このページでは、『千と千尋の神隠し』の最も重要な点を、心理学的観点と神学的観点から解説していきます。皆様が『千と千尋の神隠し』を通して大事なことを深く学ぶ一助となれると幸いです。
 

【心理学的分析】

・千尋の成長について

『千と千尋の神隠し』において、最も最初に理解すべき点は千尋の変化の意味を理解することです。映画冒頭、千尋は「嫌悪」や「恐怖」を抱く、未熟な弱々しい女の子として描かれていますが、映画の後半には、「愛」や「勇気」を抱く、逞しい女の子になっています。

この変化の持つ最も大きな意味は、「自分のため」を思っていた子が「誰かのため」を思うようになったということです。千尋はハクに対して大きな「愛」を抱き、だからこそ、ハクを助けるために全力を尽くし、そういう過程で、自分の問題を解決し自分の長所を伸ばします。また、両親を助けるためにも全力を尽くし、そのことによって彼女は成長します。

こういったことから我々が最も学ぶべきことは、本当の意味での心の進歩には「愛」が必要であるということです。「誰かのため」を本気で思うからこそ、人はその「誰かのため」に何かをできる自分になろうと全力を尽くすことができ、その過程において、我々は自分の中にある問題を克服していきますし、自分自身の能力を開花させることができます。

この点だけでも深く学ぶことができ、御自身の人生に活かして頂けるならば、『千と千尋の神隠し』を御覧になったことが大きな価値を持ちますし、宮崎駿がこの映画を作ったことの価値さえも高まります。ですので、まずこの点を御理解頂けると幸いです。

次に御理解頂きたいのが、千尋の抱いた「愛」の種類についてです。「愛」には複数の種類がありますが、千尋が抱いた「愛」は「誰かのため」に「問題解決」を目指す「問題解決の心」という「愛」です。これを「水の気持ち」と言います。というのも、「水」という物質は汚れているものを洗い流す性質を持っていますが、この性質が「問題解決」の性質だからです。

物語の中で、千尋は一生懸命に「問題解決」を実践しようとしています。他の作品と比較すると分かりやすく、例えば、『もののけ姫』のサンは「闘いの心」という「愛」を実践する人物で、誰かを守るために敵との「闘い」に命をかけていますが、千尋の「問題解決の心」はそういったサンとは異なる「愛」です。

この作品を通して、我々は少女の良い「問題解決の心」とはどのようなものなのかを学ぶことができます。「愛」の種類を理解することは、我々が共に生きていくべき精神性の種類を知ることに他なりませんから、とても大事なことです。
 

・千尋の両親が豚になったことの意味

千尋の両親が豚になってしまったことには、大変大きな意味があり、「欲望」に取り憑かれることによって豚化してしまう人間のことを直接的に表現しています。

「欲望」は自分が欲する物のことしか見えなくしてしまう力があります。そのような意味で、「欲望」は「愚かさ」を人間に与えることが多いです。両親が取り憑かれた「食欲」はまさにそういう性質を持ったもので、食べたい物を食べることしか考えられなくしてしまう「欲望」の力を表現しています。

現代を生きる我々人間は、「欲望」の恐ろしさを知りません。だからこそ、簡単に「欲望」に取り憑かれてしまいます。特に、恐ろしいのは、あまりにもその「欲望」によって、大きな「快楽」を得てしまうケースです。そういうものの味を知ってしまうと、「欲望」を抱かずにはいられなくなってしまうからです。

あの両親達が食べた食べ物は、物凄く美味しいものとして描かれていますが、それが彼らを豚化することを促しています。つまり、「美味しい」という「快楽」が非常に強いからこそ、それを求める「欲望」も強まり、彼らはそれ以外のことを考えられず豚化してしまいます。

一度美味いものを食べるなら、我々はその味を覚えてしまうが故に、再び求め始めます。この構造は食べ物だけではなく、「性欲」にせよ、「金欲」にせよ、様々な「欲望」が同じ性質を持ちます。どのような「欲望」にせよ、味を覚えてしまうという点がとにかく危険です。

そういったものに取り憑かれないためにも、初めから「欲望」には手を付けるべきではないということを、千尋の両親の描写は我々に教えてくれています。
 

・ハクの性質について

千尋と同様、ハクもまた「水の気持ち(問題解決の心)」を中心軸に抱く人物として描かれます。彼は川の神様ですから、彼が「水の気持ち」が強い人物として描かれているのは、「水」という観点で非常に自然です。

また、ハクは千尋と異なり、様々な「水の気持ち」を使いこなすことができます。例えば、映画冒頭のハクは千尋に冷たく接するシーンもありますが、あの描写は「氷の気持ち」の描写です。

「氷の気持ち」も「問題解決」を目指す精神性ですが、「水の気持ち」よりもさらに「冷たさ」がある精神性です。ハクは千尋に冷たく接した方がいい時に「氷の気持ち」を使って千尋と向き合っていた形になります。

この物語の中心人物の千尋とハクが、両者共に「水の気持ち」を中心軸に持つ人物であることを理解することはとても大事なことです。


・湯婆婆の性質について

湯婆婆はハクの「水の気持ち(氷の気持ち)」の能力の高さに目を付け、それを利用している「欲望」の存在です。「欲望」とは「自分のため」を思うスタンスのことを意味しますが、「自分のため」を強く思う存在は「他者のため」を考えないが故に、他者を「自分のため」の道具として扱うことができます。湯婆婆はハクに対してだけではなく、千尋に対しても、油屋で働く様々な部下に対しても、そういった「支配欲」のスタンスで接しています。

「欲望」で生きる存在は他者に「試練」を与えます。湯婆婆がハクを支配することは、千尋のハクを助けようとする試練を生み出していますし、湯婆婆が油屋を支配し、そこで働く者達をこき使うことは、湯屋で働く者達にとって「試練」となっています。

 

【神学的分析】

・名前の重要性

この作品の中で、神学的に最も重要な点は名前の重要性です。

我々人間の名前には、その人自身のことがよく表現されています。だからこそ、自分の名前を見失うことはとても恐ろしいことであり、自分の名前の持つ本当の意味を見つけることはとても素晴らしいことです。そういったことをこの物語は我々に教えてくれています。

「千尋」という言葉は「深い」という意味を持つ言葉で、「深」という漢字が三水を持つように、「水」を象徴する名前です。そんな彼女が「水の気持ち」を成長させていくことには大きな意味があります。

彼女は生まれる前から「水の気持ち」が強い魂だったが故に、「千尋」という名前を授かって生まれています。そして、そういった本来の自分自身を取り戻していく様子がこの作品で描かれている形です。つまり、彼女は自分の生まれ持った「千尋(深い)」という名前そのものになっていきます。

しかし、湯婆婆が決めた「千」という名前では、「水」という要素が失われ、意味をなさなくなります。逆に言うと、湯婆婆はその人自身のことを見失わせるために、名前を奪っています。こういった構造は、ハクが「ニギハヤミコハクヌシ」という本来の名前を見失っていることも同様です。

「闇」はいつも、本来の我々が何者なのかを分からせないようにします。何故ならば、本来の自分自身に気付くことはその人の「光」を強めるからです。実際、映画冒頭の千尋は「嫌悪」や「恐怖」といった「闇」によって、「水の気持ち」という「光」の強い本来の自分が見えなくなってしまっています。

これは映画の中だけの話ではなくて、現実を生きる多くの人間に同様のことが起こっています。我々が本来の我々自身の名前を実現するためには、千尋のように「他者のため」に全力を尽くしていく必要があるのですが、「自分のため」を思ってしまう人は少なくなく、本来の自分自身に気付かずに死んでいく人も少なくありません。

自分の名前の意味に気付くためには、本来の自分自身を実現する必要があります。本来の自分になるからこそ、名前と自分自身が一致し、名前の意味が分かるようになります。逆に言うと、本来の自分自身を実現せず、「闇」に取り憑かれている状態だと、何故自分がその名前を持っているのかに気付けません。「闇」に取り憑かれている状態だと、名前と自分自身が一致しないからです。

ですから、名前はとても大事です。何故、名前が大事なのかということを、この作品の構造自体が我々に教えてくれています。
 

・油屋の意味

この作品は目に見えない世界のことを我々に垣間見せてくれます。ですから、この作品の舞台である油屋の意味が分かると、目に見えない世界のことを少しだけ理解することができます。

湯婆婆は、ある闇の神様であり、未熟な霊的存在に修行を与える存在でもあります。油屋にはカエルとして描かれる存在がたくさんいますが、彼らはカエルの姿をした霊的存在(動物天使)であって、油屋で修行をしています。

カエルという動物は水辺によく住んでいますが、彼らは「水の気持ち」を学ぶ動物です。それと似たような形で、「水」に関連する油屋で働いているのがカエル達で、彼らは「水の気持ち」を学ぶために油屋で働いています。

風呂に入るという行為は人を「浄化」するものですが、この風呂の性質自体が「問題解決」です。そういう「問題解決」を手助けすることを役割としているのがカエル達で、だからこそ、彼らは「問題解決の心」を学ぶことができる形です。

また、湯婆婆の「支配欲」はカエル達に「ストレス」を与えるので、そういう「ストレス」という「問題」を「解決」することも、カエル達はしなければなりません。

そういった修行場所で働きながら、千尋が「水の気持ち」を養っていったという構造自体が非常に見事な構造を持っています。
 

・神殺しについて

『もののけ姫』でも神殺しの描写はありますが、この作品の中では、神殺しされた存在としてハクが描かれてします。ハクは元々は川の神様ですが、川が人間によって潰されたことによって殺された神です。

また、腐れ神という形で、別の川の神様のことも描かれますが、人間が川を汚すことは神に対する攻撃であることも描写されています。

我々人間は川を潰すことが神殺しであることを忘れていますし、川を汚すことは神に対する攻撃であることを忘れています。このことを我々が理解するだけでも、もっと我々が川を大事にすることを促せるので、これらは大事な描写です。


・龍神様の描写

ハクは龍神様ですが、その龍神描写はとても大事です。というのも、その体の動きなどから、龍神様が如何に荒々しい存在なのかを我々は感じることができるからです。龍神様の使う「龍の気持ち」を我々は感覚的に感じることができます。

 

【最後に】

芸術家が何かを作る時、その芸術家自身もその作品の意味を知らないことはとても多いです。おそらく、このページの解説も宮崎駿の知らない点が色々あると思います。

宮崎駿は凄まじく神懸かっている芸術家であって、だからこそ、神々からのメッセージを作品の中で強く表現することができます。ですから、宮崎駿作品は聖典のような意味を持っています。

特に、『千と千尋の神隠し』は宮崎駿作品の中でも非常に凄まじい作品で、「水」というキーワードに満ちている点や、名前の重要性を見事に表現している点など、本当に大事なメッセージに満ち満ちています。

このページでは、『千と千尋の神隠し』を通して我々が学ぶべき最も重要な要素のみを書きました。他の重要な点は別で解説させて下さい。

どうか、この作品から大事なことを学び、御自身の人生に活かして頂けると幸いです。もし我々の多くが千尋のように本来の自分自身を実現し、本気で「他者のため」に生きていくなら、この世はもっと素晴らしい場所になるからです。

この解説が、皆様が千尋のように生きていくことを促すものになると幸いです。