ここでは、結婚について書いていきます。結婚は人間にとってとても大きなものであるからこそ、結婚について理解を深めることはとても大事です。

多くの日本人が結婚に対して「結婚したら幸せになれるはず」「30歳までに結婚しないと」といった様々な誤った「アイデア」に振り回されている現状があります。そして、そういった「アイデア」によって誤った選択を行い、人生を「闇」に寄せてしまっています。そういったことを防ぐために、日本人が結婚についてどういった間違った「アイデア」に囚われているのかをここでは書いていきます。その上で、結婚の意味についても書いていきたいと思います。


【日本人が抱える結婚に対する間違った「アイデア」】

[「結婚をしたら幸せになる」という「アイデア」について]

「結婚をしたら幸せになる」のかどうかを本当に理解するためには、「幸せ」とは何かということを理解する必要があります。ですから、最初に「幸せ」について少し説明します。

「幸せ」とは「心」の状態であって、「気持ち」の1つです。そして、我々の「気持ち」はいつも変化していきます。「幸せ」という言葉が「気持ち」であることを意識しないと、一度「幸せ」になるとそのままずっと「幸せ」になるといった間違った「アイデア」を信じてしまいやすいのですが、「幸せ」が「気持ち」であることを理解すると、今日が「幸せ」でも、明日は「幸せ」ではないかもしれないということが理解できます。とにかく、「幸せ」とは「気持ち」であって、我々の「気持ち」はいつも変化するので、「幸せ」な時間とそうでない時間は我々にはずっと続いていきます。

そして、「幸せ」とは「愛」を通して感じる「喜び」のことです。「愛」とは「相手のことを自分の損得と関係なく大事に想う気持ち」のことであって、そういった「愛」を抱くと、その相手が笑っているだけで「喜び」を感じますが、この「喜び」が「幸せ」のことです。

そして、「愛」と対の関係性にあるのが「欲望」です。「欲望」は「自分が利益を欲しがる気持ち」のことであって、そういった「欲望」を抱くと、相手が自分に何らかの「利益」をもたらす時に「快楽」を感じます。この「快楽」は「幸せ」とは異なるものです。

日本人が「幸せ」のことが見えなくなってしまっている大きな理由は「喜び」と「快楽」のことを混同していることがあります。「愛」を抱くと「相手が大事」と想うが故に「相手のため」に何かをしたいと思い、相手が「幸せ」な時に自分も「幸せ」なのですが、「欲望」を抱くと「自分が大事」と考えるが故に「自分のため」に何かをしたいと思い、自分が「利益」を得る時に「快楽」を得ます。そして、「愛」の生む「喜び」は「飽き」が来ないものであるのに対して、「欲望」の生む「快楽」は「飽き」が来るものです。

このことを結婚に置き換えると、「愛」で結婚する場合、お互いがお互いのことを大事に想い、お互いがお互いで支え合おうとし、相手が「幸せ」な時に自分も「幸せ」を感じるので、二人が「愛」を守れるのであれば、二人で「幸せ」になっていくことができます。

「欲望」で結婚する場合、ずっとその相手に「快楽」を感じ続けることができないので、どこかで相手に対して「飽き」を感じていきます。そして、「飽き」を感じている相手とその後もずっと一緒に生きていかないといけなくなるので、「幸せ」=「喜び」どころか、「快楽」さえ得られなくなり、相手は「嫌悪」の対象となります。

二人とも「欲望」だとほとんどの場合、夫婦関係は悪くなります。何故ならば、「欲望(闇)」とは「自分のため」の立場ですが、「自分のため」の立場を選んでいると「相手のため」に何かをすることができなくなり、相手に対する「嫌悪(不満)」ばかりが強くなっていくからです。それを二人ともやっていくので、お互いに「わがまま」になっていき、そのことでどんどん「ストレス」が溜まり、夫婦という関係性が自分を縛るものとなっていきます。

また、片方が「愛」で片方が「欲望」であるケースも「幸せ」になることはできません。何故ならば、「欲望」を抱いている方はどこかで「自分のため」に自分勝手なことをし始め、「愛」を抱いている方はそのことによって傷付いていくからです。

このような意味で、「結婚をしたら幸せになる」という「アイデア」は「愛」を生涯に渡ってずっと二人共が抱いているのであれば正しいです。しかし、二人の一方や両方が「欲望」を抱くのであれば、結婚はむしろ二人を苦しめる足かせとなります。

ですから、結婚というものは元々「愛」を前提にするものであることを理解して頂けると思います。結婚は二人が生涯に渡って「愛」を貫くことができるかどうかの試練であって、そういった試練に打ち勝つことができると思える程の「愛」を抱き合っている二人がすべきものです。

もし「欲望」の立場を選ぶのであれば、絶対に結婚はすべきではありません。何故ならば、結婚したことによって「不幸」になっていくからです。結婚と「幸せ」と「不幸」について、このような関係性があることを理解して頂くことが、結婚についての最重要な知識になります。

自分が相手に対して本当に「愛」を抱き、相手も自分に対して本当に「愛」を抱いている場合のみ、結婚はすべきであるということを知って頂けると幸いです。


[加齢によって自分の外見が悪くなっていくことを気にすることについて]

「愛」は相手の内面に向けられるものであって、外見に向けられるものではないです。例えば、自分の子供に対して「愛」を抱く人は、自分の子供の外見が好きで「愛」を抱いているわけではありません。

また、仮に、もし相手が自分の外見が好きで結婚したとしたら、自分の見た目の美しさなどが失われ始めた途端に相手は自分のことを好きではなくなります。そして、結婚生活は長いので、男女共に自分の外見の良さが失われないことなどあり得ません。

ですから、自分の外見を気にするような異性と結婚はするべきではありません。だからこそ、加齢によって自分の見た目が悪くなっていくことを気にして、焦って結婚をするようなことは間違っています。逆に、自分の見た目が悪くなればなるほど、自分の外見が好きで自分のことを好きになる相手は減っていくので、本当に自分の心を愛してくれる相手が見つかりやすくなります。

日本人は結婚を焦り、焦っているが故に、判断を誤るケースが多くあります。「焦り」という感情を抱いていると、判断を誤るということは日常生活を過ごしていてもよく分かると思います。

例えば、「焦り」が故に相手の意志を尊重せずに結婚をするような流れを作るというようなケースは多くあります。よく「相手の男性に結婚を踏み切らせるためにはどのような方法が有効か?」みたいな内容を書いた記事やテレビ番組や女性同士の会話はありますが、このような女性側の策略で男性が強引に結婚を決断させられたとしても、むしろ男性の側は結婚を「後悔」しやすくなります。

どうしてかというと、自分自身の判断でその選択をしたという意識が薄いと、人は「考えが甘かった」という「後悔」に堕ちやすくなるからです。「甘さ」や「焦り」はいい加減な判断を作りますが、そういった判断は「後悔」を助長します。そして、人は判断を急がせられるような状況になると「甘さ」や「焦り」に陥りやすくなります。女性が男性に結婚を踏み切らせるために行なう様々な関与はこういった「甘さ」や「焦り」を助長し、最終的に男性の結婚に対する「後悔」を助長します。

また、この時の女性の「気持ち」の移り変わりは「焦り(早く結婚したい)」が「支配欲(結婚を踏み切らせたい)」に転じているケースです。そして、「焦り」も「支配欲」も「自分のため」の「気持ち」です。「自分のため」のスタンスで動いているが故に、相手に対する配慮に欠け、誤った選択をしてしまっています。「焦り」はこのような形で判断を誤らせます。

また、こういったケースの場合、もし男性が本当にその女性のことを愛しているのであれば、その女性を安心させるようなことを言うはずです。「愛」=「相手のことを大事に想う気持ち」を持っていれば、相手のことを思いやり、相手を苦しめないために何か行動をするはずだからです。だからこそ、いつまでも「自分のため」に結婚を先延ばしにしているような相手とはそもそも結婚はすべきではありません。何故ならば、その相手は自分に対する「愛」が小さいからです。

このように、日本人は「心」の成り立ちについて理解が浅く、結婚というものを誤解しているが故に、本当に変なことをしてしまっている現状があります。そういったことを日本人の多くがやってしまい、お互いにお互いの首を絞め合っている現状があります。そういった状況を解決するためにも、「心」の成り立ちや結婚というものについて理解を深める必要があります。

 

[離婚をしたがらないことについて]

日本人は「バツ1」といった言葉などによって、離婚に対する悪いイメージを持ち、離婚をすべき夫婦であっても離婚をしないケースが非常に多いです。しかし、こういった形で離婚をしないのは、お互いの魂をどんどん「闇」に堕としていきます。

結婚相手に対する「愛」が欠けていくと、相手に対する「嫌悪」が募っていきます。そして、結婚相手は一緒に時間を過ごす時間が長いので、もし相手に対して「嫌悪」を抱いていると、生きている時間の中で「嫌悪」を抱いている時間が非常に長くなります。そうなると、自分の性格の「嫌悪」も強くなっていきます。何故ならば、我々の性格は過去にどういった気持ちをどれだけの時間と強さで抱いてきたかによって変化するからです。

ですから、相手に対する「愛」が欠けてしまったら離婚をするべきです。もし二人とも「愛」が無くなってしまったら離婚をしないことはあり得ないです。もし、離婚をできない理由があったとしたら、別居すべきだと思います。

日本人は他人から自分がどう思われるのかということを気にし過ぎる傾向があります。この気持ちは「不安」や「恐怖」や「劣等感」などであって、全て「自分のため」の気持ちです。ですから、離婚をしたいのに離婚をしない夫婦は、パートナーに対する「嫌悪」や「怒り」と「けれども離婚した時の周りの目が怖い」という「不安」や「恐怖」や「劣等感」に捕まることになります。

このような状態になると、どんどん「心」が病んでいき、性格が悪くなっていきます。「嫌悪」「怒り」「不安」「恐怖」「劣等感」といった気持ちは全て「闇の気持ち」であり「自分のため」の感情だからです。こういった感情を抱き続けるとどんどん「自分のため」の感情しか抱けないようになり、「愛(相手のため)」が欠けていくようになります。

このような形で、日本人の多くが離婚を嫌がることによって、離婚をすべきなのにも関わらず離婚をせず、そのことを通して「心」を「闇」に堕としていっています。このような悪しき状況を解決するためにも、離婚に対する悪いイメージを払拭していくようなことを日本人が意識しないといけないですし、そもそも「愛」以外の動機で結婚をしないように心がけるべきです。

 

[結婚相手の条件を気にすることについて]

現代において、結婚に関して、相手を様々な条件で見ることはとても多いと思います。しかし、条件で相手を見ることは前提として、相手を自分のための道具として見ている側面があります。

例えば、相手の収入が低く、その収入の低さを原因に結婚を悩むケースは、基本的には、自分が「相手のため」に何らかの方法で収入を増やそうと努力をしたくないということが前提にあります。つまり、自分は楽して家計を支えたいという発想があるからこそ、相手の収入の低さを気にします。「自分は楽して家計を支えたい」という発想は「怠惰」や「欲望」であって、これは「愛(相手のため)」の支え合いの立場とは逆の立場です。

また、外見を結婚相手の条件とするケースもあると思いますが、このことについては先程触れたように、そもそも外見を気にすることは「愛」とは関係がないことなので、条件として考えるのは間違っています。

また、男性が女性に対して家事洗濯が得意であることを条件にしたりすることもありますが、これは相手を「自分のため」の道具としている態度であって、「欲望」の発想です。

我々が本当に相手に対して「愛」を抱くのであれば、その相手を何らかの条件で見ることはありません。そして、何らかの条件が満たないからといって「愛」が減ることもありません。何故ならば、「愛」はその相手の心に対して向けられるものであって、条件に向けられるものではないからです。

逆に言うと、相手の条件が気になっている時は「欲望」や「不安」といった「闇の気持ち」に我々が堕ちる時です。「不安」という感情は様々な「不安」を生むので、相手の足りない条件を我々に見せてきます。しかし、「不安」に取り憑かれると、相手についての様々な点が「不安」に見えてくるので、判断を誤ります。例えば、「不安」の気持ちで相手の収入を気にすると、その人がどんなに高収入でも「けど彼の会社は経営状況が良くないから、リストラされるかもしれない」といった形で、どんどん「不安」になっていきます。

「不安」という感情は、「自分でその状況を解決しよう」という思考を促さない感情です。そして、どんどん我々に「不安要素」を見せてくる感情です。ですから、「不安」に捕まってもキリがなく、自分でその状況を改善できるということに気付けなくなっていきます。

とにかく、二人とも「愛」を貫くのであれば、どんな問題であろうと乗り越えていくことはできます。例えば、旦那さんの収入が低くて、子供の教育費が足りなくなれば、旦那さんは収入を増やそうと最大限に努力するでしょうし、奥さんも必死に働くことができます。何故ならば、子供が大事だからです。

「愛」は我々に力をもたらします。本当に相手のことを大事と想うのであれば、「相手のため」にどれだけでも頑張ることができます。「愛」を抱いている時間は「嫌悪」にも捕まらないので、愚痴さえも言わずに頑張ることができます。だからこそ、夫婦が「幸せ」に過ごしていく上で最も重要なものは「愛」であって、何か足りない条件があったとしても、そういった足りない条件を乗り越えられるだけの力を「愛」はもたらします。

逆に、「欲望」に囚われると、どんどん欲しい条件が増えていきますし、不満も増えていきます。「もっと旦那が高収入だったら美味しいものを食べられるのに」「なんで俺が家事洗濯をしないといけないんだ」という形で、様々な「嫌悪」を抱えていきます。

このような意味で、条件を気にしてしまうのは、御自身が「欲望」や「不安」に捕まっているからであって、「愛」があればどんな足りない条件でも乗り越えていくことができます。こういった点からも、結婚において重要なことは条件ではなく、「愛」であることを理解して頂けると幸いです。


※結婚に関する日本人が信じている間違った「アイデア」は他にもありますが、今の段階はここで止めておき、今後書き足していきたいと思います。


【結婚とは何か】

結婚にはどのような意味があるのかということは、「結婚」という言葉に元々書かれています。昔の人は結婚とは何かということを理解していたので、言葉にその意味を表現してくれています。

「結婚」という言葉は「婚」を「結ぶ」と書きます。そして、「婚」とは「夫婦の縁」のことを意味し、「縁」とは「気」が流れるラインのことです。ですから、「結婚」とは文字通り、この「婚」=「夫婦の縁」を結ぶことを意味します。

そして、我々人間は「気」を操ることはできないので、「縁」を作ろうと思って作ることはできず、「婚」=「夫婦の縁」を結ぶことができるのは神々だけです。ですから、結婚とは神々との間で行なわれるものであり、だからこそ、結婚式などでは神々の前で人間は「愛」を誓います。

結婚式において「愛」を誓うという行為をしていることが、結婚が「愛」を前提としていることをよく表現しているのですが、我々現代人は「愛」が何かを見失っているので、結婚式で行なっていることの意味も分からなくなってしまっています。

では、「婚」=「夫婦の縁」とはどのように通常の「縁」と異なるかというと、より太い「縁」のことを意味します。「縁」には太さがあり、太い「縁」はより多くの「気」を送ることができるラインです。

「気持ち・気分」「気付き」と書くように、「気」は感情の原因です。そして、「縁」があると「気」の交換が行なわれます。そして、「婚」=「夫婦の縁」は通常の「縁」よりも太いが故に、「気」の交換が激しく行なわれます。

だからこそ、夫婦はお互いの性格が似てくるという現象が生まれます。我々の「気持ち」の原因は「気」であって、夫婦は「婚」=「夫婦の縁」があるが故に、多くの「気」を交換し、身体に持つ「気」が似てくるので、性格が似てきます。

このような意味で、夫婦はお互いがお互いの「心」を「婚」=「夫婦の縁」によって支え合う二人であって、結婚はこのようなシステム(婚)を作る行為です。我々現代人は「気」のことを忘れたが故に、こういったことが分からなくなってしまっていますが、それでも結婚をすると「婚」=「夫婦の縁」が生まれます。

そして、「気」は大きく分けて2種類であり「光の気」と「闇の気」です。「光の気」は「愛」を基本とする「光の気持ち」を作り、「闇の気」は「欲望」を基本とする「闇の気持ち」を作ります。ですから、「気」を強く交換する「婚」を持つ夫婦は二人一緒に「光」か「闇」のどちらかに寄っていきます。

結婚とは本来、二人がお互いに「愛」=「光」を保つために、「婚」=「夫婦の縁」を持つという方法です。しかし、こういったことが現代人には見えなくなってしまっています。そして、こういった背景が見えずに、「愛」の価値を見失っているからこそ、二人が「婚」=「夫婦の縁」を通して、お互いを「闇」に堕としていっているケースがとても多いです。

 

【最後に】

このページを通して、結婚とはそもそも「愛」を前提としたものであること、結婚に関する「アイデア」の様々な罠の構造などを理解して頂ければ、と思います。最後に書いた「婚」の話は分かりやすい話ではないので、最初の時点では読み飛ばされても大丈夫だと思います。

このページを通して、「愛」を基本とする「光の気持ち」の価値と、「欲望」を基本とする「闇の気持ち」の恐ろしさを理解して頂ければ、と思っています。結婚を通して夫婦やその家族が「幸せ」になっていくために闘うべき「闇の気持ち」は多くあります。そういった「闇の気持ち」の罠を理解し、「光の気持ち」の重要性を理解して頂けると幸いです。

このページでも恋愛における「光」と「闇」のことは書きましたが、このページに恋愛における「愛」「恋」「欲望」の違いを説明しています。合わせて読んで頂けると幸いです。

http://junashikari.com/恋愛について/「恋」「愛」「欲望」の違い/