「面白い」という言葉には二つの意味があります。一つは「楽しい=Funny」、もう一つは「興味深い=interesting」という意味です。「面白い」という言葉が意味する、この二つの言葉を正しく理解しなければなりません。なぜならば、この二つの言葉は全く別の感情を表しており、そのそれぞれの感情は奥が深い感情であるからです。

これは前提としてありますが、この二つは異なる感情ですから、我々は「面白い」という言葉を極力使わないようにしなければなりません。なぜならば、こういった二つの意味を持つ言葉を一つの言葉で表現し続けるならば、その内にその二つの意味の違いがよく分からなくなっていくからです。もう既にそうなってしまっている日本人もいると思います。我々は言葉を使っているつもりですが、実際は言葉に支配されており、だからこそ、こういった点には非常に気をつけなければなりません。例えば、現代人は「やばい」をよく使う傾向がありますが、その内に「やばい」が意味する様々な意味内容を忘れてしまう可能性もあります。そうすると、「やばい」の中に含まれる様々な感情のことがよく分からなくなります。

「楽しい(funny)」も「興味深い(interesting)」も中立の感情として存在します。まず初めに「楽しい(funny)」について書きます。

例えば我々はゲームをしている時に「楽しい」と言います。しかし、同じ「楽しい」の中にも二つの「楽しい」があります。邪悪なゲームをやっている時に「楽しい」と感じる時、それは闇の「楽しい」。清いゲームをやっている時に感じる時、それは光の「楽しい」です。そして、闇の「楽しい」とは別名「快楽」と言います。光の「楽しい」は「喜び」と言います。「快楽」は闇であり、「喜び」は光です。

「楽しい」という感情は中立の感情です。しかし、実際は純粋に中立の感情としての「楽しい」という状態を実現することよりも、我々は「快楽」か「喜び」のどちらかに寄りがちです。なぜならば、本当に「楽しい」のは純粋に中立の「楽しい」よりも、「快楽」か「喜び」としての「楽しい」であるからです。言い換えると、刺激が強いのは「快楽」であり、心がより大きく動くのは「喜び」であるからです。

我々は「闇の楽しさ」=「快楽」ではなく、「光の楽しさ」=「喜び」を選ばねばなりません。少なくとも、「楽しい」という曖昧な言葉を使うのではなくて、「快楽」と「喜び」という言葉を使うことで、自分が「楽しい」と思う時に一体自分が光と闇のどちらにいるのかということを分析しなければなりません。

次に「興味深い」という言葉についてです。この言葉は純粋に中立の感情としてあります。光の「興味深い」も闇の「興味深い」も存在しません。

「興味深い」という感情は、言い換えると何かが「普通ではない」「非常にユニークである」ということを意味します。つまり、「特別」な何かに対して抱く感情が「興味深い」という感情です。

「特別」ということは光にも闇にも共通なものであり、「興味深い」とは「特別」であるというそのこと自体に価値を置く発想を持った言葉であり、一体それがどれだけ「特別」なのかといった点のみが重要な言葉なのです。「光の特別」も「闇の特別」もどちらも同様に重要視されている発想になります。「特別」という発想自体には光も闇も関係ないのです。

神々は非常に素晴らしい闇の芸術家を賞賛したりします。そして、悪魔達も非常に素晴らしい光の芸術家を賞賛したりします。これは神々や悪魔だけの話ではなく、人間も共通であり、光に満ちた人間も非常に特別な闇の芸術に対して賞賛をし、闇に満ちた人間も非常に特別な光の芸術に対して賞賛をしたりします。ここで使われている感情が「興味深い」という感情なのです。

「面白い」という感情は「楽しい」と「興味深い」という二つの意味があるということ。そして、「楽しい」には純粋な中立の感情としての「楽しい」、光の「楽しい」=「喜び」、闇の「楽しい」=「快楽」があること。そして、「興味深い」という感情は光にとっても闇にとっても平等な感情であり、「特別」という観点に重きが置かれている言葉であること。これら全てのことを理解した上で「面白い」「楽しい」「興味深い」という言葉を使わねばなりません。

我々は言葉に支配されています。言葉を使っている気になってはいけません。言葉とはそれ自体に支配力があります。ですから、それぞれの言葉が一体どのような形で我々を支配しているのかを理解しなければ、本当の意味で言葉を使うことはできません。言葉を使うことと言葉に支配されることが完璧なイコールでない限り、そのギャップが罠となり、我々の人生は狂っていきます。

例えば、「私は面白いことがしたい」と言っている女性がいるとします。しかし、彼女は「面白い」ということの意味を理解できていません。そういう方は自分が「快楽」に向かっているのか「喜び」に向かっているのかよく分からないのです。つまり、光と闇のどちらに向かっているのか、よく分からないのです。前にも書きましたが、大事なことは自分が光を選ぶのか闇を選ぶのかという「立場の選択」です。それが成されない限り、あなたがする選択はよく分からない選択となり、人生は始まりもせず、むしろ自分が望まぬ方向に行ってしまいます。

この「面白い」「楽しい」「興味深い」という言葉は現代の日本人に対する罠になっていますから、どうか気を付けて下さい。