「欲望」は「嫌悪」に繋がりやすく、「嫌悪」は「欲望」に繋がりやすい性質を持っています。

「欲望」は実現している時は「快楽」を得られるものですが、実現しない時は「嫌悪」を感じるものです。例えば、ギャンブルは当たれば「快楽」を得られますが、外れれば「嫌悪」を感じます。このような意味で、「欲望」は「嫌悪」に繋がりやすい性質を持っています。

「嫌悪」は「嫌だ」と感じている自分のことばかりを考えさせるが故に、「嫌じゃなくなりたい」という「欲望」に繋がっていきます。逆に言うと、「嫌悪」を抱いている時に「嫌悪から逃れたい」という「自分のため(欲望)」のことを考えず「他者のため(愛)」を考えることはとても難しいことです。このような意味で、「嫌悪」は「欲望」に繋がりやすい性質を持っています。

「ストレス発散」は多くの場合「嫌悪→欲望」というラインのことを意味します。例えば、会社で「ストレス(嫌悪)」を感じ、その「ストレス(嫌悪)」を「発散」させるために、飲酒や買い物などを通して「欲望」を実践することは「嫌悪→欲望」です。

しかし、「欲望」を実践すればするほど、その人間の「欲望」は強くなっていきます。そして、「欲望」が大きくなればなるほど、「嫌悪」を感じることも多く大きくなっていきます。何故ならば、「欲望」が増えれば増える程、実現できない「欲望」が増え、「欲望」を実現できないことによって生じる「嫌悪」も増えるからです。

だからこそ、「嫌悪→欲望」の「ストレス発散」は本当に「ストレス」を「発散」させているわけではなく、一時的に「ストレス(嫌悪)」を「欲望」によってごまかすことによって、より大きな「ストレス」を生み出す方向性です。

本当に「ストレス」を「発散」させる方向性は、「欲望」ではなく「愛」を感じる方向性であって、大事な友人・恋人と会ったり、自然に触れたり、素晴らしい映画を観ることなどによって「ストレス(嫌悪)」を「愛」によって打ち負かすことです。

「欲望」は「嫌悪」に繋がり、「嫌悪」は「欲望」に繋がるという性質を持っています。ですから、「欲望」と「嫌悪」の間を行ったり来たりしている中を生きていると、どんどん心は悪い方向へ向かっていきます。「嫌悪」も「欲望」も本質的に「自分のため」の感情だからこそ、他人のことを考えられず自分のことばかりを考えてしまう人間になってしまうからです。そういった中で「愛」を失っていくことによって、「幸せ」からも遠ざかっていきます。

「欲望」と「嫌悪」がこのような形で密接な関係にあることは、我々が心の「闇」を理解する上で最も大事なことです。そして、心の「闇」を脱する上で、こういった構造を理解することが大きな助けとなります。何故ならば、こういった構造を理解することによって、「闇」から抜け出すための正しい方向性を理解することができるからです。しかし、そういった解決策を知ったとしても、実際にその解決策を実践できるかは御自身の「意志」にかかっています。

自分の心の「闇」に打ち勝つためには、自分自身がその「闇」と向き合うしかありません。だから、私のような立場の人間は後ろから支えることしかできず、ここでは心の成り立ちを伝えることしかできません。しかし、心の成り立ちを理解することによって、自分の心との適切な向き合い方を学ぶことはとても大事です。逆に、自分の心との向き合い方を間違えると、人は間違った方向性で進み始めます。例えば、「依存」のことを「愛」と捉えてしまうと、「嫌悪」から逃れるために「依存」という「闇」に堕ちてしまい、「闇」から抜け出すことができなくなっていきます。だからこそ、「愛」と「依存」が、「愛」は「相手のため」であるのに対して、「依存」は「自分のため」であるという違いを知ることは大事です。

このような意味で、このホームページでは自分の心と適切に向き合っていくための様々な観点を書いていると理解して頂けると幸いです。そして、一つ一つの観点を理解して頂き、それらの観点を活かして頂く中で、御自身の心の「闇」に打ち勝って頂けると幸いです。そのことによって、御自身もこの世界も少しずつ良くなっていけます。