自分の過ちや自分の問題を「認める」ことと「認めない」ことにも「愛」と「欲望」に関する対立の意味があるので、そのことを説明させて下さい。

自分が良い人間になることは「相手のため」に自分にできることを増やします。例えば、本当に心が「強さ」を持っていれば、自分が愛する「相手のため」にどんな辛いことでもできるようになります。逆に、「弱さ」があると「相手のため」にできないことが出てきます。だからこそ、「愛」に生きる人は「弱さ」を乗り越え「強さ」を育もうとするべきです。

このような意味で、「相手のため」に自分が成長することを目指す態度が「愛」に基づく「向上心」です。そして、こういった「向上心」が自分の過ちや自分の問題を「認める」ということに繋がっていきます。多くの人にとって、自分の良くない点を「認める」ということは楽なものではありませんが、「愛」を抱くと「相手のため」にそういった努力をしたいと思えるからです。このような形で「愛」が「認める」という態度に繋がっていきます。

「自分のため」に生きていると、自分の良くない点を「認める」ことさえも「自分のため」です。だからこそ、自分の足りない点を「認める」ことが「自分のため」にならなければ「認めない」ということを行います。例えば、「怠惰」な人がいたとして、その人が他人からその「怠惰」のことを指摘されても、その指摘を「認めない」ということを通して、一番自分にとって楽な道を選ぼうとします。このような形で、「怠惰」に取り憑かれると、楽をすることを優先するが故に、「認めない」態度に繋がります。

「怠惰」も1つの「欲望」であって、全ての「欲望」に基づく気持ちはこのような形で「認めない」態度に繋がりやすいです。例えば、「逃げ」に取り憑かれていると、自分にとって都合の悪い事実から「逃げ」たくなるので「認めない」です。また、「疑い」に取り憑かれていると、自分の足りない点を指摘した人に対して「疑い」を抱くことで「認めない」ことを行います。自分が「認める」ことが嫌だからこそ、相手を「疑う」ことを通して、相手の指摘が間違っていると思おうとするからです。このような形で、様々な「欲望」は「認めない」という態度に繋がっていきます。

人はより良い人間になっていく生き方をした方がいいです。そうすることで、周りの人も自分自身も「幸せ」になっていくことがしやすくなるからです。逆に言うと、心に「弱さ」といった未熟な点があると、そういう弱点が「ストレス」への原因となり、自分も「不幸」になりやすくなりますし、その「ストレス」を他人に向けてしまうことなどを通して、他人も「不幸」にしやすくなります。

そして、自分の問題を知るタイミングとは、より良い人間になっていく上での大きなチャンスであって、「認める」ことができる人のみがそのチャンスを活かすことができ、「認めない」ことを選んでしまうチャンスを活かせません。つまり、「認める」立場を選ぶ人こそ成長でき、「認めない」立場を選ぶ人は成長しません。そういう「認める」「認めない」の選択によって、その人自身の人生も、その人の周りにいる人の人生も大きく変わっていくことを知って頂けると幸いです。

そして、繰り返しになりますが、より良い人間になっていく上で自分の問題を「認める」ことをする背景には「愛」があることを意識化して頂けると幸いです。「他者のため」を思う「愛」が、「もっと周りの役に立てる人間になりたい」という動機に繋がり、その動機が強ければ、どんなに自分にとって「認める」ことが苦しいことであっても、「認める」ことができるようになっていきます。