持田香織は神々と共に歌を歌う歌手の一人であって、長い間神々と共に働いてきた歌手になります。ですから、日本人が理解すべき重要な歌手の一人になります。持田香織がどうして神々と共に働いている歌手と言えるのか、どのような形で神々と共に働き、どのような作品を神々と共に残してきたのか、といったことを書いていきます。

持田香織は木星神様と繋がっている人間であり、木星神様と共に歌を歌っている歌手になります。そのことの根拠は持田香織という名前や彼女の歌ってきた歌詞に強く表現されています。まずその点について書いていきたいと思います。

 

【「持田香織」という名前について】

「香織」という名前は「香りを織る」と書きます。そして、木星神様とは太陽系における「風の気」を司っている神様であって、地球上の風を支えている神様です。最初の時点では「木星神様=太陽系の風の神様」と理解して頂ければ、と思います。どうして「木星神様=太陽系の風の神様」と言えるのかということについては後で詳しく書きます。 

「香り」は風によって運ばれてくるものであって、「香織」の「香」という漢字はそういった意味で「風の気」を表しています。そして、「織」という漢字はそういった「風の気」を「歌によって織る」ことを意味しています。

ある神様と共に歌うのであれば、その歌にはその神様からの「気」が乗ります。ですから、木星神様と人間が共に歌を歌うのであれば、その歌には木星神様からの「風の気」が乗ります。持田香織はそれを人生の役割として持っている歌手であって、そういった人生の役割を表現するために「香織」という名前を持っています。

また、「持田」という名字は文字通り、「田を持つ」ということを意味します。「田」とは「田畑」「油田」「塩田」と言われるように「何かが生まれる場所」のことです。そういった意味で「何かが生まれる場所を『持』っている」という意味が「持田」という名字に込められています。そして、ここで「何かが生まれる場所」とは木星のことを意味しています。

木星神様は木星に宿っている神様であって、木星に宿っている「風の気」を司っている神様になります。そういう意味で、木星とは「風の気」の生まれる「田」です。

「縁」という言葉がありますが、「縁」とは「気」が流れるラインのことを意味します。持田香織が木星神様と繋がっているということの正しい意味は、持田香織と木星神様との間には「縁」があるということです。だからこそ、持田香織は木星に宿る「風の気」を木星神様から直接もらいながら、その「風の気」を歌によって広げている人間になります。

ですから、このことを理解すると「持田」という名字が表す「田を持っている」という意味は、「木星を持っている」ということと同じような意味を持っていることが分かります。木星に宿る「風の気」を受け取ることができるということは、持っているということとさほど意味が変わらないが故に、このような名字を神々は持田香織に授けています。

整理すると、

持田:木星という「風の気」の『田』を『持』っている
香織:『香』=「風の気」を歌によって『織』る

ということを意味します。「持田」という名字だけでは、一体どのような「田」なのかははっきりしませんが、「香織」という名前の持つ「香」という漢字が「風の気」のことを表しているので、ここで言われている「田」が「風の気」の宿る木星のことであると特定することができます。

このような形で、神々は「持田香織」という名前から彼女が木星神様と繋がっている歌手であることが分かるような名前を持田香織に授けています。


【「もか」について】

井上陽水が持田香織の名字と名前の一文字目を使って「モカちゃんと呼ばれたことない?」ということを持田香織に話し、その話をずっと持田香織が気になり、持田香織のファーストアルバムのタイトルは『moka』になっています。これは神々の導きによるものなので、説明を書いておきたいと思います。こちらのリンクに井上陽水とのエピソードは書かれています。

https://www.barks.jp/news/?id=1000052064

「もか」は木星神様の「木星」「神様」の頭一文字目から来ています。それは「持田」「香織」の頭一文字目と全く同じ構造です。「持田香織」という名前の「持田」とは「木星を持っているということ」であって、「香織」とは「役割(「風の気」を織ること)」のことです。それと全く同様に、「木星神様」という名前の「木星」とは「木星を持っているということ」であって、「神様」とは「役割(「気」を司ること)」のことです。こういった一致から「もか」というキーワードを木星神様が元々用意しています。分かりやすくする為に整理してひらがなで書いておきます。

も    か
もちだ    かおり
もくせい かみさま

井上陽水も木星神様と繋がっている歌手であって、木星神様の導きによって井上陽水は「モカちゃんと呼ばれたことない?」という発言を行なっています。普通、名字と名前の頭一文字目を抜き取ってあだ名にすることは考えにくいですし、そういう風な形で呼ばれている人は本当に稀だと思います。そういったことを踏まえると、井上陽水がわざわざこのようなことを言ったことはかなり特殊であるとは言えると思います。井上陽水は木星神様と一緒に生きているからこそ、このような発言が行なえます。

そして、木星神様は持田香織にこの「もか」のことをずっと気にさせた形になります。何かを気にするということは我々の意志ではできないことです。何かを気にするという現象は「気にしよう」と思ってできるものではなくて、我々の心に起こる現象だからです。では、どのようにして「気にする」という現象は成り立っているかというと、目に見えない存在が我々に「気」で関与することで、「気にする」ことを促している形になります。だからこそ「気にする」「気になる」には「気」という言葉が元々含まれています。

木星神様としては、自分が持田香織と繋がっているヒントを持田香織に残すためにこのようなカラクリを元々用意した形になります。将来的に持田香織が木星神様と繋がっていることを知る時期が来ることは木星神様は分かっていました。そして、そういった真実を知る時に、元々そういった真実に繋がるような何らかの経験があれば、その真実に確信を持つことになります。そういったことを狙って木星神様は「もか」に関する一連のことを起こしています。

持田香織のファーストアルバム『moka』は、持田香織と木星神様が本当に強く共に働いている作品なので、是非聴いてみて頂けると幸いです。本当に強く働いているからこそ、「もちだ かおり」「もくせい かみさま」の頭文字の「もか」をタイトルにしています。


【Every Little Thingという名前について】

Every Little Thingという名前にも、神々の関与が明確にあります。このことを理解する為には「風の気」について説明する必要があります。そのために、少し「気分」「気持ち」という言葉の意味、五つの「光の気」の違いについて説明します。また、Every Little Thingという名前はビートルズの『Every Little Thing』から来ているので、この歌の意味を解説する必要があります。
 

・「気分」「気持ち」の言葉の意味と、五つの「光の気」について

「気」という言葉を含む言葉は我々は非常に多く持っていますが、それらの言葉の本当の意味は我々は忘れてしまっています。逆に言うと、我々が大事なことを忘れてしまっても、言葉にはまだ真実が残っています。昔の人は「気」のことをよく理解していました。そして、言葉を創る時に、その言葉がどのような意味を持った言葉であるのかということが伝わるように言葉の構造を創っています。ですから、言葉を分析することがその言葉の持っている本当の意味を理解する上でとても有効な手段です。

「気分」「気持ち」という言葉は、「気を分つ」「気を持つ」と書きます。これは、我々の抱いている感情の原因が「気」であることを説明している言葉です。例えば、大自然の中にいると「気分」「気持ち」はよくなりますが、大都会の中にいると「気分」「気持ち」が沈んでいったりします。どうしてこのようなことが起きるかというと、大自然の持っている「気」がとてもいいものであるのに対して、大都会の持っている「気」が良くないものであるからです。

「元気」という言葉は「元の気」と書きますが、これは一つの「気」のことを表します。「元の気」を受け取ることによって我々は「元気」になるということを「元気」という言葉は説明しています。そして、地球において「元の気」を支えているのが太陽であって、だからこそ太陽を浴びると我々は「元気」になっていきます。太陽は「火の気」を地球に与えているので、「元の気」とは「火の気」のことを意味しています。

太陽よりは分かりづらいですが、この太陽の例と全く同様に、木星は地球に「風の気」を送っています。「火の気」を受け取ると我々の「気持ち」が「元気」になるのと同様に、「風の気」を受け取ると我々の「気持ち」は「優しさ」を抱きます。そして、木星という名前に「木」という言葉が含まれていることに表れているように、「風の気」を強く摂取しながら生きているのが植物です。だからこそ、植物は「風の気」に満ちていて、その結果我々人間は植物から「優しさ」を感じます。

持田香織は木星神様からの「風の気」を、木星神様との「縁」を通して受け取りながら生き、その「風の気」によって「優しさ」を抱いた状態で歌を歌っています。だから、持田香織の歌声は非常に「優しさ」に満ちています。持田香織の楽曲には本当に「風」と「優しさ」という言葉が多いですが、そのことにはこのような背景があります。

科学的には我々の感情の変化がどのように生まれるのかを明確に説明することはできません。何故ならば、「気」は科学的に測ることができないものだからです。この世界は様々な「気」に満ちていますが、「気」は感じることができても、測ることは決してできないようにできています。しかし、測ることができなくても、「気」は確かにそこに存在しています。

太陽系の全体像を掴んで頂く為に、太陽系の太陽と木星以外の星の話も書いておきたいと思います。太陽が「火の気」を地球に送り、木星が「風の気」を地球に送るのと同様に、太陽系の他の惑星は地球に「光の気」を送っています。それぞれの星の名前は、地球に送っている「気」に対応しています。昔の人はそれぞれの星に宿っている「気」を感じ、その星に宿っている「気」に合わせて、それぞれの星の名前を付けていったので、このような対応関係を持っています。

太陽、火星:火の気
水星:水の気
金星:金の気
木星:風の気
土星:土の気

※天王星、海王星、冥王星は発展系なので、ここでは説明は省略させて下さい。

「風の気」のことを伝統的な五行思想では「木の気」と呼びます。そういった背景によって木星は「木星」という名前を持っています。ちなみに、四大元素説では「木の気」のことを「風の気」と呼びます。「水・火・風・土・金の気」に分けて考えるのは古代の東洋でも古代の西洋でも起こった考え方であって、ネットもない時代に異なる地域で似ているけれども異なる二つの思想が生まれたのは、それが真実だからになります。古代ギリシャでは、「気」のことを「プシュケー」と呼びます。

          五行思想(古代中国)   四大元素説(古代ギリシャ)
   水の気       水の気         水の気(プシュケー)
   火の気       火の気         火の気(プシュケー)
   風の気       木の気         風の気(プシュケー)
   土の気       土の気         土の気(プシュケー)
   金の気       金の気

ちなみに、古代ギリシャ世界では星に神々が宿っていることも知っていましたが、それぞれの星に宿る「光の気」を操っているのが星の神々です。太陽系のそれぞれの星は地球に「光の気」を送り、その「光の気」をそれぞれの星の神々は操っています。そのことによって、地球に生きる様々な命を支えています。

科学的に考えると、どうして太陽系がこのような形をしているのかを明らかにすることは不可能であって、太陽や月以外の星は不必要といった発想に陥ります。しかし、太陽系がこのようなデザインをしているのは、このデザインが必要だったからです。

それぞれの星を集中して見つめていると、その星の「気」を目から受け取ることで異なる「気持ち」になるので、そのことから星に宿っている「気」を特定することはできます。昔の人はそのようにして星に名前を付けましたし、星の「気」は今の我々でも感じられるものなので、星を見つめるということをやってみて頂けると幸いです。木星を見ていると「優しさ」を抱きますが、そのことから「優しさの気」=「風の気」が木星には宿っているということは理解できます。

現代を生きる我々は一つの星をものすごく集中して見るということをただしていないだけになります。したことがないからこそ、そういった行為の価値を忘れているだけです。そういった部分を根拠にすると何故太陽系はこのような形をしているのかは体験として理解できるのですが、現代は「感じること」の価値を見失い、「測ること」を過大評価しているが故に、色々なことが分からなくなってしまっている現状があります。

星座表というアプリケーションを使うと、スマートフォンを使ってどこにどの星があるのかを簡単に特定できるので、このアプリケーションを使って、太陽系の惑星がどこにあるかを特定し、見つめてみて頂けると幸いです。そして、そういったことから、地球に五つの「光の気」を供給するためのシステムとして、太陽系があることを体験として理解して頂けると幸いです。


・ビートルズ『Every Little Thing』について

この歌は主人公が自分の彼女のことを賞賛している歌です。そして、歌詞を分析するとこの彼女が「風の人」=「優しさの人」であることが分かります。神々としては、「風の人」である持田香織とビートルズの『Every Little Thing』の中で歌われている「風の人」の彼女を重ねて意味するために、この曲のタイトルを持田香織のグループの名前にしています。

何故、神々はこのような構造でEvery Little Thingというグループ名を付けたかというと、神々の持田香織に対する気持ちを持田香織自身に伝えるためです。ビートルズの四人は神々と繋がっているので、ビートルズの歌声は神々の歌声でもあります。ですから、神々がこのEvery Little Thingというグループ名を付けたことは、神々が持田香織を賞賛しているということを意味します。特に、木星神様の持田香織に対する気持ちです。

木星神様は持田香織の魂が元々大好きだからこそ、持田香織のグループ名を「Every Little Thing」にし、いつか持田香織がこの歌の意味を分かった時に、木星神様が自分の気持ちを持田香織に伝えられるような仕組みを用意しています。

そういう風に捉えて頂きながら、歌詞と一緒に聴いてみて頂けると幸いです。持田香織は前世でも歌手であって、神々に対する想いがとても強い人間でした。そういった部分もこの歌の背景にあります。
 


When I'm walking beside her
あの娘と並んで歩いていると

People tell me I'm lucky
運のいい男だねと言われる

Yes, I know I'm a lucky guy
そうさ、運のいい男だよ

I remember the first time
出会った頃を覚えている

I was lonely without her
彼女と出会う前は寂しくて仕方がなかったけれど

Can't stop thinking about her now
今ではもう彼女のことしか考えられなくなっている

Every little thing she does
どんなにささいなことだとしても

She does for me, yeah
僕のために彼女はしてくれる

And you know the things she does
あの娘がしてくれることを知っているだろう?

She does for me, oooh
僕のためにしてくれているんだぜ?

When I'm with her I'm happy
彼女といられれば僕は幸せで

Just to know that she loves me
愛されているというだけで幸せになれるんだ

Yes, I know that she loves me now
そう、彼女は僕を愛している

There is one thing I'm sure of
そしてひとつ確かなのは

I will love her forever
僕はこれからもずっと彼女を愛し続けるということ

For I know love will never die
愛が消えることはないと、知っているから

Every little thing she does
どんなにささいなことだとしても

She does for me, yeah
僕のために彼女はしてくれる

And you know the things she does
あの娘がしてくれることを知っているだろう?

She does for me, oooh
僕のためにしてくれているんだぜ?

Every little thing she does
どんなにささいなことだとしても

She does for me, yeah
僕のために彼女はしてくれる

And you know the things she does
あの娘がしてくれることを知っているだろう?

She does for me, oooh
それもこれも、僕のためにしてくれているんだぜ?

Every little thing
どんなささいなことだって

Every little thing
どんなささいなことだって


この歌の冒頭の「あの娘と並んで歩いていると 運のいい男だねと言われる そうさ、運のいい男だよ」という歌詞は、木星神様が持田香織を「縁」によって支えていることが「あの娘と並んで歩いている」という言葉で表現され、他の神々が木星神様に対して、「(持田香織と「縁」を持てるなんて)運のいい男だね」と言い、そのことに対して木星神様が「そうさ、運のいい男だよ」と言っている形になります。この構造から多くの神々が持田香織のことがとても好きだということも分かります。(ちなみに、木星神様は元々は植物だった魂で、男でも女でもなく中性的な神様です。)

「彼女と出会う前は寂しくて仕方がなかったけれど」という歌詞は、持田香織が前世人間として生きていた時に「会いたくてしょうがなかった」ということを意味しています。持田香織は前世が終わり、天国に行った時に木星神様と会っています。どうしてそのように言えるかというと、大きな役割を持つ人間はその役割を引き受ける上で、その役割を共に実践する神様と必ず相談を行なうからです。「彼女と出会う」とはその時のことを意味しています。そして、「今ではもう彼女のことしか考えられなくなっている」とは、今ものすごく持田香織のことを大事に想いながら木星神様が支えているということです。

星の神様は膨大な認識能力を持っているからこそ、「気」によって地球上の全ての命を同時に支えられます。その認識能力のイメージは自分が1兆人いるような感じだと考えて頂けると分かりやすいと思います。自分が一兆人いるからこそ、一兆人の相手に対して、一人一人親身に接することができます。木星神様が持っているその内の一つの認識が持田香織に対するものであって、「今ではもう彼女のことしか考えられなくなっている」というような感情になっていることを意味しています。

「どんなにささいなことだとしても 僕のために彼女はしてくれる」という歌詞は持田香織が木星神様を愛し、木星神様のために様々な努力をしてくれるであろうと、Every Little Thing発足当時に木星神様が持田香織の将来について予想した姿になります。どうしてこのような予想を木星神様がしたかというと、前世でも持田香織がそのような人間だったからです。

「彼女といられれば僕は幸せで 愛されているというだけで幸せになれるんだ そう、彼女は僕を愛している そしてひとつ確かなのは 僕はこれからもずっと彼女を愛し続けるということ」という歌詞は持田香織と木星神様がお互いに深い「愛」を抱いているということを意味します。ちなみに、念のために書いておくと、恋愛の意味の「愛」ではありません。

「愛」は「相手のために何かをしたいと思う気持ち」です。そして、自分が愛する相手が、自分のことを愛してくれていることはとても嬉しいことです。そういったことを表現する為に、「どんなにささいなことだとしても 僕のために彼女はしてくれる」といった歌詞が何度もこの歌では歌われています。

こういった形で、木星神様は自分の気持ちを持田香織に伝える上で『Every Little Thing』という曲が非常に有効だと考えたが故に、持田香織のグループ名をEvery Little Thingにしています。こういった気持ちはただの言葉ではなくて、歌だからこそ伝わります。だからこそ、この曲を聴いて頂くことによって、木星神様がどういう気持ちで持田香織を愛しているのかを感じ取って頂けると幸いです。上の歌詞を読みながら聴いて頂くのはとてもいい方法だと思っています。

『Every Little Thing』という歌を持田香織が初めて歌ったのは、木星神様と繋がる井上陽水の番組内です。その番組の中で、「『Every Little Thing』という曲は、『あなたのことが大好きだ。とにかく、どんな些細なことでも好きだ』というイメージが湧く」ということを井上陽水が言っています。単純に歌詞の意味だけを言葉通りに捉えるのであれば、「どんな些細なことでも好きだ」という解釈は誤っています。しかし、これは木星神様の導きによって起こっている間違いであって、木星神様は自分の持田香織に対する想いを井上陽水の発言を通して伝えるために、わざとこのような間違いを井上陽水にさせています。何故ならば、歌詞の意味通りの正しいことを言ったのであれば、木星神様の導きとは言いづらいですが、歌詞の意味としては間違っているけれども、木星神様がこの曲をグループ名にした意味と同じことを井上陽水が言うであれば、それは木星神様の導きであると言えるからです。その映像はこちらから見ることができます。

http://v.youku.com/v_show/id_XNDEyMjQyMDgw.html

 

どうしてこの歌で登場する彼女が「風の人」と言えるかというと、「Every little thing she does(どんなにささいなことだとしても)She does for me, yeah(僕のために彼女はしてくれる)」という歌詞が大きな根拠となっています。このことを理解する為には、先程説明した五つの「光の気」=「光の感情」の解説をする必要があります。

「愛」の実践方法は一つではなく、「どんなにささいなことだとしても、僕のために彼女はしてくれる」という言葉は「風の感情」による「愛」の実践方法の特徴です。この特徴を理解する為には、「愛」の実践方法の違いを理解する必要があります。そのために、一度五種類の「光の気」の違いの一覧を書いておきます。

水の気持ち:「愛」の実践のために問題解決を行なおうとする心=「向上心・問題解決の心」
火の気持ち1:「愛」の実践のために相手を笑わせようとする心=「元気・笑い」
火の気持ち2:「愛」の実践のために相手を傷つける何かと闘おうとする心=「闘いの心」
風の気持ち:「愛」の実践のために思いやりを実践しようとする心=「優しさ」
土の気持ち:信じることのために何かをやり始めようとする気持ち・やり続ける気持ち=「勇気・忍耐」
金の気持ち:相手を大事と想う気持ち・相手と接したいと想う気持ち=「愛」そのもの

風の気持ちは「愛」を実践する為に「思いやり」=「相手の立場になって考えること」を使います。そして、それが「優しさ」に繋がります。「自分のため(闇)の優しさ」という言葉があるように「優しさ」という言葉は今は乱れてしまっていますが、「光の優しさ」は必ず「思いやり」を使います。詳しくはこちらを御覧になって頂けると幸いです。

http://junashikari.com/emotion/風の感情について/

それぞれの人間は五つの「光の気」のどれかを最も多く抱えています。どうして、それぞれの「光の気」を平等に大きくできないかというと、それぞれの「気持ち」はお互いに矛盾し合うものだからです。例えば、「水の気持ち」は部分よりも全体を大事にするのに対して、「火の気持ち」は全体よりも部分のことを大事にします。イメージを掴んで頂くために、宮崎駿作品の登場人物を当てはめて書いていきたいと想います。宮崎駿は神々と共にアニメを創っているので、神々は宮崎駿作品の主人公達を明確に水・火・風・土・金の人のどれかにしています。

水の人(向上心・問題解決の心):アシタカ(もののけ姫)、ユパ(ナウシカ)、ハク(千と千尋の神隠し)
火の人(元気・笑い):ルパン、キキ(魔女の宅急便)、フィオ(紅の豚)、ポニョ・宗介・リサ(ポニョ)
火の人(闘いの心):サン(もののけ姫)、エボシ御前(もののけ姫)、クシャナ(ナウシカ)、マルコ(紅の豚)
風の人(優しさ):ナウシカ、ハウル、堀越次郎(風立ちぬ)
土の人(勇気・忍耐):なし
金の人(愛):シータ(ラピュタ)、里見菜穂子(風たちぬ)、グランマンマーレ(ポニョ)

こう書くと、少しイメージを持って頂きやすくなると思います。『風の谷のナウシカ』の主人公(ナウシカ)が風の人であって、『風たちぬ』の主人公も風の人(堀越次郎)であるのは、「風」ということを神々が人間に伝えたかったからになります。

火の人に関しては、実際はそれぞれの火の人は「元気・笑い」と「闘いの心」の間を振れています。例えば、キキやパズーは普段は「元気・笑い」なのですが、トンボやシータを助けようとする時は「闘いの心」を使います。それに対して、サンはほとんどいつも「闘いの心」ばかりを使って生きています。上の「火の人」の書き方は「元気・笑い」と「闘いの心」のどちらの「気持ち」をより抱きやすいのかということを根拠に書いています。

先程、「水の気持ち」は部分よりも全体を大事にするのに対して、「火の気持ち」は全体よりも部分のことを大事にしますということを書きましたが、『もののけ姫』はこの構造がよく表れています。サンもエボシ御前も自分の仲間に対する「愛」が故に「闘いの心」を抱き、お互いに対立をしてしまっています。何故ならば、全体よりも部分を大事にするのが「火の気持ち」だからです。それに対して、アシタカはその対立を「水の気持ち」によって止めます。「水の気持ち」は部分よりも全体のために動くので、こういった対立をアシタカは解決することができています。

こういった全体像を踏まえて頂いて、「どんなにささいなことだとしても、僕のために彼女はしてくれる」という歌詞の解説に戻りたいのですが、「風の人」は「相手のため」にどんなささいなことでもやりたくなります。何故ならば、「思いやり」を使って相手の立場になって考えるが故に、相手が苦労をしている部分は何でも助けたいと思うからです。そういった点が「どんなにささいなことだとしても 僕のために彼女はしてくれる」という歌詞に表れています。

例えば、「水の人」は「相手のため」に相手の抱える問題の解決をしようとする人ですが、必ずしも「相手のため」にどんなにささいなことでもやることはありません。何故ならば、「相手のため」に何でもやり過ぎることは時に相手を「甘え」に陥れてしまうからです。あまりに「相手のため」に尽くしすぎることは、時にその相手をダメにしてしまいます。水の人はそのリスクを考え、「どんなにささいなことだとしても 僕のために彼女はしてくれる」ということをしません。

「風の人」がまず最初に相手の立場になって考える(思いやり)のに対して、水の人はまず最初に相手の抱えている問題を見る(問題解決)ので、このような心の動き方の違いが生まれます。決して「水の気持ち」が「風の気持ち」よりも優っているというわけではなくて、それぞれの「光の気持ち」は長所と短所を持っています。

風の人は相手に「優しさ」を実践するが故に、相手を「幸せ」にしますが、過剰な「優しさ」は相手を「甘え」にも陥れやすいものです。
水の人は相手に「問題解決の心」を実践するが故に、相手を成長させますが、それが「厳しさ」にも繋がり、相手に「嫌悪」を抱かせがちです。

それぞれの「気」はこのように長所と短所を持ち、不完全にできています。何故ならば、それぞれの「光の気」が不完全だと、光の魂同士がお互いに支え合うことができるからです。この世界の創造神としては、お互いに支え合うことでお互いの「愛」を感じる「喜び」を感じてほしいが故に、「光の気」をわざと不完全にデザインしています。

火の人はその相手を笑わせることか、その相手を傷つける何かと闘うことをしますが、この二つの「愛」の実践方法はそもそも「どんなにささいなことだとしても 僕のために彼女はしてくれる」ということができないものです。

また、「土の気」自体には「愛」は含まれていないので、「どんなにささいなことだとしても 僕のために彼女はしてくれる」という状態にはなりません。「金の気」は「愛」そのものなので、「問題解決」「笑い」「闘いの心」「優しさ」を実践する以前の純粋に「相手を大事だと思う気持ち」のことです。この気持ちは「問題解決」「笑い」「闘いの心」「優しさ」のどれにでも繋がるので、必ずしも「どんなにささいなことだとしても 僕のために彼女はしてくれる」という状態になるものではありません。

そういう意味で、「どんなにささいなことだとしても 僕のために彼女はしてくれる」という歌詞は間違いなく「風の気持ち」のことを意味していると言えます。そして「Every little thing(どんなにささいなことでも)」という言葉はそういった「風の気持ち」の性質をよく捉えています。そういったことを意図するためにも、神々は「Every Little Thing」というグループ名を授けています。

今回、持田香織についての文章を書くに当たって、持田香織ソロ・Every Little Thingの全曲をよく聴き、PVも全てチェックし、持田香織が出演しているテレビ番組でネットに上がっているものは可能な限り観て、持田香織の書いた本は全て調べました。ネットに上がっていたインタビューなども参考にした部分もあります。

それをした上でよく分かったのは、持田香織は本当に魂の「光」が強いということです。神々が持田香織のことを賞賛することはよく分かります。というか、神々は持田香織を賞賛しているというよりかは、持田香織をかなり頼りにしてきたということが言えます。そして、そういった期待に対して持田香織はかなり応えてきました。このことは持田香織自身も自覚していないのかもしれません。

こういったことは、こういったストレートな観点ではなくて逆の観点から考えることも大事だと思うのですが、神々が持田香織を深く愛さないわけがありません。神々は地球に生きる多くの魂のために身を粉にして全力で働いている魂達です。そして、彼らは多くの人間が「光」=「誰かのために何かをすること」を実践することをいつも願い、それを「光の気」で支えようとしています。何故ならば、皆が支え合えば、皆が「幸せ」になっていくからです。神々は地球上に生きる全ての魂の「幸せ」を願っているからこそ、そのように人間の心に「光の気」で関与しています。

しかし、現代においてそういった神々の努力はことごとく無駄となっています。何故ならば、現代の人間の多くが他人よりも自分のことを大事と思って生きているからです。すると、初めは「誰かのため」=「光」に生きたいと思う人でも、ちょっとした攻撃ですぐに「自分のため」=「闇」に生きるようになってしまいます。実際、「誰かのため」に身を粉にして生きている人間は本当に少ないです。

神々からすると、何度も「闇」の攻撃を受けても「光」を保ち、「誰かのため(光)」に歌を歌っている持田香織の姿は本当に頼りになりますし、そういった持田香織の活躍を見ることによって神々が少しでも希望を多く持てていることは間違いなく言えます。もし、地球上の人間の全員が「闇」を選べば、神々は完璧に希望を失います。そうなると神々が「光の気」でどんなに人間に関与しても絶対にうまくいかないからです。そして、今の時代は本当に「闇」を選ぶ人間が多い時代です。そんな中で持田香織のように長年に渡って「闇」の攻撃をもらいながらも「光」を実践している人間は、本当に神々の希望を支えています。そんな持田香織を神々が深く愛さないわけがありません。そういう意味で、今神々が持田香織のことを深く愛していることは確かと言えます。

そして、持田香織の魂は元々強い「光」を持っていたからこそ、デビューしてからの20年間の間、「闇」の攻撃をもらいながらも、歌を通して「光(誰かのために何かをすること)」を実践してきました。ですから、当然前世においても持田香織は「光(誰かのために何かをすること)」を実践していたことは間違いないですし、神々はその様子を今でも全て覚えています。だからこそ、持田香織がEvery Little Thingとしてデビューする時に、既に神々が持田香織を深く愛していたことは間違いなく言えます。

こういった形で、「神々が持田香織を愛さないわけがない、何故ならば〜」という説明は、印象としてはドライですが、こういった方法で考えることによって、より真実に確信を持つことができます。「神々が持田香織を深く愛している」ということのストレートなメッセージが『Every Little Thing』という歌を通して用意したカラクリであって、ドライな説明がこういった説明だと理解して頂けると幸いです。そして、この両方のアプローチから、間違いなく持田香織が神々から深く愛されている歌手であるということについて、確信を持って頂けると幸いです。

特に、木星神様は持田香織を本当に深く愛しています。それを伝えるために、木星神様は持田香織が創る楽曲と持田香織の歌声に関与した曲もあります。こういった歌は、持田香織が歌った歌が、持田香織に対する木星神様からのメッセージとなっています。そういったことについても、このページで説明できると幸いです。

説明が長くなってしまいましたが、「Every little thing」というグループ名は間違いなく木星神様の持田香織に対する気持ちを意味しています。そういったことについて納得して頂けると幸いです。

 

【神々がどのようにして我々に「アイデア」をもたらすのか】

「持田香織」「もか」「Every Little Thing」という名前が偶然ではなく神々によって授けられたものであることや、歌詞の解説を真に理解して頂くために、神々がどのように我々に「アイデア」を与えるのかということを説明させて下さい。そのために、「気」と「アイデア」の関係性を説明したいと思います。

神々が「気」を通して我々に「アイデア」をもたらしていることは「気付き」という言葉によく表現されています。例えば、朝家を出て歩いているとふいに忘れ物に「気付く」ということはありますが、この現象は我々が自分で起こそうと思って起きているものではなくて、我々に起こるものです。では、どのように起きているかというと、「気付き」という言葉が表しているように「気」が「くっ付く」ことによって起こっています。

「気」には「情報」を乗せることができます。そして、そういった「情報」の乗った「気」が我々にもたらされると「気付く」という現象が生まれます。忘れ物に「気付く」という現象は神々が我々に「気」を「くっ付ける」ことによって生まれている現象であって、「忘れ物をしているよ」という「情報」を神々から教えられている一つの現象です。

このことと全く同様の形で、我々が持つ名前のアイデアにも神々は関与しています。我々が誰のお腹の赤ちゃんに宿るのかを決めるのは神々であって、そのことが決まれば自ずと名字は決定されます。そして、下の名前を決める段階において、神々はその子の両親などに「気」を「くっ付ける」ことを通して名前の「アイデア」をもたらします。このような構造によって、自分の名前が神々から授けられるという現象は成立します。(ただ、当然こういった名付けが成功しない場合もあります。)

持田香織の場合は、持田香織のお母さんに神々が「気」を「付ける」ことによって「香織がいいかもしれない」という「アイデア」と「気持ち」を与え、「香織」という名前を付けています。

また、神々は名付けの時だけではなくて、様々な時に「気付き」を使って我々人間に「アイデア」を与えています。例えば、神々は様々な芸術活動の「直感」=「インスピレーション」=「アイデア」にも関与しています。何かを創るためには、どんなものを創るのかという「アイデア」が必ず必要です。そして、神々は「情報」の乗った「気」を「くっ付ける」ことによって、我々に様々な形の「アイデア」を授けます。こういった構造によって神々と共に作品を創るということは行なう事が出来ます。

我々は「アイデア」を自分で作ろうと思って作れるものではなく、「アイデア」とはどこかから降ってくるものです。そういったことにはこのような「気」に関する背景があります。ただ、それは難しいことではなくて、我々が今でも使っている「気付き」という言葉に説明されています。ここでは非常に大雑把に説明をしたので、「気」と「アイデア」の関係性についてより詳しく理解されたい方はこちらの文章を読んで頂けると幸いです。

http://junashikari.com/energy/アイデアと気(エネルギー)について/
http://junashikari.com/art/芸術制作にどのように神々と悪魔は関わるのか?/

ここから持田香織の歌詞について書いていきますが、持田香織は木星神様と共に歌詞を創っており、非常に重要な意味を持った歌詞を書いています。また、Every Little Thingや持田香織ソロのPVにも神々は関与できていることもあり、そういったPVに神々がどのような意味を込めてきたのかも解説していきます。

 

【持田香織が木星神様と繋がっていることを示す歌詞・PVについて】

持田香織の歌詞やPVの中には持田香織が木星神様と繋がっているということを示すものは多くあります。何故ならば、木星神様としては持田香織にまず最初にそのことに気が付いてほしいからです。ここでは、そういった内容を持った歌詞・PVを列挙していきます。

神々が創った歌詞やPVの意味を理解する上で非常に重要なことは、必ずしもそれを創った人が意図したことと、その作品に関与した神々が同じことを意図しているわけではないということです。ですから、必ずしも持田香織が意図したことと木星神様が意図したことが一致するとは限りません。しかし、結果的には木星神様からのメッセージとなっています。

作詞をする時に作詞者が最終的に歌詞を決定するのは「気分=気持ち」です。「この歌詞はしっくりくる」「なんかしっくりこない」という「気分」になります。ですから、木星神様は持田香織と共に作詞を行なう時、持田香織に「気」を送ることによって詩に使うべき言葉の「アイデア」を教えながら、持田香織の「気分」にかなり関与しています。そのことを通して、木星神様と持田香織は共に詩を書いています。

このような持田香織と木星神様との共同作業によって、持田香織の歌詞は生まれています。また、PVを創った映像作家にも神々は「気」を通して同様の関与をしています。前説明が長くなりましたが、以下、持田香織と木星神様が繋がっていることを表現している歌詞やPVを列挙していきます。


・『キラメキアワー』
 


歌詞:http://www.kasi-time.com/item-22063.html
PV:http://gyao.yahoo.co.jp/player/00071/v08435/v0843500000000531789/​
楽曲ダウンロード:https://itunes.apple.com/jp/album/kiramekiawa/id1093686621?i=1093686635

この歌は、持田香織が木星神様と共に歌を歌っていることが直接的に表現されていることに加えて、歌詞全体に様々な重要な木星神様からのメッセージが込められているので、歌詞全体を解説したいと思います。この解説を理解して頂くことで、持田香織が真に木星神様と共に働いていることは理解して頂けると思います。

「さぁ ゆこう ひらめきの空へ」
「君の支度がととのったら さぁ ゆこうよ」
「もぅ いろんなこと わかるでしょう」
「君が笑ってくれることには 意味があるよ」

この歌詞は「気付き」によって人間が神々から「アイデア」をもらえること、どのようにしたら神々からの「気付き」によって「アイデア」を受け取ることができるのかを説明している歌詞です。

「ひらめき」という言葉が「気」を受け取ることによって「アイデア」が浮かぶ瞬間のことを表現しています。また、「もぅ いろんなこと わかるでしょう」という歌詞は、様々な「気付き」を神々から受け取ることで、真実を学ぶことができるということを説明しています。

そして、どうして「ひらめきの空へ」という歌詞なのかというと、人は空を見ることで神々からの「光の気」を受け取ることができるからです。空を見ると「気持ち」は良くなっていくものです。そのことから空を見ることで「光の気」を受け取ることができることは分かります。

ただ、「光の気」を受け取るためには、自分自身の心も「光の気持ち」になる必要があります。例えば、ものすごく落ち込んでいる時は何を考えても悪い「発想=アイデア」しか浮かんできません。これは何を意味するかというと、「闇の気持ち」を持っている時は神々からの「光の気」を受け取ることができないということを意味しています。逆に、ものすごく「元気」な時はいい「発想=アイデア」がよく浮かんできますが、これは「光の気持ち」を抱いているのであれば、「光の気」を受け取ることができることをよく表しています。

そういったことを意味するために、「君が笑ってくれることには 意味があるよ」という歌詞があります。「君が笑ってくれること」とは「光の気持ち」を抱くことであって、そのことによって「光の気付き」を得られるということを「意味があるよ」と表現しています。


「雨はあがり 七色は浮かぶ 始まりは いつだって あるのさ」

水は「気」を洗い流す力がある物体であって、だからこそ、我々はシャワーを浴びると「気持ち」が良くなります。身体に付いた「闇の気」を水が洗い流すことで、「気持ち」が良くなっている形になります。ここで「雨はあがり 七色は浮かぶ」という歌詞は、水が「闇の気」の浄化をしてくれていることを説明している歌詞です。そして、「七色」とは「光の色」のことを意味します。「光の気」と色は明確な対応関係を持っていますが、「七色」は「水・火・風の気」の色を意味します。

水の気:青、紫
火の気:黄、オレンジ、赤
風の気:緑

「光の気」の色についてはここに詳しくはここに解説を書いています。

http://junashikari.com/デザインについて/デザインについて(「気」のデザイン)/

(余談ですが、「風の気」の色が緑であるからこそ、木星神様は持田香織が書いた本のタイトルを『ミドリノヘイワ』にしていますし、『green』という曲を創っています。この二つの作品はどちらも木星神様からの持田香織に対するメッセージです。このことについては、後で説明させて下さい。)

単純に「虹」という言葉が使われていると「光の気」という意味は伝わりづらいですが、「七色」という言葉を使うことによって、木星神様はより「光の気」を意図したことを人間に伝えようとしています。

「雨」:「闇の気」の浄化
「七色」:「光の気」が生まれること

ですから、この歌詞の意味は「雨が『闇の気』の浄化を促し、『光の気』はもたらされる。だから、いつだって『光』の方へ生きていける」ということを意味しています。我々人間はいつも雨によって「闇の気」の浄化を支えられ、太陽の光などによって「光の気」をもたらされている中を生きています。ですから、いつでも神々から「光」の方へ生きていくことを支えられている中を生きていると言えます。こういったことを知ることによって、いつでも「光」の方へ生きていけることに気付いてほしいという願いを込めて「始まりは いつだって あるのさ」という歌詞があります。


「なんにだってなれるんだ 風の女神が告げるんです」
「そら みあげてごらん 御覧よ」
「抱きしめたい青さを知った 夏は ときめきと きらめきの泡」

この歌詞は「光の気」を受け取ることを様々に歌った後に置かれている歌詞なので、「なんにだってなれるんだ」という歌詞は「光の気」を受け取るならば「なんにだってなれるんだ」ということを意味している歌詞です。

「光の気」を受け取るのであれば、様々な「アイデア」を神々から「気付き」によって受け取ることができます。そうすると、なんにだってなることができます。何故ならば、何かになるための「方法」を教えてもらえるからです。また、「光の気」を受け取るのであれば、「光の気持ち」も維持されやすくなります。

「方法」を教えられ、「気持ち」を支えられることは、何になる上でもとても重要な要素です。だからこそ、空を見ることによって「光の気」を受け取ることには本当に大きな意味があります。もちろん、「方法」を教えられ「気持ち」が支えられれば何にでもなれるわけではなく、その人間の「やる気」も必要です。ただ、「やる気」さえあれば、「なんにだってなれるんだ」ということは本当であって、「光」の「やる気」とは「愛」のことです。ですから、本当に強い「愛」があれば「なんにだってなれる」ということは真実としてあります。

そして、空を見ることは「光の気」を受け取る事に繋がるので、その「愛」さえも支えます。だからこそ、「そら みあげてごらん」という歌詞が続いていますし、「光の気」を意味する「抱きしめたい青さを知った 夏は ときめきと きらめきの泡」という歌詞が続いています。ここで何故「抱きしめたい青さ」といった形で「空」に対して「抱きしめたい」という言葉が掛かっているかというと「愛」のことを表現するためです。この三行の歌詞はこのような意味で繋がっています。

ここで「風の女神」と呼ばれているのが木星神様になります。この歌は非常に直接的に、持田香織が風の神様である木星神様と繋がっていることが表現されています。ここで「告げるんです」とありますが、これは木星神様が持田香織に聞こえるような形で告げているわけではなく、「気」で告げていることを意味しています。

また、その次の歌詞で単純に「空 見上げてごらんよ」ではなくて、「そら みあげてごらん 御覧よ」という形で、「そら」と「空」、「ごらん」と「御覧」が掛けてあるのは「ユーモア」であって、「火の気持ち(元気・笑い)」です。空を見ると様々な「光の気」を受け取ることに繋がりますが、強く受け取ることになるのは、「火の気」です。何故ならば、空を見ることは太陽の光を受け取ることに繋がり、太陽の光には「火の気」が多く含まれているからです。また、「夏」という季節は太陽からの影響を強く受ける時期なので、「火の気」が多い季節でもあります。ここで「ユーモア」が使われているのは、そういった「火の気」のことを意図するためという背景もあります。

その次の「ときめきと きらめきの泡」と歌われているのが、「光の気」そのものを意味しています。この曲のタイトルとは『キラメキアワー』ですが、「アワー(時間)」と「泡」を掛けていることが重要な意味を持っています。「気」は「気持ち」に結びつくものであって、「気持ち」を抱くためには必ず「時間」が必要となります。そして、「泡」は基本的に「球」の形をしていますが、「球」という図形は「光」の図形であって、「光の気」も「球」の形をしています。ですから、「光の気」は「泡」とよく似ています。

「光の気」が「球」の形をしていることに関して、根拠を伝える事は難しいですが、「球」という図形が「光」の図形であることは自然界によく表れています。例えば、星には神々が宿っていますが、星は必ず球の形をしています。また、虹も神々が作るものですが、虹は「円」の図形であって、「円」の集合体が「球」なので、「球」が「光」の図形であることの一つの根拠ではあります。

「キラメキ」とは「煌めき」であって、「煌めく」とは「キラキラ光り輝く」ことを意味します。ですから、「煌めき」とは強い「光」のことを意味しています。こういった意味で、「キラメキアワー」とは「強い光の気」のことを意味しています。

また、どうしてカタカナかというと、この言葉が本当に持っている意味をほとんどの人が知らないという意味を込めてカタカナにしています。様々な歌手の歌において、神々は本当によく人間がその意味を理解していない言葉をカタカナで表現しています。

こういった意味が分からない言葉をひも解いていくようにこの歌は進んでいます。最初は「ときめきと きらめきの泡」と使い、その次に「あさやけと かがやきのアワー」と使うことによって、「キラメキアワー」の意味を伝えようとしています。「キラメキ」の意味が「ときめき」「きらめき」「あさやけ」「かがやき」であって、「ときめき」=「期待や喜びで心躍ること」という言葉で「光の気」を受け取った時の精神的な「気持ち」を表現し、「あさやけ」という言葉で「光の気」を受け取ることができる物理的な対象を表現しています。この構造は、精神と物体のことを分けて考えてしまっている人間に対するう教えの意味もあります。


「さぁ ゆこう やわらかな海へ」
「ママのような優しい水面へ さぁ ゆこうよ」
「ね、いろんな音 きこえるでしょう」
「すばらしい世界には まだまだ続きがある」

海は「光の気」に満ちた場所です。そういったことを「やわらかな海」という言葉を使うことによって、表現しています。そして、「光の気」のことを「いろんな音」と表現しています。音には必ず「気」が乗ります。だからこそ、歌を聴いていると我々の「気持ち」がかなり変化しているという面もありますし、雨の音を聞いているだけで「水の気持ち」にもなります。そういう意味で、「いろんな音」と歌われているのは「様々な光の気」ということです。

この歌の一番の同じ箇所では「君が笑ってくれることには 意味があるよ」という歌詞が置かれていたのに対して、ここで「すばらしい世界には まだまだ続きがある」という歌詞があるのは、「光の気」を受け取ることができる心の状態と、「光の気」を与えてくれる対象という関係性を作っているからになります。


「白い模様に ひかりは舞い込む そんな風にして 日々は生まれ変わる」

一番ではこの部分に「七色」という歌詞が置かれていたのに対して、ここでは「白」という歌詞が置かれていることにも意味があります。「白」という色は「七色」が混ざった色です。

「七色」は虹の色であって、これは我々が目で見る事ができる可視光線(可視スペクトル)の色のことを意味します。では、どうして昼間は太陽が白に見えるかというと、様々な可視光線が混ざった結果「白」に見えます。このことはここに詳しく書いてあります。

https://ja.wikipedia.org/wiki/可視光線

そういう意味で、「白」という色は様々な「光の色」が混ざり合った色です。そして、「光の気」は明確にそれぞれの色を持っています。ですから、「白い模様」と言われているのは、我々の心が様々な「光の気持ち」にあることを意味します。

我々が様々な「光の気持ち」を抱くのであれば、その「光の気」を受け取ることができるということを説明している歌詞が、「白い模様に ひかりは舞い込む」という歌詞の意味です。そして、そのことによって様々な「光の気持ち」を抱くことを、「そんな風にして 日々は生まれ変わる」という歌詞で表現しています。

この歌はこのような形で色と「光の気」の関係性に関する重要な教えも込められています。


「どこにだって飛べるんだ 風の女神が伝(つた)うんです」
「ほぅら 君とも 結ばれたよ」
「こみあげてた涙を知った 夏は あさやけと かがやきのアワー」

「どこにだって飛べるんだ」という歌詞は我々の魂が「光の気」に満ちると死後に天使や神様となることを意味します。我々人間は飛ぶ事ができません。ですから、ここで「飛ぶ」と言っているのが、我々が物理的に飛ぶことではないと理解できます。そして、この歌詞の次に「ほぅら 君とも 結ばれたよ」という歌詞があることが、「どこにだって飛べるんだ」=「天使や神様となること」であることの根拠となっています。因果関係を整理すると以下のようになっています。

「どこにだって飛べるんだ(原因)」→(ほぅら)→「君とも 結ばれたよ(結果)」

人と人を本当の意味で結ぶのは「愛」です。ですから、「ほぅら 君とも 結ばれたよ」の根拠となっている「どこにだって飛べるんだ」という歌詞は「愛」が生まれることの根拠となっているということが言えます。では、「どこにだって飛べるんだ」という歌詞にどのような「愛」の意味が込められているかというと、「愛を持つと飛ぶことができる」=「魂が『光の気』で満ちると人は天使や神々となり空を飛べる」ということを意味しています。ですから、この部分の歌詞は輪廻転生と、どのようにすれば我々が天使や神々となるのかを説明している歌詞です。

こういった繋がりから「こみあげてた涙を知った 夏は あさやけと かがやきのアワー」という歌詞があることにも意味があります。水は「気」の浄化を促すことは「雨」という歌詞の解説で書きましたが、「涙」も水であって浄化を促すものです。そして、我々は強い「愛」を感じる時にも「涙」を流しますが、これは「光の気」の浄化を意味します。

我々人間は自分が経験する事ができる「気持ち」の大きさが元々決まっています。もし決まっていないのであれば、我々はとてつもなく強い「光の気持ち」や「闇の気持ち」を経験する事になりますが、そういった状態だと魂が対応し切れません。

我々動物は身体に宿ることによって、自分が感じることができる「気持ち」の限界点を予め設定した中を生きています。例えば、蟻は我々人間よりも圧倒的に狭い「気持ち」の振れ幅の中を生きていますが、猫などになるともう少し幅のある「気持ち」の振れ幅の中を生きています。彼らの「気持ち」の振れ幅は彼らの生き方や表情を見ていると分かります。そして、人間になると猫よりも広い「気持ち」の振れ幅を生きます。そういった形で、我々は身体という器に魂が乗ることによって、「気持ち」の振れ幅を決められた中を生きています。我々人間の魂は神々などと比べると圧倒的に若い魂なので、このような配慮があります。そして、そういった「気持ち」の限界点を超えた時に「涙」は流れるように人間の身体は設計されています。

ここで、「こみあげてた涙を知った 夏は あさやけと かがやきのアワー」という歌詞があるのは、「光の気持ち」が人間の身体での限界点を超えたが故の「涙」です。そして、こういった強い「光の気持ち」で満ちるためには、魂も「光の気」で満ちている必要があります。

そういう意味で、「どこにだって飛べるんだ」=「魂が『光の気』で満ちると人は天使や神々となり空を飛べる」という歌詞とこの歌詞は繋がっています。「人間の身体で感じる事ができる『光の気持ち』を感じる程に魂が「光の気」で満ちると天使や神々になる」という繋がりになります。逆に言うと、「こみあげてた涙を知った」という歌詞があるからこそ、「どこにだって飛べるんだ」という歌詞に木星神様が込めた意味が分かるようになっています。

もし、このような意味をこれらの歌詞が持っていないのであれば、

「どこにだって飛べるんだ 風の女神が伝(つた)うんです」
「ほぅら 君とも 結ばれたよ」
「こみあげてた涙を知った 夏は あさやけと かがやきのアワー」

という歌詞のまとまりは、この三行のそれぞれの繋がりが本当に見えず、意味の分からない歌詞にしか見えません。しかし、このまとまりに対応する一番の歌詞は三行がちゃんと繋がりを持った歌詞です。

「なんにだってなれるんだ 風の女神が告げるんです」
「そら みあげてごらん 御覧よ」
「抱きしめたい青さを知った 夏は ときめきと きらめきの泡」

そういった構造からも、一番のこの三行は繋がりがあって、二番のこの三行は繋がりが全くないと考えることは不自然です。また、「どこにだって飛べるんだ」という歌詞の部分に、一番の歌詞のこの部分では「なんにだってなれるんだ」という歌詞が対応しています。この構造も「どこにだって飛べるんだ」という歌詞が「なにか別の存在になる」=「天使や神々になる」ということを意味する一つの根拠でもあります。


「笑顔の裏に 強さがあること 知ってるから 愛しさはめぐるよ」

ここで歌われている「笑顔」とは「幸せ」のことです。「愛」は「幸せ」=「喜び」をもたらします。例えば、自分が「愛」を抱く人が笑っていると「幸せ」を感じます。そして、その「愛」が大きければ大きい程、相手が「幸せ」な時に感じる自分の「幸せ」も大きくなります。

「笑顔の裏に 強さがあること」という歌詞は「幸せの裏に 強さがあること」という意味であって、「強さ」が「幸せ」を生むということを伝えている歌詞です。何故ならば、「愛」を大きくするためには「強さ」が必要だからです。「強さ」によって「愛」を大きくすればする程、「幸せ」も大きくなります。また、「強さ」を大きくするためには「愛」が必要でもあります。そういったことがここで意味されています。

「愛しさはめぐるよ」という歌詞についてですが、「めぐる」とは「一周回って元に戻る」という意味です。では、「笑顔の裏に 強さがあること」という歌詞からどのように「一周回って元に戻る」という構造が生まれるかというと、「幸せ」「愛」「強さ」という上に説明した3つの要素について、「一周回って元に戻る」構造があるということになります。そうでない限り、

「笑顔の裏に 強さがあること 知ってる」→(だから)→「 愛しさはめぐるよ」

という構造にはならないからです。では、「幸せ」「愛」「強さ」の要素についてどのような「一周回って元に戻る」構造があるかというと、

「幸せ」の裏には「強さ」があり、「強さ」の裏には「愛」があり、「愛」の裏には「幸せ」がある

という構造になります。「愛」の裏には「幸せ」があるということの意味ですが、「幸せ」は「愛」を大きくすることを意味します。自分が「愛」を抱いている人が笑っていると「幸せ」を感じますが、この「幸せ」という感情は「愛」です。そして、「愛」を強く抱けば抱く程、その人の「愛」は強くなります。何故ならば、ある「気持ち」を抱く時間が強ければ強い程、長ければ長い程、その「気持ち」は自分の性格の中で大きな要素を占めるようになるからです。

これを「気」の観点で説明すると、「光の気」は「相手のために何かをしたいと思う気持ち」を生む「気」です。だからこそ、「光の気持ち」は「愛」であり「幸せ」でもあります。「幸せ」とは相手が笑っている時に感じる「愛」に他なりません。「愛」はどんな時にでも相手に対して抱くものであるのに対して、「幸せ」は「愛」するその相手が笑っている時に感じる「愛」の一つの側面です。ですから、「愛」と「幸せ」は同じものです。

そして、その「気持ち」を長く抱けば抱く程、強く抱けば抱く程、身体と魂はその「気」で満ちていくので、「幸せ」を感じれば感じるほど「愛」は大きくなっていきます。そういう意味で、「幸せ」は「愛」を大きくします。

「幸せ」は「強さ」によって大きくなる→「強さ」は「愛」によって大きくなる→「愛」は「幸せ」によって大きくなる→「幸せ」は「強さ」によって大きくなる→「強さ」は「愛」によって大きくなる→…

といった形で、この歌詞は「幸せ」と「強さ」と「愛」は「めぐる」という構造を説明している歌詞です。この歌詞の後は再び一番のサビの歌詞が歌われています。


「なんにだってなれるんだ 風の女神が告げるんです」
「そら みあげてごらん 御覧よ」
「抱きしめたい青さを知った 夏は ときめきと きらめきの泡」

様々な重要な事柄が歌われた後に再びこの歌詞があることで、より説得力を持ちます。「なんにだってなれるんだ」という言葉は根拠がないと楽観的な歌詞にも見えますが、この歌で様々に歌われているのは「光の気=キラメキアワー」を大きくしていくための方法です。そして、「光の気=キラメキアワー」が大きくなれば、神々からの「気付き」も「気持ち」も支えられやすくなるので「なんにだってなれる」ことができます。

この歌はこういった解説無しに聴くのであれば、この歌が持っている様々な重要な事柄に気付くことができません。しかし、こういったことを理解すると、木星神様が徹底的に関与したとてつもない歌であることがよく理解できます。
 

こういった形で、木星神様は持田香織の歌詞に様々な根拠を散りばめることによって、パズルのように解けるような構造を用意しています。そして、持田香織自身がこのようなパズルを元々創ったわけではないということがとても重要になります。なぜならば、この歌詞を書いた本人も意図していない形で見事なパズルができているからこそ、確実にこの歌は神々が創った歌であることが言えるからです。

そういったことを行なうことによって、木星神様は神々が存在すること、この歌に歌われている様々な重要な真実について日本人に伝えようとしています。ですから、この歌は持田香織と木星神様が創った大きな「奇跡」です。こういった「奇跡」を通して、神々はこれから日本人に重要な真実を伝えようとしていますし、持田香織はこういった「奇跡」を木星神様と残してきたからこそ、本当に重要な人間です。

今は日本人がこういった「奇跡」の構造を知らないので、持田香織の重要性を認識できていません。こういった解説から持田香織の重要性について、真に知って頂けると幸いです。


ちなみに、この曲のPVとジャケット写真にも木星神様は関与しています。

ジャケット写真はこの歌詞に木星神様が込めた構造自体を説明するようなものになっています。持田香織は金色の鏡を持っています。しかし、その鏡の中には何重にも鏡を持った持田香織がいます。持田香織は鏡の中の世界を操ることができないので、実際の持田香織は外側の持田香織です。では、鏡の中に映っている持田香織は誰かというと、木星神様になります。

持田香織がこの歌の歌詞を書く時に、木星神様はかなり関与したことで、持田香織の書いた歌詞には木星神様からのメッセージが何重にも込められています。ここでは、非常に大雑把な説明をしましたが、本当はこの曲の歌詞はもっと掘ることができる歌詞です。そういった構造をこのジャケット写真は視覚的に表現しています。

また、金色とは「金の気」の色であって「愛」の色です。この「キラメキアワー」は「光の気」のことであって、「光の気」を支えているものは「愛」なので、金色の鏡が使われています。

PVの方は持田香織が歌い踊ることによって、「風の気」が生まれている様子が描かれています。持田香織が歌や踊りをするならば、木星神様からの「風の気」が生まれます。我々には「気」は目に見えないですが、「気」が目に見えると本当にこのような形で見えます。このPVは「風の気」という「光の気」=「キラメキアワー」を視覚的に表現しています。

ちなみに、このPVでの持田香織の踊り方は「風の舞」です。歌と同様に、使う「気」が違うと、踊り方も変わります。持田香織は木星神様からの「風の気」を受け取りながら踊っているので、「風の舞」を行なうことができます。そういった点からも、持田香織の魂が「光の気」を使うことに非常に長けている魂であることが分かります。


・『キヲク』
 


歌詞:http://www.kasi-time.com/item-2644.html​
楽曲ダウンロード:https://itunes.apple.com/jp/album/%E3%82%AD%E3%83%B2%E3%82%AF/id1081346415?i=1081346428

『キヲク』という歌のタイトルは記憶の成り立ちそのものを説明しています。記憶はどのように保存されているかというと、記憶の「情報」が乗った「気」が脳細胞の一つ一つに宿ることによって成立しています。そして、我々人間は自分自身の意志で記憶の保存と消去はできず、基本的に神々が脳細胞の一つ一つに「気」を宿すということを通して記憶の保存を行なっています。

この『キヲク』というタイトルはそういった記憶の成り立ちを見事に捉えています。『キヲク』=『きを(お)く』=「気を置く」と分解できるからです。神々が「気」を脳細胞の一つ一つに「置く」ということを意味しています。

そして、神々は我々にどのような記憶を残そうと思うかというと、我々にとって大事な過去や我々に魂の学びをもたらすような記憶です。だからこそ、この『キヲク』という歌は、「ただひとつだけのキヲク」に対して、「愛」を感じながらも、反省を通して魂を成長させようとする気持ちが感じられる作品になっています。神々と持田香織様が共に創った、本当に素晴らしい歌です。記憶の成り立ちについては、ここに詳しく書いています。

http://junashikari.com/body/記憶について/

また、この歌の冒頭の歌詞は「ただひとつだけのキヲク 胸の奥にある」ですが、これはどういったことを意味するかというと、我々の魂は「気」の塊(かたまり)であり、「気」を「置く」ことによって少しずつ変わっていくということです。

「気持ち」「気分」と書くように、我々が「気持ち・気分」を抱くのは「気」を「持つ・分かつ」からです。では、一体身体のどこで我々は「気」を「持つ・分かつ」ということを行なっているかというと、心臓に宿る魂でそのことを行なっています。そして、自分がその時「持つ・分かつ」ことを行なった「気」は魂にそのまま残ります。

例えば、我々が「愛」を抱いている時とは、我々が「愛の気」=「金の気」を魂に「持つ・分かつ」ということを行なっています。そして、その経験は少しだけ自分の魂の「愛の気」を増やし、その経験の後には、少し「愛」が大きくなった自分が残ります。我々はこのような形で、自分がどのような「気持ち・気分」を抱くかによって自分自身の魂を少しずつ変更しています。

この歌の冒頭の歌詞はこのことを歌っています。魂にある「気」を抱えることも「気を置く」=「キヲク」の過程です。そして、自分が愛する相手からは多くの「気」を我々はもらうので、その「気」が魂に抱えられていきます。そういう意味で、自分の中に相手の一部が抱えられます。夫婦の性格が似てくるのは、こういった「気」の交換を二人の間でよく行なうからです。

この歌は、そういった意味で相手から「気」を自分の魂に「置く」ことと、記憶の保存として脳に「気」を「置く」ということの2つの意味が込められています。そういったことを意図するために『キヲク』というタイトルを持っている形になります。

 

※持田香織の歌には非常に重要なものが膨大にあるので、歌の解説については今後も書き足していきます。

 

【持田香織の歌い方の変化について】

持田香織の歌い方は途中からかなり変わっています。このことの意味について解説したいと思います。

持田香織はEvery Little Thingの初期の方は「火の気」で歌を歌っています。持田香織は途中から歌う方が変わっているのですが、これは歌う「気」を「火の気(元気・笑い/闘いの心)」から「風の気(優しさ)」に変えたことを意味します。使う「気」を変えると、歌っている時の「気持ち」が変わります。そして、「気持ち」が変わると歌い方が変わります。また、このことによって聴いている人が受ける影響も変化します。

例えば、Every Little Thingデビュー当時の『Feel My Heart』『Future World』などは、持田香織は「闘いの心」で歌っていますし、五十嵐充が書いた歌詞も「闘いの心」の歌詞になります。それは実際に聴いて頂けると、持田香織の声や曲調から「闘い」の印象を受けられると思います。
 


神々としては、Every Little Thingを売れさせることによって日本人に対する持田香織の認知度を上げるために、最初は「風の気」ではなく「火の気」を使った形になります。日本人は「火の気」の方が「風の気」よりも多く抱えています。そういった背景があって、最初は「火の気」のアプローチで進めたかったという神々の意向があります。そして、途中から「風の気」に変更しています。

デビュー曲の『Feel My Heart』の歌詞は神々のこういった予定が元々表現されています。「振り向くことなく 走り続けたい 燃え尽きないよに! ふと気付いたとき 昨日と違う私がいる」という歌詞の「燃え尽きないよに!」とは「火の気」でずっと進むわけではないという意味であって、「ふと気付いたとき 昨日と違う私がいる」とは、「火の感情」よりも「風の感情」を多く抱えている自分がいることに気が付くという意味を持っています。

また、セカンドシングルの『Future World』の「体中熱くほてり出す Ah どこまでも限りなく続くよFuture World」という歌詞で「体中熱くほてり出す」という歌詞が使われているのも、「火の気」のことを示すためです。「火の気」は分かりやすく説明すると温度のことです。太陽は太陽光線によって「火の気」を地球に与えていますが、そのことによって地球は温められています。そして、それは我々の身体も同様であって、「火の気」を我々が受け取ると体が熱くなることもあります。この歌の中では「今は熱い想い胸に秘めて」という歌詞もありますが、ここで「熱い想い」という言葉が使われているのも「火の気」のことを示唆するためになります。また、この歌には「夜空に浮かぶ星達が導くFuture World」という歌詞がありますが、これは星の神々がEvery Little Thingに関与していることを示すためになります。

神々としては、元々自分たちが持田香織について「火の気」のアプローチから「風の気」のアプローチに変えることを予定していたということをはっきりと伝えるために、デビュー当時の楽曲にこのような関与をしています。
 

【持田香織に悪魔が行なってきた攻撃について】

「光」を神々と実践している立場の人間はいつも悪魔からの強い攻撃を受けます。持田香織は20年間の間、ずっと悪魔からの攻撃も受けてきました。例えば、持田香織の声の調子が悪くなったことや、今までに経験してきた様々な不愉快な経験は悪魔によってもたらされています。そういったことをここで説明させて下さい。

神々が「光の気」を司っているのと同様に、悪魔は「闇の気」を司っています。悪魔と言うと、抵抗感もあるかもしれませんが、本当に我々の日常と密接な関係にある存在です。例えば、新宿という場所は悪魔の「闇の気」が多く溜まっているが故に、新宿に行くと悪魔の「闇の気」を受け取り、その「闇の気」を通して悪魔が我々の心に「欲望(闇の気持ち)」といった「気持ち」を起こします。そういった背景があって、歌舞伎町のような「欲望」の街が新宿では栄えています。これは、太陽を浴びると太陽神様からの「火の気」を受け取り、「元気(光の気持ち)」になり、いい発想ばかりが浮かんでくることと対照的な例です。

神々と悪魔はいつも対立関係にあり、このような形で「気」を通して人間の心に関与しています。神々はその人間に対する「愛」から、その人間を支えるために「光の気」で関与することで、その人間を「光」へ導きます。それに対して、悪魔はその悪魔自身の「欲望」の気持ちから、神々に勝つことや人間を苦しめることを面白がるために、人間に「闇の気」で関与することで、その人間を「闇」へコントロールします。

そして、人間は常に神々のもたらす「光の気」と悪魔のもたらす「闇の気」のどちらと共に生きていくのかということを、自分が「光の気持ち」を抱くか「闇の気持ち」を抱くかによって決めています。人間が「光の気」を受け取るか「闇の気」を受け取るかということに関しては、明確なルールがあります。

その人間が「光の気持ち」を抱くのであれば、「光の気」を受け取ることができる。
​その人間が「闇の気持ち」を抱くのであれば、「闇の気」を受け取ることができる。

このような大原則があります。このルールによって、我々人間の「意志」も守られています。もし、神々も悪魔も人間にいつでも「気」を入れられるのであれば、人間はいつも神々か悪魔に「気」で関与されるだけの存在になってしまい、その人間自身の「意志」を失います。しかし、自分が「光の気持ち」と「闇の気持ち」のどちらを抱くかによって、神々と悪魔のどちらから「気」を受け取るかということを自分で決めることになり、我々の「意志」は守られます。

このようなルールによって、とことん落ち込んでいる時はなかなか気分を持ち上げられないという現象が生まれます。落ち込んでいる時とは、「絶望」といった「闇の気持ち」を抱いている時であって、そういった気持ちを抱いている間は「光の気」を受け取ることができず、悪魔によってどんどん悪い方向へ向けられる形になります。悪魔はそういう時に、「気付き」を使って悪い「アイデア(発想)」を我々に与えるが故に、そういう時は悪い発想ばかりが浮かびます。逆に、恋愛などを通して強い「愛」を抱いている時は、どんなに悪いことが起きても「闇」に堕ちづらいです。何故ならば、「愛」は「光の気持ち」なので、そういった「気持ち」を抱いている以上は「闇の気」が入らないからです。また、神々からの「気付き」を受けやすいので、浮かんでくる「アイデア(発想)」もいいものばかりです。我々の「気持ち」の動き方から、この大原則が真実であることはよく理解できます。

持田香織がいるからこそ、星の神々の1人である木星神様がどういう方なのかを持田香織の歌詞や歌や行動から学ぶことができます。木星神様の持田香織に対する関与には、絶対に木星神様の魂の個性が表れています。ですから、持田香織様の歌や人生がどのような形で木星神様によって支えられてきたのかを日本人が知ることは、日本人が木星神様について理解することに繋がります。

悪魔は持田香織が木星神様と共に働くことを当然望んでいません。だからこそ、悪魔は持田香織を邪魔し続けてきました。魂が「闇」に堕ちてしまえば、神々とは働くことができなくなります。何故ならば、「闇の気持ち」を抱いているのであれば、「光の気」は入らないからです。だからこそ、持田香織を「闇」に陥れるためにありとあらゆる罠を悪魔は仕掛けてきた形になります。そういった罠の一つが、悪魔が持田香織の周りの人間や報道やネットの書き込みに関与することで、持田香織に不快感を与えるような経験をもたらすことです。だからこそ、この20年間に持田香織は大変なことを多く経験してきたと思います。

例えば、悪魔はEvery Little Thingがデビューする頃より五十嵐充をかなり攻撃していました。そのことによって五十嵐充は悪魔からの「闇の気」をもらい、その「闇の気」に悪魔が関与することで、悪魔が五十嵐充と持田香織様を喧嘩させていた形になります。喧嘩は当然嫌なものですから、持田香織も「闇の気持ち」を持ちます。悪魔としては「闇の気持ち」さえ持田香織に持たせれば、「闇の気」を持田香織に入れることができ、持田香織が木星神様と共に働くことを「闇の気」を使って邪魔することができます。そういった攻撃をずっと悪魔は持田香織に対して行なってきました。

「気持ち」「気付き」という言葉の構造が示すように「気」が「気持ち」と「アイデア(発想)」の原因です。ですから、悪魔からの「闇の気」を多く抱えると「気持ち」と「アイデア(発想)」を悪魔に掴まれてしまうことになります。そうなると、人間はとても簡単に悪魔の思惑通りに動かされることになります。例えば、目の前に落ちている財布があった時に、悪魔は「お金がほしい」という強い「欲望」と「自分のものにしてしまえ」という「アイデア」を、その人間に与えます。そうすると、ほとんどの人間はその財布を交番に持っていくのではなく、財布からお金を抜き取ります。このような意味で、「気持ち」と「アイデア(発想)」を悪魔に掴まれることは、悪魔にコントロールされることを意味します。だからこそ、「闇の気」は本当に恐ろしいものです。

また、この例で言うと、悪魔はわざとそこで人に財布を落とさせていたりします。そして、その財布を拾った人がお金を抜き取った瞬間をその財布の持ち主が見るということをさせたりします。そして、財布からお金を抜き取った人を警察に突き出すといったことを財布の持ち主にさせます。こういった全ての過程を悪魔は元々計算し、実践します。神々や悪魔は我々人間と異なり、一つの時間に膨大な数の認識思考能力を持っています。ですから、こういったことを計画し、それぞれの人間の動かし方のタイミングを計算することは悪魔にとっては容易です。こういった悪魔の仕掛ける罠を持田香織様は様々に経験されてきたはずです。この説明から、どのような仕組みによって、御自身が不愉快な経験をされてきたのかということを理解して頂けると今後に役立つと思います。

また、持田香織を「闇」に陥れるために悪魔がずっと努力してきたことは、持田香織の声の調子を悪くすることです。持田香織は「風の気持ち」=「優しさ」を強く抱きながら生きている人間です。そういった方にとって、自分の歌の調子が悪いということは「お客さんに対して申し訳ない」という「気持ち」に繋がります。そして、そういった「気持ち」から、「恐怖」「不安」「後悔」「罪悪感」「絶望」といった「闇の気持ち」に堕ちていきます。悪魔は元々そういった形で持田香織を「闇」に陥れるために、持田香織の声の不調を長年に渡り狙った形になります。

「病気」という言葉は「病の気」と書きますが、これは「病気」の原因が「病の気」であることを説明している言葉です。そして、「病の気」とは悪魔の司る「闇の気」のことを意味します。持田香織に様々な不愉快な経験をもたらすことなどによって、「闇の気持ち」を抱かせ、「闇の気」を身体に入れていき、その「闇の気」を使って身体に物理的な病気を作ってきた形になります。

また、歌を歌うということはかなり身体に入っている「気」に左右されます。「闇の気」が身体に入っていると、木星神様と共に歌を歌うことを悪魔に邪魔されてしまい、その結果うまく歌えなかったりします。こういった攻撃も今までに数多く経験されてきたと思います。

こういった攻撃から身を守るためににとても重要なことは、「闇の気持ち」が何であるのかを理解し、悪魔が仕掛ける様々な罠によって「闇の気持ち」に堕ちないことです。目の前の人間がその人間の意志で酷いことを自分にしていると考えるのであれば、「嫌悪」「怒り」といった「闇の気持ち」を相手に対して抱きやすくなるのですが、悪魔の「闇の気」によってそのようなことをさせられていると考えるのであれば、その相手に対する「嫌悪」「怒り」を持つことに繋がりにくくなります。ですから、悪魔が「闇の気」を使って人間にどのような関与をしているのかを真に理解することは、悪魔の罠を通して「闇の気持ち」に堕ちることを防ぐための有効な方法です。

あと、「闇の気持ち」は30種類あります。嫌悪、欲望、怒り、絶望、恐怖、疑い、不安、依存・執着、怠惰、劣等感・優越感、狂気、苛立ち、憂鬱、咎める心、甘さ・馴れ合い、嫉妬、頑固、負けず嫌い・傲慢、逃げ、焦り、無心、暴力の快楽、自傷心、被害妄想、軽さの闇、混乱、非現実を求める闇などです。詳しい解説はこのページに載せています。

http://junashikari.com/emotion/感情一覧(光・闇・中立)/

あと、これはイメージの問題ですが、悪魔が攻撃するとは言っても、悪魔が後ろにいて、その悪魔がちょっかいを出すような形ではないことを理解して頂けると幸いです。今日本中に「闇の気」をまき散らしている悪魔は少数です。しかし、そういった悪魔は日本中に広げている自分の「闇の気」であれば、全てコントロールできます。そして、持田香織を攻撃しているのも、そういった力のある悪魔になります。ですから、悪魔が後ろに立っているのではなく、日本中に広げている「闇の気」を通して攻撃をしていると理解して頂けると幸いです。

 

【『Everything Precious』『ミドリノヘイワ』『もちだより』について】

『Everything Precious〜好きになるのは理由がある』『ミドリノヘイワ』『もちだより』は持田香織に神々と悪魔がどのように関与してきたのかを理解する上でとても参考になります。これらの本は持田香織に対する木星神様のメッセージでもあります。

これらの本に木星神様は強く関与していて、持田香織がどのように神々に支えられ、どのように悪魔に襲われているのかをよく説明してくれています。ですから、これらの本に木星神様が残した様々なメッセージを理解することはとても価値があります。これらのタイトルはそれぞれ木星神様が明確な意図を持って付けています。

『Everything Precious〜好きになるのは理由がある』:我々は必ずいつも自分自身の意志で何かを好きになっているわけではなく、神々が我々に何かを好きになるように導くことはあります。どうして神々はそういった形で我々人間が好きになるものについて関与するかというと、そこで好きになるものが我々人間にとって重要なものだからです。それが重要だということを伝えるために、何かを好きにさせるということを神々はよく行ないます。ですから、自分が何故それを好きだったのかということを分析すると、神々が我々に伝えたいことが分かります。例えば、神々は我々が最初に買うCDによく関与しますが、その歌の歌詞がその本人にとって重要なメッセージであるからこそ、我々がその歌を好きになることに関与します。そういったことが『Everything Precious〜好きになるのは理由がある』の意味です。

『ミドリノヘイワ』:五種類の「光の気」には明確に色の区別があり、「風の気」の色は緑です。「風の気」の影響を強く受けて生きているのが植物であって、だからこそ植物の葉は緑色をしています。自分の身体が何色かであることによって、自分と相性がいい「気」が変わってきます。植物は「風の気」を受け取るために緑色の葉を付け、寒くなる冬がくる前には「火の気」を摂取する為に葉を「火の気」の色である黄色・オレンジ・赤に変化させ、葉が落ちてからは「土の気」の色である茶色に変化します。とにかく、『ミドリノヘイワ』は「風の気」のことを意図するためのタイトルになります。

『もちだより』:「持田」という名字は木星を意味するので、『もちだより』は『木星からの手紙』とも言えます。そして、この本の中には木星神様からの多くの持田香織に対するメッセージが込められているので、このタイトルは本の内容にとても合っています。

持田香織が悪魔から襲われてきたことはこれらの本に多く書かれています。例えば、『Everything Precious』の中では、『All Along』の作詞を通して、悪魔が五十嵐充の心に関与し、持田香織に「苛立ち」の「気持ち」を抱かせるように関与していたことが分かります。「苛立つ気持ちのほうが大きくて…、ぜんぜん眠れなくて…」と書かれてありますが、このことから悪魔が「闇の気」を通して眠れなくしていたことも分かります。我々人間は身体に溜まった「闇の気」を浄化するために眠っています。だからこそ、眠ると基本的に「気持ち」はスッキリします。だからこそ、「闇の気」を司る悪魔は我々を眠れないようにします。

「眠気」と言いますが、人が眠るためには「眠気」=「眠りの気」に共感しないといけません。悪魔は「眠気」に共感させないように、その人間の心に色々なことを考えさせることで「闇の気」に共感させ、眠れないように関与します。我々人間は一つの時間に一つの「気」にしか共感できないので、悪魔はこのような関与をしています。

このような仕組みで、「闇の気」を身体に多く抱えると、悪魔によって「闇の気持ち」に共感させられ眠れないようにさせられます。そして、眠れないと「闇の気」は浄化されず、どんどん「闇の気」は溜まっていくので、どんどん「闇の気持ち」「闇の気付き」の中で生きていくことになっていきます。すると、どんどん悪い方向へ向かってきます。

『もちだより』の中でも「毎日毎日、ものすごく眠い。ちゃんと睡眠はとれてるほうなのに、何なの?」ということを書かれていますが、悪魔からの攻撃を通して「闇の気」を多く抱えていたからこそ、寝ても寝ても「闇の気」の浄化が終わらない状態にあったということが分かります。

また、当時は「闇の気」を多く抱えていたからこそ、神々が様々な方法で守っていたことも分かります。例えば、車の話の中で、「随分前の話になりますが、会社から家に帰る途中オーバーヒートしちゃってね(えらいハズカシかったわ)、それ以来、水温計のメーターが変なのよ。何度も点検に出してはランプがちかちかするのっ(直ってないじゃんかっ!!)。その度に私は、またオーバーヒートかっ!てハラハラしながら運転するので…非常に疲れるのです…。ところがね、どうやら私が乗ったときばかりチカチカなるのよ。何でかしら?愛情が伝わらないのかしら…?ん?足りないの?アレ?そそいでないの…?」ということが書かれてあります。これは神々の導きになります。神々は機械を操作することができ、勝手にテレビを付けたり、携帯を操作したり、パソコンの画面を変にしたりといったことができます。

この時は、「闇の気」を抱えている状態で持田香織が車に乗ると、悪魔が「闇の気」を通して事故を引き起こす可能性があったが故に、車に乗れないように神々がわざと車の不具合を起こしていた形になります。だからこそ、持田香織が乗った時だけランプの不調が起こっています。

悪魔は持田香織が運転免許を取った頃から事故を引き起こそうとしていたということが分かる文章も書かれています。『Everything Precious』の中で、「自分で運転するようになって気づいたのは、どうも運転すると性格が荒れますね。ちょっとことば遣いがケンカ腰になっちゃう」と書かれていますが、どうして運転中に気持ちが「闇」の方向性へ向かっていたかというと、運転中に悪魔は「闇の気」で持田香織にかなり関与していたからになります。その「闇の気」によって持田香織は「闇の気持ち」を抱いていました。持田香織が「闇の気」で運転をするのであれば、悪魔はその運転に「闇の気」でかなり運転に関与でき、事故を引き起こすことができます。運転免許を取った当時から悪魔はそういったことを狙っていたことが、この文章から分かります。

また、運転中の事故ではないですが、『ミドリノヘイワ』の中に「車を降りようとしたその時、凄まじい勢いで膝をドアにぶつけた。膝の皿だった、しかもっ!あまりの激痛にビックリし、多量の酸素を一瞬にして吸いすぎたため、「過呼吸」を起こしたのだ!体中の血の気が引くとともにもの凄い吐き気とシビレに襲われて、本当に怖かった(笑)。正直ダメだなぁって思ったね。笑」という文章がありますが、これは悪魔が引き起こしています。

我々は自分の身体の動きを全て自分自身でコントロールしているかというと、全然そうではありません。そして、我々が無意識な部分に神々も悪魔もかなり関与ができます。例えば、階段で転んでしまったときに、見事な前転を行ない全く怪我しなかったといったケースはよくありますが、こういった時は神々からの「気」によって、かなり身体を関与されるからこそ、そういった前転ができます。火事場の馬鹿力はこのような構造によって成り立っています。

この膝をぶつけた時に悪魔は持田香織の体を操作し、膝をドアにぶつけさせ、過呼吸を起こしていた形になります。持田香織は神々にとっても悪魔にとってもとても重要人物なので、神々も悪魔もこの時に持田香織の無意識の部分に関与していなかったということはあり得ないので、たまたま起こった事故であることはあり得ません。また、神々がこのようなことを起こすことはあり得ず、悪魔はこういったことを引き起こしたいと思うので、犯人は悪魔だということが分かります。「闇の気」を多く抱えると、こういったことが起こりやすくなるので、注意して頂けると幸いです。

このような形で、持田香織の本の中には本当に多くの神々の導きと悪魔の攻撃のことが書かれています。ここではそのごく一部の例を列挙しましたが、これらの本の持っている情報量はとても多いです。木星神様が持田香織が文章を書く時にかなり関与していたからこそ、様々な重要な情報が載っている形になります。

木星神様は持田香織自身に対してメッセージを送るためにこういった関与を行なってきましたが、もう一つの木星神様の目的は、こういったことを文章として保存することで、持田香織が当時どのように悪魔からの攻撃を受けていたのかを日本人に理解させるためでもあります。それを日本人が知ることで、悪魔が一体人間にどのような攻撃をするのか、神々がどのように人間を守るのかということを理解することができます。そして、それは多くの学びに繋がります。

持田香織は携帯で『もちだより』の様々な文章を書いていたということですが、これも木星神様の導きです。神々としては、その文章を書く時間が長ければ長いほど、その文章の内容に関与しやすくなります。書く時間が長い方が「気付き」を通して色々な「アイデア」を与えやすいからです。木星神様は持田香織様の文章に徹底的に関与するために、携帯で『もちだより』を書くことを導いています。

 

【持田香織が漫画好きであることについて(『スラムダンク』について)】

持田香織は漫画好きで漫画から多くを学んできたということを、インタビューで言っていますが、これは木星神様の導きによるものです。現代人は漫画を娯楽として楽しむだけのものとして消費してしまっていますが、神々が創った漫画も多くあります。そして、そういった漫画を読む事は神々からの多くの良い影響をもたらします。持田香織が漫画について話している記事はこちらから読む事ができます。

https://ebookstore.sony.jp/stc/special/serendipity/2011/vol21/

持田香織は木星神様と真に共に生きているので、漫画を重要視し、漫画からいい影響を非常に受けています。ここでは、『スラムダンク』を参考に、漫画がどういったものであるのかということを説明したいと思います。

持田香織が毎年正月に『スラムダンク』を読むということを行なうということを書いていますが、このことも木星神様の導きによるものです。どうして木星神様はこれを行事にすることに関与しているかというと、『スラムダンク』は火星神様が創った非常にいい漫画だからになります。だからこそ、『スラムダンク』を読むと火星神様から非常にいい影響をうけます。

このインタビューの中で「私にとってマンガの魅力は元気になれること」ということを話していますが、持田香織が毎年正月に『スラムダンク』を読む事の意味は、この持田香織の発言そのままの意味を持っています。歌の場合と同様に、漫画を読む場合もそれを創った神様や悪魔から「気」をもらいます。『スラムダンク』は火星神様が創った漫画であって、火星神様は「火の気」の神様です。そして、このページの最初にも書きましたが、「火の気」とは「元の気」のことであって「元気」です。だからこそ、『スラムダンク』を読んでいると火星神様から「火の気」をもらい、その結果「元気」になります。

「火の感情」は「元気・笑い/闘いの心」です。そして、太陽系においては太陽神様が「火の気」の「元気・笑い」の側面を、火星神様が「火の気」の「闘いの心」の側面を主に支えています。太陽と火星という形で火の星が二つあることにはそのような意味があります。

しかし、太陽神様も「闘いの心」の側面を支えていますし、火星神様も「元気・笑い」の側面を支えています。このことを感覚として理解して頂く為に太陽神様と歌っている桑田佳祐と、火星神様と歌っている降谷建志を例に取り上げたいと思います。このことを理解することは持田香織が木星神様と歌っていることの価値を知る上でもとてもいいと思います。

桑田佳祐は基本的には「元気・笑い」の感情で歌っています。こちらの動画が桑田佳祐が太陽神様と共に実践している「元気・笑い」の感情をよく伝えています。「元気」に加えて、「笑い」を使っていることがよく分かるからです。
 


しかし、桑田佳祐は時折「闘いの心」で歌います。『ピースとハイライト』などは現代が抱える問題に対して「闘いの心」を使って歌っています。しかし、太陽神様の「闘いの心」なので、かなりソフトな「闘いの心」です。
 

 

火星神様と共に歌う降谷建志が「元気・笑い」の感情で歌っている動画はこちらです。
 


降谷建志が「闘いの心」で歌っている歌の一つに『光りの街』があります。
 

 

桑田佳祐が太陽神様と共に表現している「明るさ・元気」と降谷建志が火星神様と共に表現している「明るさ・元気」、桑田佳祐が太陽神様と共に表現している「闘いの心」と降谷建志が火星神様と共に表現している「闘いの心」はかなり違うのは感覚的に理解できると思います。これはそのまま太陽神様と火星神様が抱えている「明るさ・元気」と「闘いの心」の違いになります。

もちろん、太陽神様は太陽神様と共に歌を歌うトータス松本のような「火の感情」の側面も持っていますし、火星神様は火星神様と共に歌を歌うBzの稲葉浩志のような「火の感情」の側面も持っていますから、桑田佳祐と降谷建志の違いが太陽神様と火星神様の違いではありません。しかし、この二人の「火の気」の神様の違いの傾向はあります。

太陽神様は「平和」「あたたかい」といった印象を与える「火の気」を抱えているのに対して、火星神様は「かっこいい」「強い」といった印象を与える「火の気」を抱えています。太陽系はこういった二種類の「火の気」によって支えられています。

神々と歌う歌手が歌を歌うということはこのような形で、神々のことを知る上で、とても参考になります。持田香織が木星神様と共に歌を歌うということにも同様にとても意味があります。木星神様は元々は植物の魂なので、男でも女でもなく中性的な神様です。ですから、男としての側面と女としての側面の両方を持っています。日本人の男性歌手で木星神様と共に歌う歌手は井上陽水やスピッツの草野マサムネなどがいます。

木星神様が中性的であることを理解する上で非常にいい方法は『エヴァンゲリオン』の渚カヲルを参考にすることです。渚カヲルは非常に中性的に描かれていますが、渚カヲルの感情は木星神様が持っている一つの側面です(マンガではなくてアニメの渚カヲルを参考にして下さい)。

『エヴァンゲリオン』も宮崎駿作品同様に、神々が創った作品であって、登場人物の個性を、水・火・風・土・金の人で分けています。それぞれの登場人物の名前にはそういったことが元々説明されています。

碇シンジ=不完全な水の人(碇=怒り、シンジ=神事:「水の感情」は「厳しさ」でもあり「怒り」も含んでいるため。シャーマンのチャンネリングのことを「神事」で表現)
惣流・アスカ・ラングレー=不完全な火の人(「ラングレー=太陽などの放射エネルギー」の単位のことであって、「火の気」を意味。また、アスカは「飛鳥」であって、「火の鳥」を意味。)
綾波レイ=水・火・風・土・金のどれでもない人(「気」のことを「波動」とも言い、「綾」は「様々な形・色彩・模様」、そういう意味で「綾波」とは「様々な気」。「レイ」は「零」=「ゼロ」。なので綾波レイ=「気がゼロ」。また「レイ」=「霊」の意味もある。)
ミサト=不完全な金の人(「ミサト=美里」であって、「金の気」が「美の里」であることを意味。「金の気」の神様である金星神はヴィーナス、アプロディーテと呼ばれ「美」と「愛」の神なので「美里」)
渚カヲル=完全な風の人(「風の気」によって風は起こります。そして、風は香りを運びます。そういう意味でカヲル=風のこと。)
碇ユイ=完全な金の人(ユイ=結=愛=金の感情。「結」は小さな集落での助け合いなどのことも意味します。そういう意味で「愛」のこと。https://ja.wikipedia.org/wiki/結

『エヴァンゲリオン』については、ここに詳しい解説を書いています。
http://junashikari.com/art/エヴァンゲリオンについて/


このような形で神々は歌手やアニメに関与する事で、その神様がどういった神様であるのかを伝えています。その神様が司る「気」とはその神様の魂が抱えている「気」と全く同じです。ある「気」を創るためには、自分自身がその「気」を魂に抱えている必要があります。ですから、「気」について理解する事とは、その「気」を司っている神様のことを理解する事と同じです。歌手や漫画家・アニメーション作家はそういった理解を促す方法を作っている立場の人間という側面もあります。

また、少し脱線しますが、持田香織は降谷建志とコラボレーションをしたことがありますが、これは神々の導きによって成立しています。降谷建志は持田香織の声が好きで、コラボレーションをオファーし曲を創っています。ここに火星神様が強く関与しています。
 


この曲の中で「瞬いたstarlight 瞬いた今日は涙いらないさ」「星の降る夜に 少しのこるtears」といった歌詞がありますが、ここで「瞬いたstarlight」「星の降る」と言われているものは星からの「光の気」のことです。火星神様と共に歌う降谷建志と木星神様と共に歌う持田香織が共にこれらの歌詞のある歌を歌うということは、火星神様と木星神様が人間に対して歌いかけていることを意味しています。そして、この歌を聴くことによって火星神様の「火の気」と木星神様の「風の気」を受け取ることになります。だからこそ、「光の気」のことを意味する「瞬いたstarlight」「星の降る」という歌詞を降谷建志は火星神様の導きによって書いています。

持田香織の魂は火星神様と非常に相性がいいと神々は分かっているからこそ、降谷建志とのコラボレーションを実現させています。そして、『スラムダンク』を毎年正月に読むということを行事にしています。かなり回り道をしてしまいましたが、以下『スラムダンク』について少し概要を書いておきたいと思います。この作品に火星神様は明確な意図を込めているので、この作品は漫画の価値を理解する上でとても分かりやすいです。


・『スラムダンク』

『スラムダンク』は火星神様の持っている「元気・笑い」の側面と「闘いの心」の側面がよく表れています。全体的に非常に細かく笑える部分は多いですが、これは火星神様の「元気・笑い」の側面です。そして、バスケットボールの試合中はプレイヤー達が闘っている様子が描かれていますが、これは「闘いの心」の側面です。火星神様は元々かなり計算をして、「元気・笑い」の側面と「闘いの心」の側面が交互に続くように『スラムダンク』を創っています。

その結果として、読者は『スラムダンク』を読んでいて、かなりその世界に引き込まれていきます。もし、漫画全体でずっと「元気・笑い」と「闘いの心」の一方ばかりが描かれているのであれば、どこかで飽きてしまいます。また、読者の「気持ち」の変化も小さくなってしまいます。しかし、交互に「元気・笑い」と「闘いの心」を繰り返すことで、読者の「火の感情」を可能な限り火星神様は高めようとした作品ですし、その狙いが見事に実現されている作品です。

井上雄彦が『スラムダンク』を書いている時に「こういう風に書いたら笑えるかな」といった「アイデア」を火星神様が井上雄彦に与えることによって、火星神様の「元気・笑い」がよく伝わるようになっています。こういった「笑い」の「アイデア」を井上雄彦が考えている(受け取ろうとしている)時は、井上雄彦自身の「気持ち」も「元気・笑い」になっています。また、試合中の様子を描く時は井上雄彦自身も試合のプレイヤーの「闘いの心」の気分になり、その「気持ち」を漫画の中で表現しようとし、火星神様はそれをどのように描くのかということを支えています。

歌手も漫画家も同じであって、ある「気持ち」のことを表現する為にはその「気持ち」のことを知っていなければなりません。そして、何かの「気持ち」を知るためには必ずその「気持ち」を経験しなければなりません。井上雄彦が漫画を書く時、火星神様は井上雄彦に「気」を送ることで様々な「気持ち」をもたらしています。また、井上雄彦に様々な「気持ち」を教えるために、井上雄彦の日常に何が起こるのかということもかなり関与しています。その結果、生活の中で井上雄彦は様々な出来事を体験し、その出来事の最中に火星神様は井上雄彦に「気持ち」を教えます。「気持ち」の原因は「気」なので、こういったプロセスが「気」を学ぶということの意味です。

神々は人間に伝えたい様々な「気」=「気持ち」を既に膨大に抱えています。そのどれをその表現者を通して人間に教えられるのかという闘いをしています。表現者の方は神々が既に抱えている様々な「気」=「気持ち」のどれを神々から学ぶことができるかという闘いをしています。

神々と共に働く表現者はこのようなことをいつも経験し、その中で神々から様々な「気」=「気持ち」を学び、それを作品の中で表現しています。そして、その作品を通して人間の多くにその「気」=「気持ち」を神々は教えられます。鑑賞者がその作品を鑑賞する時に神々は「気」で関与できるからです。

もし『スラムダンク』を読んでいて、どこかのページで読者が笑ったり笑顔になることがあるのであれば、その時に火星神様は読者に「火の気」を入れることができます。また、試合中の様子を見ることで読者が「闘いの心」になるのであれば、その時に火星神様は読者に「火の気」をいれることができます。そのことによって『スラムダンク』を読んでいると「元気」になるという結果が生まれます。

我々には見えていませんが、常に火星からの「火の気」は地球に降り注いでいます。そして、その火星神様の「火の気」は我々の周りにもいつもありますし、我々の体内にもあります。逆に、火星からの「火の気」が地球に降り注いでいないとしたら火星という星は必要ない星なので、太陽系に存在していません。

そして、「気」がその人間に入るかどうかということは、その「気」とその人間の魂が共感するかどうかということに依ります。もし、如何なる「気」も我々の身体にいつでも入るようになっているのであれば、我々の心はいつも「光の気」と「闇の気」両方の影響を受け、そのことによって様々な「気持ち」に次々となり、とてつもなく心が忙しくなってしまいます。しかし、実際はそのようなものではなく、我々がその「気持ち」と共感することによって、「気」は入ります。

火星神様は『スラムダンク』をできるだけ笑えるような作品にしています。何故ならば、「笑い」の感情に我々の心を導くことで、我々の周りに舞っている「火の気」を我々の身体に入れるためです。我々は『スラムダンク』を読んで笑う度に身体が火星神様の「火の気」を入れられる状態になり、「火の気」がどんどん入るからです。そして、試合中の様子は自分が本当にその場にいるような感覚で読めるようにしています。何故ならば、その場にいるような感覚が「闘いの心」を抱かせる上でとても重要だからです。そして、「闘いの心」になる度に「火の気」を読者は身体に受け取ります。このようにして、「元気・笑い/闘いの心」の両方の面を使って「火の気」を火星神様は我々に入れられるようにしています。そして、読者は「火の気」=「元の気」を受け取ることによって「元気」になります。

持田香織の「私にとってマンガの魅力は元気になれること」という発言にはこれだけの意味がありますし、だからこそ、木星神様は持田香織が毎年正月に『スラムダンク』を読むということを導きません。木星神様は持田香織を支えたいと思っています。そして、持田香織を支える上で「光の気」を入れるということがとても重要であって、『スラムダンク』という作品は火星神様が「火の気」を入れる上で、とても優れた作品だからこそ、毎年読むという行事を作ることを導いています。

持田香織が「火の気」で歌っていたということは説明しましたが、持田香織が「火の気」で歌うことができていたのは、持田香織の魂が「火の気」も多く抱えていて、「火の気」と相性がとてもいいということを意味します。だからこそ、「火の気」の漫画である『スラムダンク』が好ましいと木星神様が判断しています。こういった判断を木星神様がすると具体的にどのようなことが起こるかというと、木星神様が持田香織に「スラムダンクを読みたい」という「気持ち」をもたらすことが起きます。持田香織が毎年正月に『スラムダンク』を読んできたのは、持田香織が「『スラムダンク』を読みたい」と思ったからであって、その「気持ち」にはこれだけの背景があります。
 

火星神様は我々の身体に入った「火の気」を通して我々の「気持ち」に関与する事ができます。そして、「火の気」はいつも「元気・笑い」の側面から「闘いの心」の側面に転じることも、その逆の形で転じることもできます。少し難しく聞こえるかもしれませんが、難しい話ではないので、付いてきて頂けると幸いです。

こういった形で「気」が別の「気持ち」に転じるのは「火の気」よりも「闇の気」の方が分かりやすく、例えば、イライラすると人によっては暴飲暴食や買い物に行きたくなります。この「気持ち」の変化はどういった「気」の変化かというと、「苛立ちの気」が「欲望の気」に転じていることを意味します。他にも、何かで深い絶望をすると人は逃げたくなります。この「気持ち」の変化は「絶望の気」が「逃げの気」に転じていることを意味します。「闇の気」は全て他の「闇の気」に転じることができるので、このようなことがいつも我々の心の中には起きています。

そして、「光の気」は基本的にこのように他の「光の気」に転じることはありません。例えば、「風の気(優しさ)」が「水の気(向上心・問題解決の心)」に転じることはできません。しかし、「火の気」の場合は「元気・笑いの気」から「闘いの心の気」に転じることができますし、「闘いの心の気」から「元気・笑いの気」に転じることもできます。

「火の気」を魂に多く抱えている「火の人」はこの「火の気」が「元気・笑い」と「闘いの心」の間を転じる現象が経験としてよく分かります。普段はすごく「元気・笑い」なのですが、誰かが悪事を働いているのを見たりすると「闘いの心」が自分の中でメキメキと起こるからです。これは子育てをしている母親の心境でもあります。幼少期の子供は「火の気」を多く受け取りながら生きています。だからこそ、子供は皆とても「元気」です。そして、子供と多くの時間を過ごす母親はその子供から「火の気」をもらいます。その結果「火の感情」で子育てをすることに繋がります。すると、普段は子供に対して「元気・笑い」の気持ちで穏やかに接する事ができるのですが、子供が悪いことをすると「闘いの心」がメキメキと沸き上がり、子供が犯した「闇」と闘うために「闘いの心」を使い、子供を叱り始めます。ですから、子育ては親子で「火の気」を学ぶ行為でもあります。この過程を神々が「火の気」で支えています。

もちろん「闇の気」を多く抱えている人は「愛」の気持ちで子供に接することができないので、「火の感情」になることができず、こういった「気持ち」の変化は経験できません。また、「火の気」以外の「光の気」を元々多く抱えている人は、「火の気」以外の「光の気」を使って子育てをするので、こういった「火の感情」は経験しにくいです。ただ、子育てをしている母親は「火の感情」を抱きやすくなるという傾向があることは間違いなく言えます。

『スラムダンク』を読んでいると火星神様から「火の気」をもらうことができることは説明しました。そして、「火の気」は「元気・笑い」と「闘いの心」の両方の感情の原因であって、火星神様からの「火の気」を我々が身体に抱えるのであれば、火星神様はその「火の気」を通して我々の魂を「元気・笑い」と「闘いの心」のどちらにも導く事ができます。何故ならば、「火の気」は「元気・笑い」と「闘いの心」の間を転じさせられるからです。

しかし、我々を「元気・笑い」と「闘いの心」のどちらに導くかという事に関して、きっかけは必要です。突然ある「気持ち」がふつふつと起こることは生きているとあります。急に誰かに会いたくなったり、急においしいものを食べたくなったり、といったことを経験したことがある方も多いと思いますが、そういった「気持ち」は神々や悪魔が我々に「気」を通して起こしています。そして、そういった形できっかけ無しにある「気持ち」が起こっても、きっかけがある場合よりも「気持ち」を高めたり、持続したりすることは難しいです。例えば、会いたい相手の写真を見た方が「会いたい」という「気持ち」は高まりますし、ものすごくおいしそうな食べ物の写真を見た方が「食べたい」という「気持ち」は高まります。

漫画はこういった「きっかけ」の役割を果たしています。単純な絵でもなく、その絵にはストーリーがあります。だからこそ、人間にある「気持ち」を強く抱かせる上ではとても強い「きっかけ」です。

『スラムダンク』を読んでいると火星神様から「火の気」が入ります。そして、その「火の気」によって「気持ち」を抱くことができる「きっかけ」が『スラムダンク』の中には散りばめられています。

例えば、三井寿が不良と共に体育館に喧嘩を売りにくるシーンで、桜木花道が仲間のために不良と闘い始めるシーンなどは強い「闘いの心」です。「誰かのために、その誰かを傷つける何者かと闘う心」が「闘いの心」ですが、あのシーンはそういった「闘いの心」をとてもストレートに表現しています。そして、読者があの場面の花道の「闘いの心」と共感をするのであれば、「闘いの心」を読者は学ぶことになります。

『スラムダンク』を読むのであれば、「笑い」を通してどこかのシーンで既に「火の気」は入ります。そして、その「火の気」を火星神様は「闘いの心」に転じさせられます。そして「闘いの心」に転じさせる「きっかけ」を『スラムダンク』全体に散りばめています。そういった「きっかけ」の中で、桜木花道が不良と闘うシーンは多くの読者にとって印象的なシーンです。

日本人の魂は「火の気」の「元気・笑い」の側面は少なくはないのですが、「火の気」の「闘いの心」の側面は弱いです。「元気・笑い」の側面は少なくはないことは、多くの人がお笑い番組が好きで、人を笑わせようとは多くの人がしたがっていることに表れています。それに対して、この社会が抱えている様々な問題や「闇」と闘おうと本気で努力をしている人はほとんどいないことから、「闘いの心」が弱いことはよく理解できます。

ですから、火星神様としては『スラムダンク』を通して「笑い」で共感を作ることは簡単です。何故ならば、元々日本人の魂が「笑い」に共感しやすい状態にあるからです。それに対して、「闘いの心」に共感させることは大変です。何故ならば、元々日本人の魂が「闘いの心」に共感しにくい状態にあるからです。

そういった状況があるからこそ生まれたのが『スラムダンク』になります。「笑い」によって「火の気」を入れ、その「火の気」を使って、『スラムダンク』の中で「闘いの心」が描かれる時に「闘いの心」に共感させ、日本人の魂に「闘いの心」を教えようとする火星神様の試みです。

火星神様は太陽系における「闘いの心」の神様であって、「闘いの心」を太陽系に生きる魂に教えるということを魂の役割としている神様になります。そういった役割を実践するために『スラムダンク』を創ったということを、この説明から理解して頂けると幸いです。

また、この解説を理解するとよく分かるのですが、『スラムダンク』はできるだけ一気に読んだ方が火星神様から、いい影響をもらうことができます。何故ならば、一度読んで一週間後にその続きを読んでも、最初に読んだ時に火星神様が読者に入れた「火の気」はもう残っていない可能性があるからです。何日間か連続で『スラムダンク』全体を読み切ることによって、最も火星神様から「火の気」を学びやすい状態を用意することができます。

持田香織が正月という連休に『スラムダンク』を読むということを毎年の行事にしているのにはこれだけの理由があります。持田香織を支えている木星神様はこういった理由を全て分かっている上で、持田香織を支えるために『スラムダンク』を読むという行事を持田香織が作ることを導いています。

 

※続きは後日書き足します。