『鬼滅の刃』においては、様々なタイプの鬼が描かれていますが、その描写を通して我々は非常に重要な二つのことを学ぶことができます。

一つは、鬼達の心を理解することを通して、様々な「闇の心」の種類を学ぶことです。そういったことを学ぶことは、我々が踏み入れてはならない精神領域とは何なのかを知ることに繋がるので、精神病予防にもなりますし、「幸せ」を実現する上でも大きなヒントになります。

もう一つの点は、この世には実際に鬼(悪魔)はいますが、彼らが一体どのような存在なのかということを学ぶことができる点です。今の世の中においては、鬼が我々にどのように関与しているのかを見失っていますが、実際は我々の心に鬼達はかなり関与しているので、『鬼滅の刃』を通して鬼について理解をすることは我々の敵を知ることに繋がります。

以下に、『鬼滅の刃』に登場する鬼達が持っている深い意味の概要説明を書いていきます。
 

【太陽と太陰(月)の対立軸】

『鬼滅の刃』において、最も鬼を的確に描いている点は、「十二鬼月」といった言葉で鬼と月を結びつけて考えている点です。

月は別名「太陰」と言い「太陽」と対の構造を持っています。そして、この二つの言葉は「太陽」=「大きな陽(光)」、「太陰」=「大きな陰(闇)」という意味でもあり、「太陽」=「光の大本(おおもと)」、「太陰」=「闇の大本」という意味でもあります。

この二つの星は地球からほぼ同じ大きさに見えるようにデザインされており、「光」の時間である日中は太陽が、「闇」の時間である夜は太陰(月)が空に出ている点からも、非常に分かりやすい対立構造を持っている星であることが分かります。こういったデザインは偶然に生まれるものではなく、人間でも意味が分かるように、分かりやすく作られたデザインです。

星は地球に「気」を送っています。太陽は文字通り「光の気(陽の気)」を送っており、太陰は文字通り「闇の気(陰の気)」を送っています。そして、この二つの星程に地球に「気」を送っている星はなく、そのような意味で「太陽」は「光の大本」、「太陰」は「闇の大本」です。

このようなことが分かってくると、地球に存在する様々な鬼の親は月であることが分かってきます。そういった構造を、『鬼滅の刃』では、鬼舞辻無惨が血を与えることによって人間を鬼に変えたり、鬼に力を与えたりする構造によって表現しています。

つまり、鬼舞辻無惨は月を象徴する存在であり、それぞれの鬼達は鬼舞辻無惨(月)が持っている闇の力を分け与えられているからこそ、それぞれの鬼達は月がどのような闇の側面を持っているのかを表現しています。だからこそ、我々は『鬼滅の刃』を通して月について理解を深められます。

ちなみに、「日」=「太陽」という言葉を持つ「日の呼吸」を使うことができる血筋を持つ竈門炭治郎は太陽の使いとして描かれています。ですから、この作品の基本的な対立軸は太陽(竈門炭治郎)と太陰(鬼舞辻無惨)の対立軸です。この点を理解するだけでも、我々は『鬼滅の刃』を通して地球の本質を理解できます。
 

【鬼が人を食うことや操ることの意味】

我々は鬼に直接食われることはありませんが、鬼達は「気」で我々の心に関与することを通して、我々の心を食っています。そういった構造を、『鬼滅の刃』では分かりやすく鬼が人間を食うという構造で表現しています。

「気」を「持つ」と書いて「気持ち」ですから、鬼の「気」を「持つ」ならば鬼に心をコントロールされてしまいます。そういったことを昔の日本人は知っていたからこそ、ふと心に邪念が起こることを「魔が刺す」という言葉で表現したりしてきました。

鬼達はそれぞれの動機で我々人間の心に「気」で関与したいと思っています。例えば、鬼になると良心に欠け邪心に満ちていきますから、人を物のように捉えられるようになり、だからこそ、自分にとって都合のいいように人間を操ろうとします。

また、鬼は人間に「餌」を与えることで人間を操るものですが、そういった構造も『無限列車編』で表現されていたりします。これは現実に置き換えると、例えば、金儲けという「餌」と引き換えに、健康に悪い食べ物を世の中に売りさばくことをやっているような人間は、悪魔の使いとして利用されている人間です。
 

【最後に】

「鬼とは何なのか?」「太陽と月とは何なのか?」「鬼がどうして人の心を食うのか?」といったことをこの作品は表現しているからこそ、非常に重要な作品と言えます。

しかし、多くの人々はこのような背景を理解せずにこの作品を鑑賞していますから、本当の意味で『鬼滅の刃』を活かしているとは言えません。そういう状況を解決するためにも、このホームページでは『鬼滅の刃』の様々な鬼達や登場人物について解説を書いていこうと思っています。