「自分が幸せでなければ、他人を幸せにできない」のかどうか、という点と合わせて理解したいことが「自分が不幸な人は、他人を不幸にしやすい」のかどうか、という点です。

結論から書くと、「自分が不幸であっても、他人を不幸にしにくい」人もいれば「自分が不幸だと、他人を不幸にしやすい」人もいます。その両者の違いを理解することはとても大事です。というのも、この違いを理解することで、「自分が不幸であっても、他人を不幸にしない」人間になることができるからです。
 

【「病む」かどうか】

両者の違いは「強さ」の違いです。心に「強さ」を持つ人は自分が「不幸」であっても、心が負けてしまわないのに対して、心に「弱さ」を持つ人は自分が「不幸」だと、心が負けてしまいます。

心が負けないということは、「不幸」な現状を「受け入れる」ことができるということであって、そういうスタンスが「病む」ことを防ぎます。それに対して、心が負けるということは「不幸」な現状を「受け入れられない」ということであって、そういうスタンスが「病む」ことを促します。

「病んだ」人は無意識にも他者に弊害のあることを起こしやすくなってしまいます。例えば、自分の「不幸」を「受け入れる」ことができないが故に、酒に溺れてしまい、その結果として、病気となり家族に迷惑をかけるといった形です。

このような形で、心の「弱さ」が「不幸」な現状を「受け入れる」ことを止め、その心が現状に対する「嫌悪」などに繋がり、その「嫌悪」が「逃げ」に繋がり、酒に溺れるといった構造はよくある構造です。

他者を「不幸」にしている自覚なくとも、「病む」ことがこのような形で他者を「不幸」にしやすいということは大事な点です。こういうことが見えてくると、「不幸」な現状であっても「受け入れる」ことができるような「強さ」を獲得することの重要性も必要性も見えてきます。
 

【「責任」を自覚できるか】

「不幸」な現状を「受け入れる」ということは、その現状を「自分のせい」として、その「責任」を「受け入れる」ということでもあります。逆に、「不幸」な現状を「受け入れられない」人の中には、その現状を「他人のせい」として、その「責任」を「受け入れない」人もいます。

そして、そういう心が他者に対する「攻撃性」に繋がります。何故ならば、「アイツのせいで自分は不幸なんだ」といった認識で「恨み」に発展するからです。こういった人が最も「自分が不幸だと、他人を不幸にしやすい」人です。

例えば、「不幸」な現状を「受け入れられない」人の中には、それを「親のせい」と考え、親に対して「攻撃的」な態度を取る人もいます。そういうことが親を「不幸」にします。

全ての行動を一切間違わずにできる人はほぼいないと思います。言い換えると、我々人間はほぼほぼ全員何かしらの間違いを犯したことがあるはずです。

だからこそ、「他者のせい」にしたければ「他者のせい」と思えることは少なくないかもしれません。つまり、「他人のせい」だと思いたいかどうかが「他人のせい」と思うかどうかを決めています。

しかし、その背景には、自分自身が今の現状を作り出したという「責任」を背負えないだけの「弱さ」がありますし、今の現状は自分自身の「選択」によっても生まれたということを見ようとしない「愚かさ」があります。

「病む」ことによって無自覚に他者を「不幸」にしてしまうのとは異なり、「攻撃性」によって自覚的に他者を「不幸」にすることは、より大きな「不幸」を他者に与えやすいです。

だからこそ、そういった「攻撃性」を促す「弱さ」や「愚かさ」が何なのかをよく理解することは大事ですし、なによりも、今の現実は自分の「選択」によって生まれているということをよく理解することが大事です。その認識が「他人のせい」とする心を止めるだけの「賢さ」をもたらすからです。
 

【最後に】

「自分が不幸な人は、他人を不幸にしやすい」のかどうかという点について、「強さ」と「責任」という観点から説明しました。

他人を「不幸」にしたいと思って生きている人はほとんどいないと思います。しかし、心が「弱さ」に負けるなら、我々は意図せず他人を「不幸」にしやすい存在となってしまいます。

そして、残念ながら、現代は「不幸」な人が昔よりも増えてしまっていますし、心が「弱さ」に同調しがちな人も増えています。そういった構造の結果として、年々この国は全体として「不幸」を増やしていることを知って頂けると幸いです。

「幸せ」を実現すれば、他人を「不幸」にしてしまう可能性は減ることは事実です。このような意味で「幸せ」の重要性を認識するなら、「幸せ」を願う心にも深みが出てきますから、大事な認識だと思います。

しかし、必ずしも「幸せ」が実現できるとも限りませんし、生きている間ずっと「幸せ」ということは、非常に難しいことです。だからこそ、我々に必要なのは「強さ」です。

「弱さ」の恐ろしさを知ることが、「弱さ」に同調することを防ぐ動機となり、「弱さ」に同調しなければ「強さ」が養えます。この文章が、「強さ」の重要性を認識して頂く一つのきっかけとなり、「弱さ」に同調することを防ぐ一つの動機となることを願います。