「魔法がなくなったら、私、何の取り柄もなくなっちゃう。」

『魔女の宅急便』も『千と千尋の神隠し』も、本当に「他者のため」に何かをしようとする時、我々は我々自身の「才能」を開花させるということを伝えています。キキはトンボを助けようとすることによって、千尋はハクを助けようとすることによって、本来の「才能」を開花させます。

逆に言うと、「自分のため」に囚われる時、我々は我々自身の「才能」を開花させづらいということでもあります。キキはトンボを通して「嫌悪」や「嫉妬」を抱き、千尋は引っ越しに対する「嫌悪」を抱くことによって、キキは飛べなくなり、千尋は頼りないです。

飛ぶことができなくなった時のキキは、「自分のため」に自分の「才能」が失われることに対して「不安」「恐怖」「焦り」「執着」といった感情を抱きます。

「魔法がなくなったら、私、何の取り柄もなくなっちゃう」というセリフはそういうことを表す言葉で、この精神性が彼女の「才能」を更に封じ込めます。というのも、こういった精神性に囚われるならば、どこまでも「自分のため」を選んでしまうからです。

こういったことは現代社会においてもよくあることだからこそ、とても重要なセリフです。例えば、とても才能のある音楽家がある時スランプになり、そこから立ち直れなくなる構造も同じですし、何も考えなくとも仕事をうまく進めていた人がある時仕事がうまくいかなくなり、そこから立ち直れなくなる構造も似ています。

千尋のように、自分がどのような「才能」を本質的に持っているのかを知らなければ、それが失われることに対しても、それが目覚めないことに対しても、「不安」「恐怖」「焦り」「執着」といった感情を抱くことはありません。

しかし、キキのように、一度「才能」を開花させた人間は、まだ「才能」を開花させていない人間には経験できない試練を経験できるようになってしまいます。そういった構造を、キキと千尋の比較は教えてくれます。

大事なことは、自分の「才能」を何のために使うのかということを常日頃からよく考え続け、仮に「才能」の不調を経験したとしても、「自分のため」にその「才能」に対して「執着」を持たないことです。そういう姿勢がキキのような悪循環に堕ちることを防ぎます。

また、「自分のため」に「才能」を手に入れようとするのではなく、「他者のため」に全力を尽くそうとした結果として「才能」を手に入れるべきです。そういうことが、「才能」に「執着」したが故にホウキを折ってしまったキキのような事態も防ぎます。

『鬼滅の刃〜無限列車編〜』の中でも、煉獄杏寿郎の母が「生まれついて人よりも多くの才に恵まれた者はその力を世のため人のために使わねばなりません」というセリフを言う場面がありますが、キキのセリフの意味を深く分かるなら、この母の言葉の重要性もより感じられるようになります。

このような形で、様々な重要なアニメは我々人間が生きていく上で知っておくべき大事なことを、様々な角度から繰り返し繰り返し我々に教え続けています。

だからこそ、そういった重要な作品同士の意味を繋げて考えることによって、より多くの学びを得ようとすることはとても大事です。このような形で我々が重要な作品と向き合いながら生きていくようになれば、我々は我々が望む人生や世界を実現しやすくなるはずです。

『魔女の宅急便』と『千と千尋の神隠し』の解説は以下に書いています。

・『魔女の宅急便』解説(基礎編)
http://junashikari.com/…/explanation-of-kikis-delivery…/

・『千と千尋の神隠し』解説(基礎編)
http://junashikari.com/…/explanation-of-spirited-away…/