インドにいます(近況報告と今後の予定)2018/9/19更新
2018.09.19 日記
7月6日からインドのバラナシという場所にいます。ガンジス川沿いにある、非常に有名な聖地です。
この二ヶ月半の間、インドの様々な要素を分析し続けてきました。そういった分析の中で、インド人の持っている「気質」や様々なことを理解し続けてきました。しかし、インドは様々な重要な要素に満ち満ちているので、分析はまだまだ終わっておらず、これから長期に渡ってインドに滞在し、研究をし続ける必要があると思っています(様々な分析結果については、将来的には体系的に書きます)。
以下、自分が研究していること、自分が研究しようとしていることを書いていきます。
【インド音楽研究】
この二ヶ月半の間、特に分析をしてきたのがインド古典音楽です。様々なインド音楽家に会っては、直接演奏を聴き、話を聴き、映像撮影をし続けてきました。また、シタールとタブラというインド古典音楽において主軸となっている弦楽器と打楽器も習い続けてきました。今自分がシタールとタブラを習っている師の写真を貼り付けておきます。タブラを自分に教えている方はタブラの巨匠として有名な方です。
音楽は人間の心に強く影響を与えるもので、インド古典音楽は音楽的に圧倒的に優れている音楽だからこそ、インド古典音楽は地球において非常に重要な音楽です。ですから、インド古典音楽がどういった音楽なのかを分析し、それを言葉のレベルで説明することはとても大事なことです。一度聴いてみて頂けるとよく分かるのですが、インド古典音楽は人間の心を正しい方向に導く力を持っています。
日本では、西洋古典音楽(西洋クラシック音楽)はかなり知られているのに対して、インド古典音楽(インドクラシック音楽)はあまり知られていません。だからこそ、日本人はインド古典音楽という、我々の心にとても大きな恵みを与えるものを使うことができていません。これは非常にもったいないことです。
だからこそ、インド古典音楽の持っている「価値」を説明することは大事です。ネットでインド古典音楽のことを色々調べることもしてきましたが、日本語の情報は本当に乏しく、この現状は「問題」だと思っています。そういった「問題」を「解決」するためにも、今はインド音楽を研究しています。
何事もやらなければ本質は見えてきませんが、それは音楽も同じです。音楽を理解する上で、聴くだけではどこかで理解が止まってしまうのに対して、演奏をやることに理解をより深められます。だからこそ、演奏することを習っていますし、現地のプロの演奏家とコミュニケーションを取ることで、インド音楽について理解が深まることは多々あります。
また、コントラバスでインド音楽を演奏をすることもやるつもりです。他の演奏家と共に演奏をすることで見えてくることはたくさんあります。そういうものを見えるようにするためにも、自分のメインの楽器であるコントラバスを使って、インド音楽を演奏することはやるべきだと思っています。
【インドヨガ研究】
インド音楽研究がある程度目処が付いたら、インドヨガ研究を始める必要があると思っています。そのためには、自分がヨガを学ぶ必要があるので、いずれはどこかのヨガマスターに弟子入りします。そして、インドヨガを学びつつ、インドヨガを「気」の観点から分析するつもりです。
インドヨガには様々な流派があります。伝統的な流派から新しい流派まで、様々です。その中で、重要だと思われる流派を複数深く学び、その他の複数の流派を浅く学ぶと思います。特に、この研究については伝統的な流派に特にフォーカスを当てたいと思っています。一番最初に学ぶことになるかもしれないと思っているのは、伝統的な流派の一つであるシヴァナンダヨガです。
シヴァナンダヨガはスワミ・シヴァナンダという、ヨガの道を極めた近代インドの聖者の一人が生み出したヨガで、世界中に数多くのセンターを持つ、非常に有名なヨガです。内容は、呼吸法、ポーズ、瞑想などで、思想的な部分も非常に豊かな、硬派な流派です。
スワミ・シヴァナンダ は数多くの本を出版していますが、彼の思想は「仕えなさい、愛しなさい、与えなさい、浄化しなさい、瞑想しなさい、悟りなさい(“Serve, Love, Give, Purify, Meditate, Realize”)」という言葉に集約できると言います。この言葉は自分としても深く共感し、最も大事な事柄だと思っています。また、シヴァナンダヨガの様々な方向性が自分の目指している方向性と重なっていて、こういった思想的な一致からも、自分はシヴァナンダヨガに関心を強く持っています。
シヴァナンダヨガは、NHKが過去に製作した菅野美穂主演のインドヨガのドキュメンタリーでも深く紹介されています。このドキュメンタリーは非常に素晴らしいので、お時間ある時に観て頂けると、様々な気付きを得ることができると思います。この映像の30-50分と79-85分の二箇所がシヴァナンダヨガに関することなので、時間の無い方はこの二箇所を見るだけでもいい刺激をもらえると思います。
タイミングが合い、なおかつ金銭的に可能であれば、2019年1月6日からインドのケーララ州で行われる、一ヶ月間のシヴァナンダヨガ修行プログラムに参加したいと思っています。そのプログラムについては、こちらに紹介されています。
このプログラムに参加しないのであれば、ガンジス川上流にあるリシケシのシヴァナンダヨガ総本山で修行するつもりです。どちらにしても、将来的にリシケシには行くと思います。リシケシはヨガの聖地と言われる程に、様々なヨガ道場が密集しているエリアだからです。
シヴァナンダヨガの次にどの流派を学ぶのかは今のところ不明ですし、確実にシヴァナンダヨガから学び始めるということも今のところ確定はしていません。ただ、このような形で、一つ一つの流派を集中的に学ぶことになることだけは決めています。
ヨガは日本でも非常に流行っています。けれども、ヨガの持っている本来の「意味」はあまりシェアされていないことが現状で、ヨガがスポーツのように捉えられがちです。だからこそ、日本ではいい形でヨガが実践されていない現状があります。そういった日本のヨガ事情の「問題」を「解決」するためにも、本場のインドでヨガの研究を深め、ヨガの持っている本来の「意味」をシェアすることは大事なことだと思っています。
【ヒンドゥー教研究】
インドで最も多くの人々が信仰している宗教がヒンドゥー教で、ヒンドゥー教は世界中に9億人の信者が存在する、世界で三番目に大きな宗教です。そして、ヒンドゥー教は神道や仏教のように多神教の宗教で、数多くの神々を信仰しています。そもそも、ヒンドゥー教の神々の一部は仏教に取り入れられ、仏教の神々として日本でも信仰されてきた程に、ヒンドゥー教は日本の信仰とも繋がっているものです。
ヒンドゥー教研究が、自分がインドで行なうべき最も重要な研究だと思っています。というのも、ヒンドゥー教の中で説明されている、神々に関する様々な神話はあまりにも重要だからです。そういった神話の持っている「意味」を解読することが、この世界が失っている神々に関する理解を取り戻すことに大きく貢献します。
世界各地の古代文明は神々のことをよく知っていたのに対して、現代は神々のことを見失っている時代です。だからこそ、世界各地の古代人達の知識を組み合わせて分析することにより、神々に関する研究はパズルを解くように行なうことができます。世界各地の異なる古代文明は同じ神々のことを別の名前で呼んでいたからこそ、このようなことができます。つまり、ヒンドゥー教で信仰されている神々の多くは、神道や古代ギリシャ・ローマで信仰されてきた神々と同じ神々です。
例えば、シヴァという神様は、ギリシャ神話ではアレース、ローマ神話ではマールス、神道ではスサノオとして信仰されてきた神様で、本質的には火星に宿っている火星神様のことを意味します。
ただ、古代ギリシャ・ローマ世界では、星が神々であるという知識があったが故に、火星=マールス=アレースと考えられていたのですが、ヒンドゥー教では星に関する知識が乏しかったが故に、シヴァ=火星神様という考え方はありません。だからこそ、何故シヴァが火星神様と言えるのかという証明作業を行なう必要があります。その証明の方法はシヴァの性質を分析し、シヴァが司っている「気」が何なのかを明らかにし、その「気」の性質がマールス=アレース=スサノオと一致することを明らかにすることです。
シヴァは破壊神と言われ、新しい創造のための破壊を司る神様と考えられています。また、神話を分析していくと、誰かを守るために自分を犠牲にする性質があることも理解できます。そういったことを分析していくと、シヴァがメインで司っている「気」が「火の気(闘いの心)」であることは分かります。
火星は「火の気」が宿っている星だからこそ、古代中国で「火星」という名付けが行われました。そして、古代ギリシャ・ローマでは火星が「闘いの心」を司る星であることを知っていたからこそ、軍神であるアレース=マールスが火星に宿っていることを知っていました。こういった点と、シヴァの性質を照らし合わせると、シヴァが火星神様であることは証明できます。
ここでは非常に大雑把に説明したので、説明はいい加減ですが、こういった形で、世界中の大昔の人々が残した知識を照らし合わせ、パズルのように証明作業をしていくことをやっていく必要があります。
シャーマンは神々と共に働く存在であって、シャーマンである自分は火星神様とも働いています。だからこそ、火星神様が司る「気(気持ち)」が何なのかを感覚的によく知っています。しかし、そういった感覚レベルの話で物事を説明するのではなくて、あくまでも分析的に、論理的に、説明的に、数学的に証明を完了させていくことが、こういう時代には大事だと思っています。何故ならば、感覚的な理解は他者に伝えることが非常に困難であるのに対して、論理的な説明は他者に伝えることができるものだからです。
ただ、音楽は感覚的な理解を他者と共有できるものです。例えば、シヴァの性質を表現しているインド古典音楽は多々あり、そういう音楽のタイトルには「シヴァ」という言葉が元々含まれています。インド古典音楽は神々のことを前提に音楽のことを捉えているからこそ、こういった構造が生まれます。だからこそ、そういった音楽を分析することがシヴァ研究にも繋がります。こういう意味で、インド古典音楽研究はヒンドゥー教研究とも繋がっています。
何よりも大事なことは、ヒンドゥー教の聖典の分析です。しかし、ヒンドゥー教に関する日本語の情報は非常に乏しく、英語で研究する必要があると思っています。ただ、自分の英語力は受験英語で養ったレベルなので、ヒンドゥー教を英語で研究するのであれば、英語の勉強もかなりする必要があると思います。ただ、ヒンドゥー語を学ぶ可能性や、サンスクリット語を学ぶ可能性もあると思っています。
『ラーマヤナ』や『バガヴァット・ギーター』といった、ヒンドゥー教の聖典は元々サンスクリット語で書かれているので、もし英語・ヒンドゥー語・サンスクリット語の全てが使えるのであれば、聖典の分析を行なう上では、サンスクリット語を使うことが最も好ましいです。しかし、サンスクリット語は今のインド人も使っていない言葉で、インドでの日常会話などを通して学ぶことができる言語ではありません。ヒンドゥー語はサンスクリット語と使われている文字自体は一緒なので、サンスクリット語に近い部分もあり、日常的に学ぶことも可能な言語です。英語はヒンドゥー語よりもサンスクリット語から遠いですが、既にある程度学んでいる英語なので近道ではあります。
つまり、サンスクリット語は一番いいけれども一番回り道、ヒンドゥー語は二番目にいいけれども一から学ぶ必要はあり学びやすい、英語は一番良くないけれども一番近道です。こういった三つの選択肢を持っているのですが、一体どういう道を選ぶのかは今のところ未定です。とにかく、一つだけ確かなことは、この三つの道のどれかは選ばないとならないことです。
【インドの地域研究】
インドの様々な地域の研究も必要だと思っています。インドでは地域ごとに最も重視されている神様が異なります。例えば、今自分がいるバラナシはシヴァが一番重要視されている場所ですが、他の地域ではヴィシュヌが最も重要視されていたりします。
こういう地域ごとの研究を通して、その地域で最も信仰されている神様の性質を理解できます。何故ならば、その地域で最も信仰されている神様はその地域で最も人間に「気」で関与している神様だからこそ、その地域の人間を研究すれば、その神様のことが分かるからです。
ですから、インドのそれぞれの地域の研究はヒンドゥー教の神々を研究することと、意味合いはかなり重なります。
【インドのシャーマン研究】
インドにもシャーマンがいて、ババと呼ばれたり、修行者はサドゥーと呼ばれます。それぞれの国のシャーマンは、それぞれの国のスピリチュアリティーに最も影響力があります。だからこそ、インドのスピリチュアリティーの現状を理解するために、シャーマン研究はしなくてはならないと思っています。
インドはスピリチュアル大国です。ですから、インド人が歴史的に積み重ねてきた精神性を分析し、理解し、シェアできたならば、我々日本人が学ぶことができる要素は膨大にあります。日本のシャーマン事情は非常に良くないからこそ、インドから学ぶことが大事な局面だとも思っています。
インドでは輪廻転生の発想が普通なので、亡くなった偉大なシャーマンは神々の一人として信仰されているのが普通です。ですから、故人のシャーマンを分析することは、神々を分析することになり、ヒンドゥー教の神々の分析と同じ意味を持ちます。例えば、以下の写真のシルディ・サイ・ババという方は、今はインド中で信仰されている、かなり昔に生きていたシャーマンです。日本でもよく知られているサイババとは別の人物です。
輪廻転生は真実なので、シルディ・サイ・ババは今は神々の一員として、本当に人間に「気」で関与しています。その関与の仕方などは、シルディ・サイ・ババを信仰している人々を分析することによって分かるので、そういった分析も将来的には行なう予定です。
サドゥーについては、彼らとコミュニケーションを取ることを通して研究は進めることができます。彼らはかなり身近なところにたくさんいますから、コミュニケーションを取ること自体は難しいことではありません。ですから、サドゥー達と時間を共に過ごしながら、インドのサドゥー事情について研究したいと思っています。
インドでは、クンブ・メーラというお祭りが三年毎に行われていて、このお祭りではインド中のサドゥー達が沐浴をしに集まります。サドゥー研究をするために、このお祭りに参加することもあり得ると思っています。
【最後に】
インド音楽を習得することも、ヨガを習得することも、かなり時間のかかることですし、ヒンドゥー教を学ぶためにヒンドゥー語やサンスクリット語を学ぶならば、それも時間のかかることです。また、それぞれの地域の「気質」の研究は数週間でできるものではなく、比較的長くいる必要があり、インドの広大さを考えると、かなり時間がかかると思います。
インドには、世界が忘れた神々に関する様々な「真実」が伝統的に数多く残っています。例えば、ヒンドゥー教は神々に関する様々な「真実」に満ちていますし、インド音楽は神々が人間に教えたい「気持ち」に関する「真実」ですし、ヨガは神々が人間に教えたい、身体と神々の繋がりに関する「真実」です。
だからこそ、そういったことを研究して日本人にシェアすることは、絶対に大切なことです。インドに関する情報を日本語で調べている時に、あまりにも情報が足りていないことを感じるからこそ、これは必要なことだと思っています。長い道のりになりそうですが、時間を大切にしながら、その時その時にすべきことを全力で頑張っていますし、頑張っていくつもりです。
※この文章は内容を向上させた後に、再アップする可能性が高いと思っています。