多くの人が「幸せ」になることを無意識にも目指しています。しかし、そのほとんどの人はなんとなく「幸せ」を目指しがちです。

しかし、「幸せ」になることの「価値」を理解することができれば、「幸せ」を目指す「動機」の質がより良くなるので、結果的に「幸せ」を実現しやすくなります。だからこそ、「幸せ」の「価値」を理解することは大事です。
 

【「幸せ」の「価値」】

「幸せ」を実現することは良いことです。

というのも、「幸せ」を実現した人は「嫌悪」といった「ストレス」を抱きづらく、なおかつ、心に余裕があるが故に「愛」を抱きやすくなりますし、「平和的」な精神を抱きやすくなるからです。このような意味で、「幸せ」がもたらす満ち足りた感覚は「愛」と「平和」を促すが故に「価値」があります。

逆に、「不幸」を経験している人は「嫌悪」といった「ストレス」を抱きやすく、なおかつ、心に余裕がないが故に「嫌悪」を抱きやすくなりますし、「攻撃的」な精神を抱きやすくなります。このような意味で、「不幸」がもたらす満ち足りない感覚は「嫌悪」と「対立」を促すが故に「危険性」があります。

もちろん、自分が「不幸」でも「嫌悪」に堕ちず「愛」を抱ける程の「強さ」があれば、「平和」を実現するために「幸せ」を目指す必要はありません。ですから、そのような「強さ」の獲得を目指すことは良いことです。しかし、我々人間は「弱さ」を抱えていることも真実で、「弱さ」があるからこそ、自分が「不幸」だと「嫌悪」に堕ちやすく「愛」を放棄しやすいです。だからこそ、多くの人間にとって「幸せ」という状態が好ましいです。

そして、「平和」な状況は「ストレス」が小さいからこそ「愛」を抱きやすくなりますし、「愛」を抱きやすいからこそ「幸せ」も実現しやすいですし、「幸せ」が故に「平和」も更に実現しやすいという良い構造が生まれます。逆に、「対立」した状況は「ストレス」が大きいからこそ「嫌悪」を抱きやすくなりますし、「嫌悪」を抱きやすいからこそ「不幸」になりやすいですし、「不幸」が故に「対立」が更に起こりやすいという悪い構造が生まれます。

このような意味で、「平和」は「幸せ」を促し、「幸せ」は「平和」を促します。「幸せ」は「寛容」をもたらし、「寛容」は「平和」をもたらすからです。逆に、「対立」は「不幸」を促し、「不幸」は「対立」を促します。「不幸」は「不寛容」をもたらし、「不寛容」は「対立」をもたらすからです。

ですから、家庭にせよ、世界にせよ、「幸せ」を実現するために「平和」を目指し、「平和」を実現するために「幸せ」を目指すということが、非常に重要になってきます。そして、「幸せ」を実現する上でも「平和」を実現する上でも「愛」が非常に重要です。
 

【最後に】

この構造を理解して頂くことで、御自身が「幸せ」を目指す「動機」により「深み」が生まれ、その「深み」によって「幸せ」をより実現しやすくなることを願います。

「幸せになりたい」という心は「自分のため」の「欲」になりがちです。しかし、このような構造を理解すると、「他者のため」に「幸せになるべき」という形で、「愛」を「動機」に「幸せ」を目指すことがしやすくなります。つまり、「他者のため」に自分が「愛」を抱き続けるためにも、「他者のため」に「平和」を実現し続けるためにも、自分が「幸せ」になることを目指す形です。

「欲」ではなく「愛」を抱いていた方が「正気」を保ちやすくなりますし、「正気」は我々をいい形で導いてくれるので、このような「愛」の「動機」を抱くことで、より「幸せ」は実現しやすくなります。