我々の人生において、「アイデア」とは本当に重要なものです。何故ならば、1つの「アイデア」は我々の人生を大きく変える力があるからです。『「気」と「アイデア」の関係性1』でも我々がどのような「アイデア」を「選択」するのかが非常に大事という話は書きましたが、そのことについて、「アイデア」が人生にどのような影響を与えているのかという観点から掘り下げていきたいと思います。

我々は日々自分の中に様々な「アイデア」が浮かんできます。「今夜は外食にしたい」「今夜はパスタが食べたい」といった小さな「アイデア」から、「将来は弁護士になりたい」「将来は保育士になりたい」といった大きな「アイデア」まで、我々は日々様々な「アイデア」を抱きながら、その「アイデア」のどれと共感するのかを「選択」しています。そして、どの「アイデア」を「選択」するのかということによって、我々の人生は少しずつ変わってきます。

例えば、ある日ある女性が「今日は知り合いのパスタ屋でご飯を食べたい」と思い、その「アイデア」を「選択」してパスタ屋に行くと、運命の男性と出会い、数年後に結婚するようなことは起こります。もし、この女性がこの時パスタ屋に行っていなければ、この男性と出会うことはもう無かったかもしれないので、この日この女性がそのパスタ屋に行ったことは、大きな転機となっています。

神々はこういったことを元々狙って我々に「今日は知り合いのパスタ屋でご飯を食べたい」という「アイデア」をもたらします。神々は我々を「幸せ」にしたいと思っているからです。逆に言うと、神々からの「気」を受け入れにくい状態だと、こういったことを神々が起こすことはできません。そして、こういった機会を我々が逃したとしても、我々には全体像が見えないので、そういった機会を逃していることさえも気付くことができません。

今の日本人は身体に「闇の気」を多く抱えているが故に、神々からの「アイデア」を「選択」しづらい現状があります。だからこそ、日本人はこういった機会を逃し続けています。しかし、逃し続けていることさえも気付けていない現状があります。

身体に「闇の気」が入っているとどのようにこういった機会を逃すかというと、「今日は知り合いのパスタ屋でご飯を食べたい」という「アイデア」が起こった時に、「闇の気」によって「めんどくさい(怠惰)」といった「闇の気持ち」を起こされ、行かないという「選択」をしてしまうといった形になります。

「気」が「アイデア」の原因であり、「気」が「気持ち・気分」の原因であることが分かると、このような現象がいつも起こっているということは、よく理解ができます。本当に、日本人は身体に「闇の気」を抱えているが故に、神々の「アイデア」を選べず、そのことによってどんどん気付かぬうちに「不幸」になっている現状があります。

結婚とは、我々の人生においてとても大きな問題です。だからこそ、神々は我々にとって最高のパートナーと繋げようし、悪魔は我々にとって最悪のパートナーを繋げようとします。悪魔の場合もこのパスタ屋の例と同様の方法で我々に出会いをもたらし、間違った結婚相手と結婚させようとします。

このような形で、我々は神々と悪魔のもたらす様々な「アイデア」を受け取り、自分がどの「アイデア」を「選択」するのかということを決めながら、自分自身の人生に大きな影響を与えています。

どの「アイデア」を「選択」するかということにおいて大きな影響を与えるのは、どの「アイデア」を「選択」したいかという「気持ち」です。どんなにいい「アイデア」が自分の中にもたらされても、その「アイデア」を選びたいと思わない限り、その「アイデア」を「選択」できません。このような意味でも、身体を神々の「光の気」で満たし、悪魔の「闇の気」を可能な限り抱えないようにすることはとても大事です。

偶然ではあり得ないような出会いとはあります。例えば、ある人とどこかで出会い、その一週間後に別の場所でその人とまた出会い、そのしばらく後にまたその人と出会うというようなことを経験する人はいます。こういったことが起こるのは、それを引き起こしている存在がいるからであって、目に見えない存在がそういったことを引き起こしています。では、どうして目に見えない存在がそういったことを引き起こせるかというと、我々の「アイデア」と「気持ち」に彼らは関与ができるからです。

出会いの例は神々や悪魔が「気」で我々の「アイデア」と「気持ち」に関与し、そのことで我々の人生に大きな影響を与えていることを理解する上で分かりやすいと思ったので、ここで取り上げました。

出会いよりもより重要なものは、「夢」に関する「アイデア」です。我々は生まれた時から自分の「人生の役割」を持っていますが、神々はその人のためにも、その人の周りの人のためにも、「人生の役割」に達するようにその人に「アイデア」で関与します。

例えば、歌手になることが「人生の役割」である人がいたとしたら、神々はその人に必ず「歌手になりたい」という「アイデア」は与えます。「歌手になりたい」と思ったことがある人の全てが歌手が「人生の役割」であるとは言えないのですが、歌手という「人生の役割」を持っている人が、「歌手になりたい」と思ったことが一度もないということはあり得ません。何故ならば、神々は絶対に一度は「歌手になりたい」という「アイデア」をその人に入れるからです。

神々が「歌手になりたい」という「アイデア」を入れるのに対して、悪魔は「歌手で生きていけるわけがない」といった「不安」の「アイデア」などを入れます。歌手になるべき人はこういった「アイデア」の間で振れることになります。「歌手になりたい」という「気持ち」と「歌手で食べていけるわけがないから歌手なんて目指さない方がいいだろう」という「気持ち」です。このような形で「アイデア」と「気持ち」は非常に密接な関係を持っています。

そして、我々は自分自身の「意志」で最終決定を出します。その最終決定が正しければ「人生の役割」を実践することに近づきますし、その最終決定が間違っていれば「人生の役割」を実践することから遠ざかります。我々の「選択」にはこのような意味があります。

そして、その「選択」は「心」の闘いです。「私が歌手になることでたくさんの人を元気にしたい」と思うのであれば、「歌手で食べていけるわけがないから歌手なんて目指さない方がいいだろう」という「アイデア」に負けないかもしれません。「誰かを元気にしたい」という「気持ち」は「相手のため」なので「光」であり、「歌手で食べていけるわけがない」という「気持ち」は「自分のため」なので「闇」です。

我々はこのような形で、「光」と「闇」の間を振れながら、どの「アイデア」を「選択」するのかということを決めています。神々と悪魔は「気」で我々の「気持ち・気分」と「アイデア」に関与することはできますが、最終的な「選択」をするのは我々の魂の「意志」です。

この構造が分かると、できるだけ「闇の気」を抱えず「光の気」と共に生きることが大事であることは分かって頂けると思います。何故ならば、神々からの「アイデア」をできるだけ受け取り、悪魔からの「アイデア」をできるだけ受け入れないためにも、正しい「選択」をするための「気持ち」を神々に支えられ、悪魔にその「気持ち」を邪魔されないためにも、「光の気」を抱え「闇の気」を抱えるべきではないからです。

神々は「光(相手のため)」の立場なので我々人間のことをとても大事に想っていて、悪魔は「闇(自分のため)」の立場なので我々人間のことは全く大事に考えていません。だからこそ、誰にとっても神々と共に生きることの方が好ましく、そのように生きていくことで御自身も「幸せ」に、御自身の周りの人も「幸せ」になっていくことができます。

このような中に我々の人生が成立していることを理解して頂けると幸いです。


『「気」と「アイデア」の関係性3』では、「アイデア」が様々な作品に与える影響について書いています。音楽や映画やアニメといったものから、テレビ番組といったものまで、我々の周りには様々な作品があり、我々はそれらから強い影響を受けながら生きています。ですから、神々と悪魔がどのように我々の作る作品に関わっているのかを知ることはとても大事ですので、読んで頂けると幸いです。

http://junashikari.com/energy/「気」と「アイデア」の関係性3/​