「気」の観点からアートや世界を分析している人間は全然いません。心に従って生きてきたら、自分の人生はそんなことをメインに行なう人生になっていました。

誰もやったことがないことには2種類しかありません。価値があることか、価値がないことか、です。誰もやったことのないことで、価値のあることには、大きな価値があります。何故ならば、誰もやってないが故に、とても新しいことだからです。自分自身は、自分がやっていることに価値があることは確信しています。

しかし、自分が何をやっているのかを理解してもらわない限り、自分がやっていることの価値を他者に理解してもらうことはできません。そして、ほとんどの日本人は「気」のことを忘れているのですから、自分が何をしているのかを理解してもらうことも困難です。だからこそ、当然自分がやっていることの価値を分かってくれる日本人は稀です。

また、どうして自分のやっていることに価値があると思っているかというと、人間が生きていく上で自分の研究成果は絶対に役立つからです。しかし、役立つかどうかは使ってもらわない限り分かりません。そして、使うためにはその知識を理解してもらう必要があります。ただ、自分の分析を理解しようとする日本人は少ないですから、多くの人は自分の研究成果を使うこともありません。だからこそ、それが本当に役立つことも分かってもらえず、多くの日本人は自分のやっていることに価値があるかどうかも分かりません。

そんな面倒な構造の中を自分は生きているのですが、海外にいると、日本人に大事なことを伝えようとする気持ちが自分の中で弱くなっていきます。その理由の一つは、日本人に伝えること以外の、分析作業や様々なことに日常のほとんどの時間を割くようになるからでもあります。

日本人が「真実」を学びにくい人間なのは、深く理解しています。今の日本人が求めている知識は、本当のことではなく自分にとって都合のいい情報であって、理解するために努力を必要とするものではなく、手軽に分かるインスタントなものだからです。「真実」は必ずしもその本人にとって都合のいいものとは限らないし、必ずしもインスタントに分かるものではないので、今の日本人は「真実」を学びにくくなっていることは明らかです。

人間が「欲望」に堕ちていくと、必ずこのようになっていきます。「欲望」に堕ちると、「自己肯定欲」に囚われるので、自分にとって都合の悪い情報は受け入れられなくなります。逆に言うと、「愛」が強ければ、「他者のため」に本当のことを理解しようと思い、自分にとって都合の悪い情報でも受け入れられるようになります。

今は台湾にいますが、台湾人は「真実」を簡単に受け入れられる人がとても多いです。何故ならば、彼らの心には「愛」が深く根付いているからです。

今、海外でシャーマンとして活動していて分からなくなっているのが、自分は一体どこの地域の人から知識を伝えていくべきかということです。この決定権は自分にはなく、神々にあります。自分は神々に仕えている立場の人間であって、そういう立場である以上、神々の狙いに反したことは行ないたくないですし、行うべきではないことを知っているからです。

神々は直前まで自分に何をさせるのかを教えません。というのも、悪魔にも自分の心は見えますから、神々が自分に神々の計画を教えることによって、神々の計画を悪魔に伝えるわけにはいかないからです。だからこそ、直前まで自分はその日何をするべきなのかを分からない中を生きています。

スポーツに例えると、自分は選手であって、神々は監督です。敵チームの監督(悪魔)には自分の心が見えています。だからこそ、監督は自分のチームの選手(自分)に直前まで指示を出すわけにはいきません。神々と私の関係性は、そういった試合の監督と選手の関係性です。

「気」の知識を理解していくことについて、台湾人は日本人よりも圧倒的に優れていることはよく分かります。しかし、台湾人にそういった知識を伝えていくことも当然時間がかかることであって、そこに着手するならば多くの時間をそちらに割かないといけなくなることも分かっています。

台湾だけのことを考えるのであれば、それをこれからすべきですが、台湾だけのことを考えるのは間違っていることも分かっています。しかし、台湾人がより強く世界で活躍するならば、台湾に力を注ぐことは世界中にいい影響を与えていきます。そして、台湾人は本当に「愛」が強いので、世界にいい影響を出していけるだけのポテンシャルを持っている人々であることも分かっています。

そういったことを考えていくと、一人の人間である自分には一体どこから着手すべきなのか判断が付きません。人間は自分の認識で得た知識によってしか判断ができません。神々は我々人間よりも圧倒的に優れた認識能力を持っていて、世界の全てを今この瞬間に見ています。だからこそ、神々の状況判断は絶対に人間よりも的確です。そんなことを分かっているからこそ、神々の計画に反したことをやりたいとは思いません。

(実際、何故このタイミングでこのような文章を書く必要があるのかも自分自身は分からないのですが、神々から指示が来たからこそ書いています。きっと、神々は誰かにこの文章を読ませたいのだと思います。または、この時点で自分にこのようなことを考えさせていたことを記録したいのだと思います。こういう形で、神々の本当の狙いを人間である自分が理解することは本当に困難です。)

台湾にいる間、路上で演奏していない時間は大体台湾人とコミュニケーションを取っています。そのことによって、台湾の「光」と「闇」に対する理解を深めています。以前は一人の旅人として台湾に長くはいましたが、今はシャーマンの立場として台湾にいるからこそ、気付けることが多くあります。

そんな日々を過ごしていると、台湾人が知った方がいい情報が何なのかも分かりますし、台湾人が「真実」を理解する上で如何に優れているのかもよく分かります。

また、日本人に「真実」を伝える上でも、逆輸入の形が有効なのも分かっています。今の日本人は自分自身の力で物事の価値や意味を判断できる人間ではなくなっています。そうではなくて、評論家の意見などを正しいと信じ込むタイプの人間です。だからこそ、「海外で認められた」といった国外の評価があると、日本人は「疑い」を持ちにくくなります。逆に言うと、国内から始めようとすると、多くの人は自分のことを「ヤバイ新興宗教」という形で「疑い」の目で見ます。

(こういうことを書くと、布教活動のように思われそうですが、自分がやっていることは分析であって、分析結果をシェアするだけのものです。自分の分析方法は科学のアプローチに非常に近いと思っていて、数学にも似ています。また、結局自分が伝えたい内容は漢字の深い意味や中国の陰陽五行思想や古代ギリシャの四大元素説といった、かつての人間が理解していたことの解説に過ぎません。)

そんなことを考えることもある日々です。こういうことを考える必要があるからこそ、神々に考えさせられているとも言えます。しかし、何故これを考える必要があるのかは今の自分には分かりません。数年後くらいに何故それを考えさせられたのかが分かるようなことはよくあります。

とにかく、今の時点でやるべきことは、世界の分析であって、知識を伝えるシェアの段階はもっと後ですべきことだと思っています。分析によって知識の理解度はより上がり、いい形でシェアできるようになるからです。また、あまり目立つと好き勝手に色々な国に出入りすることが難しくなるからでもあります。宗教家と思われると危険人物と思われることもあるので、ただのバックパッカーだと思われていた方が都合がいいこともあります。

ただ、神々は悪魔の裏をかこうともしますから、本当に判断がつきません。ひょっとしたら台湾人に「真実」を伝えるための努力をこれから結構していくのかもしれないし、実際、自分のホームページを中国語に翻訳できる台湾人を探し始めています。

そんなことを思うこともある中を生きていますが、今の自分の日々の課題は路上演奏と台湾の分析なので、それらを一生懸命に行なっています。長いスパンで色々なことを考えない限り、今日何をすべきなのかが見えてこないこともあるので、長いスパンで考えることも大事なのですが、今後どのような計画で進んでいくにせよ、路上演奏と台湾の分析は今する必要があるので、今これらのことをやることは間違いないことです。だからこそ、これらのことを行なっています。そんな判断の中で、いつもすべきことを全力で行なっています。

この文章を通して、自分がどのような認識の中を、どのような判断と共に生きているのかを、少しでも理解して頂けるならば、この文章を書いたことに全く意味がないことはないと思っています。