自分の隣の席で女子高生二人が話しています。聞きたくなくても、声が大きいので聞こえてきます。

A子「SNSでカップル投稿するのって、自分達の幸せアピールだと思ってたんだけど、違うんだね、あれって、別れられないように、お互いに保険をかける行為なんだね。どんだけ皆保険かけてんだって話よね」

A子はとても早口で、「闇」の考え方を聞き役のB子にマシンガントークしていて、B子も頭や体を激しく動かしながら「ウケる〜」みたいな感じで話を聞いています。A子はこの世界に対する「闇」の考え方を世界の全ての「真実」のように思っていて、B子は笑いによる「共感」によってそういった「闇」の考え方を受け取り続けています。

思春期は「闇」を知る時期の側面もあります。だから、彼女達がこういう会話をしていること自体がとても悪いとは思いません。けれども、A子の「闇」のマシンガントークは本当に凄まじくて、ここまで「闇」に堕ちたら這い上がれないんじゃないかと思えてきます。また、B子もこんなに「闇のアイデア」を受け取り続けていると、どんどん世界が歪んで見えてくるから、心配になってきます。

「闇」はこの世界に必要だからこそ存在します。「闇」を理解すれば「光」の価値が真に理解できますし、「闇」を乗り越えてこそ魂は「強さ」を獲得するからです。しかし、「光」へ向かえず「闇」に堕ち切ってしまえば、本当に魂は悪くなるばかりで、「闇」の存在価値さえも無くなってしまいます。そして、日本社会では「光」に這い上がることなく「闇」に堕ち切ってしまう人達も多くいます。

多くの大人が「光」と「闇」の構造を知りません。だから、この10代の女の子達が「闇」に堕ち切ってしまうことを防ぐセーフティネットの役割を果たすことができる大人はとても少ないはずです。このことを例えると、彼女達は命綱無しで綱渡りすることを強いられているとも言えます。

この二人がこんな話もしていました。B子から言います。

B子「好きな人に好きって気持ちを伝えるのは大事だよね。言わないと伝わらないから。」
A子「前にC君と電車に乗っていて、もう少しでC君が電車を降りないといけない時に『もう一緒にいられないから寂しい』って言ったんだけど、そしたら、30秒くらい沈黙になって、それ以来二度とそういう発言はしてない」

A子はこの出来事に対して「悲しみ」さえも感じていなくて、この世に対して何の期待も抱いていないような冷めた声でこれを言っていました。

C君の過ちはこの女の子をより深い「闇」に突き落としています。こういった経験は「トラウマ」としてA子の心に刻まれ、その「トラウマ」がA子を「光」へ向かうことを止め、より「闇」に留めさせるからです。C君がA子に対して、愛情で接していれば長い沈黙はしなかったはずです。けれども、C君もまた思春期で、そこまで考えられなかったのだと思います。

そして、二人が席を立つ時にA子はB子に言いました。

A子「またちょっと話そ。定期的に。」
B子「うん。」

A子が「自分の考え方を誰かに話したい」という「欲望」でB子に話しているのは、その声からよく分かりました。また、B子が「A子の話は面白いから聞きたい」という「欲望」でA子の話を聞いているのは、リアクションの取り方からよく分かりました。この二人はそれぞれの「欲望」から生まれる自分の「利益」のために会話を行ない、その会話によってお互いを「闇」に突き落としています。

会話は「アイデア」の交換です。その「アイデア」が「善」であれば問題ないのですが、「悪」であるのであれば、その「アイデア」が自分自身の「呪い」となり、世界の見え方を歪ませ、人生を破滅へ向かわせます。

こんな構造を教えてくれる大人はどこにもいません。だからこそ、彼女達がこうやって「闇」に堕ちていくことが、彼女達の「責任」と考えるのは、酷な考え方だと思っています。まだ考える力も養われていない子供に、こんな構造を見抜くことは不可能に近いからです。

A子はA子の魂の歴史の中で、「闇」に堕ちる何らかの原因があったはずです。その中の一つがC君のA君に対する「愛」の欠如だと思います。そして、A子は「闇」に堕ちた心の中で世界を様々な形で分析し、その中で見えてくることをB子に「欲望」で伝えます。そして、B子はA子の様々な「闇のアイデア」を「欲望」を動機に受け取ることによって、世界の見え方をどんどん悪くしていきます。

こうやって誰かの「闇」は誰かの心に「闇」を植え付け、その「闇」が生き物のように様々な人間に伝染し、増植していきます。これが日本社会で多くの人達が行なっていることです。どこにいても、こういった「アイデア」の伝染の会話がよく聞こえてきます。

A子は賢い子だからこそ、「闇」の本質をよく捉えることができていました。それに対して、B子は賢い子ではなさそうだったので、A子の話を面白く感じている部分もありました。こうやって「賢さ」が「闇」のために利用されている側面もあります。

東京で生きていると、外にいればいつも人の会話が聞こえてきます。そんな中で、その人間はどうしてその発言をしたのか、どういう「気持ち」だからその発言をしたのか、どんな「アイデア」と共に生きているのか、「愛」と「欲望」の比率はどれだけだろうか、といった様々なことを分析しています。

こういった分析を通して、この時代の人間の傾向がよく見えてきます。聞こえてきた会話をどのように分析しているのかを毎回シェアすると、様々な観点を学ぶことができるのでいいと思うのですが、それをいつもやる程には時間がない現状があります。今回はシェアした方がいいと思ったので、シェアした形になります。

とにかく、この文章の中で最も伝えたいことは、彼女達が必要以上に「闇」に足を踏み入れているのは、彼女達の「責任」ではなくて、我々大人の「責任」なのではないかということです。

日本社会は恐ろしい程に変なところで、皆生きているのに、生きている状態が何なのかを知りません。また、皆心を使っているのに、心がどのように成立しているのかを知りません。そして、ほとんどの人はそれらのことを本気で知ろうともしていません。

そういった努力を大人がしないからこそ、生きている状態や心の成り立ちを多くの大人が知らないままで、そのツケが子供達に回ってきます。そして、そういった子供達が大人になり、同じことを繰り返しています。

そんな時代に、心の成り立ちを伝えるために全力を尽くすのは当然だと思っています。自分が正しいということを伝えたいわけではなくて、この世界の成り立ちを理解するために我々大人が全力で努力をすることは当然のことだということを理解してほしく思っている形になります。

多くの人は子供を持ちますが、自分の過ちによって自分の子供が苦しむことを望んでいる人は少ないと思います。苦しめたくないのであれば、自分自身が子供に適切なアドバイスを与えられるようにするために、世界や心の「真実」を理解する努力をする必要があるということは確かなことです。

この文章を通して最も伝えたいことはこの点になります。どうか、御自身の力で、世界の真実を掴み取る努力を「誰かのため」に行なって頂けると幸いです。そういった努力が「闇」の悪循環を断つことに繋がっていきます。