「愛」の立場は「相手のため」なので「相手を守る」ことを行ないます。それに対して、「欲望」の立場は「自分のため」なので「自分を守る」ことを行ないます。このことについて、説明していきます。

我々は生きていて「相手を守る」か「自分を守る」かを選択しないといけない場面をよく経験しています。そして、そういった場面では「相手を守りたい」という気持ちが強くなればなるほど「自分を守る」ことをしなくなり、「自分を守りたい」という気持ちが強くなればなるほど「相手を守る」ことをしなくなります。

例えば、自分が何かしらのミスをして周りの人に迷惑をかけてしまった時、「愛」に生きる人であれば、周りの人に責任をなすりつけることで周りの人を苦しめることを「相手を守る」ために行いたくないと思い、素直に自分の過ちを「認める」ことを行ないます。しかし、「欲望」に生きる人であれば、周りの人に責任をなすりつけることで「自分を守る」ことを目指し、自分の過ちを「認めない」ということを選んだりします。

つまり、「相手を守る」ということと、自分の過ちを「認める」ということは繋がっていて、「自分を守る」ということと、自分の過ちを「認めない」ということは繋がっています。

また、相手が自分に何かしらの「不利益」を与えた時、「相手を守る」態度は相手を「許す」ことを行ない、「自分を守る」態度は相手を「許さない」ことを行ないます。

例えば、誰かが自分の大切な物を壊してしまった時、「愛」を選ぶのであれば「相手を守る」ことを目指すので、相手のことを「許す」ことを目指します。しかし、「欲望」を選ぶのであれば自分が得た「不利益」ばかりに目が行き、相手に対して「許さない」という気持ちを選び、「自分を守る」ことを目指すので、どうやって埋め合わせをしてもらうかを考え始めたりします。

また、「相手を守る」ということと「与える」ことは繋がっていて、「自分を守る」ということと「奪う」ことは繋がっています。

本当に強い「愛」を抱いていれば「相手を守る」ために自分の命さえも「与える」ことができます。ですから、「愛」と「相手を守る」ことと「自己犠牲」は繋がっています。それに対して、強い「欲望」を抱いていると「自分を守る」ために相手から「奪う」ことさえもできてしまいます。ですから、「欲望」と「自分を守る」ことと「搾取」は繋がっています。

「愛」⇔「欲望」の対立関係は「相手のため」⇔「自分のため」の対立関係だからこそ、「相手を守る」⇔「自分を守る」という態度に繋がります。そして、「相手を守る」⇔「自分を守る」という対立関係が「認める」⇔「認めない」、「許す」⇔「許さない」、「与える」⇔「奪う」といった対立関係に繋がっていくことを理解して頂けると幸いです。

このような形で、「愛」⇔「欲望」の対立関係を基本に、様々な心の動きの意味がどのような構造を持っているのかを理解して頂けると幸いです。こういったことが見えてくると、世の中が「愛」⇔「欲望」の対立構造によって動いていることが見えるようになっていきます。