ここでは『魔女の宅急便』を心理学的、気学的・神学的に解説していきます。『魔女の宅急便』の持つ様々なメッセージの中で、最重要な点だけを説明していると御理解頂けると幸いです。

多くの方が『魔女の宅急便』を御覧になったことはあると思うのですが、この作品を通して、大事な教訓を言葉のレベルで理解している方は決して多くはないと思います。しかし、言葉のレベルで理解してこそ、我々は自分自身の人生にその教訓を取り入れることができるので、このページを通して大事な意味を御理解頂けると幸いです。
 

【心理学的分析】

・キキの経験した試練の意味

この作品はキキの魔女としての修行を描いた作品だからこそ、その修行の意味を理解することが最も大事です。中でも、一度飛べなくなったキキが再び飛べるようになった心理的原因を知ることが大事です。

映画前半のキキは「元気」を中心軸に持つ女の子として描かれていますが、映画中盤頃から「嫌悪」「不安」「恐怖」「焦り」といったものに囚われ飛べなくなります。そして、映画終盤はトンボを守ろうとする強い「闘いの心」によって、再び飛べるようになります。この流れが重要な意味を持っています。

キキの場合、精神状態が飛べるか飛べないかという非常に分かりやすい行動の差が生まれていますが、このようなことは我々の日常そのものです。例えば、精神状態が安定している時に仕事をしていると仕事は良い形で進みやすいのに対して、精神状態が乱れると仕事は悪い形で進みやすくなります。また、スポーツ選手やアーティストの場合は、自分の精神状態が自分のパフォーマンスに直に影響を与えることをより知っている方も多いと思います。

実際、作品の中で登場する画家の女の子は、キキが飛べなくなることと自分が絵を良い形で描けなくなることを重ねて話していますが、このシーンが、キキの飛べる・飛べないという違いは、我々の日常であることを表現しています。

心理学的に我々が理解すべきことは、「自分のため」を思う悪い気持ちにとらわれることが如何に危険であって、「誰かのため」に良い気持ちを抱くことが如何にその人間の能力を引き出すのかということです。

飛べなくなったキキの「魔法がなくなったら何の取り柄もなくなっちゃう」というセリフが象徴するように、キキは自分が飛べなくなったことで、自分を守ることに必死になります。だからこそ、どんどん「自分のため」を思うようになり、余計に精神的に乱れていきます。

それに対して、飛べるようになる時のキキは、「自分のため」を思う隙もない程に、トンボを守ることに必死になり、「誰かのため」を強く思っています。だからこそ、飛べるようになります。

この「自分のため」と「誰かのため」の対立軸の観点でキキの試練を理解することがとても大事です。そして、これは我々の日常です。

キキのように、仕事に不調が出てくると、我々は自分を守ることに囚われ、余計にダメな方向へ進んでいきます。これが所謂「スランプ」と言われる状況です。それに対して、本気で「誰かのため」を願うなら、我々は自分自身が知らない自分を見つける程に、自分の能力を開花させます。

「自分のため」に自分の能力を開花させようと「他者のため」を思おうとしても、それは結局「自分のため」ですから、能力は開花されません。それに対して、最後のキキのように、ただただ純粋に「誰かのため」を思うことで我々は自分の能力を開花させることができます。

この構造がよく分かると、我々の多くが「他者のため」に生きることが如何に素晴らしい未来を生み出していくのかが分かります。本気で「他者のため」を思う人々は、自分自身の能力をどんどん開花させていきますから、多くのことができるようになっていきます。そういう人々が増えていけば、日本も世界もより素晴らしい場所になっていきます。
 

・旅の重要性

この物語を通して、その人がその人自身の能力を開花させていく上で大事な要素が旅です。

旅人として生きることは、今まで関わってきた家族や友人に頼ることはできず、自分自身で乗り越えていかなければならない状況を生きることを意味します。だからこそ、その人の「自立」が促され、精神的成長が促されます。

また、そんな状況を生きるからこそ、偶然出会った人々が自分を助けてくれることに対して、大きな「感謝」を抱くこともできますし、自分に親切にしてくれた人々の「愛」の価値も強く感じられます。

逆に言うと、実家で親に依存している生活の中で、親が自分に親切にしてくれたとしても、旅人として感じるような「感謝」や、「愛」の価値は感じられません。

また、旅人として感じる、そういった「感謝」が、自分に親切にしてくれた人々への「愛」にも変わっていきます。そういった「愛」を動機に、旅人は「愛」を実践しようとしていきます。その動機が旅人の精神的成長を促します。

キキがトンボと出会い、トンボが楽しい時間をキキに与えたことで、キキのトンボに対する「愛情」は生まれ、そんな中でトンボの命が危険にさらされるからこそ、キキは強く「愛」を実践しようとできます。その中で、キキは自分自身の能力を開花させます。

こういった構造が、旅人としての良い精神的経験とは何なのかを我々に教えてくれますし、旅の良さを我々に教えてくれます。

こういったことが分かってくると、旅が如何に大事なのかが分かってきます。また、正しい旅のあり方も分かってきますし、旅人を良い形で迎え入れることが如何に大事なのかも分かってきます。

日本人の中で、旅に出たいと思う若者は少なくありませんが、実際に旅に出る若者は少ないです。また、旅に行かせることを望まない親も少なくありません。

また、旅に出ている若者であっても、良い形で旅をしている人が多いわけではなく、多くの旅人は間違った旅の仕方をしています。例えば、たくさんの国に行くことが大事だと思って、急ぎ急ぎ旅をしていても、精神的成長はそれ程促されません。

私自身長く旅をしていましたが、良い旅は本当にその人間の能力を開花させる力を持ったものです。そして、キキの経験している修行は、我々に良い形での旅のあり方を教えてくれます。
 

【気学的・神学的分析】

・キキの精神的修行の深い意味

先程、キキの精神的変化の意味を心理学的に説明しましたが、このことを気学的・神学的に理解することで、より大事なことを深く学ぶことができます。

キキは魔女です。魔女とは何らかの目に見えない存在と働く人間のことを意味するので、キキが飛べるということは目に見えない存在と働くということ、キキが飛べなくなるということは目に見えない存在と働けなくなるということを意味します。この意味を分かる上で大事なのが「気持ち」という言葉の意味を理解することです。

[気学的分析]

「気持ち」は「気」を「持つ」と書きますが、この言葉は、我々がどういう「気持ち」を抱くのかによって、どういう「気」を「持つ」のかが決まるということを意味する言葉です。そして、「気持ち」は大きく分けて2種で「光の気持ち」と「闇の気持ち」です。

キキが飛べる時、彼女は「光の気持ち」を抱くことによって、「光の気」を「持つ」ことを行なっています。だからこそ、その「光の気」が彼女を飛ばせます。それに対して、キキが飛べない時、彼女は「闇の気持ち」を抱くことによって、「光の気」を「持つ」ことができません。だからこそ、「光の気」は彼女を飛ばせません。

こういった構造を、『魔女の宅急便』は見事に捉えています。つまり、『魔女の宅急便』は「気」の本質を見事に捉えている作品です。だからこそ、「気」の観点で『魔女の宅急便』を理解できれば、「気」の本質が分かります。

映画冒頭のキキが基本的に飛ぶ時に使っていた「気持ち」は「元気」ですが、「元気」は「光の気持ち」です。それに対して、キキが飛べなくなった時に堕ちていた「気持ち」は「絶望」や「嫌悪」や「焦り」などですが、これらは「闇の気持ち」です。そして、最後キキが抱いた、トンボを守ろうとする「闘いの心」は「光の気持ち」です。

「元気」と「闘いの心」を「火の気持ち」と言います。燃え盛る「火」は対象を暖める力を持っていますが、そういう方向性は「元気」の方向性です。それに対して、燃え盛る「火」は対象を焼き尽くす力を持っていますが、そういう方向性が「闘いの心」です。つまり、キキが抱える「光の気持ち」とは「火の気持ち」であって、彼女は「火」の魔女です。

我々はキキが抱いている様々な「気持ち」を感覚的に感じられることによって、「光の気持ち」と「闇の気持ち」の違いを知ることができますし、「火の気持ち」というものがどのような「気持ち」なのかを学ぶことができます。

宮崎駿作品の中の主人公達は、「光の気持ち」を強く抱く人物達として描かれていますが、作品によっては「水の気持ち」を抱いている主人公(例:千尋)だったり、「風の気持ち」を抱いている主人公(例:ハウル)だったりします。ですから、宮崎駿作品を通して「光の気持ち」の違いを学ぶことができるのですが、『魔女の宅急便』は「火」を強く描いていると理解することが大事です。

宮崎駿作品の主要人物達がどのような「光の気持ち」を抱いているのかは、以下のページに詳しく書いています。

http://junashikari.com/hayaomiyazaki/hayaomiyazaki/


[神学的分析]

キキが飛べることと飛べないことをより深く理解する上で大事なのが、目に見えない存在は「気」を司っているという構造です。基本的に、神々は「光の気」を司り、悪魔は「闇の気」を司っています。ですから、「光の気持ち」を抱くなら、神々の「光の気」を「持つ」ことによって神々と働き、「闇の気持ち」を抱くなら、悪魔の「闇の気」を「持つ」ことによって悪魔と働きます。

キキは神の使いですから、彼女が「光の気」を「持つ」時は、神々の力によって飛ぶことができ、彼女が「闇の気」を「持つ」時は、悪魔が彼女の邪魔をすることによって、彼女は飛べなくなります。キキが飛べるか飛べないか、ということの背景にはこのような構造があります。

キキが神々の力によって飛ぶことができていること、悪魔が飛べないように邪魔していることは、作品の中で登場する絵でも素晴らしい形で描かれています。白のペガサスは神々を象徴し、黒の獣は悪魔を象徴しています。

こういったことは我々の日常そのものです。つまり、我々は「光の気持ち」と「闇の気持ち」のどちらを抱くのかを決めることによって、神々と働くか悪魔と働くのかを決めています。

例えば、本当の「愛(光の気持ち)」を抱きながら生きている人は、自分でも驚く程に何かができてしまうことをよく経験します。分かりやすいのは歌手で、強い「愛」を抱きながら歌う歌手は、自分が歌っていたとは思えない程に素晴らしく歌えてしまうことを経験したりします。「光の気持ち」を抱くことによって、神々の力を借りるからこそ、このようなことを経験します。

それに対して、ちょっとした「欲(闇の気持ち)」に同調してしまったが故に人生が台無しになってしまう人もいます。分かりやすいのは不倫で、一回の不倫によって、自分の築き上げてきた多くのものが崩壊していくことを経験する人などです。「闇の気持ち」を抱くことによって、悪魔と働いてしまうからこそ、このようなことを経験します。

こういう構造が分かると、神々と共に働く上では「闇の気持ち」に囚われてはならない、ということがよく分かるようになります。また、どのような「気持ち」を抱くのか、ということが我々が生きていく上で最も重要な選択であることも分かるようになります。

現代を生きる人間が苦しい点は、こういう構造を知らない点にあります。キキにせよ、絵描きの女の子にせよ、こういう構造を知らないからこそ、自分が能力を失った時にどうすればいいのかが分からなくなり、道に迷います。その姿は、まさに今を生きる現代人の姿そのものです。

魔女として描かれるキキが皆様と全然違う存在であるとは思わないで頂けると幸いです。そうではなくて、キキは我々人間という存在がどのような存在なのかをとても分かりやすく表現している存在であって、だからこそ、我々はキキを通して人間の本質を理解できます。
 

・神々がキキの修行を支えている構造について

絵描きの女の子やおソノさんやトンボといった、キキに良い影響を与える人々はとても良い人々として描かれています。つまり、彼らは「光の気持ち」を抱いている人々として描かれています。このことが、キキの修行を神々がどのように支えているのかを理解する上で非常に重要な意味を持っていますし、この構造が分かると、我々は良い旅とは何なのかをより深く理解できます。

「光の気持ち」を抱いている人々は、本人が意識しなくとも神々と働きます。だからこそ、おソノさんやトンボといった人々とキキを繋げることに神々は関与できます。そして、神々はそういう人々を通して、キキを支えようとします。

例えば、おソノさんが泊まる場所をキキに提供してくれたことなどは最も分かりやすい例だと思います。旅人にとって、泊まる場所を確保することは死活問題で、だからこそ、おソノさんのような形で泊まる場所を提供してくれる人はとてつもなく有難い存在です。神々はおソノさんの家にキキを住ませることを元々狙ってキキとおソノさんが出会うことを導いています。

他にも例えば、キキが飛べなくなり絵描きの子の家に泊まった時、絵描きの子はスランプからどのように抜け出すのかをキキに教える場面がありますが、そのアドバイスは非常に的確です。キキは自分が飛べなくなってしまったことで「焦り」や「不安」を抱きがちなのに対して、絵描きの子のアドバイスは「元気」を取り戻す上で必要なアドバイスをしているからです。このような形で、「光の気持ち」を抱く良い人々は本人が意識しなくとも、相手に適切なアドバイスをすることを神々から支えられることが多いです。

旅をしている時、私もキキのように様々な良い人々に支えられ続けてきましたし、今はその当時のことを分析できる立場の人間になったからこそ、キキの周りの人々がキキを支える構造の深い意味がよく分かります。

こういったことが分かれば分かる程、旅をしている時に現地で良い人々と関わることが如何に大事で、旅人を迎い入れる時に良い「気持ち」を抱くことが如何に大事なのかも分かってきます。

旅をしている時だけではなく、神々は良い人々を通して我々を支えています。こういった構造が分かると、自分がどのように神々に支えられているのかも分かるようになるので、良い形で神々に感謝することができるようになります。

神々が人間にどのように関与しているのかが見失われている現代において、こういう構造を理解することはとても大事です。何故ならば、こういう構造を理解することが、人間が神々と共に生きていくことを促していくからです。

その答えはとても簡単で、「愛」を抱いて生きていれば、自ずと神々と共に生きていくことになる、ということです。こういったことがわかってくると、「愛」の持つ価値もより深く分かるようになります。

 

【最後に】

このページでは、キキの抱いている「気持ち」に関する説明と、旅に関する重要な点だけを説明しました。この二つの要素が『魔女の宅急便』において、最重要な要素だからこそ、このページで説明した形です。ただ、『魔女の宅急便』は他にも様々な重要な要素があり、それは別のページで解説させて下さい。

このページを通して、「光の気持ち(愛)」を抱いて生きていくことが如何に大事なのか、正しい旅というものが如何に大事なのかを分かって頂けると幸いです。そういうことを踏まえて、『魔女の宅急便』を理解して初めて、我々は多くの恩恵を『魔女の宅急便』から受け取ることができますし、より良い形で人生を生きることができるようになるからです。