「才能」と「能力」
2020.06.13 芸術道
そのアーティストの「才能」や「能力」について考える時、「才能」と「能力」の違いを理解しておくことはとても大事です。
大雑把に説明すると、「才能」は「独自性」であるのに対して「能力」は「技術力」です。言い換えると、「技術力」が高いこと自体は「才能」ではなく、「独自性」があること自体は「能力」ではありません。
例えば、歌を歌うことが「上手」な人は「能力」があるのに対して、その歌に「独自性」がなければ「才能」があるとは言えません。この観点が常識化されてないが故に、多くの方は歌が「上手」な人のことを「才能」があると思いがちですし、歌が「上手」な人自身も自分には「才能」があると思いがちです。
しかし、「才能」は「独自性」の方ですから、こういった捉え方は大変危険です。何故ならば、「才能」の足りていない人が「才能」があると思い込むと、自分に何が不足しているのかがよく分からなくなるからです。
音楽に限らず、「向上」するためには、何が「問題」なのかを特定し、その「問題」を「解決」することが必要です。だからこそ、的確に自分自身のことを見極めることは非常に大事で、良い「観点」を持つことは、自分自身の真実を浮き彫りにします。
何故ならば、「観点」とは「分ける」ことを可能にし、「分ける」ことこそ「分かる」ことだからです。だからこそ、「能力」と「才能」の違いという「観点」を持つことは「向上」を促します。
現代の音楽教育は「音楽的能力」を養う方向性ばかりなのに対して、「音楽的才能」を養う方向性は極めて乏しいです。この教育の構造にこそ、優れた音楽家が出てきにくい一つの原因があります。
また、今の音楽教育は、「独自性」を奪う方向性を持つものも非常に多いです。例えば、生徒が先生の真似をすることを良しとする方向性がとても多く、これは「独自性」を奪う方向性です。つまり、こういった方向性は「才能」を奪う音楽教育に繋がりやすいです。
「独自性」を伸ばすような方法論を的確に教えられる先生は全然いません。何故ならば、「独自性」とはどのように生まれるのかを分析的に理解している音楽家は非常に少ないからです。「独自性」のある音楽家でさえも、何故自分が「独自性」を持っているのかを知らないケースは非常に多いです。
「独自性」を養う上で大事な点は、人間から習わないことです。人間から習うことは、その相手に似ることを促すので「独自性」が損なわれやすいです。逆に、教える側の人間は自分に似せることを目指さないことが、生徒の「独自性」を奪わない上で非常に大事です。
我々は人間以外から学ぶことができます。それは、一般的な言い方をすると「自分の心に従う」「自分に起こるインスピレーションに従う」といった方向性です。そういう方向性を貫くことによって、「独自性」=「才能」は生まれやすくなります。
(以下の説明は、目に見えない力に抵抗感の無い方だけ読んで頂けると幸いです。)
人間以外から学ぶということをちゃんと説明すると、それは「気から学ぶ」ということです。我々の心には、絶えず「気」が関与しています。
アーティストが必要とする「アイデア」は「気」が「付く」ことによる「気付き」から生まれますし、アーティストが表現しようとする「気持ち」は「気」を「持つ」ことによって生まれるからです。
つまり、目に見えざる力と働くことによって、「才能」は生まれます。逆に言うと、「才能」を伸ばす上で大事なことは、目に見えざる力と働く能力を伸ばすことであって、「気」に対する感度を上げること(「霊感」を上げること)や、働いてはならない「気」=「邪気」を持たないようにすることです。
「霊感」や「邪気」の話は詳しくはここでは書きませんが、「霊感」を上げ「邪気」を持たない上で大事なことは、清い心と共に生きることです。
非常に素晴らしい表現を生む「独自性」を持ったアーティストが人格者であることは少なくないですが、彼らは清い心が強いからこそ、「才能」を持っています(例:宮崎駿)。
目に見えざる力の本質が見失われている現代において、「才能」の本質が明らかにされないことは当然で、だからこそ、「才能」を伸ばすような教育が全然ないことも当然です。
特に、このような説明をすると、新興宗教だとも誤解されやすい世の中ですから、より一層「才能」の本質は分かられにくいです。しかし、アーティストが「才能」を伸ばす上で、目に見えざる力がどのようなものなのかを事前に理解することは非常に大事です。
何故ならば、自分が共に働こうとしている相手の存在をよく知っている方が、その相手と良い形で働きやすくなるからです。
※余談
私は音楽家としての自分について、「能力」は酷く低いと思っていますが、「才能」はすごく高いと思っています。
自分が音楽をちゃんと始めたのは21歳の時で、コントラバス以外の楽器を始めたのは30代になってからです。そんな私は、小さな子供の頃から音楽をやっている人々に比べたら、「技術力」は圧倒的に低く、また、耳も彼ら程に良くないです。
しかし、「気」のことをずっと研究している人間ですから、どのようにすれば「気」と強く働くことができるのかということについて、世界中のアーティストの中でもトップレベルに理解していると思っています。だからこそ、「独自性」の道は非常に進みやすく、そのような意味で「才能」はあると思っています。
こういった意味で、音楽家の私の「能力」と「才能」は非常に極端な振れ幅を持っています。自分としては、こういう構造の中で表現活動をすることによって、様々な大事なことを伝えたいと思っています。
例えば、多くの方は20代や30代になってから音楽を始めることは遅いと考えがちで、「才能」がある人であっても、音楽を始めないことが非常に多いです。だからこそ、遅く始めても問題がないということを証明したいと思っています。
また、「技術力」よりも圧倒的に大事なことが「独自性」であるということも伝えたいと思っています。「技術力」の有無は非常に分かりやすく、だからこそ、多くの人々は「技術力」の方ばかりに目が行きがちで、そちらの方が重要視されがちです。そんな時代だからこそ、「技術力」よりも「独自性」の方が圧倒的に重要であることを証明したいと思っています。
なによりも、「気」の構造をよく理解することが、「独自性」を伸ばす上で非常に役立つということを証明していきたいと思っています。
こういった大事なことを伝えるために、自分は遅く音楽を始めたとさえも思っています。自分の「音楽的能力」の無さに煩わしさを感じることも少なくありませんが、そんな自分であっても、非常に「独自性」のあるものを作っていきたいところです。