「分析」という言葉は「分」と「析」という漢字から成り立ちますが、この二つの漢字は両方共「分ける」という意味を持っています。つまり、「分析」とは「分ける」ことであって、「分ける」からこそ「分かる」ことができます。

そして、「分ける」上で大事なものは「観点」です。例えば、相手の性格を「分析」する時、その相手を「強さ⇔弱さ」という「観点」で「分析」するなら、相手の「強さ」に関する性質が少し「分かる」ことができます。

多くの人は無意識に、何らかの「観点」を使って「分析」をしています。しかし、無意識にやっているからこそ、思考に抜けが生まれやすく、言葉を使って意識的に「分析」することによって、「分析」の精度は上がります。

「分析」という言葉を辞書で調べると、一つ目の意味に「複雑な事柄を一つ一つの要素や成分に分け、その構成などを明らかにすること」と書いてありますが、このことはとても大事な情報です。

理解しようとする相手は様々な要素を持ちます。例えば、相手が人間の場合、「強さ⇔弱さ」という「観点」もあれば、「愛⇔欲」「賢さ⇔愚かさ」「優しさ⇔厳しさ」といった、様々な「観点」を通しても「分析」できます。

そういった様々な「観点」に関する理解を事前によく得ていなければ、相手を適切に「分析」することはできません。例えば、何が本当の意味での「強さ」なのかを分かっていなければ、「強がり」な相手を「強さ」を持つ人間と誤解してしまいます。

我々の多くは他者と生きざるを得ませんが、相手のことが適切に見えるようにすることはとても大事です。逆に言うと、相手のことを誤解することは、相手にとっても、自分にとっても、基本的に良くないことです。

だからこそ、相手のことを適切に「分かる」ようにするために、人間の心に関する基本的な「観点」に対する理解は深めておいた方がいいです。こういったことは、本当は義務教育で教えられるべきことだと思っています。

逆に言うと、こういったことが義務教育で教えられていないからこそ、すれ違いが多く発生する社会になってしまっています。誰かが「悪意」を実践しているわけではないにも関わらず、すれ違いを通してストレスが生まれてしまう構造を変えていかなければなりません。