次の誕生日11月7日で「商売」を離れてから約10年ですが、この10年の節目で「全ての行為を無償で行ない、一切の商売をしない」というルールは止めようと思っています。

「理念」の追求も大事ですが、「商売」を再開することで学ぶことや進められることも多いですし、「無償」の修行を通して学ぶべきことは十分に学んだように思うからです。

映像制作や音楽制作に加えて、屋久杉ライアー販売やシンギングボウル販売も始めるつもりです。どの分野にしても、自分にしかできないことを行ない、価格以上の本質的価値は絶対に提供するつもりです。

あと、「商売」を解禁すると言っても「商売」のために生きることはなく、「善」の実践を最優先事項に置きながら生きていくつもりです。引き続き、本当に「世のため」になりそうなことであれば、一円の利益にならなくとも「無償」でやっていくつもりです。

「善」と「商売」は必ずしも辻褄が合うものではないです。しかし、できるだけ、その辻褄を合わせつつ、今後は「商売」を通してもこの国の文化の発展を徹底的に促していくと共に、この国が本質的に持っている「神秘」を広げていくことができれば、と思ってます。

例えば、屋久杉ライアーとシンギングボウルを神社やお寺、ヒーラーやアーティストの方々に提供することを通して、「神秘」を表現できる道具を、持つべき人の所に届けていきたいと思っています。

これを以前から目指してきましたが、「無償」でこれを実現し続けることがあまりにも困難でした。というのも、かなりコストがかかるのですが、そのコストを手に入れなければ、作るべき屋久杉ライアーを作ることもシンギングボウルを仕入れていくことも不可能だからです。この現実的問題が「商売」を再開することにした非常に大きな要因です。

とにかく、見た目も音も究極のレベルに達した屋久杉ライアーを生み出したい。そのために、それを作るための資金を得続けることは必要不可欠だと思いますし、「商売」を再開することで資金獲得をしやすい状況にしたく思っています。

最近はネパールでシンギングボウルとずっと向き合っていますが、432Hzのシンギングボウルをネパール中で探し出し、それらを組み合わせることで如何に「神秘」を表現できるのかが分かってきました。特に、ライアーと組み合わせた時、とてつもない空間が出来上がります。
 


ネパールは非常に神秘的な国です。そんな神秘的な国で、50-100個に1個位しかない、奇跡的に生まれた432Hzの高品質のシンギングボウルを集め、適切に使われていくことを促すことは非常に重要な活動だと思っています。かなり地道で根気の必要な作業ですが、重要だと思っています。

ネパールと出会ってからまだ1ヶ月にも関わらず、432Hzの究極のシンギングボウルセットを生み出し続けるために必要なコネクションは既にたくさん得ることができました。この早さと勢いを通しても、自分がこれをやるべきであることを感じています。

あと、ネパールの経済的貧しさの現実もたくさん見てきました。シンギングボウルに素晴らしい絵付けをする天才アーティストが本当に簡素な家に住んでいて、その家族の生活が苦しそうにしているのを見ると、なんとかできないものだろうかと思います。
 


また、同い年でシンギングボウルの店を経営している方が、家族を養うのに非常に苦労をしていて、「家族のためだったら、お店を離れて、日本のホテルでトイレ掃除をし続けることになってもいいんだ」といったことを話しているのを聞くと、なんとかそうならずに済む方法を見つけられないだろうかとも思います。こんな可愛い子供達と離れて、両親に子供を預けて、夫婦で日本で働くことを考えていると言います。
 


その絵付けをする彼も、シンギングボウルの店を経営している彼も、文化的な確かな審美眼を持っていて、だからこそ、自分の助けになってくれました。そんな彼らが経済的に苦しい状況故に、文化的な能力を発揮しづらくなったり、それを止めることは阻止したいと思っています。家まで行く程の仲なので「情」もあります。だからこそ、彼らにちゃんとお金が届くように「商売」を回したいところです。

また、果物のジュースを朝から晩まで売っている少年にも、朝から晩までカフェで働いている女の子にも、自分は助けられながら生きています。完全に搾りたてのジュースは自分にビタミンを与えてくれますし、疲れ切った時に休憩しに行くカフェは自分を回復させてくれています。そうやって彼らに支えられています。

ただ、彼らは毎日朝から晩まで休みなく働き続けて1ヶ月に給料が2万円もなく、生活費が足りない状況を生きています。そんなことを知ると、チップをもっと払いたいところですけど、今の自分には500円のチップを払い続けることさえ負担です。そんな状況を生きていると、もっと経済的に余裕のある人間になって、もっとチップを払いまくれる人間になりたいと思うばかりです。

「商売」を通して誰かに「給料(お礼)」を払うことで「善」を実践することも、「商売」を通して得たお金を誰かに「寄付(お礼)」することで「善」を実践することもできることは確かで、「商売」を始めるなら早くそこまで辿り着きたいところです。

逆に、「寄付」で活動をしている限り、チップのような形の「寄付」をすることは少し違うように感じます。というのも、自分に「寄付」をしてくれた方の多くは自分の活動を応援するために「寄付」してくれているのであって、自分が誰かに「寄付」をするために「寄付」をしてくれているわけではないからです。

このような意味でも、自由に他人にお金を「与える」ことをしやすい状況を作るために、「商売」を通してお金を得ていきたいところです。この点も、「商売」を再開するに至った一つの大きな理由です。ネパールと関わる中で、仲間のように感じる人達が増えてきたのですが、彼らはかなり困難な現実を生きており、なおかつ自力でその問題を解決することが困難な状況を生きているので、なんとか彼らの力になれないものかと思っています。

ネパールを守るということは、地球全体で考えた時に非常に重要な問題だと思っています。というのも、ネパールはヒマラヤの影響を強く受けながら、なおかつヒンドゥー教と仏教が共存した国で、そういう背景が様々な「神秘」を生み出し、継承されているからです。シンギングボウルはその最たる例だと思っています。また、このような意味では、ネパールは日本人にとって理想的な「神仏習合」とは何なのかを教えてくれる重要な国でもあります。

ネパールに行ったのは1ヶ月前が初めてでしたが、自分は日本にいながら、ずっとネパール人に強く支えられて生きてきました。何故ならば、自分はネパール人の作るカレーを食い続け、彼らとの会話で心を癒され続けてきたからです。そんな形で、身も心もネパール人にずっと守られてきました。日本人よりもネパール人と話している時間の方が長い時期もたくさんありました。

ネパール人はとてもいい人が多いです。その背景には、ネパールという国が持っている「神秘」の力があるのは確かだと思っています。実際、大分でもガネーシャを強く信仰しているゾウのような見た目の男性の経営するカレー屋に支えられ続けています。つまり、その人を通してガネーシャの力に自分は支えられています。

しかし、コロナとは関係なく、日本人観光客は昔と比べて激減しているとネパール人は皆口を揃えて言います。そんなことを聞くと、日本が良くない方向に向かっていることが、ネパール人を支える機会を無意識にも減らしているのだと思うばかりです。

ネパール人の皆を支えるなんてことは私には到底できないことだと思います。しかし、ネパールで重要な文化を継承している方々はできるだけ支えたいと思いますし、自分が知り合った自分が大事に思う人達位は支えたいと思うばかりです。

そして、こういうことを思う時、それは日本人を相手に実践するよりも簡単であることも思います。何故ならば、我々にとっての1000円が彼らにとっては5000円以上の価値を持っているわけで、人によっては我々にとっての1000円が彼らにとっては10000円程度の価値を持っているからです。だからこそ、こんな自分でもある程度のお金を持つことができれば、彼らを支えることができるはずと思っています。

自分は贅沢に興味がありません。もちろん、たまには健康管理のために海で泳ぎたいと思うことはありますが、美味しい物にも興味がありませんし、いい家にもいい車にも興味がありません。一日2食で、毎晩野菜スープを食べ続けるような質素なものです。

ただ、逆に、文化の発展のためであれば全財産を使い果たすことを繰り返してきましたし、これからも稼いだお金の多くは文化の発展のために注ぎ込んでいくのだと思っています。それに加えて、ネパール人を支えていくことに使っていけたらいいと思っています。

昔、フィリピンのアポ島を旅していた時、島の学校の先生になるために大学に行きたいにも関わらず、学費がなくて大学に行けない女の子と出会ったことがあります。あの子があの時必要だったお金は2万円だったのですが、あの時自分は色々な理由を付けてお金を渡しませんでした。その時のことを今でも後悔しています。

あの時自分がお金を払っていれば、あの子は大学に行くことができ、あの子が学校の先生になれれば、アポ島の素晴らしさは保たれやすくなっただろうと思うからです。あと、単純にあの子の夢の実現を応援したかったと思うからです。

転んで前歯を無くしていたあの子は差し歯も入れるお金もなく、カメラを向けると歯を隠していました。その様子がなんとも可愛そうだったのですが、自分は自分を優先したが故にあの子を支えることができませんでした。

経済大国としての威厳を失ったとはいえ、世界全体で考えると日本は経済的に豊かな国だと思います。そういう国に生きる我々は、貧しい国の人々の人生を大きく支える力を持っています。何故ならば、2万円で人一人の人生を変えることができ、そのことを通して、多くの人の人生を支え得るからです。

「商売」を再開するに当たって、そこまでのことは考えておきたいですし、ネパールとの出会いによって、こういうことを考えている中、「商売」を始めざるを得ない状況に直面していることに導きを感じます。こういうタイミングだからこそ、「商売」を再開するには今が最善のタイミングだとも思います。

私は元々、貧困問題を解決するために国連に入りたいと切実に思う人間でした。ただ、残念ながら、色々な経験を経て、あの時のような「熱さ」は失いがちです。しかし、「冷静」と「信念」によって、淡々と色々な問題を解決していければと思います。

当然のことを、当然のこととして、当然のようにやっていく。毎日目の前のミッションを当然のこととしてこなしていく。そんな感じでずっと生きていて、あまりにも淡々としているので、自分があまりいい奴にも感じられないのですが、正しくは生きられているだろうと思っています。

日本人が既に忘れてしまった日本の「神秘」を解き明かすことも、ネパール人が今でも受け継いでいる「神秘」を守ることも、自分の役割だと思っています。その両方に関して「商売」がいい形で良い影響を与えられるように、これからは「商売」とも関わって生きていこうと思います。

私は「ビジネス」が嫌いです。その背景には「ギブ&テイク」があり、「ギブ&テイク」の背景には「欲」があることが多いからです。ただ、なんとか「善意」による「ギブ」と「テイク」を実現していきたいと思います。そのお客さんや文化の発展のために品物やサービスを「ギブ」し、ネパール人の友人達や文化の発展のためにお金を「テイク」する形です。

「私利私欲」のための「ビジネス(商売)」が蔓延っている時代ですが、「商売」を再開するに当たって、本当の「利他」のための「商売」とは何なのかをちゃんと立派に提示できるような人間になりたいところです。得た「利益」は本当の意味で日本のためになるような文化の発展のために使い、重要な文化の継承に関わっているネパール人達を支えるために可能な限り使っていきたいところです。

次の11月7日で37歳ですが、この節目を大きな節目として、新しい段階に入っていき、更に色々な大事なことを学ぶと共に、具体的な「善」を実現し続けていくつもりです。

この世界の理想は「ギブ&ギブ(無償行為)」だと思います。しかし、皆が「ギブ&ギブ」を実践できる程には、我々人間は「成熟」していません。だからこそ、「ギブ&テイク(ビジネス)」によって「善」を実践することの方が現実的ですし、そのための現実的な方法論の模索は大事だと思います。これからはそういう学びを深めることもやっていければ、と思います。

この世界を少しでもマシにするために、自分にできることを淡々とこなしていきたいところです。自分にとって、人生はこの世界をマシにするための仕事(役割)に過ぎません。

日本人が各々の「役割」を実践するために本気を出せれば、世界の様々な問題を解決していけるとずっと信じています。中村哲先生のように、良いお手本になれるようにしたいところです。

とにかく、引き続き、一生懸命頑張って生きていきます。頑張ります。