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芦刈純。心理学者、哲学者、気学者、芸術学者、宗教学者、神学者、旅人、アーティスト(音楽家・映像作家)。

長年に渡って世界中を旅し、人間の心の成り立ちやこの世の構造を分析しています。現在は一年近くの間、インドにてヒンドゥー教やインド楽器などを研究しています。


このホームページでは、我々の「心」に関することについて解説しています。「心理学」とは「心の理を学ぶ」と書きますが、「理」とは「法則」のことです。ですので、「心理学」とは「心の理(法則)を学ぶ」ことです。そういった「心の理」に関することから、我々の「心」に影響を与えている様々なものまで、幅広いテーマについて解説しています。右のカテゴリーから、様々なテーマに飛ぶことができます。

現代を生きる我々人間は、自分自身の「心」がどのように成り立っているのかを見失っています。だからこそ、自分自身が「心」を使うのではなく、自分自身が「心」に振り回されがちです。例えば、何かを頑張りたいと思っているのに、何もしたくなくなってしまったり、相手を大事にしたいのに、相手を傷付けてしまうことをしてしまったり、といった形です。そういった状態を防ぐために、「心」の使い方を学ぶ必要があり、「心」の使い方を学ぶためには、「心」がどのように成り立っているのかを学ぶ必要があります。つまり、「心の理」を学ぶ必要があります。

まず最初に理解すべき「心の理」は、基本的な「気持ち」の「本質」です。そして、様々な「気持ち」の「本質」を理解する上で最も重要な観点が、その「気持ち」が「相手のため」なのか「自分のため」なのか、という観点です。そして、「愛」は「相手のため」の「気持ち」であるのに対して、「欲」は「自分のため」の「気持ち」ですが、多くの「気持ち」はこの2つの方向性のどちらかです。例えば、「優しさ」は「相手のため」の「気持ち」なので「愛」の方向性、「嫉妬」は「自分のため」の「気持ち」なので「欲」の方向性です。

次に理解すべき「心の理」が、基本的な「気持ちの流れ」です。例えば、「愛」は「相手を大事に思う心」ですが、そういった「相手を大事に思う心」が相手のことを「思いやる」ことを目指す「優しさ」に繋がっていくことはよくあります。また、「欲」は「何かを欲しがる心」ですが、そういう「欲望」が満たされたないことで、その状況に対する「嫌悪」に繋がっていくことはよくあります。

こういった「愛」→「優しさ」、「欲望」→「嫌悪」という「流れ」は「気持ち」の「流れ」の一例に過ぎませんが、このような基本的な「気持ち」の「流れ」には限りがあり、その「流れ」のパターンを事前に理解しておくことで、自分が進むべき「気持ち」の「流れ」も、自分が進むべきではない「気持ち」の「流れ」も事前に理解できます。こういったことを理解することが、例えば、「幸せ」への「気持ち」の「流れ」や「不幸」への「気持ち」の「流れ」を理解することにも繋がっていくので、「幸せ」になりたい方や誰かを「幸せ」にしたい方は事前に「気持ち」の「流れ」を理解しておいた方がいいです。

「気持ち」の「本質」と「気持ち」の「流れ」を学ぶことが、「心理学」=「心の理を学ぶこと」において最も大事なことです。次に「心理学」を理解する上で大事なことは、「気」のことを理解することです。そして、「気」のことを理解する上でとても参考になるのが日本語です。

例えば、「気持ち」という言葉は「気」を「持つ」と書きますが、この言葉は、我々が「気」を「持つ」ことによって、「気持ち」を抱いているという「心の理」を見事に説明している言葉です。例えば、「換気」をしていない電車に乗ると「気持ち」が悪いのに対して、大自然の中は「気持ち」が良いですが、これは空気中に含まれる「気」の違いによって、起こる「心」の動きの違いです。我々は絶えず「呼吸」をしているので、外界の「気」から絶えず影響を受けながら生きています。こういったことが分かってくると、「換気」の重要性が分かってきます。そもそも、「換気」が「気」を「換える」と書くことの背景には、このような構造があります。また、「呼吸」という言葉は「呼気」と「吸気」という言葉から成り立っている言葉でもあります。

心と体はとても密接な関係にあるものです。例えば、お医者さんが「この病気の原因はストレスです」と言うようなケースはとても多いですが、「ストレス」とは何かというと「悪い気」のことです。そもそも、「病気」という言葉が何故「病の気」と書くかというと、昔の日本人は「病の気」を体に抱え込むことで「病気」は生じるということを、よく知っていたからです。つまり、我々人間は「悪い気持ち」を抱くことで、「悪い気(病の気)」を「持ち」、その「悪い気(病の気)」が「病気」となります。

それに対して、「元気」という言葉は「元の気」と書きますが、この言葉は「根源(元)の気」を体に抱えることで、人は「元気」になるという考え方を意味しています。そして、「根源(元)の気」を地球に降り注いでいるのは太陽です。だからこそ、太陽を浴びていると、人は「元気」になります。こういうことが分かってくると、太陽の光と共に生きることが如何に大事なことなのかが分かってきます。

こういった形で、言葉には我々日本人が忘れてしまっている「心」に関する様々な「真実」が書かれています。我々日本人が大事なことを忘れてしまっても、言葉の中には「真実」が残されているとも言えます。だからこそ、まず最初に我々が学ぶべきことは、言葉が持っている本来の意味です。

こういった知識が言葉に残されているのは、言葉を作ってきた我々の御先祖様が物事の本質をよく理解し、そういった本質を言葉に保存してきてくれたからです。だからこそ、言葉とは御先祖様が我々に残してくれた財産とも言えます。そして、正しい言葉は我々に物事の本質を教えてくれる力を持っているので、これ程までに価値のある財産はありません。しかし、我々日本人は言葉の持っている本来の意味を見失っていることによって、その財産を受け取ることができていません。だからこそ、我々はもう一度言葉を学ぶ必要があります。

「言葉」が「言の葉」と書くのは、まるで「葉」のように、「言葉」は「こと(事)」を「分ける」力を持っているからです。そして、「物事」を「分ける」ことによって、我々は「物事」を「分かる」ことができます。例えば、「愛」と「欲」という「言葉」があるからこそ、我々は「愛」と「欲」を「分ける」=「分かる」ことができ、「愛」と「欲」の「本質」を「分かる」ことがしやすくなります。

日本語には「気」という漢字を含む多くの言葉があります。「気持ち」「気付き」「気になる」「気が進む」といった形で、例を挙げればキリが無い程にそういう言葉はあります。どうしてこれ程までに「気」という漢字を含む言葉が多くあるかというと、我々の「心」と「気」はとても密接な関係にあるからです。だからこそ、「心の理」を学ぼうとすると、自ずと「気」のことを学ぶ必要が出てきます。

そもそも、英語で書くと「心理学」は「psychology」ですが、この言葉は「psyche(気)」と「logy(研究)」から構成されている言葉です。つまり、本来の「心理学」とは「気」に関する「研究」であることを「psychology」という言葉は意味しています。ですから、本来の「心理学」とは「気学」です。つまり、「心の理を学ぶこと(心理学)」とは「気を学ぶこと(気学)」です。

「気」のことを学ぶと書くと、とても難しいことのように思われる方もいると思いますが、これは「気持ち」のことを学ぶこととほぼ同じことです。そう考えると、特別なことを学ぶわけでもないということを理解して頂けると思います。そして、我々に「気持ち」のことを強く教えてくれるのが、歌や映画といった、様々な作品です。

例えば、桑田佳祐は歌を通して、様々な「元気」の在り方、「元気」へ通じる様々な考え方など、我々に「元気」の本質や「元気」へ続く「心の流れ」などを教えてくれています。また、宮崎駿は作品の中で登場する様々な登場人物を通して、我々がどのように心を使いながら生きるべきなのかを、様々な形で教えてくれています。

つまり、素晴らしい表現者達は、我々の「心」を正しい方向へ導くための道具を数多く残してくれています。しかし、現代は消費の時代なので、どんなに素晴らしいものがこの世に生まれてきたとしても、一年経つと忘れ去られてしまう傾向にあります。そういった方向ではなくて、今までに生み出されてきた素晴らしい作品や、これから生まれてくる素晴らしい作品をもっと大切にしながら、我々が大事なことを学ぼうとし始めるのであれば、その学びを通して、我々はもっといい形で生きていくことができるようになりますし、そういったことの積み重ねの中で、日本社会はもっと良くなっていくことができます。

そして、それぞれの素晴らしい作品の持っている「意味」を理解するためには、言葉を通してその「意味」を理解する必要があります。例えば、桑田佳祐の歌を聴いていて「桑田佳祐の歌はなんだか心地良いな〜」と思うよりも、「桑田佳祐の歌を聴いていると元気になれる!」といった形で、「元気」という言葉を使った方が、桑田佳祐が何を我々に教えてくれているのかを学びやすくなります。だからこそ、このホームページでは、それぞれの作品がどのような「意味」を持っているのかを言葉で解説していくことを重要視しています。

我々人間は何をする時であっても「心」を使っています。逆に言うと、我々の全ての行動の原因は「心」です。そして、この世界は様々な人間の行動によって日々変化しています。だからこそ、我々人間が「心」をもっと素晴らしい形で使っていくことができれば、この世界は素晴らしい形へ変わっていきます。そして、「心」をいい形で使っていくために大事なことは、「心の理を学ぶこと(心理学)」です。何故ならば、「ルール(心の理)」を知らなければ、いい形で「試合(人生)」と向き合うことはできないからです。

「人生」は「試合」であって、「この世」は闘いの「リング」です。その「試合」を「誰かのため」に闘うのか「自分のため」に闘うのかを、我々は自ずと決めています。そして、「誰かのため」に闘うことができるならば、「この世」に少しでもいい影響を残すことができ、「自分のため」に闘うのであれば、自ずとワガママになっていきますから、「この世」に悪影響を残すことになります。そして、「人生」が終わる時、我々は「リング」から去ります。これが、我々の「人生」が持っている1つの意味合いであって、私の思いとしては、「誰かのため」に「人生」を生きてほしいと思っています。

私は「心の理を学ぶこと(心理学)」と、そういう学びを他者に伝えることに人生をかけています。何故人生をかけられるかというと、正しい「心理学(心の理を学ぶこと)」は、この世界をより良くする力を持っていることを信じているからです。逆に言うと、現代という時代は、「心の理」を知らないが故に、うつ病になってしまったり、「幸せ」に生きていくことができない人がとても多い時代です。そういった現状を変え、正しい方向へ我々が向かうために、「心の理」を研究し、それを人々に伝えたいと思っていますので、御活用頂けると幸いです。


                                             芦刈純