人間に「深み」があればある程、「幸せ」もまた「深み」を持ちやすいです。つまり、人間の「深み」は感じられる「幸せ」を大きくすることに繋がります。というのも、人間の「深み」は物事の意味をより「深く」感じさせることを促す故に、「喜ばしい」出来事や存在を通して感じられる「喜び(幸せ)」も「深み」を増すからです。

それに対して、現代を生きているだけで我々は「浅さ(軽さ)」に染まりやすく、それが我々の感じられる「幸せ」を小さくしています。だからこそ、「幸せ」を目指す人間は現代に蔓延している「浅さ(軽さ)」に染まらないように注意すべきです。

我々の「心」を形成している大きな要素は「言葉」と「精神」です。ですから、人間の「深み」の部分に「言葉」と「精神」は大きく関わっています。
 

【言葉】

我々の物事の感じ方に大きく影響を与えているものが「言葉」です。それは自分の心の中で使う「言葉」にせよ、書いたり話している際に使う「言葉」にせよ、どのような「言葉」を使うかによって、我々の「心」の感じ方は大きく異なります。何故ならば、それぞれの「言葉」は元々その「深さ」と「浅さ」を持っているからです。

例えば、「素晴らしい」という言葉も「ヤバイ」という言葉も、ある対象を「肯定」する際に使われる言葉ですが、「素晴らしい」の方が「深み」へ向かいやすいのに対して、「ヤバイ」の方が「浅さ」へ向かいやすいです。こういった単語レベルに関わらず、文章レベルでも同様で、「彼は思いやりがあって素晴らしい」と思うのか「アイツの優しさはヤバイ」と思うのかによって、「彼」に対する感じ方は変わってきます。

だからこそ、「深み」の道に入ることができるような言葉の使い方をすることがとても大事で、それが物事の感じ方を「深く」することを促していきます。逆に言うと、現代に「浅さ」が蔓延しやすいのは使われる言葉が「浅さ」を持ちがちだからでもあります。
 

【精神】

「深み」を獲得する上で「言葉」よりも大事なものが「精神」です。というのも、「精神」が「邪」に堕ちてしまった瞬間に「深さ」への「道」は閉じてしまうからです。逆に言うと、現代社会に「浅さ」が蔓延している背景には、「精神」が「邪」に堕ちてしまう人が少なくないことがあります。

「精神」を「正」に保つことで、正しい「学び」は得ることができます。そして、そういった「学び」の積み重ねの中で、人は「深み」を増していくことができます。逆に、「精神」が「邪」に堕ちてしまえば、正しい「学び」を得ることはできません。

例えば、先程例に挙げた「彼」に対して、「精神」を「正」に保つ人は如何に「彼」が「尊い」のかを考えやすく、そういったことを考えることが「学び」をもたらします。それに対して、「彼」に対して、「精神」を「邪」に保つ人は如何に「彼」を「利用」するのかを考えやすく、そういったことを考えることが「精神」の「汚れ」を悪化させます。

「精神」を「正」に保つことは、「精神」を「愛」に保つということであり、「精神」を「邪」に保つことは、「精神」を「欲」に保つということです。上の例で考えると、「愛」を保つからこそ、素晴らしい存在の「尊さ」を考えることは始まりますし、「欲」を保つからこそ、使える存在を「利用」することを考え始めます。

このような形で、「精神」を「正(愛)」に保つのか「邪(欲)」に保つのかによって、我々は物事の感じ方を決めており、その感じ方が人間性の形成にも大きな影響を与えています。そして、それが人間の「深み」も決めており、感じられる「幸せ」の大きさを決めています。
 

【最後に】

心を「正(愛)」に保つなら、良い「気付き」を得ることに繋がり、そういった「気付き」が適切な人間の「深み」をもたらします。「気付き」は「言葉」と「精神」の両方によって成立するものであって、非常に我々の人格に大きな影響を与えるものだからです。

良い「気付き」の積み重ねによって生まれてくる「深み」が、可愛い子供達を見ることから感じられる「喜び(幸せ)」も、美しい自然を見ることから感じられる「喜び(幸せ)」も、より「深い」ものにします。

つまり、「幸せ」とは「幸せ」を感じられるような「心」を実現することです。そして、そういう「深み」のある「心」を実現する上で大事なことが、心の「正(愛)」を保つことです。