Profile & Message

芦刈純。心理学者・気学者・気功師・シャーマン、コントラバス奏者。

芦刈純と申します。私のことは「気の学者」=「気学者」と考えて頂けると幸いです。そして、「気」はいつも我々の心に影響を与えているものなので、「気」のことを研究している私は「心理学者」でもあります。また、「気」のことを深く理解するためには、自分自身で「気」を扱う必要がありますが、「気」のことを扱う人間のことを「気功師」や「シャーマン」と言います。そういった様々な意味を込めて、「心理学者・気学者・気功師・シャーマン」と書いています。

(そもそも、「心理学」とは英語で書くと「psychology」であって、この言葉は「psyche(気)」と「logy(研究)」から構成されている言葉です。ですから、本来の「心理学」とは「気」に関する「研究」であって、「気」のことを深く理解した人間とは本来の意味での「心理学者」に他なりません。また、「心理学者」は英語で書くと「psychologist」であって、直訳すると「気学者」です。ちなみに、1924年に園田真次郎が起こした「気学」とは私は無関係です。)

「気」が我々の心に強く影響を与えているという発想は現代では非常に分かりづらくなってしまっていますが、言葉にはかつての人間の思想が保存されています。例えば、「気持ち」という言葉は「気を持つ」と書き、「気分」という言葉は「気を分かつ」と書きますが、「気」を「持つ・分かつ」ことによって我々は「気持ち・気分」を抱いているという思想をこれらの言葉は持っています。

具体例を挙げると、自然の中にいる時の「気持ち・気分」と都会の中にいる時の「気持ち・気分」は異なりますが、それは自然には良い「気」が多いのに対して、都会には悪い「気」が多いからこそ、そのような「気持ち・気分」の違いが発生します。そういった意味で、我々はその場所にある「気」によって自分の「気持ち・気分」を変化させています。このような「真実」を「気持ち(気を持つ)」「気分(気を分かつ)」という言葉は表現してくれています。

また、「気」は我々の心だけではなく、体にも強く影響を与えているものです。「元気(元の気)」や「病気(病の気)」といった形で、「気」という漢字が体の状態を表す言葉にも使われていますが、こういった言葉があるのは我々の体と「気」が密接な関係を持っているからです。というか、我々の心と体は繋がっています。では、どういった形で繋がっているかというと「気」というものを媒介として繋がっている形になります。

現代を生きる我々は「気」の成り立ちのことを忘れてしまっています。そのことを通して、自分自身の心の成り立ちや体の成り立ちを見失っています。そういった現状があるからこそ、このホームページに「気」が我々の心と体にどのような影響を与えているのかを説明しています。また、「気」と言うと分かりづらく思ってしまう方もいますので、「気」という言葉をできるだけ使わずに心の成り立ちについて説明することも行なっています。まだ内容を書き切れていないものも多くありますが、日々更新をしていますので、活用して頂けると幸いです。右の目次からそれぞれのテーマに飛ぶことができます。

それぞれのテーマを理解して頂く上で特に使って頂きたいのが、解説録音です。文章を読んで頂くよりも録音を聴いて頂く方が、圧倒的に理解は深まります。録音は文章とは違って気持ちを声で表現できるからこそ、様々なニュアンスが伝わるからです。それに対して、文章は相手に伝える上では録音に劣るのですが、御自身が欲しい情報を探しやすいですし、そのテーマの構造を理解する上では録音よりも役立ちます。そういった録音と文章の長所と短所を踏まえながら、録音と文章をうまく使い分けて頂けると幸いです。多く解説ページの最初に解説録音のYouTubeリンクを貼り付けていますので、まずそちらから聴いて頂き、それと合わせて文章を使って頂けると幸いです。

我々にとって常に身近にあるのが心と体です。ですから、心と体について理解することは、他のどんなことを理解することよりも本当は一番大事なことであって、真に御自身の人生を支える知識です。このホームページを通して、そういった知識を得て頂き、御自身の人生に役立てて頂けると幸いです。
 

芦刈純は本名です。我々の名前は天からの授かり物ですが、名前にはその人自身のことがよく説明されています。私の名前にも私のことは説明されています。

「純」とは「混じり気の無い純粋な状態」。そして、「芦刈」とは「ashikari」であって、「as+hikari」に分解できます。「as」は「〜として」という意味を持つ英語であって、「hikari」とは「光」です。ですから、「Jun Ashikari」=「Jun as Hikari」=「純 as 光」=「光として純粋」ということを意味します。私の両親はこのことを意図して私の名前を名付けたわけではありません。

「光」とは「愛」を基本とする「相手のため」という立場であり、「闇」は「欲望」を基本とする「自分のため」という立場です。ですので、「光として純粋」という名前は、私が強い「愛」の立場の人間であることを示します。実際、私は生きている時間の全てをいつも「相手のため」に全力を尽くして生きています。

私の詳しいプロフィールについてはこちらを御覧になって頂けると幸いです。
http://junashikari.com/profile/profile/

また、私自身がどのような人間かといったことや「気」の成り立ちについて分かりやすく説明をしている録音もありますので、こちらを最初に聴いて頂けると一番色々なことが理解しやすいと思います。長い録音ですが、少しでも聴いてみてもらえれば、と思っています。
 




以下、このホームページがどのようなことを書いているのかを理解して頂くために、非常に大雑把に重要な点について説明したいと思います。このホームページの柱となっているものは以下です。

「気持ち」について
「気」と心の関係性
「気」と体の関係性
「気」と科学の関係性
「気」と作品・著名人の関係性
「気」と神々・悪魔の関係性

これらの柱について、以下重要な点を説明していきます。


【「気持ち」について】

「気持ち」について説明させて下さい。

このホームページで最も大事な内容は「気持ち」に関する内容です。どうして「気持ち」に関する知識が最も大事かというと、我々はいつも何らかの「気持ち」を抱いているからこそ、「気持ち」について正しい知識を持つことは自分が何をしているのかを知ることに繋がるからです。

例えば、「愛」と「欲望」は相反するものなのですが、一体どのように「愛」と「欲望」が相反するものであるのかを理解しない限り、自分が「愛」を選んでいるのか「欲望」を選んでいるのかを見分けることはできません。そして、その結果として、恋人に対して「愛」を抱いているつもりなのに本当は「欲望」を抱いてしまっているような状態に堕ちてしまいます。

「愛」は「相手のことを大事と想う気持ち」であって、だからこそ「相手のため」に何かをしたいと思う「気持ち」です。それに対して、「欲望」は「自分が利益を得ることを目指す気持ち」であって、だからこそ「自分のため」に何かをしたいと思う「気持ち」です。「愛」と「欲望」はこのような意味で、「相手のため」⇔「自分のため」という対立構造を持っているが故に、相反するものです。

ですから、自分が「愛」を抱いているのか「欲望」を抱いているのかを確かめる方法は、自分が「相手のため」を思っているのか、「自分のため」を思っているのかを自分自身に問うことです。そのことで、自分が相手に対して「愛」を抱いているのか「欲望」を抱いているのか、真実が見えてきます。

「愛」は「相手のため」を考えるので、相手を支えることに繋がり、相手を「幸せ」にしていくことができます。それに対して、「欲望」は「自分のため」を考えるので、相手を「自分のため」に利用することにも繋がり、相手を「不幸」にしていきます。「愛」と「欲望」はこのような構造を持っています。

例えば、恋人に対して束縛をすることは「愛」ではなく「欲望」です。何故ならば、「自分のため」に相手を支配しようとする行為が束縛だからです。そして、束縛をされることは多くの人にとっては嫌なことなので、相手を少し「不幸」にしてしまいます。また、束縛をされた方は相手に対する「嫌悪(嫌い)」も生まれやすくなるので、「愛(好き)」が失われていきます。

我々日本人はこのような形で「愛」から「欲望」に堕ち、「欲望」の行為を相手に向けて行なうことによって、相手を「不幸」にしていますし、お互いの「愛」を意図せず減らしてしまっている現状があります。日本人のほとんどは「幸せ」になりたいと思っていると思います。ですが、「愛(相手のため)」と「欲望(自分のため)」の違いは何なのかということを意識して生きていないが故に、お互いの「欲望」によってお互いの首を絞め合い、お互いを「不幸」にしてしまいます。

このような状況に堕ちないためにも、それぞれの「気持ち」の成り立ちや違いを理解して頂けると幸いです。右の目次の『心の成り立ち(概要)』から「気持ち」に関する重要な点を読むことができます。また、『気持ちについて』から、様々な「気持ち」の詳しい解説を読むことができます。

重要な「気持ち」はそんなに多くはなく、「愛」に関する5個の「光の気持ち」、「欲望・嫌悪」に関する30個の「闇の気持ち」の合計35個の「気持ち」について理解を深めて頂ければ、その知識が本当に御自身の人生を支えることになります。

このホームページの中には分かりづらい内容もあると思いますが、『心の成り立ち(概要)』『気持ちについて』の文章は「気」という言葉などはできるだけ使わずに分かりやすく書いていきますので、このホームページの他の部分を読まずに『心の成り立ち(概要)』『気持ちについて』の文章だけ読んで頂くような形でも、御自身の人生の中で役立つと思っています。このホームページの文章を読む時は、最初に『心の成り立ち(概要)』から読んで頂けると幸いです。

 

【「気」と心の関係性】

「気」と心の成り立ちについて説明します。

言葉には現代人が忘れてしまった真実がまだ残っていますが、「気」と心の関係性を捉える言葉の中でも、最も大事な言葉は「気持ち・気分」という言葉と「気付く・思い付く」という言葉です。

「気持ち・気分」とは「気を持つ」「気を分かつ」と書きます。この言葉が意味することとは、我々の「気持ち・気分」とは「気を持つこと」「気を分かつこと」によって成立しているということです。つまり、感情の原因は「気」であるということをこの2つの言葉は説明しています。

例えば、自然豊かな場所にいる時と大都会にいる時では、我々の「気持ち・気分」は異なり、自然の中にいると都会では感じられない清々しさを感じます。では、こういった「気持ち・気分」の違いは何によって決まっているかというと、その場所の持っている「気」の違いによって生まれます。自然豊かな場所はとてもいい「気」に満ちています。それに対して、都会の「気」は良くないです。そういった「気」を我々は呼吸によって摂取しています。だからこそ、自然の中にいるととても「気持ち・気分」が良く、都会にいる時はそういった「気持ち・気分」にはならないという現象が生まれます。

「気付く」とは「気」が「付く」と書きます。この言葉が意味することとは、我々が何かに「気付く」という現象は「気」が我々に「付く」ことによって成立しているということです。「気」には「情報」を乗せることができます。そして、そういった「情報」が乗った「気」が我々に「付く」時、「気付き」という現象は生まれます。こういった「気」に関する構造のことを「思い付く」という言葉も説明しています。「思い」とは辞書で引くと一番最初の意味に「ある物事について考えを持つこと。また、その内容」と出てきますが、このような意味で「思い」とは「考え」のことです。だからこそ、「思い付く」の「思い」とは「気」に乗った「情報」のことを意味し、そういった「思い」=「考え」=「情報」が「気」に乗って我々に「付く」ということを「思い付く」という言葉は説明しています。

例えば、忘れ物をしたまま家を出て、ふとした瞬間に自分が忘れ物をしていることに「気付く」という現象を経験したことがある方は多いと思います。これは「忘れ物をしているよ」という「思い」=「考え」=「情報」が乗った「気」が我々に「付く」ことによって起こる現象です。忘れ物に「気付く」という現象は我々が自分の「意志」によって「忘れ物に気付こう」と思ってしているのではなくて、我々の「意志」を超えた我々の心に起こる現象です。

では、誰が「気」にそういった「情報」=「思い」を乗せて、我々に「付ける」ということを行なっているのかというと、それが神々といった目に見えない存在です。そういった目に見えない存在は「気」を操っており、「気」によって我々を支えています。神々は本当は我々人間にとって、とても身近な存在です。しかし、「気付く」「思い付く」という現象の意味を人間が忘れているように、我々人間は一体神々がどのように我々の心に関わっているのかということが見えなくなってしまっている現状があります。そのせいで、現代人は神々の存在が分からなくなってしまっています。

「気持ち・気分」「気付く・思い付く」というこの2つの要素は我々が日常生活の中でいつも経験していることです。だからこそ、我々人間はこの2つのことについて理解を深める必要があります。何故ならば、いつも自分の心が経験していることの構造を理解しなければ、自分の心の成り立ちが分からず、自分の心に振り回されたり、自分の心を自分が望むような形で導くことができないからです。我々人間はありとあらゆることを、「気持ち・気分」によって行なっています。「やる気」という言葉がよく表すように、我々が何かをするのは、それをしたいという「気持ち・気分」があるからです。だからこそ、皆さんが何をしたい方であろうとも、「心」の成り立ちについて理解することはとても重要になります。

このホームページの多くの内容は「気持ち・気分」と「気付き・思い付き」という2つのことに関することです。この2つのことが本当に分かれば、「心」の成り立ちについて、理解を深めることができます。そういったことについて、右の目次の『気と心の関係性』から様々な文章を読むことができます。『気と心の関係性』には、「気」が我々の「心」にどのような影響を与えているのかということを解説しています。

 

【「気」と身体の関係性】

「気」と身体の関係性について説明します。

「気」は我々の健康と強く関わっています。そのことをよく表す言葉が「元気」と「病気」という対の言葉です。

「気を持つ」と書いて「気持ち」なので、「元気」という言葉は、我々が「元の気」を「持つ」ことによって「元気」になっているということを説明しています。では、「元の気」とは何かというと太陽が地球にいつももたらしている「火の気」のことです。「元」という漢字は「根源」といった意味を持つ漢字であり、地球にとって太陽とは最も根源的な存在だからこそ、そのように言えます。また、太陽を浴びていると「元気」が出てくるという具体的な現象からも、太陽が地球に「火の気」=「元の気」=「元気」を送ってくれていることを理解できます。

そして、「元気」と対の構造にある言葉が「病気」という言葉です。この言葉は「元の気」を持つことによって「元気」になっているという構造と全く同様に、「病の気」を持つことによって「病気」が発生するということを示しています。「病は気から」といった言葉もありますが、この言葉もまた「病は病の気から生まれる」ということを示す言葉です。

「気」は大きく分けて二種類であって「光の気」と「闇の気」であり、「光の気」は我々の病を治し、「闇の気」は我々に病をもたらします。火は光を生むことから明らかなように「元の気」=「火の気」は「光の気」の一種です。だからこそ、「火の気(元の気)」を持つと「元気」になります。それに対して、「病の気」とは「闇の気」のことであり、「闇の気(病の気)」を持つと「病気」になります。「病み」と「闇」はどちらも「やみ」と読みますが、両者は本質的に同じものだからこそ、昔の日本人は同じ読みをこの二つの漢字に与えています。

現代はストレス社会であり、多くの人が心を病んでいる闇(病み)社会です。だからこそ、年々病気の発生率は上がっています。例えば、癌の発生率は年々増加しています。

どうしてストレス社会になればなるほど、癌の発生率は上がるかというと、病気もストレスも同じ「病の気」=「闇の気」によって起こるものだからです。だからこそ、「闇の気」を身体に抱え込んでいくと、心が病んでいき、体の病気も抱えやすくなります。そして、そういった日本人が増えているからこそ、ストレス社会になり全体の病気の発生率も増えています。こういった構造があるからこそ、癌といった物理的な病気だけではなく、鬱病といった精神的な病気の患者数も年々増加しています。

心と身体が繋がっていること、皆が心身共に病んでいっていることは統計を見れば明らかです。しかし、現代人は「気」のことを忘れているからこそ、ストレスや病気の原因が「闇の気」であることが分からなくなってしまっています。

今でも「元気」という言葉は心と身体の両方の状態を示す言葉であって、この言葉は心と身体が繋がっていることを我々に教えてくれる言葉です。心と身体が繋がっていることは、統計だけが根拠なわけではなくて、言葉にも元々書かれていますし、何よりも心と体の調子をよく見つめて頂ければ、繋がっていることが分かるものです。

「気」と身体がどのような関係性を持っているのかということはとても大事な知識になります。そのことについて、このホームページでは多く書いています。例えば、先程「気」には「情報」を乗せられるという話を書きましたが、我々がどのようにして記憶を抱えているのかというと、「情報」を宿した「気」が脳細胞の一つ一つに宿ることによって我々は記憶を保存しています。また、どうして「あくび」は他人にうつるかというと、「あくびの気」というものがあるからです。誰かにもたらされた「あくびの気」に他の人が触れるからこそ、「あくび」がうつるという現象は生まれます。さらに、太陽を見ると「くしゃみ」は出やすくなりますが、どうして太陽を見ると「くしゃみ」が出るかというと、「くしゃみ」の原因は「火の気」だからです。

そういった、「気」と身体の関係性についての文章も読んでみて頂けると幸いです。右の目次の『身体について』から様々な文章を読むことができます。

 

【「気」と科学の関係性】

「気」と科学の関係性について説明するために、太陽系の構造を例に説明したいと思います。

太陽系は地球に様々な「気」をもたらすためのシステムです。太陽と月が地球から見るとほとんど同じ大きさに見えることや、日食のように太陽と月がちょうど重なり合う現象などは偶然起こり得るものではなく、神々が太陽系をデザインしたからこそ起こっていることです。逆に言うと、このようなデザインが偶然生まれる可能性はとてつもなく低いです。

月は「太陰」とも呼ばれますが、この言葉は「太陽」と対の構造を持っています。「太」とは「とても大きな、第一の」といった意味を持つ漢字であり、「陽」は「光」であり「陰」は「闇」です。ですから、「太陽」とは地球においても「とても大きな第一の光」であり、「太陰(月)」とは地球において「とても大きな第一の闇」です。この二つの星は地球に最も大きな「光の気」と「闇の気」を降り注いでいるからこそ、「太陽」と「太陰」という名前を持っています。そういった意味を分かりやすく伝えるためにも、この二つの星は地球から見てほとんど同じ大きさで見えるように神々はデザインしています。

神々が太陽系をデザインしたということから、水星、金星、火星、木星、土星といった太陽系の惑星も必要だから存在しているということが分かります。では、何のためにそれぞれの惑星は存在するかというと、地球に「光の気」を送るためです。5種類の「光の気」をそれぞれの星は地球に送っています。昔の人間はこのことを理解していたので、それぞれの星の名前にその星に宿っている「気」のことを示してくれています。

太陽:「火の気(元気・笑い)」
水星:「水の気」
金星:「金の気」
​火星:「火の気(闘いの心)」
木星:「風(木)の気」
土星:「土の気」

「気持ち・気分」「気付き」の原因は「気」であり、太陽系のそれぞれの星は地球に「光の気」を送ってくれています。ですから、それぞれの星は我々の心をいつも「光の気」で支えてくれています。そういった形で我々の心を支えてくれている魂が星の神々です。

 

我々人間の魂が人間の身体に宿っているように、星の神々の魂は星という身体に宿っています。「気」のことを理解していた様々な古代文明は星には神々が宿っていることを知っていました。だからこそ、様々な神話では星の神々のことが語られています。写真左は太陽の神様であるアポローン、写真右は金星の神様であるヴィーナス(アプロディーテー)です。

「気」は物体に宿ることができるものであり、物体は「気」を宿らせるために存在します。だからこそ、人間の場合は身体という物体に「火の気」が宿ると「元気」になり、「闇の気」が宿ると「ストレス」を抱えます。そして、星は巨大なものであって、巨大な物体であるからこそ、大量の「気」を蓄えることができます。逆に言うと、大量の「気」を宿すために星はとても大きくある必要がありました。

そして、「気」は微妙に重さがあります。だからこそ、人間や動物が死んだ時は少し軽くなります。これは魂の重さとも言われますが、魂は「気」の塊であるからこそ、生き物が死んだ時は肉体から魂が抜け、その魂の重さの分だけ軽くなります。

星は膨大な「気」を宿している物体であり、重さのあるものは重力によって引き合うからこそ、星に宿っている「気」は重力を通して地球に送られてきます。そして、太陽系のそれぞれの星は公転をしているので、それぞれの星から重力によって地球に送られてくる「光の気」の量は日々変化します。逆に言うと、どうして太陽系のそれぞれの惑星は公転しているかというと、地球に送る「光の気」の量を変化させるためです。このことを体系化した営みが本来の占星術です。

また、科学の分野でも、「ダークマター(暗黒物質)」という呼び名で、観測不可能ではあるが、重さがある物質が銀河系内に遍く存在するということが長年に渡って言われてきました。この「ダークマター」が「気」のことです。

物体には「気」が宿ること、「気」には微妙に重さがあること、重さがあるものは重力によって引き合うことなどを踏まえて太陽系の構造を分析すると、何故太陽系がこのようなデザインをしているのかということが非常にはっきりと見えてきます。

本来「気」と科学は繋がっているものです。万有引力は物理学によって解き明かされたものあって、生き物が死ぬ時の重さを計測する行為は医学の分野に相当し、「ダークマター」は天文学に相当します。科学的な観点と「気」の観点が組み合わさった時に「真実」は見えてきます。逆に言うと、人間は世界の見方を様々な分野に分けてしまったが故に、「真実」が見えなくなってしまっています。だからこそ、このホームページには、様々な学問を繋げる考え方を書いていきます。

「気」と宇宙の関係性については、右の目次の『宇宙について』から様々な文章を読むことができます。

 

【「気」と作品・著名人の関係性】

「気」とアート・著名人の関係性について説明します。

「気付き」という言葉の構造の説明で書きましたが、神々は「情報」が乗った「気」を人間にもたらしています。そして、芸術家が何か作品を創る時に必要なものは「インスピレーション」=「アイデア」=「発想」であって、これらのものは「気付き」「思い付き」によって起こっています。神々と共に働く芸術家は多くいますが、彼らは神々から様々な「アイデア」をもらい、それを作品にしています。ですから、そういった作品は神々からのメッセージに満ちています。

よく芸術家は「作品のアイデアが降ってくる」というようなことを言いますが、そういった現象が起こるのは作品の「アイデア」を神々が送っているからであって、神々は明確な意図を持って「アイデア」を送っています。では、どのような意図があって、神々はそれぞれの「アイデア」をもたらしたのかを分析すると、神々が我々に何を伝えたいのかが見えてきます。

例えば、谷川俊太郎は神々と共に働く詩人であって、『二十億光年の孤独』という詩は神々からのメッセージに満ちているので、少し解説したいと思います。


『二十億光年の孤独』  谷川俊太郎

「人類は小さな球の上で」
「眠り起きそして働き」
「ときどき火星に仲間を欲しがったりする」

「火星人は小さな球の上で」
「何をしてるか 僕は知らない」
「(或いは ネリリし キルルし ハララしているか)」
「しかしときどき地球に仲間を欲しがったりする」
「それはまったくたしかなことだ」

「万有引力とは」
「ひき合う孤独の力である」

「宇宙はひずんでいる」
「それ故みんなはもとめ合う」

「宇宙はどんどん膨らんでゆく」
「それ故みんなは不安である」

「二十億光年の孤独に」
「僕は思わずくしゃみをした」
 

この詩は先程説明した、太陽系の構造を見事に説明しています。「万有引力とはひき合う孤独の力である」という歌詞は、万有引力によって神々が地球に生きる様々な命のために「光の気」を送っている構造を説明している言葉です。また、最後は「僕は思わずくしゃみをした」という歌詞がありますが、これは先程説明した「くしゃみ」の原因は「火の気」であることを説明している歌詞です。火星は太陽と同様に「火の気」が宿った星であり、火星からの「火の気」によって、この歌の主語の人間が「くしゃみ」をしていることを説明しています。この詩は他にも様々な真実を表現していますし、この詩から生まれた合唱曲も神々が創った非常に優れた歌です。
 

 

 


このように、アートには様々な真実が表現されています。それはその作品を制作した作者であっても知らない「真実」です。この詩を書いた17〜21歳の谷川俊太郎自身も太陽系の構造を知らずに「真実」を表現しているはずです。

アートを分析することは神々から人間にもたらされているメッセージを解読する行為です。人間は「気」のことを忘れているが故に苦しんでいます。だからこそ、神々は「気」のことを人間に伝えるために、アートの中に「気」に関する真実を大量に表現しています。

そういう意味で最も重要な映像作家は宮崎駿です。宮崎駿はずっと神々と共にアニメーションを創ってきた方であって、宮崎駿の作品の中には「気」に関する膨大な真実が表現されています。宮崎駿のアニメの中では、「気」といった目に見えないものが見える形で描かれているので、そういったものについて我々がイメージを抱く上で本当に役立ちます。

 

例えば、『風の谷のナウシカ』ではオームの放つ「光の気」によってナウシカは傷が「治癒」され、『もののけ姫』ではアシタカが右手に抱える「闇の気」によって「病気」を抱えていることが描かれています。これは「光の気」は「治癒」を促し、「闇の気」は「病気」を作るということを映像として表現している形になります。先程説明した、「元気」と「病気」の対の関係性そのものを意味します。

 

また、アシタカも『ハウルの動く城』のハウルも「闇の気」によってパワーを得ながら、同時に「闇の気」に飲み込まれてしまわれつつある存在として描かれています。このことは我々にとても大事なことを教えてくれます。「闇の気」は我々に「闇の気持ち」をもたらすので、時にパワーをもたらすのですが、あまりに身体が「闇の気」だらけになると、自分の「心」が「闇の気」に支配されてしまうということです。これが鬱病や統合失調症という状態でもあります。昔は統合失調症のことを「狐憑き」と言いましたが、悪魔に取り憑かれることを「狐憑き」という言葉で表現した形になります。

 

宮崎駿作品の中では、完全に「闇の気」に飲み込まれてしまった存在として、タタリ神などの存在が描かれています。タタリ神は「怒りの気」という「闇の気」に支配されてしまった存在として描かれています。宮崎駿作品はこういったことだけに限らず、それぞれの登場人物の個性や物語の流れなどは、我々が「気」のことを学ぶ上で本当に重要なメッセージに満ちています。

 

また、宮崎駿だけに限らず、庵野秀明や高畑勲や井上雄彦や津田雅美といったアニメーション作家・漫画家も重要な「真実」を多く残してくれています。『エヴァンゲリオン』『バガボンド』『彼氏彼女の事情』といった作品でも、「闇の気」と闘う主人公達が描かれているからです。この『バガボンド』の表紙の黒いものは「闇の気」を表しています。

日本で最も重要なアニメーション作家は宮崎駿と庵野秀明です。我々にとって重要な真実は「光」と「闇」のことであって、それは具体的に「光の気(持ち)」と「闇の気(持ち)」のことを意味します。そういった観点で、宮崎駿は「闇」よりも「光」を強く描いてきた立場であって、庵野秀明は「光」よりも「闇」を強く描いてきた立場です。ですから、この二人のアニメーションを真に理解するのであれば、我々は「光」と「闇」について、深い理解を得ることができます。

また、アニメーションだけに限らず、北野武や小津安二郎や岩井俊二やジョージ・ルーカスやクリストファー・ノーランといった実写映画監督も「気」と「気持ち」に関する重要な「真実」を描いています。

 

例えば、ジョージ・ルーカスの『スター・ウォーズ』の中で表現される「フォース」とは「気」そのものであり、「光の気」と「闇の気」のことを「ライトフォース」と「ダークフォース」という形で描いています。「光の気」と強く働く人間がジェダイであり、「闇の気」と強く働く人間がシスとして描かれます。

 

他にも、クリストファー・ノーランの『ダークナイト』の中で描かれるバットマン(ブルース・ウェイン)は「光」の立場、ジョーカーは「闇」の立場として描かれています。このような形で、我々が「光」と「闇」の本質について理解する上でとても参考になる作品は多くあります。

映像作品に加えて、我々が「気」のことを学ぶ上でとても重要なのが、神々と共に働く歌手の歌です。神々と共に働く歌手の歌の中にはその歌手が繋がっている神様からの多くのメッセージに満ちています。また、歌詞に真実が表現されているだけではなく、声にはその歌手の抱いている「気持ち・気分」がよく表れるので、その声を通して我々は様々な「気持ち・気分」について、つまり「気」について学ぶことができます。
 

 

 


例えば、今井美樹は古代から「愛」と「美」の女神として信仰されてきたヴィーナス(金星神)と共に歌を歌っている歌手です。だからこそ、今井美樹は「今井美樹」という名前を持っています。「今井」は「Imai」であり、「I'm Ai」=「I'm 愛」と分解できます。ですから、「今井美樹」という名前全体で「I'm 愛 美 樹」=「私は愛と美の樹である」という意味を持っています。名前にはその人のことを示す重要なメッセージが込められています。

今井美樹はヴィーナスと共に歌を歌っているので、我々は今井美樹の歌を聴くことを通して、ヴィーナスの歌声を聴くことができ、ヴィーナスの持っている「愛」の「美」を感じることができます。そのことを通して、我々は「愛」が「美しい」ものであることを感覚的に学ぶことができます。

今井美樹以外にも、重要な日本人歌手は多くいます。このホームページでは、それぞれの歌手がどのような神々と共に働き、どのような「気持ち」を表現しているのかを解説していきます。そういった解説と共にそれぞれの歌手の歌を聴くことを通して、我々はその歌手の歌から非常に重要なことを学ぶことができます。

芸人や役者もアーティストと同じように、神々と共に働く人は多くいます。芸人の心にはとっさに人を笑わせるような「アイデア」が浮かんでくるものですが、そういった「アイデア」は「気付き・思い付き」によって神々がその芸人にもたらすからこそ、芸人の心に浮かんできます。また、役者の場合も、その役柄をどのように演じるのかといった「アイデア」を神々は役者に「気付き・思い付き」によってかなりもたらしています。

ですから、本質的に芸術家が神々から作品の「アイデア」をもらって作品を作ることと、芸人が神々から笑いの「アイデア」をもらって笑いを生むこと、役者が神々から演技に関する「アイデア」をもらって演技をすることは同じ構造を持っています。

例えば、お笑いビッグ3と言われる、タモリ・明石家さんま・ビートたけしはそれぞれ神々と共に働く人間です。彼らがどの神様と繋がっているのかは名前に非常に分かりやすく表現されているので、ここで例に出して説明したいと思います。
 

・タモリ(森田一義):太陽神様

一義:「義」とは「道理」といった意味なので、「一義」という名前は「一番の道理」という意味です。そして、太陽神様は日本人にとって「お天道様」であり、「天道」=「自然に定まっている道理」=「一番の道理」なので、「一義」という名前は「お天道様」の「天道」ことを意味し、タモリが太陽神様と共に働いていることを示します。

タモリ:「タモリ」とは漢字で書くと「田守」です。そして、「田守」とは米が育つ田を守る人のことであって、米は太陽がもたらす「火の気」が強く宿った作物です。「火の気」とは熱そのもののことですが、熱とは言い換えるとカロリーであり、米が我々にもたらすものです。タモリは日本人の「火の気」を守るために太陽神様と「笑い」を実践することを人生の役割として持っているからこそ、「タモリ」という芸名を太陽神様から授けられています。


・明石家さんま:太陽神様

明石家:「明石家」は「明かし家」であり、太陽が夜明けをもたらすことを「明かし家」という形で表現しています。

さんま:太陽は英語で書くと「Sun(サン)」であるからこそ、「さんま」の「さん」で掛けています。明石家さんまは「さんちゃん」というあだ名も持っていますが、これは「Sunちゃん」を意味しています。

※神々はその人間がどういう芸名やあだ名を持つのかということにも「気付き」によって関与できるので、このような構造が生まれています。


・ビートたけし(北野武):火星神様

 

太陽と火星は「火の気」が宿る星ですが、「火の気」の異なる面を支えています。太陽は「火の気」の「元気・笑い」の側面を支え、火星は「火の気」の「闘いの心」の側面をメインに支えています。火星神様はアレースやマールスと言われますが、どちらにしても軍神であって、火星神様が「闘いの心」を司ることを表しています。そういった側面は火星神様と繋がるビートたけしの名前にも表現されています。

ビート:「ビート」は「beat」=「叩く」という意味であり、「闘いの心」を意味。また、「beet」=「砂糖大根(テンサイ)」の意味でも「火の気」を意味します。米と同様に、砂糖大根も「カロリー」=「火の気」をもたらすものだからです。

たけし(武):「武」は「武士」と言われるように「戦力、闘って勝つ力がある」といった意味を持つ言葉であり、「闘いの心」を意味。芸名で平仮名なのは「たけし」は「毅・剛志・岳志・傑士」といった様々な読みができ、それぞれビートたけしの本質を捉えることができるためです。

北野:「きたの」は「喜多の」と読むことができますが、ビートたけしが「笑い」を使うことを意味します。ですから、「北野武」を言い換えると「喜びの多い火星神様」といった意味を持ち、ビートたけしが火星神様の「闘いの心」だけではなく「元気・笑い」も強く表現することを意味しています。だからこそ、ビートたけしは芸人です。


こういった根拠は、名前だけではなくて、実際この三人が生み出す笑いや作品などからよく分かります。例えば、北野武は映画の中で「闘いの心」を強く表現していますが、そのことが火星神様と共に働いていることをよく表しています。

また、北野武は一冊だけ絵本を出版していますが、その絵本のタイトルは『ほしのはなし』であって、おじいちゃんが孫に「人はみんな自分の星を持っているんだ」という話をするという絵本です。北野武自身が星の神様と繋がっている人間だからこそ、このような絵本が生まれています。また、おじいちゃんがこのことを孫に伝えるというこの絵本の構造は、火星神様が北野武の心に「気」で働きかけることによって「真実」を伝えていることと同じ構造を持っています。

神々と共に働く著名人の姿は、その人間が繋がっている神様の性質がよく表現されます。何故ならば、そういった著名人は繋がっている神様から「気」を受け取りながら生きているからです。ですから、タモリと明石家さんまの「笑い」について理解を深めれば深める程、我々は太陽神様が好む「笑い」について理解することができ、そのことは太陽神様についての理解を深めます。また、北野武の「笑い」や映画について理解を深めれば深める程、我々は火星神様について理解することができます。北野武はそういったメッセージを映画や人生を通して大量に残している非常に重要な人間なので『北野武について』のカテゴリーに多く書いていきます。

 

役者について例を挙げると、吉永小百合や石田ゆり子について理解を深めれば深める程、我々は金星神について理解を深めることができます。吉永小百合と石田ゆり子は金星神(ヴィーナス)と繋がっている女優であって、この二人の表情などの美しさは金星神の「愛」の「美」と通じているものだからです。百合という花は「金の気」と共に生きている花であって、金星神(ヴィーナス)は地球に「金の気」を送っている神様です。ですから、金星神と共に働く吉永小百合と石田ゆり子は「百合」という名前を持って生まれています。

これから我々が「真実」を学ぶ上で重要な教科書は神々と共に働く表現者達が残してきた映画・アニメーション・歌・演技・お笑い・漫画・絵画といったものです。それぞれの表現者達は繋がっている神様と共に重要な「真実」を残してきたからです。そういった表現者達は神々の代弁者であって、神々の人間に対する「メッセージ」を代弁してくれています。

私の立場はそういった教科書・神々のメッセージの解説をしている立場であると御理解頂けると幸いです。それぞれの作品を鑑賞した上で、それぞれの解説を理解して頂ければ、多くを学んで頂けると思っています。

 

【「気」と神々・悪魔の関係性】

「気」と神々・悪魔の関係性について説明します。

神々も悪魔も存在し、彼らは「気」を司っている存在です。逆に言うと、「気」を司る存在のことを神々と呼んだり、悪魔と呼んでいるに過ぎません。現代には、神々や悪魔に対する様々な誤ったイメージがありますが、一度そういったイメージを捨てて頂けると幸いです。

神々は雲の上からいつも我々を見下ろしている存在などではなく、我々を支えるためにいつも全力で「気」で関与している魂達です。また、悪魔はある特定の人間にだけ取り憑いてその人間を苦しめるという存在ではなく、「気」を通していつも我々に関与している存在です。

神々と悪魔について理解を深める上で非常に参考になるのが、神々と悪魔が強く関与した人間がどんな行動を起こし、何を作ってきたのかを分析することです。そのことを通して、それぞれの神々や悪魔が何をしたいと思っている魂なのかが見えてきます。

神々について理解する上では既に上で取り上げたような人物達(宮崎駿、庵野秀明、北野武など)が生み出してきたものを分析することで見えてきますが、悪魔について理解する上では、例えば、マリリン・マンソンといった歌手や映画『ダークナイト』でジョーカーを演じたヒース・レジャーを分析すると悪魔とはどのような存在なのかが見えてきます。マリリン・マンソンは悪魔教会のメンバーですし、ヒース・レジャーは悪魔に取り憑かれることでジョーカーを演じています。

神々や悪魔と強く働く人間について分析を行なっていくと、神々と悪魔がどのような魂であるのかは自ずと見えてきます。神々は「愛」に満ちたものすごく性格のいい魂であって、悪魔は「欲望」に満ちたものすごく性格の悪い魂だと思って頂ければ、と思います。人間の中にも性格のいい人と悪い人はいますが、神々と悪魔はそういった人間をものすごく極端にした性格の持ち主だと思って頂ければ、と思います。

そして、神々も悪魔も「気」を司り、いつも我々に関与している本当に身近な存在です。「気持ち・気分」「気付き」の原因は「気」なので、神々も悪魔も人間に「気」を宿すことによって、人間の心に関与し、そのことで人間を動かすことができます。

そして、神々と悪魔は司る「気」が異なり、神々は「光の気」を、悪魔は「闇の気」を司っています。「光の気」は「愛」を基本とする「相手のため」の「気持ち・気分」を作る「気」であり、「闇の気」は「欲望」を基本とする「自分のため」の「気持ち・気分」を作る「気」です。

神々は「光の気」を司り、人間に「光(愛)」を教えたいと思っている立場の魂達です。「愛」は「喜び」=「幸せ」を生みます。そして、神々は「愛」の「喜び」がどれだけ価値のあるものかをよく分かっている魂達です。だからこそ、神々は我々を「幸せ」にするために、我々に「愛」を教えようとします。

悪魔は「闇の気」を司り、人間に「闇(欲望)」を教えたいと思っている立場の魂達です。「欲望」は「快楽」を生みます。そして、悪魔は「欲望」の「快楽」を楽しみながら生きている魂達です。だからこそ、悪魔はその悪魔自身が楽しむために神々に勝つということを目指します。悪魔からすると、この世はゲームです。「欲望」の立場になると、生きている状態はゲームのように感じられていくからです。

悪魔はそのゲームで勝つために、その悪魔にとって都合のいい形で人間を動かそうとします。そこで我々人間を動かすためにもたらす餌が「欲望」の生む「快楽」です。そして、その餌を食わせるために、人間の魂に「欲望」を植え付けようとします。

我々が日常的に経験している葛藤はこの神々と悪魔の闘いそのものです。例えば、本当は自分のパートナーを大事にしたいのに、相手に対する不満をぶつけてしまうといったようなことは、我々の日常によくあることですが、これは「光」と「闇」の対立の構造そのものです。

「相手を大事にしたい」という気持ちは「相手のため」の気持ちであり「愛」という「光」です。それに対して、相手に不満をぶつけることは「自分のため」のものであり「嫌悪」や「怒り」といった「闇」です。神々と悪魔はその人間の身体に宿っている自分の「気」に関与をすることで、神々はその人間に「光」を選ばせようとし、悪魔はその人間に「闇」を選ばせようとします。

そういった形で、神々と悪魔はいつも、我々人間の心を取り合っています。神々はその人間や周りの人間を「幸せ」にするために、悪魔はその悪魔自身が「快楽」を感じるために、その人間に関与しています。

「愛」も「欲望」もそれぞれ広がっていくものです。例えば、他人から優しくされた人は、「優しさ」の価値を学ぶので、他の人に優しくしようと思いやすくなります。そして、他人の自己中心的な態度(欲望)によって傷つけられた人は、その不満を発散させるために、「欲望」を実践しようとしやすくなります。神々は「愛」を広げるために人間に「光」を教えようとし、悪魔は「欲望」を広げるために人間に「闇」を教えます。

我々が生きている状態はいつも「光」と「闇」の選択です。「相手のため」の「気持ち・気分」を選ぶのか、「自分のため」の「気持ち・気分」を選ぶのかという間を人間は揺れています。そして、皆が「相手のため」に生きていけば、皆が「幸せ」になっていき、皆が「自分のため」に生きていけば、皆が「不幸」になっていきます。

我々の心のことを本当に理解するためには、神々と悪魔のことを理解する必要があります。何故ならば、神々と悪魔は我々に「気」で関与をすることで、我々の心に関与しているからです。そして、この世界ではそれぞれの人間の心から生まれる何かしらの行動によって、日々様々な出来事が起こっています。ですから、この世界について真に理解する上でも、神々と悪魔のことを理解することは必要なことです。

このような意味で、このホームページでは、御自身の心の成り立ちやこの世界の成り立ちについて理解して頂くために、神々と悪魔がどういった存在であるのかについても書いていきます。

 

【最後に】

ここでは非常に大雑把に、このホームページで書いていることを説明してきました。それぞれの事柄は「気」というものを通して繋がっています。ですから、それぞれの内容について理解が深まれば深まる程、「気」について深い理解を得ることができ、全てが繋がって見えるようになってきます。

心理学、医学、物理学、天文学、薬学、文学、芸術、哲学といった形で、人間は多くの事柄を分けて考えてしまったが故に、大事なことが見えなくなってしまいました。本当は全ての事柄は「気」を通して繋がっていますが、それぞれの分野を分けて考えてしまうと、その繋がり(「気」)が見えなくなるからです。だからこそ、全てが「気」を通して本当に繋がって見えた時に、真実は見えてきます。

このホームページで書かれていることを「鵜呑み」にするのではなく、言葉だけを通した「理解」でもなく、実感の伴った「学び」にして頂ければ、と思います。「鵜呑み」の姿勢では本当に浅い「理解」になってしまいますし、自分の経験に置き換えずに言葉だけを通して「理解」をしたとしても、本当の「学び」にはならないからです。

我々が生きているのは生きていないと「学び」を得られないものがあるからです。魂の「学び」のためには経験が必要だからこそ、我々は生きています。このホームページでは、我々人間が学ぶべきことについて、言葉や音や映像を通して、様々な観点から説明をしていますが、御自身の経験に置き換えなければただの「理解」に留まり、「学び」には繋がりません。

例えば、「愛」は「相手のため」の立場であり、「欲望」は「自分のため」の立場、という説明を読まれた時に、具体的に自分が「愛」を抱いた時と「欲望」を抱いた時の経験を思い出さなければ、「学び」ではなくて「理解」に留まってしまいます。

自分自身の経験に置き換えることは辛いこともあります。自分があの時に間違ったことをしたということを認めないといけないからです。自分が間違っていたと認めることは多くの人間にとって好ましいことではないからこそ、自分自身の経験に置き換えることは時に辛いです。

しかし、御自身の経験に置き換えてこそ、深い「学び」に繋がり、自分の間違いを認めることによって得ることができた「学び」は「二度と同じ間違いを犯さない」という強い「光」に繋げることができます。そういった気持ちに繋げるために、このホームページを活用して頂ければ、と思っています。

この世界に「闇」があるのは「光」を強くするためです。「闇」を実践した経験があるからこそ、「闇」が如何に虚しいのかが分かり、「光」の価値が本当に分かります。

「気」とはこの世界の「ルール」そのものです。試合をするためには「ルール」を知ることが大事ですが、今の人間は「ルール」を知らずに試合をしている現状があります。だからこそ、間違ったゴールにシュートを打ってしまっています。そんな状況を解決するためには、皆が「ルール」を知る必要があります。私はそのためにこのホームページに文章を書いています。

私の文章はただの「ルール」を書いているに過ぎません。だから、私の文章を読んだからといって救われるようなものではありません。しかし、御自身がこの生をより自分が望むように生きる上では、本当に役立つと思っています。

我々は輪廻転生をしています。つまり、我々は生まれては死に、生まれては死に、ということを繰り返しています。ですから、我々の一生は1つの試合のようなものです。その試合を後悔の無いように頑張って頂くために、「ルール」を知って頂ければと思っています。

我々一人一人の一生がどのようなものになるかによって、この世界は少しずつ変わっていきます。ある人が「光」=「愛」を実践していったのであれば、その「光」は他の人に受け継がれていきます。また、ある人が「闇」=「欲望」を実践していったのであれば、その「闇」は他の人に受け継がれていきます。このような形で、この世界は我々一人一人のバトンが次の世代に渡っていく中で成立しています。

是非、御自身の人生の中で「光」を実践して頂ければ、と思っています。そのことで、皆が少しずつ「幸せ」になっていくことができます。そういった人が多ければ多い程、多くの人が「幸せ」になっていき、「光」は広がっていきます。


私は数年前まで、気、魂、神様、幽霊、悪魔といったものを一切信じていませんでした。しかし、様々な経験を通して、一歩ずつそれらの存在や構造について理解を深めていき、今も毎日その学びを深めております。「スピリチュアル」に関する本などは一冊も読んでおらず、このホームページに書かれている内容はほぼ全て、自分の経験と神々との対話の中で理解していったことです。

私は皆さんにとってただのパートナーであり、仲間でありたいと思っています。理想的にはただの友人でありたいと思っています。人間は人間を信仰し、依存するという誤った傾向を持っていますが、私は信仰の対象などではありません。ただ私は、生涯を通して、皆様と共に、「光」の方へ歩んでいきたいと思っています。我々は仲間です。

「光」は「相手のため」の立場であり、「闇」は「自分のため」の立場です。ですから、「光」は「ただ与える」という立場に対して、「闇」の立場は「奪う」「ギブ&テイク」という立場です。「ギブ&テイク」は結局は「自分のため」に相手に何かを与える行為であって、動機としては「闇」です。現代はお金を通して、我々はいつも「ギブ&テイク」を行なっています。

私は「光」の立場なので、このホームページのような知識のシェアも全ての治療・問題解決・修行指導なども、全て無料で引き受けています。そういったことを通してお金を相手から取ったことは一度もありません。何か御用がある方は以下までメッセージを頂けると幸いです。

junashikari.1107@gmail.com

また、寄付は受け付けておりますので、もし寄付をして下さる方は以下の口座までお願いできると幸いです。私はシャーマンとしての活動を始めてから、寄付で生活しています。研究や文章を書くことをはじめ、この世界のために私が行なうべきことは膨大にあり、起きている時間の全てをそういったことのために使っていますが、寄付をして下さる方がおらず、お金が無くなってしまえばアルバイトをせざるを得ない状況です。しかし、それではすべきことをするための時間を失ってしまうことになります。そういったことを回避するためにも、御支援頂けると幸いです。頂いたお金は全て、この世界が「光」へ向かっていくために使っており、「自分のため」に使うということは行なっていません。

りそな銀行 福岡支店(店番号:711) 口座番号 0255762(普通預金) 芦刈 純(アシカリ ジュン)

 

この星に苦しんでいる魂は山のようにいます。そこに倒れている人がいたら助けるということに間違いなどあるわけがないと思っています。逆に、そこに倒れている人がいるのに、それを見て見ぬふりをすることなど、私には絶対にできません。

日本人の多くが心身を病んでいます。しかし、ほとんどの人が「気持ち・気分」は「気」を「持つ・分かつ」ことによって成立していることを知らないが故に、精神が病む原因を知りません。また、ほとんどの人が「病気」の原因は文字通り「病の気」=「闇の気」であることを知らないので、病気が起こる原因を知りません。そういった問題の構造を知らないからこそ、問題を解決することができていない現状があります。だからこそ、「気」のことを伝えるべきだと思い、このホームページには「気」に関する知識を日々書いています。

また、日本人は「愛」が欠けていっていることによって、お互いにお互いの首を絞め合っている現状があります。例えば、東京中どこに行っても、必ず「愚痴」の会話が聞こえてきます。「愚痴」とは「嫌悪」であって「愛」とは正反対の態度です。そういった「愚痴」の中で生きていくと、他人に対して「愛」ではなく「嫌悪」を持つことが当然のように思えてしまいます。そうすると、どんどん「愛」が失われながら「嫌悪」が強まっていき、お互いのことを「許せない」と感じ、そのことによって「自分のため」に相手を縛り、皆が「不自由」になっていきます。そして、「不自由」という状態は「嫌悪」を抱きやすい状態なので、より「嫌悪」に堕ちていきます。今の日本社会は皆でこういった悪循環を作り出しています。

こういった悪循環ができてしまったのは、皆が「愛(光)」と「嫌悪(闇)」の違いや、「許す(光)」と「許さない(闇)」の違い、「自由(光)」と「不自由(闇)」の違い、「愚痴(闇)」が如何に恐ろしいものなのかを知らないからです。つまり、「光」と「闇」の構造を忘れ、「闇」が如何に恐ろしいものであるのかを知らないからこそ、皆が「闇」に堕ちていく悪循環を作ってしまっています。

日本人は本当は「光」が好きだと思います。どうしてそのように言えるかというと、宮崎駿や松任谷由実といった「光」の人間が生み出す作品が好きだからです。もし、日本人が本当に「闇」が好きであれば、これらの作品の人気があるわけがありません。「光」が好きなのに、「光」に向かうことができないのは、「光」に向かう方法を知らずに「闇」に堕ちてしまう罠を知らないからです。だからこそ、このホームページには「光」に向かう方法と「闇」に堕ちる罠の構造を説明しています。

日本が本当にいい国になって、お互いに支え合い、そのことでお互いが「幸せ」を感じることができるような国になるために、いつも全力で努力しています。私にできるその1つの方法がこのホームページだと理解して頂けると幸いです。有効に活用して頂けると、本当に嬉しいです。

苦しんでいる相手を助けたいと思うのは、その相手を大事に想うからです。この相手を大事に想う気持ちが「愛」です。そして、本当の「愛」によって助けられた相手は「愛」の「喜び」=「幸せ」を知ることになります。そうすると、そこで助けられた人も「愛」で動き始めるようになります。このようにして、「愛」は広がっていきます。そして、「愛」とは「光」のことです。

皆様と共に、「光」に満ちた世界を創っていきたく思っています。


                                          芦刈 純