一回目の屋久島研究を終えて(2020/10/2 動画更新)
2020.08.10 日記
7/1から7/31まで屋久島に滞在し、屋久島の研究と修行に励んでいました。そのことについて、このページでは書いていきたいと思います。
まず初めに、今回の屋久島滞在中に撮影した映像を使った音楽映像を御覧になって頂けると幸いです。というのも、自分が屋久島で何を感じていたのかを御理解して頂く上では、文章よりも音楽や映像の方がよく伝わるからです。まだ編集途中の映像ですが、是非、最高画質でイヤホンなどを使って鑑賞して頂けると幸いです。一分半の短い映像になります。
一昨年よりインド楽器を始め、去年より琴などの和楽器やバイオリン・ヴィオラ・チェロなどの西洋楽器を始めましたが、先日初めてそれらの楽器の即興演奏を重ねて録音する機会があり、この音楽はその録音を基に作っています。
この音楽は全ての楽器を特殊なチューニングで統一した上で、即興演奏を重ねています。演奏技術については未熟な部分が多くありますが、この録音を通して、この音楽的方向性が確かな道であるということについては確信を得ました。また、目に見えざる存在の凄まじさを伝える上で、非常に有効な方法であることも確信しました。
ちなみに、このチューニングは、限りなく龍に近い、水の鳳凰のチューニングです。この映像冒頭の滝は、大川の滝という滝なのですが、そのデザインは羽のように見えます。羽のように見える滝と、羽を持つ鳳凰が非常に合っているように思えたので、この映像のメインの滝として描かせて頂きました。
それでは、以下、今回の屋久島滞在の内容について説明していきたいと思います。
【屋久島の重要性】
屋久島は日本の中でも、とりわけ非常に神聖な力を持つ島です。九州一の高さを持つ宮浦岳を中心とする山々、膨大な川と滝、1000年以上生きる膨大な屋久杉などの様々な要素によって、屋久島はその神聖さを形成しています。
だからこそ、屋久島は我々に目に見えない力の存在を感覚的に教えてくれます。ただ、屋久島の持つ深い意味を学ぶことができる人は非常に少ないです。というのも、その意味を自力で解き明かすことは非常に大変なことですし、観光客は時間が無く、現地に住む人も日常的に山登りや沢登りをしているわけではないからです。
自分としては、屋久島の持つ深い意味を自分自身が学び、その学びを言葉や音を通してシェアすることで、屋久島の持つ意味を伝えていきたいと思っています。そういったことを実現するために、今回の屋久島滞在がありました。
ただ、結論から先に伝えさせて頂くと、屋久島は1ヶ月で理解できるような存在では全くないということを今回痛感しました。今回の滞在は、これから長年続いていくであろう屋久島研究の準備に過ぎなかったことを感じています。
しかし、それでも今回の1ヶ月の間に理解できたことの一部を以下に書いていきたいと思います。
【滝参り】
・川(滝)が神である構造
この一ヶ月の間、主に行なっていたことは滝参りでした。屋久島には膨大な数の川と滝があり、それらの川や滝に行っていた形になります。これだけ集中して、様々な川や滝と向き合った経験は今までになく、その経験を通して学ぶことは非常に多くありました。
屋久島の川(滝)はそれぞれ全く異なる個性を持っています。それは写真だけで伝わるものではなく、実際にそれぞれの川や滝に行き、そこを流れる水や空気感の違いを体感することで分かります。
古来より、日本人は川や滝を神として信仰してきました。現代では、宮崎駿の『千と千尋の神隠し』などでも川が神であるという本質が表現されていたりしますが、この考え方は非常に適切で、川の神は川に自身の「気」を宿し、その「気」によって川沿いに生きる命を守っています。
こういった考え方は日本独自のものでもなく、例えば、インドなどではガンジス川は神として信仰されています。以前、ガンジス川沿いに約10ヶ月滞在していたこともあり、川が神である構造があることは感じてきましたが、今回それを様々な川の違いを感じることで理解できたことは、大事な経験だったと思います。
・滝が聖域を形成する構造
また、今回の経験は滝という存在の持つ深い意味も理解できる経験となりました。それは、滝が聖域を形成する構造についてです。滝の重要性を見失いがちな日本において、滝の構造的な意味を伝えることは大事なことだと思います。
滝は水しぶきを上げるものですが、そのことにより、滝周辺の空気には水分が満ちることになります。そして、水という物質は「気」を強く宿すものなので、そういった水分を多く含む空気を呼吸を通して摂取すると、その滝の神様(川の神様)の「気」を強く摂取することに繋がります。その「気」によって、我々の心は影響を受けます。
また、滝の水分を多く含む空気は、その場所を守る力さえも持っています。何故ならば、水という物質は「邪気」などを浄化する力も持つものなので、滝周辺に近寄ってくる「邪気」などを払うことにも繋がるからです。そういうこともあって、滝周辺の空気は滝(川)の「気」に満ちることになります。
そして、そういった空気の観点に加えて、滝が生み出す視覚的な世界や音が我々の心に大きな影響を与えます。空気(匂い)、景色、音、その他の要素が重なり合い、滝の前の世界は日常世界とは異なる、非常に神聖な世界が形成され、滝参りをすることは、その川(滝)の神様の聖域に入ることに繋がります。
もちろん、その川の中に入ったり、その水を飲むのであれば、その川の神様の影響をより直に受けることになります。また、その聖域で踊るのであれば、その踊りに川の神様(滝の神様)は「気」で関与しますし、踊りは「気合」を強める行為ですから、より多くの「気」が自分に「合わさる」ことに繋がります。また、瞑想をするのであれば、自分の心にその滝がどのように影響を与えるのかを観察することに集中できます。そういったことをしながら、屋久島の様々な川の神様について理解を深めていました。
・滝のデザインの重要性
また、デザインの観点による分析も行なってきました。我々人間の容姿にせよ、花などのデザインにせよ、神々はデザインに意味を込めます。それは滝に関しても全く同じで、神々はその川の神様の本質を伝えるようなデザインをそれぞれの滝に与えています。だからこそ、それぞれの川の持つ滝のデザインを分析すると、その川の神様の個性を少し分かることができます。
以下、このデザインの観点も踏まえつつ、屋久島の川を2つだけ紹介したいと思います。
[鯛の川(千尋の滝、龍神の滝、トローキの滝)]
屋久島には日本神話にも登場する鯛の川という川があり、この川は『千尋の滝』『龍神の滝』『トローキの滝』という三つの大きな滝を持っています。そして、この三つの滝を繋げて考えるなら、非常に巨大な龍が海へ向かうようなデザインにも考えられます。
また、鯛の川の神様の本質を理解する上で『千と千尋の神隠し』が一つの根拠ともなります。鯛の川の『千尋の滝』は『千と千尋の神隠し』の由来でもあり、映画に登場するハクは白龍として描かれています。そういうことから、鯛の川の神様は白龍である可能性を考えられます。
(このホームページで度々書いてきたことですが、宮崎駿は凄まじく神懸かりを実現している芸術家だからこそ、彼の作品には神々からのメッセージが満ちています。その前提を踏まえると、ハクを根拠に、鯛の川の神様は白龍である可能性が高いと予想できます。)
地元の人からも様々な話を聞いていましたが、地元の霊感の高い女の子が『龍神の滝』から白龍が出てくるところを見たという話も聞きましたし、鯛の川の近くに住む人は、鯛の川から龍神様が家に来たという話もしてくれました。屋久島は霊感の高い人が少なくないので、こういった話も参考になります。
自分が知り合った屋久島の霊感の高い方々は皆、「鯛の川からは怖い印象を得る」と言います。これは自分が鯛の川から得ている感覚とも一致するもので、自分が初めて鯛の川に降りた時、今まで川から感じたことのない不気味さを感じました。
「龍の気持ち」は非常に「厳しさ」を持つ精神性です。だからこそ、龍神様は恐ろしい存在でもあります。そして、鯛の川が非常に大きな川であることが意味するように、鯛の川の神様は非常に巨大な龍神様であることが予想でき、その強い「厳しさ」の感覚が我々に「畏怖の念」を与えます。
川沿いに住む人は、その川の神様の影響をかなり受けます。今回、鯛の川沿いに住む方にも会いましたが、やはり「怖さ」を持つ人でした。そういった人の存在を知ることでも、鯛の川の神様がかなり「厳しさ」の強い神様であることを理解できます。
「龍の気持ち」は長年分析してきた「気持ち」ですが、今回初めて川から「龍の気持ち」を直に感じることができたことは、屋久島研究という意味を超えて、龍神研究という意味でも、非常に重要な経験となりました。
ただ、現状では自分は鯛の川の神様がどういう神様なのか、その表層的な部分を感じたに過ぎず、今後も鯛の川の神様とは向き合い続けていく必要があるように思っています。
自分は宮崎駿作品の研究を凄まじく重要視していますが、そういう意味でも、『千と千尋の神隠し』とも繋がる鯛の川の研究は非常に重要だと思っています。そもそも、屋久島自体が『もののけ姫』の世界観に大きな影響を与えているからこそ、屋久島研究をしている側面もあります。
・落之川(落之滝)
観光客も行かず、地元の人も全然訪れることのない、落之滝という滝があります。この滝もまさに龍神様というデザインをしていますし、この滝にまつわるエピソードからも、この川の神様が龍神様であることは理解できます。
今回屋久島で知り合った方が、最近落之滝に友人と行ったということだったのですが、その時の重要なエピソードを話してくれました。それは、そのグループの一人がこの滝でカメラを落とし、別の一人がこの滝の横から落下した(命に別状は無し)という話です。
落之滝は「落とすの滝」と読むのですが、このグループのエピソードは「落之滝」という名前そのままのエピソードです。こういうエピソードを作ることで、落之川の神様は自分がそこに存在していることを我々に伝えようとしています。
カメラが落ちただけ、または、誰かが落下しただけ、では偶然に思われやすいですが、同じ時に二つの「落」に関するエピソードを作ることで、自分の存在を証明しようとしていると考えることができるからです。
また、このエピソード自体がこの川の神様の個性を我々に教えてくれます。それは、やはり「厳しさ」のある神様であるということです。「全体(世の中)」のために「部分(カメラを落とした人や落下した人)」に試練を課すことができる神様であることが、このエピソードを通して分かるからです。
また、この滝へ行ったそのグループは、非常に軽い気持ちで落之滝へ行き、滝の前で弁当を食べたり、はしゃいでいたという話もしてくれたのですが、そういう軽い態度が良くなかったのではないか、と本人は言っていました。自分も落之滝からは非常に強い「厳しさ」を感じたので、この意見に同意します。
「厳しさ」を持つ存在は他者の修行を望みます。何故ならば、修行はその他者の本質的向上を促すからです。そして、滝行が象徴するように、滝に行くということは、その滝の神様から何らかの精神性を学ぶための修行を実践するための大きなチャンスです。
それに対して、滝の前で楽しもうとする態度は、そういった修行の実現を促さない態度です。落之川の神様は自分とどのように向き合ってほしいのかを伝えるためにも、このエピソードを作ったのではないか、と思っています。
落之滝へ向かう道のりは崖のようになっていて危ないところも多く、人によってはこの滝に向かう途中で、この川の神様に殺されることもあると思います。ですから、観光客には向かない滝で、修行者に向いている滝です。
【屋久島に住む人々との出会い】
今回の滞在中、意図せず現地に住む人々と出会う機会がたくさんあり、そういう出会いによって学ぶことは多く、現実的にも支えられてきました。
例えば、屋久島に着いた翌日とその次の日、自分は全然別の場所で同じ人と二日連続で出会いました。その人は宿のオーナーで、この御縁を通して安く宿に長期滞在させて頂くことになりました。経済的にあまりにも厳しい状況なので、このサポートはとても助かりました。
また、自分が知るべき屋久島に関する様々なことを、島で知り合った様々な人々が自分に教えてくれました。例えば、上に書いた落之滝に関するエピソードなどは落之川の神様について理解を深める上で絶対に知っておくべきことで、そういった話が屋久島研究を良い形で進むことを促してくれています。
また、屋久島の持つ様々な精神性を表現した音楽を作らなければならないとも思っているのですが、屋久島の特別な木(屋久杉と共に生きていた山車の木)で作ったハープを持っている方とも出会ったのですが、その楽器の音色はあまりにも屋久島の音色をしていて、その土地の木を使った楽器を使うことがどれ程重要なのかを初めて知りました。
だからこそ、次回屋久島に滞在する際には屋久杉(樹齢千年以上の杉)でハープを作るつもりで、そのための木材もその楽器を作ることをサポートしてくれるハープ職人とも出会っています。というよりも、その木材やハープ職人との出会いがあったからこそ、屋久杉で楽器を作るべきなのだろうと判断している側面もあります。
(上の映像の中で登場する左のハープは屋久島の木で作った楽器、右のハープはハープ 職人の作っているハープです。この二つの楽器を自分が作った「海のチューニング」で統一し、演奏して頂いているところを撮影し、昔自分が撮影した映像を簡単に合わせています。この美しい映像と合う音をずっと探してきましたが、ようやくこの映像に合う音に出会えたようにも思っています。イヤホン型マイクで録音していますので、イヤホンで聴くとその場にいる感覚で聴くことができます。)
他にもたくさんの現地の方々との出会いがあり、彼らとコミュニケーションを取ることで、自分が理解すべき様々な事柄を学び続けてきました。
【神々と人が共に生きやすい環境】
屋久島は屋久島の神々の「気」に満ちた島なので、屋久島に生きる人々は屋久島の神々からかなり導かれる中を生きています。そして、屋久島の神々が自分に教えたい様々な事柄を学ぶための「道」は既に用意されており、今回の滞在中、自分はその「道」を進むだけの日々でした。
その日どこに向かうべきなのかを決める上で最も重要な要素が天気で、天気は神々が操作できます。その日誰と話すべきなのかを決める上で最も重要な要素が出会いで、屋久島においてはかなり神々が人々を導けます。実際、落之滝に行ったその日に、あるお店で落之滝に行った人とバッタリ会い、詳しい話を聞くことになりました。
きっと、屋久島に生きていると、人は偶然とは思えない事柄の連続の中を生きることになるので、目に見えない存在について理解は深まっていくと思います。そういう意味では、屋久島に様々な重要な人々が移住していくことはとても良いことだと思います。
何故ならば、我々人間が適切に神懸かりを実現しづらくなっていることの原因として、神々が我々にどのように関与しているのかを見失っている点が大きいからです。逆に言うと、神々が我々にどのように関与しているのかを分かることができれば、より良い形で神懸かりを実現しやすくなり、我々人間は能力を伸ばすことができます。屋久島はそういうことを促すことができる島であることも今回よく分かりました。
ただ、今屋久島に生きている人々が本当に素晴らしい意味で神懸かりを実現しているかというと、そうではないということも今回分かりました。というのも、まだまだ神懸かりを実現できる余力があるということを実感したからです。
例えば、屋久島の神々と人間が本当に強く協力作業をする方向性の一つにアートがありますが、日本人アーティストは屋久島の神々からその精神性を学び、それを表現のレベルに変換するということを全然行なっていません。もちろん、なかにはそういったことをやっている人もいますが、その数が少な過ぎます。
今回、川参りと滝参りをし続けてきて実感しましたが、一般的な言い方をすると、アーティストにとって屋久島はインスピレーションの宝庫です。あまりにも、それぞれの川や滝は異なる精神性を教えてくれますし、その日の天気や水量の違いによっても、川や滝は異なる表情と感覚を教えてくれます。
そういったインスピレーションの源泉を我々はまだ全然受け取っていません。というのも、屋久島がインスピレーションの宝庫であるということを、ほとんどのアーティストが知らないからだと思います。だからこそ、自分としては、屋久島がインスピレーションの宝庫であることを、アートを通して伝えていきたいと思っています。
また、修行者にとっても、屋久島は非常に良い修行場です。屋久島の自然の中に入っていると、様々な深い精神性を学ぶ機会に恵まれますし、山に入ると現実的な試練を経験するからです。実際、今回自分も何度か山での試練に直面しましたが、そういった経験が修行者の学びを深めてくれます。
本当は屋久島で滝の横に住む仙人のような人に会うことを期待していましたが、時代の影響を受けている今の屋久島においてはそういった人間はほぼいません。また、長老のシャーマンに出会うことも期待していますが、そういう人も今はあまりいないのだと思います。
かつての屋久島は、集落ごとに長老のシャーマンが一人いたそうですが、その伝統も今では失われています。昔からの祭りが今でも残っている部分もありますが、人々はその祭りの意味は見失いがちだとも聞いています。
今でも残っている屋久島の祭りの意味を解き明かし、それを伝え、より良い形で伝統が受け継がれていくことを促すことも大事なことだと思っています。今はコロナで祭りも自粛していますが、将来的には屋久島の様々な祭りに参加することで、その意味を分析していきたいところです。
トトロは暇な神様を象徴する存在ですが、屋久島の神々も暇を持て余していることは間違いないと思います。大した人口もおらず、ほとんど人が訪れない滝も多く、コロナとは無関係に登山客もまだまだ少ないです。
余力があり余っている屋久島の神々を忙しくすることが、日本のためにもなることですし、その神々のためにもなることだと思います。だからこそ、自分としては、人間が屋久島の神々とどのように共に働くことができるのかを伝え、体現していきたいと思っています。
【今後の屋久島研究について】
今後も屋久島に通う必要があると考えていて、10月11月に2ヶ月間滞在するつもりです。今回の滞在は川と滝がメインだったのに対して、次回は山が一つのテーマになると思っています。ただ、今回向き合ってきた川や滝とは引き続き向き合っていくつもりで、彼らの精神性を音楽のレベルに変換することをしていきたいと思っています。
今回の滞在で持参した楽器はチェロとインドハープのみで、演奏や録音をする上で大きな限界がありました。例えば、鯛の川や落之川の「厳しさ」を表現する上では絶対的に低音が必要不可欠で、コントラバスや十七絃が無ければ、その精神を表現することは不可能です。
だからこそ、次回は自分の持っている楽器を車に詰め込み、車で屋久島に向かうつもりです。山や川に通っては、その精神性を音に変換する作業を二ヶ月間行ないたいと思っています。そういった音楽を、屋久島で撮影した映像と組み合わせることによって、音楽映像作品をYouTubeに整理していきたいと思っています。
YouTube上には屋久島の様々な映像が既にアップされていますが、屋久島の持つ深い精神性を捉えた音楽が使われている映像は非常に稀です。この現状では、映像を通して感覚的に人々が屋久島のことを理解することが促されませんし、不適切な音楽を通して屋久島に対する誤った印象さえも抱きかねません。
そういった問題を解決するためにも、本当の意味で屋久島の本質を捉えた映像をアップしていくべきだと思っています。また、先程も書きましたが、屋久島がインスピレーションの宝庫であることをアーティストに伝えていきたくも思っています。
ただ、コロナの影響もあり、経済的には非常に厳しく、現状の経済状況では再び屋久島研究を実践することは到底不可能な状況です。自分は所得の発生する商売を行なっているわけでもなく、延々とボランティアをやっているような人間ですので、政府からの支援金も対象外で、非常に困った状況を経験しています。
もし、自分の活動を支えて下さる方は、以下の口座まで寄付をお願いできると幸いです。寄付の情報をアップすると不信感を抱く方もいるので、この数年は寄付の情報をあまり書かないようにしてきましたが、書かざるを得ない状況になってしまったので載せることにしました。
りそな銀行 福岡支店(店番号:711) 口座番号 0255762(普通預金) 芦刈 純(アシカリ ジュン)
9月末までの約2か月間は富士山周辺で引き続き山籠り修行をしながら、同時に10月からの屋久島研究の準備も進めるつもりです(山登り・沢登り修行)。大きく分けると、8月9月のテーマは富士山、10月11月のテーマは屋久島です。
この二つの存在は日本において非常に重要な存在(神々)であって、我々がその意味を見失いがちな存在でもあります。だからこそ、その意味を言葉と音を通して伝えていくことが非常に大事で、そのことを実現するためにも、まず最初に自分がその大きな二つの存在と向き合い、その本質を理解するための研究と修行を実践していかなければならないと思っています。
今の世の中において需要のあることをやっているわけではありませんが、人間と神々が共に生きていたかつての日本を実現する上で、とても大事な研究と修行だと思っています。御支援頂けると幸いです。