我々はいつも「部分」と「全体」のどちらを優先するのかを決めながら生きています。しかし、このことを意識化していない限り、「全体」を優先すべきタイミングで「部分」を優先してしまったり、その逆のことを行なってしまいやすくなります。

例えば、家でペットを飼っている人は、ペットのために家を掃除してから家を出るのか、それとも会社のために掃除をする時間を節約して早く出社するのかということを選んでいます。この場合、ペットは1~3匹くらいでしょうから「部分」なのに対して、会社はもっと多くの人が働いている会社が多いでしょうから「全体」です。掃除をすることを選んだ人は「全体」よりも「部分」を優先し、早く出社することを選んだ人は「全体」よりも「部分」を優先していることになります。

こういったケースで考える場合、早く会社に行って仕事をすべき時にペットのために掃除をすることは間違った判断です。つまり、「部分」よりも「全体」を優先すべきタイミングに「全体」よりも「部分」を優先しています。「部分」と「全体」の発想をちゃんと持っていなければ、こういった間違いを起こす可能性は上がります。

「ペットのため」という気持ち自体は「愛」であって、正しい「気持ち」です。しかし、「愛」は常に正しいものではなく、「愛」が間違いに繋がることはあります。このケースはそういった意味での「愛」の誤用だと理解して頂ければ、と思います。

その気持ちが「愛」だったらいつも正しいと思っていると、自分が間違った選択をしているのに、それが正しいと誤解してしまいます。そういう風に生きていると「反省」をしないので、向上することができません。そういった罠に堕ちてしまわないためにも、「愛」がいつも正しいとは限らないということは意識化して頂けると幸いです。

「愛」には複数の種類があります。そして、「部分」向きな「愛」もあれば、「全体」向きな「愛」もあります。その時その時に、今は「部分」を優先すべき時なのか「全体」を優先すべき時なのかを見極めることはとても大事なことです。そういったことを見抜いた上で、「部分」を優先すべき時は「部分」を優先できる「愛」を使い、「全体」を優先すべき時は「全体」を優先できる「愛」を使う必要があります。

「全体」を優先すべき時に「部分」を優先したい「愛」を抱いているようなケースはよくあります。例えば、ペットのことが可愛くてしょうがなかったら、自分のペットに対する「愛」を抑えきれずに、早く会社に行かないということを選んでしまうことになります。その結果として、会社の多くの人に迷惑をかけてしまうことになることもあります。ですから、こういった時は、自分の「ペットのために(部分)」という「愛」を我慢して、「会社の人達のため(全体)」という「愛」で会社に向かうことを選ぶ必要があります。

このホームページでは「光(愛)」と「闇(欲望)」の対立構造を多く説明しています。如何に「闇」に囚われないように生き、如何に「光」を貫くのかということを書いています。しかし、実際は「闇」に同調せず「光」に同調するだけでは不十分です。「愛」には複数の種類がありますが、そういった「愛」を使い分けられるようになって初めて、十分な状態となります。改めて、「光の気持ち」を列挙します。

水の気持ち:「愛」の実践のために「問題解決」を行なおうとする心=「向上心・問題解決の心」
火の気持ち1:「愛」の実践のために「笑い」を使おうとする心=「元気・笑いの心」
火の気持ち2:「愛」の実践のために「闘い」を使おうとする心=「闘いの心」
風の気持ち:「愛」の実践のために「思いやり」を使おうとする心=「優しさ」
土の気持ち:信じることのために何かをやり始めようとする気持ち・やり続ける気持ち=「勇気・忍耐」
金の気持ち:相手を大事と想う気持ちそのもの=「愛」そのもの

この5種類の「愛」を「部分」と「全体」の発想で分けると以下のようになります。

「部分」:火の気持ち、風の気持ち、金の気持ち
「全体」:水の気持ち、土の気持ち

「火の気持ち」「風の気持ち」「金の気持ち」に共通していることは、現実的に「愛」を抱く特定の誰かを基準にしている点です。例えば、ある相手を愛しているから、その相手に対して「元気を与えたい」「守りたい」「支えたい」といった気持ちが起こります。

「水の気持ち」「土の気持ち」に共通していることは、「間違っていることを正したい」という気持ちがある点です。「水の気持ち」は「問題解決をしたい」という気持ちであって、「土の気持ち」は「正しいことをしたい」という気持ちだからです。こういった姿勢が、「全体を優先すべきだ」という判断に繋がりやすい性質を持っています。

つまり、「火の気持ち」「風の気持ち」「金の気持ち」は「部分(特定の誰か)」に対する「愛」を基準にしているのに対して、「水の気持ち」「土の気持ち」は「全体」に対する「愛」を基準にしています。ですから、「部分」を優先すべき時は「火の気持ち」「風の気持ち」「金の気持ち」のいずれかを使い、「全体」を優先すべき時は「水の気持ち」「土の気持ち」のいずれかを使うことが理想的です。

我々はいつも自分が抱く「気持ち」によって何らかを「行動」を行なっています。ですから、自分の抱く「気持ち」と自分が取るべき「行動」が矛盾していると、非常に苦しい思いをします。つまり、「全体」を優先すべき時に「部分」を優先したい気持ちを抱いていたり、「部分」を優先すべき時に「全体」を優先したい気持ちを抱いていると非常に苦しい思いをします。

例えば、本当は愛する妻と一緒に時間を過ごしたい(「部分」を優先したい)けれども、世のために仕事に行かないといけない(「全体」を優先すべき)、といったことです。こういった時に仕事をしている最中も妻のことを考えていると、つまり、「全体」のためのことをやっているのに「部分」のことを考えていると、苦しい思いをしますし、仕事の質も悪くなりやすくなります。そういったことを回避するためにも、我々は「気持ち」を切り替える必要があります。

こういった説明から「気持ち」の切り替えの意味を理解して頂けると幸いです。自分の「気持ち」は自分が行なっている「行動」に対して、最もふさわしいものを抱いていることが最も望ましいです。ですから、自分が取るべき「行動」に対して、最も最適な「気持ち」を抱くことが理想的で、そのためにはそれぞれの「愛」の違いを理解しておく必要があります。また、そういったことを行なうためには様々な「愛」を使いこなせるように準備しておくことが大事です。

様々な「愛」を使えるようにするためには、自分が成長させたい「愛」を抱くことを日常的に努力する必要があります。音楽は我々を特定の何らかの「気持ち」を与えますし、どういう人と一緒にいるのかも自分が抱く「気持ち」に影響を与えます。自分が成長させるべき「愛」が何なのかを意識しながら、どんな音楽を聴くのか、どういう人と一緒にいるのか、ということを選択していくことも、とても大事なことです。(それぞれの「愛」をどのように伸ばしていけるのか、といった話は別で文章を書きます。)

この文章から「愛」に関する「部分」と「全体」の発想を理解して頂き、日常生活の中で、その時その時に自分がどちらを優先したのかを分析して頂き、その選択は正しかったのかを「自問」して頂ければ、と思います。逆に言うと、こういった「問い」を日常生活の中で行ない続けない限り、「部分」と「全体」の発想を使いこなすことはできません。

こういう風に生きていくことは、とても面倒なように思われるかもしれませんが、「自問」を行うことが癖付いてくると、全く面倒なことのように感じません。また、自分が間違ってしまうことは、こういった「問い」を行ないながら生きることよりも圧倒的に面倒とも言えます。「めんどくさい」といった「怠惰」や、「しなくてもいいか」といった「甘さ」に堕ちることなく、いつも自分を「自問」しながら生きて頂ければ、「誰かのため」により大きな「愛」を実践できる人間へと成長できます。