現代日本でよく使われる言葉の1つに「使える」「使えない」という言葉があります。「あの人は使える」「あの人は使えない」といった形です。この言葉は極めて「闇」の言葉ですから、使うことは好ましくありません。

「闇」の立場の人間とは「自分のため」に生きている人間のことです。そうすると、相手は自分のための道具のように思えてきます。相手よりも自分を大事と考えているからです。つまり、相手に対する「愛」が欠けています。そうすると、相手は自分にとって「利益」がある存在かどうかという見方になってきます。

「使える」「使えない」とはそういった意味が込められた言葉です。通常、「使える」「使えない」という言葉は魂の入っていない道具に対して使う言葉です。しかし、今はこの言葉を人間に対して使っています。それは、相手を自分のための道具と考え、相手に対する「愛」を持たず、相手の魂を全く大事に考えていないからです。

例えば、会社の中で「使えない人」がいる場合、その「使えない人」のせいで自分の仕事が増えるということもあると思います。そういった意味で、自分に「不利益」を与える人間として、そういった人のことを「使えない人」と呼びます。ですから、まとめると、

「使える人」=「自分にとって利益を与える人」
「使えない人」=「自分にとって不利益を与える人」

ということになります。「闇」の立場は常に、相手を「利益」「不利益」で考えます。

「光」の立場の人間は「相手のため」に生きる人間です。つまり、「愛」を選んでいる人間のことです。「光」の立場の人間や、「光」の立場で生きていきたいと思う人間は、このような「使える」「使えない」という言葉は決して使うべきではありません。なぜならば、言葉自体が我々の魂に影響を与えてくるからです。周りがその言葉を使うからという理由でなんとなく「使える」「使えない」という言葉を使うと、その言葉を使うことによって、相手に対する「愛」が少しずつ失われていきます。

言葉は、その言葉自体の力によって、使い方によっては我々の魂を「光」に導き、使い方によっては我々の魂を「闇」に落としてきます。ですから、自分がどのような言葉を使うのかということを、我々はもっと意識的に選んでいくべきです。なぜならば、自分がどういった言葉を使うかによって、自分の人格が変わってくるからです。なんとなくで言葉を使ってしまうと、その言葉の力に支配されてしまいます。
 

「光」の立場の人間はいつも「許す」立場であり、「闇」の立場の人間はいつも「許さない」立場です。

「使えない人」がいて、その人のミスによって自分の仕事が増えても、「光」の立場の人間はその人を許し、その人に優しい声をかけたり、アドバイスをすることによってその人の成長を、その人のために促したりします。それらのことを全て「相手のため」に行ないます。この過程で抱いている感情は全て「愛」です。

「使えない人」がいて、その人のミスによって自分の仕事が増えると、「闇」の立場の人間はその人を心の中で許さず、場合によってはその人に文句を言い、自分が今後不利益をもらわないためにその人を教育します。それらのことを全て「自分のため」に行ないます。この過程で抱いている感情は全て「嫌悪」です。

「嫌悪」に堕ちることは簡単です。それに対して「愛」を保つのは大変です。我々はそういった時に「嫌悪」に堕ちず、「愛」を保つために生きています。つまり、我々は「闇(自分のため)」を選ぶのではなく、「光(相手のため)」を選ぶために生きています。それは我々がいつも経験している大きな闘いです。しかし、その闘いをしなければ、人は簡単に「闇」に堕ちていきます。そうすると、大事なことを見失い、他人を傷付け、他人を支配し、幸せからも遠ざかります。幸せは「光」の方にあるからです。

・幸福について

幸福について


「光」と「闇」は、いつも我々が経験している感情のことであって、我々がいつも「選択」しているものです。その「光」と「闇」の「選択」は我々一人一人の「意志」によって行なっています。周りの人間のためにも、御自身のためにも、「闇」に堕ちず、「光」を選んでいって頂ければ、と思います。

「光」を選んでいくためにも、「闇」の言葉を使うことは避けて頂ければ、と思います。こういった「闇」の言葉とは我々の日常に溢れています。闇の言葉は「呪い」を我々の魂にもたらします。「呪い」とは我々の日常と遠いものではなく、我々の日常の中に満ちているものです。その1つが言葉です。言葉は本当に使い方を誤ると恐ろしいものです。

このホームページに書くべきことは膨大なので、優先順位の高いものから書いていますが、こういった言葉の解説については今後もたくさん書いていくので、読んで頂ければ、と思います。