人は自分の許容範囲を超えると逃げたくなり、逃げるために死を選ぶ人もいます。だからこそ、自分の身の丈にあったものを人は背負うべきです。

仮にある人が何か「善」を行なっていて、その人の身の丈を超えた何かを背負ったが故に自殺した場合、もう少し小さな「善」をやってでも生きていた方が良かったりします。死んでしまっては、どんなに小さな「善」も実践できなくなるからです。

逆に、ある人が身の丈に全然合っていない小さなものを背負ったが故に生きるのが楽過ぎる場合、生きることを少し困難にしてでも、より大きな「善」を実践した方がいいです。生きているならば、少しでも大きな「善」を実践した方がいいからです。

我々は自分が何を果たしていくのかを自分の「意志」で決めることができます。そういう決定をする上で大事なことは自分の身の丈を知っておくことです。だからこそ、まず初めに自分を知る努力をし、その上で何を自分の役割とするのかを決めるべきです。

また、それと同時に、自分の身の丈を大きくするための努力をし続けることも大事です。そういう努力によって、背負うことができるものを増やし、自分が実践できる「善」をより大きくすることが実現していくからです。

ある程度困難な状況を生きていない限り、魂は弱くなります。言い方をかえると、楽な日々を過ごしていると魂は弱くなります。だからこそ、楽な日々は自分が背負うことができるものを減らし、その結果、実践できる「善」は減っていきます。

この世は楽園でもなければ地獄でもありません。我々が望んでいても望んでいなくても、困難な状況は自ずとやってきます。我々人間からすると、それは望んでいないものかもしれませんが、本質的に我々に必要なものではあります。

しかし、その人が背負い切れない困難はその人を破滅に導き、魂は悪い方向へ向かいます。だからこそ、背負い切れない程の困難は背負うべきではありませんし、その見極めをするために、自分自身の身の丈を知っておいた方がいいです。