光」を強くしていくために生きています。つまり、「愛」を強くしていくために生きています。

自分よりも相手の方を大事と考えるのが「光」の立場です。もし、魂が「光」の状態であるならば、自然と「相手のため」に動くようになっていきます。これが「愛」であって、「光」の立場です。そういった方向へ向かっていって頂けると幸いです。

この「わがまま」の話に関連して、「ずる賢さ」の話は読んで頂ければ、と思います。「闇」の立場であって、「わがまま」ではない人の多くは「ずる賢さ」を持った人です。だからこそ、「ずる賢さ」について正しく理解する必要があります。なぜならば、真に「光」の方向へ向かうためには、何が「闇」であるのかを知っておくことが大事であるからです。

・ずる賢さについて
http://junashikari.com/word/「ずる賢さ」について/