魂は存在します。魂が存在することは信じるものではなく、知るべきものです。そして、魂が確実に存在するということを知るためには、魂が存在するという根拠を知ることが必要です。ですから、ここでは、魂が存在するということの根拠について書いていきたいと思います。


【魂の重さ】

魂は心臓に宿っています。だからこそ、「心」という漢字は心臓を表す象形文字(ものの形をかたどって描かれた文字)から生まれています。

そして、魂は「気」の塊(かたまり)であって、だからこそ「気」という言葉は辞書にも「心の状態・意識・働きを総合して捉えたもの」といった形で書かれています。また、「気」はギリシャ語では「プシュケー」ですが、「プシュケー」は「魂」という意味も持っています。古代ギリシャ人は魂が「気」でできていることを知っていたので、「プシュケー」という言葉を「気」と「魂」を表す言葉として捉えていた形になります。

そして、「気」にはごくわずかな重さがあります。だからこそ、太陽系はこのような構造をしているということは『「気」と太陽系の関係性』で書きました。太陽系のそれぞれの星は大量の「気」をその星に宿しており、重力によって地球に「気」を送っている形になります。もし、「気」に重さが無ければ重力で引き合うことも無いので、太陽系はこのような形をしていません。

魂は「気」の塊であって、「気」には重さがあるので、魂には重さがあります。かつて、人間が死ぬ時にどのように重さが変化するのかということを調べた医師がいて、その医師の実験結果では21グラム軽くなるという結果が得られています。また、現代でも、動物が死ぬ時の重さの変化を調べている研究者もおり、そういった実験結果では動物が死ぬ時も軽くなるという結果が得られています。

人間にも動物にも魂が宿っているからこそ、死んで魂が肉体から抜けると微妙に軽くなるという結果が得られています。「気」は科学的には測りにくいものなのですが、重さを測ることはできるので、重量の変化から、魂が「気」でできていることや「気」には重さがあることを調べることはできます。


【輪廻転生を根拠にする考え方】

魂が存在することは、輪廻転生が真実であると考えるのであれば、自ずと明らかです。何故ならば、輪廻転生という考え方自体が魂を前提とする考え方だからです。魂が無いのであれば、輪廻転生は成り立たなくなります。

この世界の成り立ちを見ていくと、どう考えても輪廻転生は「真実」であるということが分かります。そのことから、我々は単なる物質的な存在ではなくて、肉体という器に魂が宿っている存在として生きているということが分かります。つまり、魂は存在するということが分かります。ですから、輪廻転生について、こちらの文章から理解して頂ければ、と思います。

http://junashikari.com/energy/輪廻転生について/


【神々を根拠にする考え方】

神々がいるということは「気」のことを理解していけば、確実に知ることになります。そして、神々が「愛」に満ちた存在であることも、神々が我々の身体を創ったということも理解できます。

「愛」に満ちた存在が、数十年だけ生きた後に消滅するような生き物を創るわけがないということが、魂が存在するということの1つの根拠になります。ほとんどの人間は生きたいと願う存在です。そして、我々は生きたいにも関わらず、今世の死で意識も何もかもが失われてしまうのであれば、それほどに残酷なことはありません。しかし、「愛」に満ちた神々がこのような残酷な状態を作るわけはないです。

こういった観点から、我々の肉体は死んでも魂はそのまま生きているだろうという結論に至ります。


【最後に】

このような複数の根拠から、魂が存在するということはよく分かります。科学的には、「愛に満ちた神々が魂を作らないわけがない」といった根拠は根拠として扱われません。しかし、実際はこういった根拠も物事の根拠にはなり得ます。こういった根拠は我々の日常生活では使われています。例えば、「子供を愛している親が我が子を殺すわけがない」という根拠は裁判などでは根拠として使われます。

この根拠の扱われ方と同様に、「愛に満ちた神々が魂を作らないわけがない」という根拠は根拠として成立します。何故ならば、「愛に満ちた神々が魂を作らないわけがない」ということは、言い換えると「地球に生きる全ての命を愛している神々が、その命達から命を奪うわけがない」ということになるからです。我々現代人は科学や文学や法律学といった形で様々なものを分けて考えてしまっているからこそ、本質が見えなくなってしまっています。

魂が存在することについて、様々な観点からの根拠を見出すことはできます。その一部をここに書きました。これらの根拠から、魂が存在することについて確信をして頂けると幸いです。