ここでは、「気」と「人間」の関係性について書いていきます。

「気」が我々の心にどのような影響を与えているのか ということについては多く文章を書いてきました。ここでは、「気」が我々の心に影響をどのように与えているのかということよりも、我々がある「気」と共に生きていく状態とは客観的に見てどのような状態なのかということを説明していきます。つまり、この文章は、我々人間が「気」に影響を受けている現象を客観的にイメージ付けるためのものです。このイメージというのはとても大事ですから理解していただけると幸いです。

この世界には様々な「気」を司っている目に見えない存在がいます。たとえば、星は神々であって、我々は星から「気」を受け取ることによって、「気」を「持ち」、「気持ち」を抱いて生きています。ほかにも、悪魔といった存在は「気」を司り、我々は彼らの「気」を受け取ることによっても、「気」を「持ち」、「気持ち」を抱いて生きています。

「気」を司る存在は様々ですが、大きく分けて神々と悪魔の二種類がいます。神々は「光の気」を司り、我々に「光の気」を持たせることを通して「光の気持ち」をもたらしています。それに対して悪魔は「闇の気」を司り、我々に「闇の気」を持たせることによって「闇の気持ち」を抱かせています。我々人間という立場は、自分自身の「意志」で「光の気」を「持つ」か、「闇の気」を「持つ」かを「選択」できる立場にあります。そういった「選択」を「光の気持ち」を抱くか「闇の気持ち」を抱くかによって決めています。

本人が意識しているにしてもしていないにしても、「愛」を抱いていれば神々の「光の気」を抱いていて、「欲望」といったものを抱いていると悪魔の「闇の気」を持っているということです。つまり、我々は誰と手を組むのかを自分の「気持ち」によって決めています。「気」の「真実」に関して適切なイメージを持つ上で「気持ち」を抱くということが誰と手を組むのかということと繋がっていることを理解して頂けると幸いです。

また、神々と言っても様々な神々がいますし、悪魔と言っても様々な悪魔がいます。我々はどの神々や悪魔の「気」を持つかということを自分自身の「意志」によって決めていますが、それはどのような感じかというと、どの「気持ち」が自分にとって居心地が良いのか、自分はどういった「気持ち」が好きなのか、という感覚です。

たとえば、「水の気持ち」=「問題解決の心」を強く抱いている人は太陽系における「水の気」の長である水星神様と組んでいる可能性が高いです。逆に言うと「水の気持ち」を抱いて生きている人は本人が意識していなくても水星神様と働いていることが多くあります。これと同様なことが「闇の気持ち」においても言えます。それぞれの「悪魔」は得意な「闇の気持ち」があり、同じ「欲望」とは言っても、悪魔が違えばかなり異なる「欲望」になります。ですから「欲望」を抱きがちな人はどの悪魔の「欲望」が好きかということを選んでいることになります。

我々人間には「気持ち」が起こりますし、様々な「気付き」も起こります。また、どういったことに「気が進む」のか、どういったことに「気が進まない」のか、といったことも我々の「意志」を超えています。そういった我々の「意志」を超えた部分に、神々と悪魔は強く関与しています。つまり、我々は神々や悪魔に「気」を通して動かされている存在です。しかし、どの存在に動かされるのかを決めるのは、我々人間が「選択」できます。

人間という立場は、このような意味で誰と手を組むのかを決めている存在です。「気」は我々人間と目に見えない存在をつなぐ仲介者です。我々が何らかの「気持ち」を抱いて生きているということは、客観的に見ると、誰と手を組んで生きているのかというであることを理解して頂けると幸いです。

そして、神々と手を組み、悪魔とは組まないように心がけて頂けると幸いです。そのために必要なことは、「誰かのため(愛)」に生き、「自分のため(欲望)」に生きないように心がけることです。