「根拠のない自信」と「根拠のある自信」
2018.05.05 心の成り立ち(基礎:その他)
ここでは、「自信」の見出し方について書いていきます。
「根拠のない自信」という言葉はよく言われますが、「根拠のある自信」という言葉はあまり使われません。しかし、「根拠のある自信」はとても大事です。
何故ならば、「根拠のない自信」は「根拠」がないが故に、「自信」を失いやすいのに対して、「根拠のある自信」は「根拠」があるが故に、「自信」を守りやすいからです。また、「根拠のない自信」は「根拠」がないが故に、間違った「自信」かもしれないのに対して、「根拠のある自信」は「根拠」があるが故に、正しい「自信」だからです。
「自信」の「根拠」とは自分の「長所」を知っていることです。そして、自分の「長所」を知るためには自分自身のことを知らなければなりません。しかし、自分自身を知ることは簡単なことではありません。何故ならば、「傲慢」や「自己肯定欲」が故に自分を必要以上に良く見ようとしてしまう人もいれば、「謙虚」や「自己嫌悪」が故に自分を必要以上に悪く見ようとしてしまう人もいるからです。だからこそ、自分自身を見るべきように見るということは難しく、その結果として、自分を知ることの難しさが生まれます。
ただ、自分自身を知ることをせずとも、「自信」の「根拠」は見出せます。それは、自分の「前進」を「根拠」にすることです。これは自分の「長所」を見つけること程は難しくありません。何故ならば、自分の「前進」は漠然とした自分自身よりも、正しく見やすいからです。
例えば、何らかの仕事をしないといけないけれども「自信」を持てず、「自信」を持てないが故に「不安」に堕ち、何もできないでいる人がいたとします。そういう人が「自信」を持つために大事なことは、まずは少しでも頑張ってやってみることです。少しでも頑張って何かがやれれば、そのやれたことを自分で見つめることができるので、「これだけ進めたのだから、同じように頑張れば、もう少し前に進めるはず」と「自信」を持つことができます。
こういったアプローチが自分の「前進」を「根拠」に「自信」を手に入れる方向性であって、誰でもできることです。無意識にこういうことをやっている人も多いと思いますが、こういうことは「意識化」した方がいいです。何故ならば、「意識化」ができれば、この方法を使うことを忘れることが減りますし、他人に対してもアドバイスができるからです。言語化しないとアドバイスはできないので、こういうことを言葉を使って「意識化」することはとても大事です。
「まずは少しでも頑張ることが大事」ということはありきたりな「教訓」=「教え」だと思います。しかし、このありきたりな「教訓」=「教え」がどのような意味で大事なのかを知ることは大事です。何故この「教え」が大事なのかという一つのポイントは「根拠のある自信」に繋がるという点です。
自分の「前進」を「自信」の「根拠」にすることは、自分の「足りている点」を「自信」の「根拠」にすることを意味します。少しでも「前進」できるのであれば、それはその人がその「前進」をできるだけは「足りている」ということだからです。その「前進」ができるだけは「足りている」のだから、もっと「前進」する上でも自分は「足りている」だろうという形で、「自信」が形成されます。
「長所」と言った場合は、その人の「優れている点」を意味します。それに対して、「足りている点」は何かをする上での能力が「足りている」ということを意味するに過ぎません。人が何かをする時、それをできるだけの能力を持っていればいいのですから、必ずしもそれをするために「優れている」ことが必要なのではなく「足りている」だけで問題はありません。つまり、何かをするための「自信」を持つためには、それをすることにおいて「優れている」必要はなく、「足りている」だけで十分です。「足りている」ならば、「自分」を「信じる」ことができるからです。
(分かりやすさを考えて、最初は「『自信』の『根拠』とは自分の『長所』を知っていることです」と書きましたが、実際は「自信」の「根拠」とは自分の「長所(優れている点)」や「足りている点」を知っていることです。)
こういった構造を「意識化」するだけでも、「自信」は見出しやすくなります。「自信」を見出すために漠然と自分の「長所」を見出さないといけないと思っていると、自分の「長所」が見当たらない場合に「自信」は生まれませんが、実際は自分の「足りている点」さえ見出せれば大丈夫ということが分かるからです。そして、先程の説明と組み合わせて考えると、自分の「前進」は自分の「足りている点」を見出すための「根拠」となるので、その「前進」を「自信」の「根拠」にできます。
何らかの「目的」を持つ人にとって、その「目的」は結構遠くに見えたりします。だからこそ、その遠さが故に人は「不安」に堕ちたりします。しかし、その「目的」に向けて一歩一歩着実に「前進」する努力をし、その自分の「前進」を「根拠」にすることを忘れなければ、常に我々は「根拠のある自信」を見出せるので、「不安」に堕ちることを回避できます。
当然、いつも「前進」できるわけではなく、うまくいかないことも出てきますが、その度にそこで起こる試練を乗り越えることができたのなら、その試練を乗り越えることができたという事実自体が、自分の心の本質的な「前進(進歩)」の「根拠」となるので、「自信」はより強くなります。「あの試練を乗り越えられたんだから、同じような試練が来ても自分なら問題ない」という形の「自信」です。逆に言うと、試練に乗り越えられないタイミングは、我々が自分の「自信」を失いやすいポイントです。だからこそ、自分の「自信」を守るためにも試練には負けてはなりません。
「自信」の「根拠」とは何なのかということがシェアされていない社会だからこそ、「自信」を持つべきでない人が「自信」を抱いていたり、「自信」を持つべき人が「自信」を持ってなかったりします。つまり、「自信」を持つべきでない人が「自信」を持っているのも、「自信」を持つべき人が「自信」を持っていないのも、「自信」の「根拠」の探し方を知らないが故に「根拠」を見つけられていないからです。
どのようなケースにせよ、「自信」の「根拠」を探すことは大事です。何故ならば、冒頭に書いたように「根拠のない自信」よりも「根拠のある自信」の方が好ましいからです。ただ、「自信」がないよりは「根拠のない自信」でもあった方がいいことは多いです。何故ならば、「自信」がないと、人は一歩を踏み出しづらくなるからです。全てはケースバイケースですが、このような全体像で「根拠のある自信」「根拠のない自信」「自信が無いこと」の優先順位を持つことは、「自信」に関する基本的な理解だと思います。
とにかく、「根拠のある自信」が如何に大事なのかを理解して頂き、「根拠のある自信」の「根拠」の見つけ方も「意識化」して頂き、現実に応用して頂ければ、と思います。